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30. リュシアンとレティシア、久々の再会で


 本音を言えば、レティシアは昨日の今日で宮殿を訪れる事が少し恐ろしかった。

 父親であるベリル侯爵も今日は昨日の心労から寝込んでしまったようで、珍しく出仕を取りやめ屋敷で静養している。

 

 それもあって、もし万が一宮殿に出仕するジェラン侯爵に出くわしたりしたら、あの蛇のような視線を向けられたら……初めて感じる異性への嫌悪感に、レティシアは恐怖すら覚えたのだ。

 実際には官僚が働く一角は宮殿のごく一部で、そこへ自ら立ち寄らなければ滅多にこの辺りで官僚に会う事は無いのだが、それでも不安は拭えない。


「大丈夫。医務室はすぐそこよ、レティシア」


 ゾクゾクと震えがきて不快な体の変調を、レティシアは両の腕をかき抱く事で誤魔化した。

 医務室の扉の前まで来た時、僅かに漏れ出てくる声にハッとする。リュシアンだ。


「そうは言っても……だろう! 俺は……だとしたら……から……」


 切れ切れに聞こえて来る会話の内容は、レティシアには見当もつかない。久しぶりに耳にした少し怒ったような口調のリュシアンの声に、感情が昂って涙が滲む。

 どうしたものかと立ちすくんでいると、突然扉が開いて顔中の皺を深めた笑顔のアヌビスが姿を現した。


「やぁ、これはこれはレティシア嬢。ちょうど殿下もいらっしゃるのでな。中へ入りなさい」

「え……でも……」

「いいからいいから。ほれ、早く」


 アヌビスは老人のか細い腕とは思えぬ腕力でレティシアを医務室の中へと引き入れる。

 レティシアは寝台が並ぶ医務室の中央にリュシアンの姿を見つけた。久方ぶりの再会だというのに、嬉しさよりも緊張の方が優っている事が悲しい。


「リュシアン様……あの、お久しぶりです」

「……ああ」


 レティシアが恐る恐るカーテシーをしても、リュシアンはチラリと目を向けて頷き、短い言葉を返しただけで、それ以上はレティシアの視線を避けているようだ。

 レティシアの顔は歪み、涙が頬を伝った。堪えようとしても、どんどん溢れる涙はドレスを濡らす。


「殿下、いくら何でもその態度は酷うございますぞ。()()レティシア嬢に何の罪がありましょうか」

「分かっている。分かってはいるが……」


 髭を触りつつ、フウッと息を吐き出したアヌビスは、呆れたような口調でリュシアンを責める。

 レティシアは二人の会話を聞いても、さっぱり意味が分からない。ただ怒ったような表情のリュシアンを見ているのが辛くなって、冷たい石造りの医務室の床へと視線を落とす。


「アヌビス、俺は宮へ戻る」

「おや殿下、何も話さず逃げるのですか? それは少々卑怯と言うものでは?」


 皮肉な口調でアヌビスがリュシアンを焚き付ける。しかしリュシアンは一瞬言葉を失ったものの、整った顔立ちを歪ませてアヌビスに対し強く言い放った。

 

「卑怯だと? 今の俺では、どうせまた傷付けることしか出来ない事を知っているだろう」


 アヌビスの返事を待たず、リュシアンはレティシアの横を素通りして医務室を出て行こうとする。一切目を合わせようとしないリュシアンに、レティシアは勇気を出して声を振り絞った。


「リュシアン様!」


 このままここで一言も話さないのでは、後悔すると思ったからだ。婚約者でも無くなった今、リュシアンにこれほど近い距離で関わる事が出来るのは最後の機会かも知れないと、レティシアはそう思って腹に力を込めた。


 幸いにもリュシアンはその場で立ち止まり、振り返る事はしないもののその場でレティシアの言葉を待っているようだ。

 話が出来る。レティシアはそれだけでも嬉しかった。


「あの、どうして……どうして、婚約破棄を望まれたのですか? 私に何か至らないところがありましたか?」


 これは、レティシアが過去にもリュシアンに聞いてみたかった事である。


 アヌビスは二人の成り行きをレティシアの背後でじっと息を潜めて見守っている。

 言ってみたものの、その場に降りた沈黙を恐ろしく感じ、レティシアの身体は知らず知らずのうちに小刻みに震えていた。足の力が今にも抜けてしまいそうな所を、何とか堪えて返事を待つ。


「其方が……いや」


 やっと口を開いたリュシアンは、ここで言葉を区切った。続きを話すべきかどうか思案しているように、二人の間には暫し沈黙が降りる。


「今俺が何を言っても、信じられないとは思うが……其方を……守る為だ」


 引き絞るような、苦しみと悲しみの籠った声だった。


 リュシアンはたったそれだけを告げると、大股で医務室の扉の方へと歩き、そしてとうとう部屋を後にした。


「私を……守る為……?」


 一方レティシアは、リュシアンの言葉を復唱し、呆然とその後ろ姿を見つめていた。

 

 やがてリュシアンがすっかり去ってしまうと、レティシアはコクリと喉を鳴らして唾を飲み込む。久しぶりの再会でひどく緊張していたから、瞬きすら忘れていたのだった。


「アヌビス様、少し、私のお話を……聞いていただけますか?」


 言いつつくるりと振り返ったレティシアは、複雑な表情で二人を見守っていたアヌビスに、決意のこもった眼差しを添えて頷いた。

 


 

 


 

 

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