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60. ファブリスという男、若かりし頃のアヌビス(前編)


――ファブリス・ド・アレルは、アレル子爵家の長男として生まれた。

 

 姉のアリーナとファブリスは幼い頃からとても仲が良かった。しかし活発な姉とは反対に、ファブリスは人見知りで非常に大人しい性格をしていたのである。

 そのファブリスが魔術師として生きていく事を心に決めたのは、アリーナの恋人の存在が大きく関わってくる。


「まぁ、綺麗ね。ファブリス、これはなぁに?」


 ファブリスの自室は、いつの間にか魔術に関する書物や道具、様々な薬草などで溢れかえっていた。

 いつの間にか自室に閉じこもってばかりになっていたファブリスを心配したアリーナが、今日は無理矢理ファブリスの居室に入り込んできたのである。


「姉さん! ダメだよ! それは……」

「きゃっ! この草、私の指に噛み付こうとしたわ!」

「触らないで。それは貴重な食虫植物なんだ。それで、今日は何?」


 ファブリスは分厚いレンズの眼鏡を掛け、重みでずれるそれを何度も直している。どうやらつるを止めているネジが緩んでいるようだ。

 ファブリスの黒い髪は伸び放題で、無精髭も生えていた。食虫植物の事は大事にするくせに、自身の身なりには無頓着な弟に、アリーナはフウっとため息を吐く。


「もうすぐアヌビスが旅から戻ってくるの。そうしたら、私はアヌビスと結婚して……そのあとは一緒に隣国へ行くの。その事は、あなたも知っているでしょう」

「うん、知っているけど」

「それでね、お願いがあるのよ。私達の結婚式の日、とっておきの魔術で皆を驚かせて欲しいの」


 アリーナは子どもの頃からいたずら好きで、周囲の人を驚かせるのが好きだった。

 だからこそ、姉の婚約者であるアヌビスから魔術を学んだ弟ファブリスに、結婚式の演出を派手にするよう頼んだのである。


「僕がアヌビスから習った魔術はそういう事に使うものじゃ無いんだけどなぁ」

「いいじゃない。アヌビスに貴方の練習した魔術を披露する良い機会よ。もう一年も自分なりに学んだのだから、先生であるアヌビスをアッと驚かせるような魔術を披露してみたら?」

「うーん。姉さんはそうやって上手く言うけど……。そう簡単に出来るものじゃないんだからね」


 ファブリスはそう言いつつも、近々薬草集めの旅から戻ってくるアヌビスに、自分の魔術の腕が上達したところを見て欲しいという気持ちもあった。


「えー、いいじゃない。例えばほら、異国にあるような、夜空に花を咲かせる魔術とか。この前のお祭りで、異国から来た旅芸人達が披露していたじゃない。あれの大きなやつがいいわ!」

「あれは魔術じゃ無くて、ハナビという演出でしょう」

「そう、ハナビ! それよ! それを、魔術で夜空に咲かせてみればアヌビスも驚くわ!」


 ファブリスは先日の収穫祭の時に異国から来たと言う旅芸人の一座が、夜空に小さな花火をいくつか咲かせた時の人々の反応を思い出す。

 見た事もないような不思議な光景に人々は見惚れ、大きな歓声を上げていた。


「分かった。ハナビ、上げられるように練習してみる」

「ありがとう! 嬉しいわ! さすが私の可愛い弟ね」

「わわ! やめてよ、姉さん! 僕、薬草が付いてるから! 汚れるって!」

「気にしないわ、そんな事!」


 ファブリスは昔と変わらずに自分をギュウギュウと抱きしめてくる姉が、いつの間にか自分の背丈よりも小さくなっている事を実感した。

 

 昔から、姉は突拍子もない事を言い出す事が多いし、強引なところがあった。

 ある時、怪我をして迷い込んできた魔術師アヌビスという男は、アレル家に居候するうちにそんな姉の事が好きになったのだと言う。

 そんな二人も、もうすぐ結婚する事が決まっていた。

 人の良いアレル子爵夫妻は、異国から迷い込んだ魔術師アヌビスの怪我が癒えるまで、好きなだけ家に居候する事を許し、あまつさえお転婆な娘を貰ってくれないかと懇願する始末。

 結局親の勧めとは関係なく、アリーナはアヌビス青年と接するうちに、自然の流れで恋仲となったのである。


 そのアヌビスが、薬草集めの旅から戻ってくるのだ。


「姉さん、僕頑張ってアヌビスも驚くようなハナビを打ち上げてみせるよ」

「うん、ありがとう」


 それからファブリスは、ますます魔術に没頭して自室から出てこなくなるのだが、アリーナも両親も今度は心配せずにそっとしておいた。


 そして、とうとうアヌビスが子爵家の領地へと戻ってきた。

 


 

 

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