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26. 跪くディーン、凛々しいレティシア


「ごきげ……いえ、こんにちは」


 ズンズンと大股で近づいて来るディーンに、レティシアはなるべく庶民らしい口調を真似るように意識して声を掛けた。


「おお! いつ来るのかと待っていたが、やっと来てくれたか!」


 いつぞやのように、ディーンがレティシアに向けてニカっと笑うと眦に皺が出来る。

 それだけでレティシアは温かい気持ちになって、瞳が潤み鼻の奥がツンとした。涙腺がグズグズに緩んでいるのを自覚する。


「約束したもの。おじ様に会いに来るって」

「そうかそうか。さぁさ、座って。して、何か深い悩みでも?」

「えっ? どうして?」

「悩みでも無ければ、こんなおじさんに会いに来てそんなに嬉しそうにしたりはしないだろう。それに、ほら目元に涙の跡がある」


 そう言われて、レティシアは慌ててポケットから出したハンカチで目元を拭った。


「ちょっと……お友達と喧嘩しただけよ」

「なるほど、まぁそういう事もあるだろうな」

「そんな事よりおじ様、騎士の皆さんはおじ様の事がとても好きみたい」


 命じられた通り、真面目に鍛錬場の中をグルグルと走って回る騎士達は、近くに来るとチラチラとこちらを見上げながら仲間同士で何やら話している。


「こら! お前らふざけないでちゃんと走れよ!」

「了解!」

 

 上官から怒られていると言うのにどの眼差しにも親しみがこもっており、それを見下ろすディーンの視線もどこか楽しそうである。


「奴らも前はあんな風に素直じゃなかったぞ。おじさんと同じような平民生まれもいれば貴族の三男坊なんかもいる。同じ騎士でも生まれが違えば色々難しくってな。認めてもらうには、結局のところ口だけじゃなく、自ら進んで態度で示してやるしか無い」

「態度で……」

「そう。誰よりも自らに厳しく、圧倒的な結果を出すんだ。そうすりゃ段々と周りも認めてくれる」

「すごいわ、おじ様。本当に」


 すっかり感心した様子で隣に座るディーンを見上げるレティシアだったが、視線の端を見慣れた色がよぎる。

 吸い寄せられるようにそちらへと顔を向けると、鍛錬場の入り口をくぐったリュシアンが、剣を携えて周回を終えた騎士達の方へと歩いて行くところであった。


「リュシアン様……」


 まさかレティシアがこのような場所に居るとは思ってもいないリュシアンは、騎士達といつもと変わらない様子で談笑している。

 高い観覧席に座る庶民に扮したレティシアの事など、遠く離れた所にいるリュシアンに気付かれるはずがない。そう思いつつも、そっと顔を背けてしまう。

 そうすればキャップのフリルでリュシアンの様子は見えなくなった。


「レティシア嬢、こちらへ」

「え……」

「さぁ、足元に気をつけて」

「え、待って……」


 突然立ち上がったディーンはレティシアの手を引いて観覧席を進み、あっという間にリュシアンの目からは死角になる場所へと移動した。


「会いたいなら構わないが、どうやらそうじゃなさそうだ」


 言いつつディーンはレティシアの手を取って正面に跪く。焦茶色の瞳は真っ直ぐに少女の瞳を覗き込んだ。


「そうでしょう? レティシア・フォン・ベリル侯爵令嬢」

「……私の事、ご存知だったのですね」

「決して揶揄った訳では無いのです。あんまりレティシア嬢の変装ぶりがお可愛らしいもので。しかし庶民はあのような絹のハンカチなど使いませんからな」

「なるほど、それは迂闊でした」


 やはり百戦錬磨の騎士団長の目は誤魔化せなかったようで、レティシアも素直に白旗を上げた。


「私、今日はリュシアン様にお会いしたくてここに来た訳では無かったのです」

「でしょうな。何やら今は難しい事になっているようだ」


 やはりディーンの耳にも届いていたのだ。リュシアンがレティシアとの婚約破棄を望んでいる事が。

 背筋を伸ばし、レティシアは勇気を振り絞って尋ねた。


「あの……。何かリュシアン様からお聞きになっていますか? 私の事で何か嫌な思いをしただとか」

「いえ、まさか! 殿下はずっとレティシア嬢の事を気に掛けておいででしたからな。そのような事は……。それにしても、おかしいとは思いませんか。何故突然殿下があのような事を言い出したのか、さっぱり分からんのです」

「私にも……分かりません」

「そうですか。あれほど貴女の事を想ってらしたのに、どうして急に」


 リュシアンが尊敬する師、ディーンでさえ詳しい事を聞き及んでいないのだと知り、レティシアは落胆する。

 もしかして、ディーンなら何か知っているのではという期待があった。

 もちろんリュシアンに直接会って聞けばはっきりするのだろうが、レティシアにとって流石にそれはとても悲しくて耐えられそうに無いのだ。


「リュシアン様のお気持ちをディーン様から伺う事が出来たらと、勝手な期待を寄せてしまいました。お心を煩わせてしまい、申し訳ございません」


 溢れそうになる涙を堪えつつ謝罪を述べたレティシアが、唇を噛んで顔を上げる。

 未だ目の前で跪いたまま、じっとレティシアの瞳を見つめていたディーンと目が合った時、遠くから剣と剣のぶつかり合う金属音が聞こえて来た。

 今頃リュシアンも騎士達と剣を交えて居るのだろうか。


「レティシア嬢、きっと、殿下には何か深い事情が……。何か……あるはずです」


 ゴツゴツとした騎士の手が、小さなレティシアの手を握る力が少し増した。

 数多の戦場を駆けて活躍して来た英雄の眉間には深い皺が寄り、焦茶色の瞳には泣きそうなレティシアが映っている。

 

 彼自身もリュシアンの変わり様には戸惑いの真っ只中なのだろう。しかし、本心からリュシアンとレティシアの事を心配しているのだという事はひしひしと伝わって来る。

 それだけでレティシアは心が温かくなる思いがした。自分の事をこんなにも心配してくれる人間が、過去の人生ではどれほど居ただろうか、と。


「ディーン様のお心遣い、痛み入ります。今すぐ分からずとも、きっとそのうちはっきりするでしょう。どちらにせよ、私はリュシアン様の幸せを一番に願っております」

「しかし……」

「今日はお話出来て嬉しかったです。それでは、ごきげんよう」


 レティシアは銀髪を隠すフリルの付いたキャップと、庶民の子どもらしいエプロンワンピース姿で、それはそれは美しい所作のカーテシーを披露する。

 その後ヒラリとスカートを翻し、鍛錬場のリュシアンが見えない道筋を選んで去って行く小さな後ろ姿を、ゆっくりと立ち上がったディーンは複雑な面持ちで見つめていた。



 


 


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