18. 誤算に落ち込むレティシア、アヌビスの瞳
いつものように宮殿を訪れたレティシアは、ソフィー皇后が第二皇子を死産したという報告を皇后宮付きの侍女から聞かされた。
だから今日はいくらレティシアであっても皇后の居室へは入る事が出来ないという。
「まさか……」
レティシアの記憶では、死産の時期はもう少し後になるはずであった。少なくとも、あと二週間ほどは猶予があったはずで。
「暫くは皇后陛下のお気持ちを汲み、死産の件はしばらくの間最高機密とされます。ですからご家族にも内密に。レティシア様だからこそ、皇后陛下のご意向でお話したのです」
侍女は深い悲しみを湛えた面持ちでレティシアに告げる。
二週間の誤差は、このようにして生まれたのだ。過去と違って毎日のように皇后宮へ通っていたからこそレティシアは今知る事になったが、実際には二週間後に発表されるのだろう。
「そんな……。ソフィー様……ごめんなさい」
「決してレティシア様のせいではございません。ご自分をお責めになりませんよう」
「違うの……わたしは……ごめんなさい、ごめんなさい……」
レティシアはソフィー皇后が死産する事を知っていたのだ。だからこそ、何とか出来ないかと毎日皇后宮へ通った。死産の原因になりそうな事をあらかじめ書籍で調べ、皇后が無理をする事がないようにさりげなく注意していた。
それなのにこのような結末になった事が悔しくて、情けなくて、レティシアは閉ざされた皇后の居室の前で自身を責めた。
そのうち、過呼吸を起こしたレティシアは侍女の呼んだ衛兵によって医務室へと運ばれる。
初めての苦しさに喘ぐレティシアは、この苦しさが自分への罰だと思った。もっと気をつけるべきだったのだと。
「なるほど。それではレティシア嬢、ゆっくり息を吐き出してくだされ。ゆっくりゆーっくり、そうじゃ」
長くて白い髭が特徴的な老人薬師アヌビスが、衛兵からレティシアを預かった。
ゆったりとした雰囲気と、のんびりした言葉かけに、レティシアは徐々に身体が楽になっていくのを感じた。
「ほぅら、随分楽になって来たじゃろ。もう少し、そう、ふぅーっとな」
青白くなっていたレティシアの顔も唇も、爪も、元の色を取り戻していく。
薬も使っていないのに不思議だと、すっかり呼吸の整ったレティシアは感心した。
「アヌビス様、ありがとうございます。楽になりました」
「なぁに、お礼には及ばんよ。楽になったのなら良かった良かった」
レティシア達のいる薄暗い部屋は普段は足を踏み入れることの無い医務室の奥にある場所のようで、アヌビスはここで薬の調合を行っている途中で衛兵に呼ばれたようだった。
「あの、お仕事の邪魔をしてごめんなさい。もう大丈夫です」
「もしや……皇后陛下の事情をお聞きになったのですかな? レティシア嬢はここのところ毎日のように皇后陛下にお会いしていたとか。それはショックじゃったろう」
真っ直ぐにレティシアの目を覗き込むこの老人の何とも言えない不思議な雰囲気は、レティシアの心の内を全て曝け出してしまいそうになる。話せばもしかしたら協力してくれるのかも知れないと、そんな期待さえ覚えさせた。
「あの……私がもう少し、気に掛けていれば。このような事にならなかったのでは無いかと」
「ほぅ、何故そう思われるのか」
「え? 何故って……」
「薬師の私ならともかく、レティシア嬢はまだ幼い子どもではありませんか。出来る事など限られております。それに、こればっかりはどうしようもない事だったのですよ。私の手にも負えない事でございました」
深い皺で囲まれた黄金色の瞳、全てを見透かしているような不思議なその輝きに、レティシアは知らず知らずのうちに見惚れていた。
「此度の事に関して、貴女に出来る事は無かった。責められるべきは、子どものレティシア嬢ではなく大人の方じゃ」
その言葉にどんな意味が含まれているのか、レティシアはどこか引っ掛かりを覚えたが、その違和感の正体をはっきりさせる事は出来なかった。
「暫くは殿下も気を落とされるでしょうな。レティシア嬢にしか、殿下の悲しみを癒せる方は居ないのです。あの方も、多くの物を背負っておられる。どうか、頼みますぞ」
「あの、私……」
「フォッフォッ……ほれ、治ったのでしたらこのような辛気臭い所から早く出て行きなされ。外の衛兵に馬車どめまで送らせましょう」
決して有無を言わさない、けれど自然な流れでレティシアを医務室から追い出すと、アヌビスは奥の部屋で古びた揺り椅子へと腰を下ろす。
長い髭を右手で弄ぶのは、考え事をする際の癖であった。
壁には数々の薬草などが収納された引き出し、机の上や戸棚には年季の入った道具が重ねられている。そこへ置いてある紙に記してあるのは皇族達への処方箋。
薬師の元へは皇族達から様々な症状の訴えがあり、それに応じて薬を処方するのだ。
その中の一枚にはカタリーナの表記がある。皇族では無いものの、皇帝の寵愛を受ける愛人カタリーナには例外的に、特別に、処方がなされていた。
しかしカタリーナの担当は他の薬師に任せており、ベテランのアヌビスは専ら妊娠中のソフィー皇后の担当であった。
「全く、狡猾で残忍な女子よのぅ」
薄暗い部屋の中で蝋燭の灯りが揺らめき、黄金色の瞳に燃える炎を映したアヌビスは、ため息と共に独り言を吐き出した。




