49. 横柄な近衛兵、この紋所が……
近頃レティシアが休みを返上して宮殿の図書室で探している物、それは遥か昔この帝国に存在したという黒髪の民族について書かれた本だった。
パトリックの持つ漆黒の髪は、この帝国どころかこの世界でも珍しい色味であり、その上に瞳まで黒いとなると他国にも決して多くは存在しないということまでは分かっていた。
この帝国フォレスティエから遠く離れた異国では、昔黒髪の民族が存在したという。
彼らは生まれつき不思議な力を持っていたものの、迫害を恐れてか非常に閉鎖的で、ある頃から移動生活を送るようになったという特徴もあり、未だに謎が多い事が特徴であった。
レティシアは決して母親の不貞を疑っていたわけでは無かったが、パトリックの持つ黒髪について分かる事があればと思い調べていくうちに、黒髪の民族という不思議な人々について知る事になったのだ。
「うーん、これだけ広い図書室の中で、黒髪の民族についての本を見つけるだけでも大変よね」
分厚い一冊の本に、黒髪の民族についての文章がほんの少しだけ載っていたりするのである。レティシアが続けているのは、片っ端からそれらしい本を手に取っては、そこに書かれた情報を書き取っていくという地道な作業だった。
元々レティシアは読書が好きであったから、そうしているうちに他の様々な知識が得られるので、決して時間の無駄というわけでは無かった。
それでも出来る事ならばもう少し効率よく情報を揃えていけたらと思うが致し方ない。
「この辺りはまだ探していなかったかしら」
レティシアは新たな書架の前へと立つ。そして一冊の本へと手を伸ばした時、ふと足元の棚に違和感を感じて覗き込んだ。
「あら? あなたは……?」
本棚の一番下にある空いたスペースに、小さな体を折りたたむようにして子どもが隠れていたのである。レティシアが覗き込んだ事で驚いた表情を見せた子供は、クルクルと癖のある茶髪と小さな鼻の上に散らばったそばかすが特徴的で、今にも泣き出しそうになっていた。
「そんな所でどうし……」
レティシアが心配そうな声色で話しかけようとした時、宮殿内を守る近衛兵達がドタバタと図書室へなだれ込んできた。
「探せ! ここへ逃げ込んだはずだ!」
「忌々しいクソガキめ! 逃げ足の速い!」
レティシアはそんな近衛兵達が図書室の入り口で騒いでいる声を聞き、どうやらこの足元に隠れている子どもが件の子どもなのだと理解する。
何があったのかは知らないが、図書室に入って来た近衛兵達はカタリーナの周囲でよく見かける者たちで、侍女達にちょっかいを出したり宮殿で働く使用人に暴力を振るったりと、あまり良い評判を聞かない者達である。
リュシアンが彼らの行動について腹立たしげに話していた事もあって、レティシアはその顔ぶれを覚えていた。
「あなた、近衛兵達から逃げているの?」
近衛兵達が入り口近くを探しているのを確認したレティシアは、その場にしゃがみ込み書架の中で身体をより小さくする少年に話しかけると、まだ幼い少年はコクリと頷いた。
「そう、分かったわ。そこで静かに、じっとしていてね」
レティシアは立ち上がると、少しばかりドレスの裾をふわりと広げるように手で調整し、書架に向かって立つ距離を縮めた。
この図書室へ入れるのは皇族と、皇族に仕える為に宮殿に出入りを許された貴族、そして官僚のみである。そして今この場所にはレティシアと、離れた場所に官僚らしき者達が数名いるだけであった。
何しろこの図書室の広さといえば帝国一であるから、じっと息を顰めていればレティシアでさえ近衛兵達に見つかる事は無いのではないかと思うほどである。
「そこの侍女、この辺りで子どもを見かけなかったか?」
