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愛情と野心

 闘技会は最終試合を終えて、日も暮れ出した。観客達はコロッセオの係員の案内に従って順次帰路に着く。

 しかし、今日一日掛けて行なわれた闘技会の興奮が今だ冷めないようで、コロッセオは歓喜の声に包まれている。


 一方で、クリクススとの戦いを終えて国王専用席に戻ったタルキウスは、自分の戦いぶりはどうだったかと無邪気にリウィアに聞いていた。


「とてもカッコ良かったですよ! 流石はタルキウス様ですね!」


 リウィアに褒めてもらえたタルキウスは幸せそうな満面の笑みを浮かべる。

「えへへ! あのガリア人剣闘士よりも俺の方がずっとすごいでしょ!」


「え? えぇ、それは勿論です」

 タルキウスとクリクススの力の差は、戦う前から分かっていたようなもの。なのにどうして、わざわざ自分とクリクススを比べるような言い方をするのかリウィアは気にせずにはいられなかった。

 その事を聞こうと思い口を開き掛けたその時。

 国王専用席の下段に設けられている貴賓席から今回の闘技会の主催者であるマルクス・ウェディス・クラッススが駆け上がってきた。

 今年で五十二歳になるエルトリア最大の資産家は、銀山経営や不動産業、さらに安価な労働力の奴隷を使う大規模農地経営ラティフンディウムなどを通して莫大な利益を上げ、身に付けている衣服や数々の装飾品からもその財力が窺える。


 クラッススはタルキウスの前で跪く。

「陛下、最終試合は如何でしたか? 陛下にご満足頂けるようイタリア中の剣闘士団ファミリア・グラディアトリアを当たって最高の剣闘士をご用意しましたが」


「中々だったぞ。民衆も喜んでいたしな」


「お褒め頂き光栄に御座います」


「お前には金儲けだけでなく、イベント開催の才能もあるらしい。今度、余が剣闘試合を主催する時は、お前にも助力を頼みたいものだ」


「陛下のお役に立てるのでしたら、いつでも喜んでお力添え致します。そこで一つ陛下のお役に立つべくお願いしたい事があります」


「何だ?申してみよ」


「実は以前より政界に出たいと考えておりまして」


「政界にだと? ふん。財界の王者が今度は政界に勢力を伸ばすというのか?」


「い、いえ! 決してそのような事はありません。私はただエルトリアのため、陛下の恩ために働く場が欲しいだけに御座います」

 勿論、これはただの方便である。エルトリア最大の資産家となったクラッススが次に求めたのは、政治キャリアを重ねること。

 クラッススのウェディス家は列記とした貴族階級パトリキの家系だったが、彼の祖父が政争に敗れたために政界から身を退いて、商売で生計を立てるしか生き残る術が無くなったという過去を持つ一族だった。

 貴族の特権として元老院議員の地位だけは維持しているが、政治家としてはほぼ死絶えと言って良い。

 クラッススの父はその境遇に甘んじて資産家一筋に生き、今のクラッススの繁栄の礎を築いたが、彼は違う。元老院の権威そのものが黄金王の手で低下している今こそ政務官として実績を上げて、先祖を足蹴にした貴族達を見返す日をずっと夢見ている。


「それで、お前はどの政務官職を望むのだ?」


「……できますれば、護民官に立候補したいと考えております。そのため、陛下に推薦状を頂きたいのです」


「護民官だと? あぁ、そういえば、もうじき護民官選挙があったか」


 エルトリアの官僚は、法務官や財務官など数多くの官職が存在して、それ等を纏めて「政務官せいむかん」と呼ぶ。

 政務官の任免権は全て国王が握っており、もし政務官の地位を望むのであれば、タルキウスに頼むしかない。

 しかし、クラッススが求めた護民官というのは少々性格が違った。

 定員四名の護民官に就任するにはまず国王または元老院からの推薦状を貰い、それを持って平民によって構成される民会が行う護民官選挙に立候補して、それに当選する必要がある。

 やや面倒な手順ではあるが、四人の護民官が過半数賛成の場合、国王が任命した政務官を弾劾できる権利、元老院の決定や政務官の定めた政策に対して拒否権を発動する権利など極めて強力な特権を持つ。

 また、護民官の最たる権利として“身体の不可侵特権”というものがある。これは身の安全を国王の名において保障するという特権だ。この特権により、国王以外の人間は如何なる理由があっても護民官に危害を加える事は許されず、仮にどれだけ護民官に非があったとしてもそれを糾弾できるのは国王のみだった。

