58. ニコラ第二皇子、魔術師ファブリスについて語る
靴の先からその上に伸びる下肢を辿ると、レティシアの視線の先にいる人物の全体が見えた。
輝くような金髪に栗色の瞳。まさにこの国の皇帝と同じ色味を持つ少年は、少しつり目がちなその瞳を細め、悪戯っぽい笑みを浮かべレティシアを見つめていた。
「殿下……」
慌てて立ち上がったレティシアは、その場でカーテシーを披露しながら目を伏せた。
ニコラを何度か遠くから見かける事はあっても、このように至近距離で言葉を交わすのは初めてのことであった。
「帝国の光、ニコラ第二皇子殿下に拝謁いたします」
「そういうの、堅苦しくて苦手なんだよね。いくら認知されてるからって、僕はソフィー皇后陛下の息子じゃないんだし」
「いえ……それは……」
「それに、将来僕の義姉様になるんだよね? 仲良くしようよ」
皇帝の愛人であるカタリーナは、認知されているとはいえ、妾の子という微妙な立場のニコラをあまり外に出したがらなかった。
皇后派や皇太子派の、誰がニコラを陥れようとするか分からないと考えていたからだ。
「それに、この前はシャルルがお姉さんに助けられたって……。僕がちょっと風邪をひいている間にシャルルったら、危うく罰を受けるところだったみたいで。お姉さんのおかげで助かったよ」
「そんな、全くの偶然ですから。あの時もここでシャルルに会って……」
「らしいね。シャルルがそう言ってた。それで、お姉さんは何の本を探しているの? 僕はこの図書室にある本に詳しいから、教えてあげられるかも知れないよ」
年相応の少年らしく、人懐っこい雰囲気を纏うニコラはレティシアを警戒する様子がない。周囲にカタリーナの息のかかった近衛兵が居ないことを確認した上で、レティシアは自身の探し物について語り始めた。
「なるほどね。それならきっとこの図書室に、お姉さんの言うような人物の話が記録されているものがある。数百年前に存在した、偉大なる魔術師の話だよ」
「偉大なる……魔術師?」
「その魔術師は夫婦のどちらとも違った色味である黒髪と黒い瞳で生まれた。ゆえに、当時は呪われた子と周囲から疎まれていたらしい。僕は昔話みたいにしか聞いた事が無かったけれど、実在の人物なんだって」
「今殿下がおっしゃったような魔術師の本が、この図書室のどこかにあるのですね?」
レティシアは広大な図書室の中をぐるりと見渡してみたが、どこにそのような本があるのか見当もつかなかった。
「だから言ったでしょ。僕はこの図書室には詳しいんだ。全ての本を読んだわけじゃないけれど、大体どの辺りにどんな本があるかは把握してる。お姉さんの探している本はあっちにあるよ」
ニコラはグイグイとレティシアの手を引っ張って、高い書架の間を進んでいく。近衛兵や、その他の誰かに見られたら少々面倒だとレティシアは心配したものの、幸い目的の書架の前に来るまで誰にも会わなかった。
「えっと……あの棚の辺りが『魔術師ファブリス』についての本だと思う」
「ファブリスという名なのですか?」
「そう、ファブリス・ド・アレルだよ」
「……アレル」
アレルという名を聞いて、レティシアは胸がいやにざわつくのを感じた。
キィーンと耳鳴りがして、思わず顔をしかめる。
「僕が梯子に登って何冊か見繕ってくるから、待ってて」
「えっ、殿下! 私が!」
「別にいいけど、お姉さんのドレスじゃこの梯子に登るのは無理じゃ無いかな」
大抵の書架には階段が付いているが、この辺りの古い書架は梯子を使わなければ高いところの本を取る事は出来ない。
確かに頼りない梯子を登る事に恐怖を覚えたレティシアは、慣れていると言うニコラの指示に従い、梯子を根元でしっかりと支える事に徹した。
「ほら、多分この三冊がファブリスについて分かりやすく書いてあると思うよ。伝記みたいなものだけど」
スルスルと慣れた様子で梯子を降りて来たニコラは、手に持った布袋に入れていた本を三冊取り出してレティシアへ手渡した。
「ありがとうございます。殿下は梯子を使うのに慣れてらっしゃるのですね」
「母上はダメだって怒りそうだけどね、だって高い所ってワクワクするじゃないか。シャルルに木登りを教えてもらってから、高い所が好きになったんだ」
「まぁ! 木登り⁉︎」
「シャルルには僕が勉強を教える代わりに、遊びを教えてもらっているんだ。僕だって、同い年くらいの友達が欲しいよ。でも、宮からみだりに出る事は許されていないから。何とか図書室だけは出入りを許してもらってるんだ」
カタリーナは息子を溺愛していると聞く。どこに自分達の敵が潜んでいるか分からない宮殿では、ニコラが自由に出歩く事を禁じているのだろう。
社交界に出るようになればまた違うだろうが、今のニコラには母親と皇帝くらいしか、身近な人間は居ないのだった。
「ひょっとして、殿下はリュシアン様と交流を持ちたいとお考えでしょうか?」
ニコラが皇太子宮の庭師の孫と出会うには、ニコラ自身が皇太子宮に近づかなければ無理な事である。何故ならば、庭師も勿論その孫も、皇太子宮の敷地を出る事は許されていないのだから。
そしてニコラが皇太子宮へ足を運んだのは、兄であるリュシアンと関わりたいと思ったからでは無いかと、そうレティシアは考えた。
「お願い、兄上には言わないで! 恥ずかしいから! 僕、兄上とはあまりゆっくりお話しした事は無いんだけど、英雄ディーンの弟子で、僕くらいの頃には既に騎士達を負かすくらいに剣の腕がたって、いつもかっこいい兄上に憧れているんだ」
「そうですか。きっとリュシアン様も、出来る事ならニコラ殿下とゆっくりお話ししたいと思ってらっしゃいますよ」
「本当⁉︎ でも、僕は兄上や皇后陛下に恨まれても当然の立場だから……」
空気が抜けた風船のように一気にシュンとしてしまったニコラに、レティシアは優しく話しかけた。
「お二人は、殿下の事を恨んだりなどしておりませんよ。私が困っていたら、こうやって手助けしてくださったではありませんか。殿下はとてもお優しい方です。リュシアン様もソフィー様も、殿下のお気持ちをきっと分かってくださいます」
「そ、そうかなぁ……」
まだまだ不安そうに肩を落としたままのニコラは、やはりどこか憎めないどころか放って置けないいじらしさがある。
「いつかきっと、リュシアン様とお話し出来る機会が参りますわ」
「うん、ありがとう。兄上が大事にしているお姉さんが言うなら間違いないね」
二人で顔を見合わせて、ふわっと優しい微笑みを交わし合った時、遠くの方でニコラを探す声がした。近衛兵だろう。
「お姉さん、ありがとう! また機会があればお話してくれる? 僕、友達は大歓迎だよ」
「ええ、きっと。殿下、本を探してくださってありがとうございました」
「うん。またね」
パタパタとまだ軽い足音を立てて書架の間を走って行ったニコラの背中を、レティシアは眩しそうに眺めていた。
やがて遠くでニコラと近衛兵らしき男が話す声が聞こえ、それもそのうち遠ざかって行く。
「きっと、此度の人生ではリュシアン様とニコラ様は分かり合えるに違いないわ」
レティシアはニコラに手渡された古い本を大切そうに胸に抱え、図書室をあとにした。




