17. ソフィー皇后の母性、母の愛は偉大なり
連日訪れているソフィー皇后の居室。今日のレティシアは皇后の指導の下でハンカチに刺繍を刺していた。
「レティシアったら、私が教えなくとも十分に上手ね。とても初めてとは思えないわ」
「そ、そうですか? ありがとうございます」
レティシアは時を逆行してきた。刺繍などは以前の時に侯爵夫人から厳しく手ほどきを受けていたのだが、そのような事は言えるはずもない。
「もっと複雑な物に挑戦してごらんなさいな。貴女なら出来るわ」
レティシアがハンカチに刺した花の刺繍を見たソフィー皇后は、そう言って様々な図案の描かれた紙を侍女に持って来させる。
笑顔で語り合う二人はまるで親娘のように仲睦まじく、皇后付きの侍女達は二人が交流する様子を微笑ましい気持ちで見守っていた。
「あの、ソフィー様。実は、お話したい事があるんです」
「あら、珍しい。レティシアがそんな顔をするなんて」
思い詰めたような顔をしたレティシアに、ソフィー皇后も何かを察したらしく人払いをする。
広々とした皇后の居室には、ソフィー皇后とレティシアの二人だけとなった。
「それで? どうかしたの?」
「あの……」
レティシアは焦っていた。毎日皇后宮へ足を運び、その帰りには宮殿内で情報収集を続けている。
それでもソフィー皇后が死産し、逝去するまでの時間が容赦なく刻一刻と迫って来ていたのだから。
少し膨らんだお腹を隠すように、ゆったりとしたウエスト周りのドレスを身に付けた皇后は、レティシアの髪を優しく撫でながら黙って話の続きを待っている。
「……赤ちゃんは、お元気ですか?」
皇后のお腹に目をやっていたレティシアは、緊張の高まりから思わずそう口にしてしまった。
「赤ちゃん? そうね、元気なようよ。性別は分からないけれど、きっとリュシアンと仲良く出来るわね。レティシアも可愛がってくれるでしょうし」
その赤子は生まれて来ないのだと、死産して、その上皇后の命さえ奪ってしまうのだと、その事実を知っているレティシアにとっては辛い言葉だった。
「ひ……っ、う……」
「まぁ、レティシア。どうしたの?」
「うぇ、ソフィー……さま、ひ……ぅ、赤ちゃん……」
突然泣き出してしまったレティシアに、皇后は驚いてその小さな身体を抱きしめる。
嗚咽を漏らして身体を震わせるレティシアの背を、優しく撫でて落ち着かせようと試みた。
「わ、わたし……心配……なんです」
「なぁに? 出産は確かに命懸けではあるけれど、きっと大丈夫よ。貴女の弟のパトリックだって、元気に生まれてきたでしょう?」
「でも……っ、うぅ、もし……もしも……っ」
「優しいのね、レティシア。誰かから何か言われたの? 突然そんな事を言い出すなんて」
まだ五歳のレティシアが出産の危険性など知るはずもない。誰かから話を聞いて、不安になってしまったのだろうかと皇后は思った。
「いいこと、レティシア。もし万が一の事があったとして、だからと言って出産から逃げる事は出来ないわ」
「それは……そう、ですけど」
「母親というのは皆命懸けで子どもを産むの。だからこそ、父親よりも子どもの事を思う気持ちが大きいのかも知れないわ」
レティシアは自身の母親の事を思い出す。過去でも今でも、ベリル侯爵夫人はレティシアに手を上げるような事をした事が無い。
過去で侯爵に暴力を振るわれた時も、夫人はこっそりレティシアの部屋を訪れて「ごめんなさい」と何度も謝った。涙を流して患部を冷やし、「決してお父様に反抗してはなりません」と言い聞かせた。
あれはあれで、侯爵夫人なりにレティシアを守ろうとした行為だったのかも知れない。
今だって、不貞の子と言われるパトリックを必死になって周囲の目から守っているのは、母親である侯爵夫人だ。
「でも、もし……子どものせいで命を落とす事になったら? ソフィー様は怒りませんか?」
「怒らないわ。そうなる理由は何か分からないけれど、何にせよ母親はそんな事で怒ったりしないの」
レティシアはソフィー皇后の力強い言葉に衝撃を受けた。未来を知っているからこそ、尚更に。
「レティシア、レティー。ねぇ、そんなに悲しそうな顔をしないで。貴女も、大人になって子どもを授かったらきっと分かるわ。リュシアンとの子どもはとても可愛らしいでしょうね。楽しみだわ」
「そんな! まだずーっと先の事です!」
「あら、そうかしら? あっという間の事よ。時間なんてあっという間に過ぎてしまうのだから」
リュシアンとの子どもの話を出されると、顔を真っ赤にして反応するレティシアに、ソフィー皇后は優しく微笑んで見せた。
「さぁ、次はどの図案にする? そうだわ! リュシアンに何か贈ってあげたらどうかしら? あの子、きっと喜ぶわ」
「では……ハンカチを」
「そうね、では私も一緒に図案を考えようかしら」
「はい! 是非!」
結局ソフィー皇后に提案された通り、レティシアはリュシアンの為に絹のハンカチへ刺繍を施すことになったのだった。
ソフィー皇后と共に素晴らしい図案を考え、心を込めて刺した刺繍が立派に出来上がる頃、皇后は第二皇子を死産した。