 かつて第二十代国王コルトゥス王の御世に、圧政に耐えかねた民衆が反乱を起こした際に行われた和平交渉で成立したのが民会とこの護民官である。

 王が選んだ候補者の中から、民会は四人の護民官を選び、平民の代表として平民の権利を守る役目を負った。

 だが、平民の代表と言いつつ貴族でも就任できる。候補者を王が選ぶというシステム上、王に都合の良い人物、王に媚びへつらう者のみを候補者に挙げる。選出された護民官が任期満了後に新たな政務官の椅子と引き換えに国王側に立つ。そもそも国王権力に対してはほぼ無力。といった理由もあって、結局は体制側に取り込まれてしまうのだが。

 しかしそれでも拒否権と不可侵特権は、他の官職には無い魅力であり、貴族の間では人気の官職には違いなかった。


「どうか私に推薦状を! 必ずや陛下のお役に立ってみせます!」


「……日々大金や土地を動かすお前にとって、政治など退屈極まりないだろう。せっかくの経営の才能を、元老院の老いぼれ共の相手で浪費させてしまうのは勿体ないしな。考え直せ」

 そう言うとタルキウスは席から立ち上がり、リウィアと共にコロッセオを後にする。


 タルキウスが去った後、クラッススは苛立ちと悔しさから右足で床を蹴る。

「おのれぇ。あのクソガキめ!」


 それでも怒りが収まらないクラッススは、何度も何度も床をその足で蹴った。

 そこへ先ほどクラッススが通った階段を上がって貴賓席から、膝まで届くウェーブの掛かった金髪と美しい容貌の持つ二十歳くらいの若い女性が姿を見せる。ハシバミ色の瞳と完璧に均衡の整った綺麗な胸を持つ彼女は正に天女のような美しさだ。

「あらあら、お父様。その様子ですと、陛下からは断られたようですね」

 そう言って、父上と呼んだ相手に嘲笑うかのような笑みを浮かべる。彼女の名はルクレティア・クラッススと言い、クラッススの一人娘だ。


「あのクソガキ、これだけの闘技会を開いてやったというのに、考え直せと偉そうに言いおったわ」


「ふふふ。礼儀を弁えない子供には、いずれ私達大人がしっかりと躾をしてあげないとね。今日の事を後悔させてやるわ」

 ルクレティアは悪意に満ちた笑みを浮かべた。



─────────────



黄金大宮殿ドムス・アウレア・国王寝室─

 夜遅く。政務を終えたタルキウスは寝室に置かれた大きなベッドに入る。

 そしてその横にはリウィアの姿もあった。

 タルキウスは布団の中で、リウィアの胸に顔を埋めて、まるで抱き枕のようにリウィアの身体を抱き締めている。

 その姿は母親に甘える子供そのものだ。

 そのままの状態でしばらくいると、リウィアが口を開く。

「タルキウス様、一つお聞きしても良いでしょうか?」


「うん。何?」

 リウィアの胸で気持ち良さそうにしているタルキウスは、訪れた睡魔を吹き払いながらリウィアの目を見る。


「今日、闘技場でどうして急に試合をしようと思ったんですか?いつもはそんな事はなさらないのに」


 リウィアの質問を聞いて、やや答え辛そうにしつつもタルキウスは何かを決意したような顔をした。

「……リウィアはさ。やっぱり俺より、あのガリア人みたいな男の方が良いの?」


「はい? 良いって何がですか?」

 タルキウスの質問の意図が理解できず、リウィアはつい聞き返してしまう。

 しかし、目の前にいる少年の不安そうな表情に、タルキウスが如何に真剣に聞いてきているのかだけは伝わった。


「だって。コロッセオでリウィア、あのガリア人の事をすごい見てたから、俺よりもあいつみたいな男の方が好きなのかなって。俺はあのガリア人に比べれば身体も全然小さいし、まだまだ子供だし。リウィアから見たら全然魅力が無いのかなって」


 タルキウスの言葉を聞いて、リウィアはクスリと笑った。

「そんな事を考えていたんですか」

 そう言ってタルキウスを両手で優しく抱き締める。


「私が彼を見ていたのは、あのミノタウロスに挑む人がどんな人なのかなと気になった。本当にただそれだけですよ。私はタルキウス様のお強い所やお優しい所、頑張り屋さんな所が大好きなんですから」


「本当に?」

 涙で潤った目で、不安そうにタルキウスは問う。


「はい! 勿論です!」


 リウィアの言葉を聞いて、タルキウスの表情は一転。ニコッとした愛らしい笑顔へと変わる。

「俺もリウィアの事が大好きだよッ!」

 幸せそうな笑みを浮かべて、タルキウスは一切飾る事もなく自分の思いを直球で告げた。

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