三、
三、
「おい、起きれるか?」
低い声に促されて、ぱちりと目を開けた。
「低血圧とかじゃないなら、目玉焼きでも食うか?調味料とかはないから、味付けはできないけどな。」
「おはよう。」
ぼんやりとした頭でふらりと起き上がる。…あれ?
「寝ぼけてるのか?」
隣で、毛並みを整えている猫に気づく。ああ、そっか。
「おはよう。」
「それは、もう聞いた。」
取り敢えず、朝飯作っておくからな。彼がそう言いつつ、朝の寒さにぶるぶる震えだした私の肩にコートをかけた。
「コーヒーは?飲めるか?」
「ううん。」
「なら、ココアか。」
橙の草原模様が散る。氷結した銀河系B-26の形を取る薄命。暖かい蒸気は私と彼とを包み込み、ほんの少しずつ砂糖菓子をフォークで削る仕草を透過した。
シュパシュパという音。耳をくすぐって、思わず身を捩ると、猫が怪しげなポーズを取って、こちらを笑った。
「ほら、出来たぞ。熱いからな?」
白く、冷気で凍えた指先と指先。刹那、触れ合う。
「うん。」
太陽系を観測したばっかりに、夕日がちらつく朝。目を細めてココアを飲みながら、目の前で風に揺れる花々が落とす、夕影に疑問を持った。朝靄に雅さを隠すはずの時間だが、辺りは燃える太陽が人々の影を長く伸ばし、微かな哀愁を持つ夕方。その人のように思えた。
凍るマグマを口に含んで、フワッとシャボン玉を吹く。可憐に散る白木蓮もまた、オレンジ渓水に吸い込まれた。心なしか中性子星の世界が、もう一つ囁く声がする。
そして、私はある一つの疑問を浮かべて、ちょうど隣で焚き火に当たりつつ朝食の用意をしている猫に問い掛けた。
「この世界。朝がないの?」
「朝?」
ぼやけた下弦の月を模した、アルプス山脈に似ている白山に隠れて、こちらをチラチラ伺う六角形の曼珠沙華。もしくは、明滅して時を止めた赤色灯の信号機を指差した。
気温も、吐く息の白さも、体が眠気を訴え、暖かさに心地よく居られる感覚も、全てが朝を物語っている。幾何学模様のカーペット、そしてブランケットを彷彿とさせる朝。ラベンダーの香りにコテージを思い浮かべた朝。なのに、赤焼けの空は夏盛りの水仙に濡らした純潔のように輝いていた。
「朝っていうのは、一日の始まりのことをいうのか?」
「うん。」
私は、焚き火にフライパンをかけ、どこから取り出したのか卵を割る彼に、頷いてみせた。
「そうか。」
思慮深げに唸った黒猫は、ぐりぐりと目を擦ると、こんな説明をしてくれた。
「この世界は、夕方、夜、夕方、っていう風に周ってるんだ。地球は太陽の回りを一年で一周するけれど、地球の自転…一日の動きはたった四分の一回転なんだ。いや、動いていないと言っていいのかな。半日で四分の一回転したら、また残りの半日で四分の一回転しているんだから。
夕方から始まった世界はやがて夜になる。そして、夜は逆回転することでまた夕方になる。たったそれだけのサイクルでこの世界は出来ているんだよ。…俺は、生まれてこの方、朝なんて言葉を聞いたことはない。存在しないからな。一日の始まりは夕方なんだから。お前は違うのか?」
私は、目を見開いた。それは、星の王子さまが大切に大切にバラと接した時と似ている、変な感覚だった。
取り敢えず、私の普通を彼に話して聞かせよう。そう思った私は、調理をする猫の隣で語りだした。
「私が居たところはね、人々は朝が来ると起きるの。おはようって、言い合う。学校や仕事に行く。暫くすると、太陽はせかせかと天をぐるって半周するの。やがて、夕方がやって来て、人々は帰路につく。彼は沈み、眠りのある夜が代わりにやってくる。みんな、夜の睡魔に負けて寝ちゃうんだ。そして、その眠りが覚める頃には太陽がまた、昇ってくるの。」
水に落とされて、泡に呑まれた。黒猫に助けられ、コートを肩にかけてもらって、この世界に朝がないことを知った。
「そうか。きっと、その朝は居心地が悪くて気持ちが悪いんだろうな。でも、こっちの夕方だって。俺がそれを拒否しただけで、人によっては同じことなんだろうな。」
こんなにも、自分が生きていた場所と違う空間であるのに、その言葉を聞いたとたんに、少しは感じていたはずの恐怖も焦りも消えてしまっていた。彼の言葉を最もだと受け入れたからかもしれない。
むしろ、この状況に私は幸福すら感じ始めていた。
「目玉焼き。一緒に食べよう。」
それは、彼が寄越した目玉焼きが少し焦げ付いていたからか、コーヒーをすする猫の姿が可笑しかったからか、肩からずり落ちていたコートをそれとなく彼が直してくれたことか…なにも言わずに、ただ一緒に朝ごはんを食べる時間が存外楽しかったからか。私には分からなかった。
分からないけれど、大口開けてぱくついた目玉焼きは美味しかった。そして、私は飛行船に乗って旅をするお下げ髪の少女の気持ちになって、少しずつ冷めていくけれど、まだ暖かいココアをすすったのだった。
先に目玉焼きを食べ終わった猫が、火の後始末をして、私が食べ終わるのを待つ。食べ終わったのを見計らい、私からコートを受け取った彼は、うーんっと唸りながら伸びをした。朝靄もない、伸びる斜陽が美しい世界に、猫が一匹。私が一人。それは、黄昏の発電機を暖めたアインシュタインの相対性理論を認め合う行為だった。
「行くか。」
そう言って、彼は私の前に立って歩きだした。どこに行くのかなんて、そんな野暮なことは聞かない。私も後を追って、歩きだした。
自分のキャンプしたい欲が、溢れてますねぇ。
ゆるキャン△に憧れる…。自分も、富士五湖とかでキャンプしたい。