70. 帝国フォレスティエの未来、二人で確かめ合う
その日、レティシアはリュシアンに呼ばれて皇太子宮を訪れていた。
少し前にレティシアがアヌビスと共にアレル子爵領へ向かっていた頃、リュシアンは立て続けに起こる隣国との小さな諍いについての詳細な情報を得る為、国境付近に少数の騎士を率いて自ら偵察に行っており、無事帰って来たところであった。
皇太子であるリュシアンが部下に全てを任せる事無く、自身が進んで危険な場所へ向かうのは、本人の考えだけでなく皇帝の……ひいてはカタリーナの意向であった。
皇太子の身に何かあればいくら皇后の子で無いとはいえ、第二皇子であるニコラを後継者として認めざるを得ないだろうという分かりやすい思惑であったが、リュシアンは承知の上で自ら進んで帝国の平和に尽くしていた。
そんなリュシアンをますます民達は敬い、誇りに思った。そして平民達は現皇帝による貴族ばかりを優遇する政策に不満を持ち、リュシアンという新たな皇帝を求める声が巷では徐々に大きくなっているのだ。
そんな二人はなかなか会う時間を取ることも出来ず、久しぶりお茶を共にする事になったのである。
「アヌビスから大体の事は聞いていたが……アレル子爵領まで行くとは。大変だったな」
「リュシアン様こそ、国境の辺りは危険だったのでは無いですか? やはり……また戦争になるのでしょうか」
レティシアとリュシアンが逆行する前……隣国との戦争が起こりリュシアンが出征したのは、これからあと数ヶ月後の事であり。
過去の通りであればリュシアン率いる騎士団の活躍により、帝国フォレスティエが隣国に勝利するだろう。しかし、未来は何がきっかけで変わってしまうか分からないのだ。
実際のところ、レティシア達が知る過去と今で違っている事は多過ぎたのだから。
「やはり隣国が攻めてくる事は確実なようだ。しかし以前と同じようなやり方で戦うつもりは無い。あの時、勝利したとはいえこちらにも多くの犠牲が出た。出来る事なら、その道は避けたい」
「リュシアン様……」
リュシアンは戦場で、そして凱旋後にも多くの者が傷付き、泣いているのを目の当たりにした。実際に戦った騎士達だけで無くその家族や、戦場近くに住まう平民にも犠牲者は多く出たのだ。
「戦場近くでは多くの民家に火をつけられ、土地が踏み荒らされていた。女子どもも関係なく悲惨な目に遭い、逃げられない年寄りは一番に犠牲になった。それなのに……貴族は自分達だけが安全な場所へ避難し、領民達を見捨てた。見捨てられた領民の中には、侵攻する敵を前に自主的に立ち上がった者達さえ居たというのに」
戦争というものの片鱗を知ったレティシアは、思わず言葉を失った。そして己の愚かさを省みて視線を落とす。
過去でリュシアンが出征している間、その身を心から心配していたとはいえ、帝都に住まう自分達は戦争をどこか遠いところの話に捉え、普段と変わらぬ生活を送っていたのだから。
そもそも親の言う通りに生きていたあの頃のレティシアに、民の暮らしや帝国の実態を知る術は無かった。
「あの時は……考えが足りず、申し訳ありませんでした。今思うと、私はただ憂うばかりで……何一つ行動を起こさなかった。いえ、自分が何をすれば良いのかさえ分からなかった愚か者でした」
「いや、それは俺も同じだ」
とはいえ実は過去で凱旋したのち、リュシアンは身分を隠して犠牲者達が集まる教会や治療の為の施設を度々訪れると、自ら率先して彼らの救護支援を行なっていた。
その際、本来は皇族の薬の調合しか行えないアヌビスにも密かに手伝わせ、様々な薬剤も提供していたのである。
他にも、私財を投げ打ち被害を受けた地域の復興に役立てるよう計らったりと、戦争から帰ってからのリュシアンはほとんどまともに休む暇も無かったのだ。
しかしそれらを、レティシアは知らない。そしてリュシアンも、自らの行いを敢えて話すつもりは無かった。
「あの時、ジェラン侯爵は皇太子派の筆頭格でしたし、イリナ嬢は……騎士としてリュシアン様のそばに居ました。けれど、今では全く状況が変わってしまいましたね」
「ああ、今やジェラン侯爵とイリナはカタリーナ派の筆頭だ。そして腑抜けな皇帝はジェラン侯爵とベリル侯爵、どちらを選ぶことも出来ずにいる。過去と違い母上が生きているというだけでも、この世界には相当な変化をもたらした」
過去ではソフィー皇后亡き後、カタリーナは皇后になる事が出来た。しかし此度はソフィー皇后が存命な為にそう上手くはいかない。
皇帝はソフィー皇后の母国を敵に回す事を恐れている。愛人の子ニコラを認知し第二皇子として認める事が出来たのも、ソフィー皇后が生まれた赤子を不憫に思い、そうする事を許したからである。
しかしそういった事が気に入らず、痺れを切らしたカタリーナが、ソフィー皇后をあの手この手で亡き者にしようとしてもおかしくなかった。
「ソフィー様が生きていてくださって、本当に良かった……。実は、ジェラン侯爵とイリナ嬢がソフィー様付きの侍女を使い、何度か毒を盛っている疑いがあるのです。今日も、皇后宮の庭園で二人が密かに侍女と話しているのを見ました」
「何だと? 毒を? そもそもどうやって皇后宮に入ったのか……。侍女だけで庭園まで二人を手引きするのは無理だろう。それにしても、全く、どうしようもない奴らだな」
リュシアンはレティシアの報告に目を見開いて驚いたものの、その表情はすぐに険しいものになり、考え込むような仕草を見せた。
「母上は大概の毒に耐性があるし、アヌビスが処方した解毒剤があるはずだから大事には至らないだろうが……」
「ソフィー様の方でも協力者を調べると仰っておりました。私も、その侍女に関しては今後も注意して見ていくつもりです」
「俺の方でも調べてみよう。上手くいけばジェラン侯爵を完全に失脚させる事が出来るかも知れない」
帝国フォレスティエの貴族の中でも、ベリル侯爵と二分する力を持つジェラン侯爵が失脚すれば、一気に風向きは変わる。
多くの民達が安心して暮らせる新しい体制の帝国を築き上げる為、リュシアンらは着実に準備を進めていた。そして表向きは皇帝に忠実なベリル侯爵も、水面下ではリュシアンと共に賛同者を集めつつ動いていた。
これがレティシア達の逆行前であれば全く考えられない事である。
「レティシア……今度こそ、共に新しい帝国を作ろう」
「はい、リュシアン様」
リュシアンはもう決して過ちを犯さないと心に決めていた。それはレティシアも同じ気持ちだった。
二人は現皇帝の悪政を正すべく、それぞれに役割を果たす事を確かめ合った。




