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20. 青いリボン、青の眼差し


 ソフィー皇后の死産の処置は何故遅れたのか、そして今からでも出来る事は無いのか、この先皇后が亡くなってしまう事を知っているレティシアにしか出来ない事が、まだ何かしらあるのでは無いかと昨夜は悩みに悩んだ。

 

「ほう、この老人に聞きたい事とな? それは興味深いの」


 アヌビスはレティシアの問いに答える前に、皺だらけの瞼を持ち上げた。

 そしてギラリと光る金色の瞳を真っ直ぐにレティシアに向け、フッと息を吐くようにして、口元に笑みを浮かべる。


「あの……ソフィー様のお身体の具合は、いかがなのでしょうか?」


 初っ端から「どうして死産の処置が遅れたのですか」などと聞けば怪しまれるだろう。

 レティシアはまず、無難な質問をぶつける。

 

「何じゃ、思い詰めた表情をしとるから何かと思えば。フォッ、フォッ、フォッ……!」

「な、何がおかしいのですか⁉︎ 私は……私はソフィー様の事が心配で……っ!」


 レティシアはカッとなって大きな声を上げる。握り込んだ両の手の拳は震え、生理的な涙が眦から零れ落ちた。


「いやぁ、そこまで怒ると思わなんだ。すまんすまん。優しいレティシア嬢は、陛下の事が心配で堪らなかったんじゃな。赤子は残念ながら助ける事が出来なんだが、母体の方は処置が早く、至って健康じゃよ」

「処置が……早く? 処置が遅れて、ソフィー様のお身体もひどく悪くなってしまったんじゃ……?」

「んん? 誰がそのような事を? そりゃあ勿論大変に気落ちはされておるがの。お身体の方は無事じゃよ」

「誰がって……でも……」


 レティシアはどうしたら良いか分からなくなるほどに混乱した。

 もしかしたらアヌビスは子どものレティシアに嘘を吐いて心配させまいとしているのかとも考えたが、そうでも無さそうだ。


「じゃあ今回の事でソフィー様がお身体を悪くして、万が一にでも命を落とすなどという事は無いのですね?」

「まさか。そんな事は万に一つもあるまいよ。赤子は生まれつき心臓に異常があった。それにより残念ながら死産となったが、処置が早く済んだお陰で母体の大事には至らなかったんじゃ」


 何故過去と状況が違ったのか、結果的にソフィー皇后の命が助かった事に関しては喜ばしい事であったが、レティシアはどこか腑に落ちない。


「てっきり処置が遅れたのかと……」

「ほぅ、何故そう思うのかな?」

「あ……いえ、ありがとうございました! 心の憂いが晴れました」


 レティシアはこれ以上おかしな事を口走らない方が良いと判断し、アヌビスに礼を述べると慌てて医務室から飛び出した。


「ソフィー様が亡くなられてしまう運命が……変化した?」


 どうやら死産後の処置は適切に行えたようだ。ソフィー皇后もそのうち回復するだろう。

 どうしてそうなったのかは分からない。けれどともかくソフィー皇后の生命は守られた。レティシアはその事実にホッと胸を撫で下ろす。


 それでもまだ皇后宮のソフィー皇后に会う事は遠慮しようと、次にレティシアが訪れたのはリュシアンの居る皇太子宮であった。


「申し訳ございません、レティシア様。殿下は……その……お会い出来ないと」


 レティシアはいつものようにリュシアンへの取り次ぎを頼んだが、随分と時間がかかって戻ってきた皇太子宮担当の侍従は、さも申し訳なさそうに伝言を伝えた。

 その表情には心の底からの困惑が見て取れて、レティシアは首を傾げる。

 しかしまだリュシアンが自分に会えないと思うほど落ち込んでいるのだと解釈をし、大人しく皇太子宮を後にする。


「ソフィー様もだけれど、リュシアン様の事だって心配だわ。こんな事、今までたったの一度だって無かったのに」


 リュシアンはいつもレティシアが会いに行けば歓迎してくれたし、辛い事があってもレティシアにだけは心の内を話してくれた。

 そのリュシアンがレティシアに会えないと言うのだから余程の事だろう。


「帰ったら手紙を書こうかしら。ソフィー様へのお見舞いと、リュシアン様にも」


 穏やかな風がハーブの匂いを運ぶ皇太子宮の庭園を横切りながら、レティシアはリュシアンの事を想った。


「きゃっ!」

 

 その時、突然にビュウっと強い風が吹きつけると、レティシアの髪を飾っていたお気に入りのリボンが解け、空高く巻き上げられていく。

 小さめの旋風のようなその風は、レティシアの頬に砂や葉っぱを容赦なく打ち付ける。その場にしゃがみ込んだレティシアは、辺りが元の穏やかさを取り戻すまでじっと目を瞑ってやり過ごした。


「驚いた……」


 ふと乱れた髪に手をやると、美しい青色をしたリボンが無い事に気付く。代わりに砂埃と葉っぱが絡んでいて、


「どうしよう。せっかくリュシアン様から貰ったリボンだったのに」


 それは誕生日にリュシアンが「俺の瞳の色とよく似ているだろう」と、照れ臭そうにしながらも手渡してくれた大事な贈り物であった。

 途方に暮れた様子で再び歩き始めたレティシアの姿を、皇太子宮の一角からの射抜くような鋭い視線が捉えていた。


 窓越しに見える凍てつくような冷たい青。その二つの(まなこ)に映るのは、幼いレティシアに対する怒り、憎しみ、苦しみ、そして不信。

 

 だが当のレティシアはそんな悪意ある視線が自分に向けられている事を知らずにいる。

 

 リボンを無くしてしまった事でがっくりと肩を落としたレティシアは、潤んだ視線を上げ何気なく行く先に目をやった。

 青々とした芝の上に、風によって飛ばされた青いリボンがポツリと落ちているのを見つける。


「まぁ! あれは!」

 

 その時ばかりは自分の魂がデビュタントを終えた淑女だという事も忘れ、見た目に違和感のない幼子らしく声を上げながら駆け寄った。


「あぁ、良かった! 本当に!」

 

 大切そうにリボンを拾い上げたレティシアは白っぽい砂埃を払うと、今日会えなかったリュシアンを想い、その瞳色のリボンを小さな手でそっと撫でる。


「また……リュシアン様の気持ちが落ち着いたら会えるわ」


 しかしそんなレティシアの期待をよそに、この日を境にリュシアンにはなかなか会えなくなるのだった。



 


 


 


 

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