本を開きながら、書架を隠すようにドレスを目一杯膨らませたレティシアは、背後から近衛兵の一人に声を掛けられて胸がドキンと跳ねる。
「いえ、見かけておりませんわ。お探しなのは、どのような子どもですの?」
ヒュッと足元の子どもが息を呑んだ気配がした。レティシアがこのまま自分を近衛兵に引き渡すと思ったのだろうか。
「癖のある茶色い髪に、緑の瞳、そばかすがあり、恐らく宮殿で働く平民の子だ」
「ふぅん、その子がどうかなさったの?」
四十代と思しき近衛兵は、質問を重ねるレティシアに対して苛立ちを覚えたようで、徐々にその態度は横柄なものへと変わってきた。
後ろ姿のレティシアを見て、宮殿で働く侍女だと思ったのだろう。侍女であればこの宮殿に於いて近衛兵とは同格。それに、レティシアのようにまだ年若い侍女に対して、侮った態度になるのも仕方がなかった。
「それはお前に関係の無い事だ。とにかく、子どもを見たのか、見ていないのか、どうなんだ⁉︎」
「さぁ、この宮殿には多くの平民が使用人として働いておりますから。そのような子は数多くおりますわよ」
「うるさい! そのような事、お前に言われずとも分かっている! まだ年若い侍女の癖に、俺に口答えするとは。俺が誰だか知らないのか⁉︎ 皇帝陛下の寵姫であらせられるカタリーナ様付きの近衛兵、ガエル・ディ・ダルモンであるぞ! その無礼な物言いを今すぐ謝罪せよ!」
ダルモンといえば、近衛兵の中でも特に素行が悪く悪名高い人物で、リュシアンとディーンは何故かカタリーナのお気に入りでもあるこの人物の扱いに困っているようであった。
金髪をピタリとなでつけ、特徴的な形をした口髭を生やしたその姿を、レティシアは宮殿内で何度も見た事がある。
「ダルモン卿、あなたのお噂は予々伺っております。ですが私はそのような子どもなど見ておりません。それに、どうして私が卿に謝罪などせねばならぬのですか」
「何だと⁉︎」
そこで初めてレティシアはくるりと振り返る。その際書架をドレスの膨らみで隠す事を怠らずに。
「私は皇后陛下付きの女官、レティシア・フォン・ベリルでございます。聡明な卿ならば、私とあなたのどちらが謝罪の言葉に相応しいか分かるはず」
この帝国フォレスティエで、女官と侍女では相当の差がある。つまり、侍女と同格の近衛兵と女官では比べようが無いほどに女官の地位が上なのである。
しかもこのガエルという男はダルモン伯爵家の出であり、帝国フォレスティエでも由緒ある高位貴族ベリル侯爵家の出であるレティシア自身と比べても格下の身分なのであった。
「こ、これはこれは……! かの有名なレティシア嬢でしたか! も、申し訳ありません! レティシア嬢だとはつゆ知らず、無礼な物言いをしました! どうか、お許しください!」
「図書室ではお静かにしていただきたいのです。見ての通り、ここに子どもはおりませんわ」
「は、はいっ! 思い違いであったようです! それでは、失礼いたしました!」
ころりと態度を変えたダルモンは、くるりと踵を返すと慌てた様子で部下達に声を掛けた。
「おい! ここにガキはいない! 他を探せ!」
「え、ですが……」
「いいから! 早く!」
「は、はいっ!」
バタバタと図書室を後にする近衛兵達の足音にホッと肩の力を抜いたレティシア。
ダルモンは恐る恐るといった感じでガタガタガタと音を立てるようにぎこちなく振り向くと、レティシアに向かって懇願した。
「あのぉ、誠に申し訳ありませんでした。どうかこの事は皇后陛下に内密に……」
「私は特に気にしておりません。お務めご苦労様でございます」
「はぁ……、それでは」
そう言ってガックリ肩を落としたダルモンは、蓄えられた立派な髭の形を右手で整えると、図書室の出口へと向かって行った。




