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23. ソフィー皇后、そしてイリナ嬢との再婚約の話


 レティシアがソフィー皇后から呼び出されたのは、皇后からの手紙の返事を受け取ってからひと月後のことであった。


 やはりリュシアンからの返事は無いままで、落胆したレティシアはすっかり自室に閉じ籠ってしまっていた。

 食事も部屋に運ばせて、侯爵夫妻と共に摂ることは無かった。いつ晩餐の席で侯爵の口から直接リュシアンとの婚約破棄について聞かされるのかと思うと、やはり怖かったのだ。


 マヤをはじめ、夫人もレティシアの事を大層心配した。侯爵は相変わらずで、レティシアとも夫人ともあまり会話をする事なく、遅くまで宮殿での勤めに励んでいた。

 父親が出仕するその宮殿へ、レティシアは久しぶりに足を踏み入れる。


 あの日、リュシアンの瞳色のリボンを風に取られてから初めて訪れた宮殿は、どこか以前と違っているように見えた。

 皇后宮に足を踏み入れた際にも、緊張から足が震えるのを感じて目には涙が滲んだ。


 そんなレティシアを、ソフィー皇后は朗らかに迎え入れた。


「レティシア! もう、どうしてなかなか会いに来てくれなかったの?」

「ごめんなさい、ソフィー様。もう体調は宜しいのですか?」


 死産から日は経っていたものの、レティシアはまだ少し心配だった。過去の世界でのソフィー皇后は、既にこの世に居ない時期なのだから。


「ええ、アヌビスのお陰でこの通り。とても元気よ」

「確かに顔色が良いし、安心しました。アヌビス様は腕の良い薬師様なのですね」

「変わり者だけれど腕は確かよ。先帝の時代から変わらない外見で、いつまで経っても溌剌としていて。あの人、本当に私達と同じ人間なのかしらね」

「ふふっ……」


 ソフィー皇后の様子は確かに元気そうであったが、それ以上にレティシアの事を元気づけようとしている様子が見てとれる。

 リュシアンはソフィー皇后の実の息子なのだから、レティシアとの婚約破棄についても何か聞き及んでいるのかも知れない。


「あの、ソフィー様。実は……」


 皇后が手ずから淹れてくれた紅茶は、砂糖とミルクがたっぷり入っていて、子どものレティシアでも飲みやすいようにとの配慮だろう。

 たったそれだけの優しささえ、今のレティシアにはとても堪えた。


「実は……っ、う、うぅ、ひ……っ」

「泣かないで、レティシア。いいえ、やっぱり泣いてもいいわ。私が居るから、貴女の憂いを受け止めてあげる」

「ソフィーさまぁ……っ」


 レティシアはソフィー皇后の豊かな胸に抱きすくめられ、その温もりに涙腺が崩壊してしまう。

 本当の子どものように声を上げて泣きながら、レティシアはリュシアンとの婚約が破棄されるのでは無いかという不安と、どうしてそうなったのか自分では皆目分からないという事を口にした。


「そう……。ベリル侯爵は何も貴女に伝えていないのね。実のところ、私にもよく分からないのよ。でも、確かにリュシアンから、レティシアとの婚約を破棄したいという申し出があったわ」


 リュシアンが婚約破棄を本気で考えているのだという事実を目の当たりにしたレティシアは、自分で思っていた以上にショックを受けた。

 ソフィー皇后もその理由については聞かされておらず、直接リュシアンを問い詰めたが、決して話そうとしないのだと言う。


「リュシアン様は……やはり私の事が嫌いになったのでしょうか。でも、その理由が思い当たらないのです」


 ついこの前までレティシアの事を「レティー」と親しみを込めて優しく呼んでくれていたリュシアン。その瞳にはレティシアに対する慈しみが確かに浮かんでいた。


リュシアン(あの子)、最近少し様子がおかしいの。私が死産した頃から妙に表情に陰があって。そりゃああの子も生まれてくるのを楽しみにしていたから、落ち込むのも仕方がないのだけれど。それだけでは無いような気がするのよ」

「皇帝陛下は婚約破棄について何と?」


 婚約破棄とはそうそう簡単に出来るものでは無いのだ。ましてや個人の感情で家同士の繋がりを左右するなどという事は、いくら皇太子でも許されない。

 いや、むしろ皇族だからこそ許されない事なのだ。そもそも二人は偶然気が合ったから良かったものの、元々は政略結婚。

 帝国フォレスティエの有力貴族と皇族の繋がりを強固にする事で、帝国内のバランスを取り、政をスムーズに行えるよう考えられた物なのだから。


皇帝陛下(ムサ)は……あの人は今、正常な判断を失っているから」


 ソフィー皇后の今の言葉は、いくら皇后とはいえ不敬に当たる。

 それでもその言葉が皇后を蔑ろにし、寵姫カタリーナに溺れる愚かな皇帝への本音である事には違いない。

 目の前のレティシアがまだ五歳の子どもだと思っている皇后は、その意味を理解する事はないだろうと、思わず心の奥底にあった本音が湧き出したのであろう。


「ソフィー様……」

「陛下は……ジェラン侯爵家のイリナ嬢を、リュシアンの新しい婚約者にしようとしているの。当のリュシアンはそれに対して何も返事をしていないようだけど」

「イリナ嬢を……」

「ええ。ジェラン侯爵は最近、貴女の父上であるベリル侯爵を出し抜いてこの宮殿の中でも随分と力を蓄えているようよ。どうやって陛下に取り入っているのかは詳しく知らないけれど、娘を未来の皇后にする為になりふり構わず、と言ったところかしら」


 皇后からの情報は予想以上にレティシアの心を容赦なく抉った。

 しかし皇后はジェラン侯爵の思惑で何らかの動きがあって、そのせいでリュシアンが婚約破棄を言い出したのでは無いかと疑っているようだ。


「だから決して、レティシアのせいではないと思うわ。リュシアンもリュシアンよ。母親である私に一言も相談せずに勝手に決めてしまって……」

 

 レティシアのせいではない、というのはソフィー皇后が娘のように可愛がっているレティシアへの慰めだとしても、皇帝よりも余程距離が近かったソフィー皇后にリュシアンから何の相談も無かったというのは不自然だった。

 

 リュシアンをよく知るレティシアからしてみれば、やはりどこか納得がいかないのである。まるでリュシアンが突然知らない人間になってしまったような、そんな気がしてならなかった。


「それに、イリナ嬢には悪いけれど私はあの娘をあまり好いていないの。それに……ジェラン侯爵には良からぬ噂もあるし」

「そうなのですか? ソフィー様がそのような事を仰るのは珍しいですね」

「ええ。だから余計に、ね」


 元々他人の悪口を口にしない皇后が、いくら親しい関係だからとはいえ、そのような事をまだ幼いレティシアに話すのは珍しい。

 そこには、慰めだけでは無い何かがあるような気がした。

 


 


 

 


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