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52. リュシアン、駆けつける


「ジェラン侯爵! 何をしている⁉︎」


 そう言って駆け込んで来たのは、スラリと腰から抜いた剣を手に持ったリュシアンであった。

 十八歳となったリュシアンは、あっという間に丸腰のジェラン侯爵を拘束し、硬い床に押し倒した。そして呆然とするレティシアの方を見上げると、心配そうに尋ねた。


「レティシア、大丈夫か⁉︎」

「リュシアン様……、私は平気です」


 言いつつもレティシアは安堵から思わず涙が止まらなくなってしまう。ポロポロと次々に涙でドレスを濡らすレティシアを見て、リュシアンはギリっと歯を食いしばった。

 一見してドレスの乱れもなく、レティシアの身に最悪の事態が起こる事は免れたのだと分かるが、それでもこの空き部屋でどのような事が起こったのか、想像するだけでリュシアンは目の前の男を殺してしまいたくなる。


「う、わぁっ!」


 喉元に剣の切先を突き立て、冷たい表情で見下ろすリュシアンに、ジェラン侯爵は命の危機をひしひしと感じた。


「こ、皇太子殿下! 誤解です! 私は体調不良のレティシアを、いやレティシア嬢を介抱しようとしただけなのです!」


 レティシア、と呼ぶその言葉に、リュシアンの手の力は込められ、ツウッと一筋の血がジェラン侯爵の首筋に走った。


「ひ、ひいっ! う、嘘ではありません!」

「侯爵、まだそのような偽りを申すか。レティシアは俺の婚約者である。そのような令嬢と密室で二人きりになるなどと、婚約者である俺に斬られても文句は無いな」

「な……っ! そんな! 私は本当に!」

「全てはレティシアに聞けば分かる事だ。何があったのか」


 ヒッとジェラン侯爵は息を呑み、レティシアの方へと顔を向けた。その仕草にリュシアンはなお一層殺気を放つと、ますます深くその首筋に刃の先を進める。


「うう……っ」

「レティシア、何があった?」


 リュシアンの問いは、レティシアに対してのみ甘い声色で、労わるような印象を与えた。

 レティシアは少しの間逡巡し、ゆっくりと口を開く。


「ジェラン侯爵は、廊下で私の背後から突然襲い掛かり、拘束し、この部屋へ押し込みました。そしていくつかの暴言を吐いたところで、殿下がいらっしゃいました」


 スウッとリュシアンの周囲の温度が下がったのを、ジェラン侯爵は感じ取った。同時に、首元に感じる刃の冷たさも、はっきりと感じる。

 侯爵は温い肉に食い込む冷たい刃を、妙にリアルに感じた。


「で、殿下……あの時貴方が……貴方からレティシア嬢との婚約破棄を申し出たのではありませんか。何故……このような」

「愚かであった。あの時の俺も、今のお前も」

「そんな……」

「とにかく、レティシアは俺の婚約者で間違い無い。愚かな皇帝は未だそれを知らないでいる。そんな皇帝の言葉のみを信じたお前も、愚かな男だ」


 グッと、リュシアンの手に力が篭ったのをそこにいる誰もが感じた。ジェラン侯爵も、レティシアも。


「リュシアン様!」


 レティシアはリュシアンにこれ以上の事をさせてはいけないと感じた。

 この帝国で婚約者に狼藉を働かれたともなれば、男性側がその犯人を斬ることは至極当然の事で、許されるだろう。これまでにそういった事案も多い。

 しかし今リュシアンにそのような事をして欲しく無かったレティシアは、懇願する視線を向けて名を呼んだ。


「……斬るな、というのか」

「リュシアン様がそのような事を為さる必要は無いのです! ジェラン侯爵、今後一切私に近付かないでいただきたい。それと、宮殿内での数多くの狼藉も……もう二度と許しません。その約束を守らなければその時は……リュシアン様、引き止めはしません」


 リュシアンはレティシアの言葉に強く唇を噛み締めた。一方で、見下ろされているジェラン侯爵の方は命が繋がった事にほっとしているようである。


「聞いたか? ジェラン侯爵。此度レティシアの寛大な訴えにより、二度と彼女に近付く事は許さない。宮殿内での他者への狼藉もだ。反省し、今後の沙汰を待て。このまま、ただでは許さんからな」

「は……はい。承知……しました」


 リュシアンがシュッと剣の先を滑らせて腰に仕舞うと、ジェラン侯爵の首元からは割と多量の血液が漏れ出しているのが分かる。

 首筋を手で押さえた侯爵はリュシアンが離れるなり、か細い悲鳴を上げながら慌てて部屋を駆け出して行った。


「リュシアン様……どうもありがとうご……」


 レティシアが礼を述べようとした時、リュシアンはその言葉を最後まで紡がせる事をしなかった。


 


 


 

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