53. 成長した二人の、熱い抱擁
言葉の途中でレティシアの身体を強く抱きすくめたリュシアン。
レティシアはその力強さに驚きつつも、胸が高鳴るのを感じた。レティシアを包み込む温かな身体は昔よりも逞しくなり、このような抱擁は二人にとって数年ぶりの事である。
「すまない、レティシア。もっと早く婚約破棄について公表すべきだった。イリナとジェラン侯爵が婚約者であるレティシアに危害を加えるのを防ぐ為とはいえ、暫く黙っておくように言ったのは俺の過ちだ」
「そんな……リュシアン様、おかげで私はこの数年ずっと安全に暮らせてきたのです。それに、私もそうする事が最善だと思っておりました。リュシアン様のせいではありません」
「大丈夫か? 怪我は?」
耳元で低く声変わりしたリュシアンの言葉が聞こえ、レティシアは胸が早鐘を打つように苦しい。幼い頃ならいざ知らず、成長した二人がこれほど近くに寄ることは、ずっと無かったことであった。
「ありません。リュシアン様が駆け付けてくださったから」
「……彼奴に、おかしな事をされたりはしなかったか?」
「……いえ、平気です」
髪も、ドレスも、そうひどく乱れていない事もあって、レティシアの言葉は真実だと分かる。そこでやっとリュシアンはホウッと肩の力を抜いた。
「恐らく俺達の婚約破棄が受理されていないという事は、すぐにでも広まるだろう。将来の皇后を狙う家門の者達が、レティシアに危害を加えようとするかも知れない」
「でも、皇后付き女官の私にそのような事をする人々がいるでしょうか」
「誰がやったか分からなければ、罰する事も出来ない。これまではレティシアが嫌がると思って控えてきたが、これからは常にレティシアの身辺を守る、腕の立つ護衛をつけさせて欲しい。どうだろうか」
女官となったレティシアは、これまで宮殿において護衛など必要無いと思っていたし、私生活ではベリル侯爵家の騎士が身の回りを守ってくれていた。だから以前にもリュシアンの申し出があった際に、大丈夫だと断っていたのである。
「分かりました。私の我儘のせいで、いらぬ心配をかけてごめんなさい」
レティシアの返事に、リュシアンはフッと短く息を吐くと頭上で笑う気配がした。それによってレティシアは、リュシアンが安心できるならばその方が良いのだと、改めて思ったのである。
「もう隠れて会う必要も無ければ、婚約者のいないレティシアに求婚する令息達に嫉妬する事も無いのだと思うと、正直なところ安心した。俺がどれほど嫉妬していたか、自業自得はいえその日々は長く感じたものだ」
「……そう……なのですか。リュシアン様が……嫉妬を?」
未だ抱きすくめられたままのレティシアは、頬から耳まで赤く染め、か細い声を震わせた。
「当然だ」
「わ、私……も、これからはリュシアン様に新たな婚約者の話が出る事が無いのだと思うと、安心いたしました」
皇帝は、より自分にとって条件の良い相手をリュシアンに当てがおうとしていた。何が何でも将来の皇后の座が欲しい家門は、皇帝の為に様々な手を尽くして気を引こうとしていたのだから。
カタリーナ付きの侍女となった、イリナを娘に持つジェラン侯爵もその一人である。
「レティシア、どうかこれまで以上に周囲に気をつけてくれ。けれど護衛の人選はすぐに行うし、俺自身も必ずレティシアを守ると約束する」
「はい、ありがとうございます。リュシアン様」
レティシアはされるがままにだらりと落ちたままだった手を、そろそろと自分を抱きしめるリュシアンの背中に沿わせる。逞しい背中は昔よりも随分と分厚く感じ、頼り甲斐のある存在に大きな安心感を得た。
同時にリュシアンの身体がピクリと跳ね、緊張したようにその後もじっと動かないでいる。
二人は少しの間そうしていたが、廊下を歩く足音が開いた扉から聞こえた事でどちらともなく離れた。
「おや、殿下とレティシアじゃないか。こんなところで何をしておるんじゃ? そーんなに顔を赤くして、二人同時に熱でもあるのかのぅ。フォッ、フォッ、フォッ」
廊下を歩いていたら人影は、開いたままの扉を閉めようと近づき、やがて中にいる人物に目をやったのである。
室内でこれでもかというほどに顔を赤らめた二人を見つけて笑い、顔中の皺を深めたのはアヌビスであった。




