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79. 笑顔の裏側で、言い捨てた言葉


 レティシアが会場に戻ると、その姿を認めた件の使用人は、強張り青ざめた顔をホッと緩ませた。言葉を交わす事は無かったが、小さく礼をしたレティシアに、使用人は深々とお辞儀をしたのである。


「今宵はレティシア嬢とゆっくり過ごしたかったんだけどなぁ。つまらない邪魔が入ったね。お父上は何も知らないよ。さぁ、行っておいで」

「ええ、ありがとうございました。それでは殿下、また改めて」

「うん。また、ね」


 他の貴族達と談笑するベリル侯爵の元へ向かうレティシアを、エドガーは満面の笑みでヒラヒラと手を振り送り出した。

 その後クルリと踵を返した拍子に、褐色肌に馴染む焦茶色の髪がサラリと揺れる。


「さて、新しい妻も見つかった事だし。まだ名残惜しいけれど帰ろうか」

 

 焦茶色の隙間から覗くエメラルド色の瞳の奥には、笑顔の余韻とは裏腹に、冷たく凍えるような情動が見え隠れする。


「悪人には誅罰を」


 垂れ目がちで一見人の良さそうなエドガーの冷淡な囁きは、会場の喧騒の中で誰にも聞かれる事は無かった。


 帰りの馬車に揺られながら、夜の街をひた走る景色へと視線を向けて、レティシアは一人考えに没頭する。


「レティシア、エドガー殿下と……何かあったのか?」


 父親はいつになく物思いに耽る娘を不審に思い、恐らく自分から離れていた間にエドガーと何かあったのではないかと推測した。

 ベリル侯爵という男は長きに渡ってこの帝国フォレスティエを支えてきただけあって、あのいつもヘラヘラとして一見害の無さそうなエドガーという人間が、実は腹に何かを隠し持っているという事を確かに感じ取っている。


「実は……」


 レティシアはあの時休憩室で感じた不安、漠然と感じ取った不吉な匂いの正体が何なのか、父親ならば分かるかも知れないと期待した。

 イリナとエドガーの今後の事について、イリナが自身の父親と主人であるカタリーナを裏切ると約束した事について、真剣な面持ちで自分を見つめるベリル侯爵にその全てを語った。


「恐らく、ですが……ソフィー様に毒を盛ったのがジェラン侯爵とカタリーナ様であると、侍女のマリアンと衛兵を殺害したのも口封じであったと、そう証言するつもりなのでしょう。自信のある口ぶりから、確かな証拠も握っていると思われます」

「皇族殺害を企てたとなると、カタリーナとジェラン侯爵(ギヨーム)の断罪は免れぬだろうな。今度ばかりは皇帝陛下も到底庇いきれぬだろう」

「皇帝陛下もカタリーナ様達の企てをご存知だったとしたら……それはもう大変な事になりますね」


 皇族の殺害を目論むなどという大罪を犯せば、カタリーナ、ジェラン侯爵は一族郎党処刑されてもおかしくはない。しかしソフィー皇后の殺害は幾度となく試みられたものの、幸運にも失敗に終わった。

 心優しいソフィー皇后は、関係のない者達の命まで奪う事を良しとしない人柄であるから、おおかた当人達の処刑で済まされる事になるであろうと思われる。

 しかし此度の罪人は皇帝の寵姫と腹心の部下である。皇帝がその事実を全く知らなかったとは思い難い。そもそも城の薬師でもなければソフィー皇后に盛る毒物を作り上げ、彼らに渡すという芸当は難しい。外からの警備は厳しく、誰かが城内に毒物持ち込む事は不可能なのだ。

 第一、無味無臭の毒を拵えることが出来る腕の良い薬師はこの世界でも多くはいない。元々薬師自体がそう多くはないのだ。

 特に城に仕える薬師というのは得てしてプライドが高く、自分達は皇族の次に高い位に位置する者だと考える者も多い。

 そのような薬師は皇族の命令で動く事はあっても、たかが愛人であるカタリーナの命令で動く事は考えにくい。いくら寵姫だとしても。そういうものなのだ。

 そうなれば皇帝がカタリーナに唆されたか、あるいは自らの意思で皇后を殺害しようと企てたという事になる。


「万が一にも、皇帝陛下がソフィー皇后陛下を手にかけようとしたという事が公になれば、皇后陛下の故郷であるフィジオ王国も流石に黙ってはいないだろう」

「帝国にはソフィー様がいらっしゃいますから、よもや戦になるような事は無いでしょうが……」

「これ幸いとばかりに色々と頭の痛い事は言ってくるだろうな。もっと関税を優遇しろなどという事は、既に以前から匂わせていたのだから」


 ベリル侯爵は既に皇帝への忠誠など失っていたが、娘はこれから先この帝国を皇太子リュシアンと共に守ってゆく立場にあるが故、帝国にとって不利になるような事は出来るだけ避けたいと考えていた。


「イリナ嬢は……フィジオ王国へ嫁いで、幸せになれるのでしょうか」


 エドガーはイリナを愛する事はないだろうが、それでも無碍にはしないだろう。しかし文化も何もかもが違った異国で一人、寂しくはないのだろうか……とレティシアはイリナの未来に思いを馳せた。


「レティシア、お前はどれだけお人好しなんだ。あの娘の言う事など、どこまでが本当か分からんぞ。結果どうなるにせよ、自分の罪をさも無かった事とし、親を裏切り、主人を裏切った彼女が幸せになれるかどうか、考えれば分かるであろう」

「確かに……それはそうですが……」

「それに……」


 ここで、ベリル侯爵はぎゅっと眉間に皺を寄せ、顎に手をやって言い淀んだ。


「それに?」

「……いや、お前はまず自分の心配をしなさい。これから多くの事が急激な流れを伴って動き出すだろう。リュシアン殿下もしばらく苦労なさるはず。レティシアは殿下をしっかりと支えて差し上げなさい」


 イリナとエドガーの婚姻が発表されるという事は、そこから怒涛の展開で全てが変化していくだろう。それに、カタリーナが罰せられるとしたら、第二皇子であるニコラはどうなってしまうのか。

 妻を見つけたエドガーがイリナを連れて国に帰れば、たちまち停戦状態である隣国との関係性はどうなってしまうのか。

 

 レティシアはまだこれから多くの考え事がある事に、今からズキズキと頭が痛むのであった。

 


 

 

 

 

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