71. ソフィー皇后とレティシア、二人の強い絆
その後、二度とソフィー皇后に毒が盛られる事は無くなった。侍女マリアンの家に強盗が入り、居合わせたマリアンと夫が惨殺されたのである。
恐らくマリアンが疑われている事を知ったジェラン侯爵が、口止めの為に手にかけたのだろうと思われた。同じ頃にジェラン侯爵らを皇后宮の敷地に手引きしたと思われる皇后宮を守る衛兵の一人が、街で暴漢に襲われ死亡した事もあって、その線は明白である。
リュシアンも騎士達と共に必死になって二件の捜査に参加したが、いかんせん確たる証拠がなく、二つの事件がジェラン侯爵の指示によるものだと明るみにする事が出来ずに終わった。
しかし流石にそれからしばらくはジェラン侯爵やイリナ、カタリーナも大きな動きを見せる事はなく、一見穏やかな日々が過ぎ去っていく。
けれど確実に、戦の足音はじわりじわりと帝国フォレスティエに忍び寄っていた。
多種多様な美しい花々、青々とした木々で彩られた皇后宮の庭園は、あれから幾度もの季節を巡ってもなお変わらずにそこにある。
執務室へ続く石造りの廊下を進みながら、ソフィー皇后はお気に入りの庭園へと目を向ける。
「今日もいい風が吹いているわね。もうデビュタントの支度は終わったの?」
皇后宮の侍女と衛兵が不幸に見舞われたあの日以降も勿論健在なソフィー皇后は、視線を庭園の方へと向けたまま、数歩後ろを歩く年頃の令嬢に尋ねた。
「はい。でも、やはり当日の事を思うと今から緊張してしまって……」
過去ではリュシアンが出征した戦の後に執り行われたレティシアのデビュタント。
しかし此度の人生では数日後にデビュタントを控えているというのに、どういうわけか未だ隣国との本格的な戦争にならずに済んでいる。
二度目の人生とはいえ、様々な要素が絡み合い過去とは違った時系列や事柄になる事も多くあると、既にレティシアもリュシアンも学んでいた。
「そりゃあ人生に一度きりのデビュタントですもの。緊張して当然よ。私もデビュタントの時には緊張して、エスコート役だったお兄様に随分と揶揄われたわ」
ソフィー皇后は知る由もないが、レティシアにとっては二度目となるデビュタント。しかしやはりどうしたって緊張感というのは当日が近づくにつれ高まってしまうのだった。
「お兄様といえば、ソフィー様は母国にご兄弟が多くいらっしゃるのですよね?」
「ええ、前にも話した事があるけれど、私の母国は一夫多妻制だから。兄も姉も、弟だって何人もいるわ。それはもうこの国では考えられないほどよ」
「フィジオ王国はここから遠く離れていますから、この国と随分慣習が違うのですね」
ソフィー皇后の母国であるフィジオ王国は、温暖な気候と資源に恵まれた非常に豊かな国であるせいか、この世界でも珍しい一夫多妻制が取られている国である。
フィジオ王国から遠く離れたこの帝国フォレスティエにソフィー皇后が嫁いだのも、国力の高い豊かな国と縁を繋げたがった先々帝の強い希望によるものであった。
「はじめはとても辛かったわ。全く違った慣習の国に嫁いだのだから。でも、あの頃は皇帝も私に優しかったから」
そう言って、ソフィー皇后の視線は目の前に広がる庭園の上方、木々の向こうに見える皇帝が住まう宮の方へと注がれた。
「もう、思い出せないわ。いつからあの人が変わってしまったのか……」
寂しそうな皇后の背中に向けて、レティシアは何も答えなかった。ソフィー皇后自身も返事を求めているわけではなく、ただ心の中の呟きが知らず知らずのうちに漏れ出してしまったのだと分かったからだ。
「リュシアンも、レティシアのように聡明で美しい令嬢をエスコート出来て幸せね。ねぇ、貴女の事、近頃社交界では何と噂されているか知っていて?」
執務室の手前でくるりと振り返った皇后は、悪戯っぽい笑みを浮かべて尋ねた。
微笑む皇后の青い瞳に映るのは、ここ数年で一層美しく成長したレティシア。
「さぁ、見当もつきません。ですが、もしそれが褒め言葉であるならば、全てソフィー様が私を皇后付き女官にしてくださったおかげです」
「いいえ、貴女の努力の賜物よ。とても幼い頃から、私付きの女官としてよく頑張ってくれたわ。本当に、リュシアンには勿体無いくらいに素敵なレディーよ」
ソフィー皇后は皇后付き女官として幼い頃から人一倍努力して仕えたレティシアに、第二の母としてお墨付きを与えた。
「ありがとうございます。ソフィー様……」
皇太子リュシアンの婚約者で将来の皇后となるレティシアと現皇后は、ここ数年の妃教育を兼ねた女官教育によって、これまで以上に強い絆で結ばれていたのだった。




