少年王と元老院
ある日、元老院議員の一人であるマルクス・トルリウス・キケロが、黄金王タルキウスに謁見を求めた。
タルキウスはこれを公務の合間を縫って十分だけという条件付きではあったが、二つ返事で了承した。
キケロが通されたのは、黄金大宮殿内にある琥珀の間という広間だった。ここは宮殿内にある数ある謁見の間の中でも、私的な用途で用いられる事が多い場所である。部屋の装飾のほとんどに琥珀がふんだんに用いられている独創性に富んだ趣向の広間だ。
「それで話というのは何だ?」
大鷲の間に置かれている玉座に比べると、やや簡素な造りとなっている椅子に座るタルキウスが問う。
「はい。時間が御座いませんので単刀直入に申しますが、元老院に《レクス》の称号をお受けになっては如何でしょうか?」
キケロの提案を耳にした途端、タルキウスは露骨に不満そうにする。
「《レクス》の称号を、だと?」
エルトリアの国王は代々元老院から《レクス》という“王”を意味する称号を贈られる事で正当な国王として認められる。しかしタルキウスは、先王にして実父であるトリウス王を殺害し、実力行使で王位を手にしたという経緯もあって《レクス》の称号を所有しておらず、タルキウス自身が無用の長物として欲しいと思った事など1度もなかった。
「なぜ今になって、そんな物を余が貰わねばならぬのだ?」
「無論、陛下はエルトリアの国王です。しかしながら、貴族の中にはそれを受け入れたがらない者も大勢おります」
「そんな連中は放っておけば良いと以前に言ったはずだ。貴様は余に、そいつ等に王として認めて下さいと余に頭を下げよとでも言うのか?」
「い、いえ!決してそのような事はありません!ですが、広大な国土を持つエルトリアを治めるにはやはりどうしても元老院の協力は必要不可欠です。それは聡明な陛下であればお分かりのはず」
「……」
タルキウスは一瞬言葉に詰まった。
キケロの言う通り、いくらタルキウスが国王親政体制を築き上げようとしても、エルトリアは広大な国土を有する王国であり、全てをタルキウス一人で支配するのにはどうしても限界がある。それを補うためにも元老院を構成する貴族達にもある程度は働いてもらわねばならない。それが分かっているからこそ、タルキウスは元老院の権限を縮小はしても、解散までしようとはしなかった。またキケロのような人材を重用して元老院の間に立つ仲介人とした。
「陛下が正当な王となられれば、陛下に不満を持つ輩が妙な事を考えるリスクも軽減できると思うのです。それに元老院に花を持たせてやる事で彼等の不満も少しは解消されましょう」
黄金王と元老院の間に立つキケロは、元老院の中で高まりつつある不満を敏感に感じていた。今すぐに元老院が行動を起こすという事は無いだろうが、早い内に何らかの手を打たねば取り返しのつかない事態になりかねない。
「……分かった。余から申請書を出しておく。ただし、申請書一枚を出すだけだ。それ以上の歩み寄りはしないぞ。良いな」
「御意! お聞き入れ下さり感謝致します!」
こうして少年王の許可は得られた。しかし、本当に大変なのはこれからだという事をキケロは自覚していたし、タルキウスも察していた。
元老院がタルキウスの申請通りに《レクス》の称号を与えるかという事である。
これまでタルキウスに冷遇されてきた元老院が、この申請を目にして大人しく従うとは二人には到底思えなかった。今日までの鬱憤を晴らそうと無茶な条件を出したりと何らかの駆け引きを仕掛けてくるだろう事は明らかだった。場合によっては感情に身を任せて公然と拒否するか。
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─元老院議事堂─
黄金大宮殿の西に広がるエルトリアの政治・経済の中心地“フォルム・ロマヌム”の中にそびえ立つ元老院議事堂。ここはエルトリアの歴代国王を支える議論が貴族間で繰り広げられた神聖な場所だが、タルキウスの“ローマ黄金都市改造計画”によって純金の輝く豪華絢爛な建造物へと姿を変えている。
キケロを初めとする元老院議員達は、階段状になっている議員席が半円状に広がっている広間に集まる。ここは元老院議員達が様々な議論を交わす議場である。
議員達が集まった所で、半円状の議場で、原点に当たる場所に設けられた少し開けた空間に、この場で最も最年長の老人が立つ。
その老人の名はクイントス・ボルキウス・カトー。元老院主席という地位に就く老人で、彼は元老院議員の第一人者であり、元老院の審議において最初に発言をする権限を持つ。
「では、これより元老院を開会する。今日は先日、国王陛下より提出された《レクス》の称号の申請書について論じるために皆に集まってもらった。詳しくはキケロ議員から説明がある」
カトーの放った言葉を合図に、元老院の審議は始まった。
カトーに促され、キケロは議席から立ち上がる。その途端、六百名はい議員達が一斉に視線をキケロへと向けた。
「私は今日、皆様にある提案をするためにここへ来ました。それは皆様、既にご承知の通り、我等が王、タルキウス王に歴代の国王陛下に倣って《レクス》の称号を贈る事です」
キケロがそう言った瞬間、議員達は怒りを露わにして声を上げた。
「ふざけるな! なぜ我等があのような生意気な子供を正当な王と認めねばならぬのだ!」
「亡きトリウス王を殺害した者を元老院が王にするなどありえん事だ!」
「その通りだ! そんな申請は断固却下すべき!」
想定していた中でも最悪の反応だ、とキケロは内心で焦りを覚えた。しかし、それを表には出さず、彼は冷静に話を進める。
「ですが、タルキウス王は先王が始めた幾多の戦争を勝利へと導き、エルトリアには莫大な富をもたらしました。そして今やエルトリアはカルタゴやパルティアにも勝る大国となった。その実力は認めねばならぬのでしょう。ここでタルキウス王に申請通りに称号を与えておけば恩を売る事にも繋がります。我等にとってもこれは望ましい話のはずです」
「・・・」
キケロの言葉に、議員達は言葉を潜める。理屈で言えば、彼の言葉は正しいと認めざるを得ないが、それでもタルキウスを認めたくないという感情が邪魔をして、彼等を沈黙へと誘かったのだ。
そんな中、老人の多い議員の中でも一際若い緑色の髪をした青年議員が席を立ち上がる。
「私は法務官、ダイタス・クラウディウス・グラベルです。キケロ議員に一つ宜しいでしょうか?」
エルトリアでも名門の家系の一つクラウディウス家の人間である彼は、挫折を知らない温室育ちという雰囲気を強く醸し出している。そして不敵な笑みを浮かべながら、元老院主席のカトーに発言の許可を求めた。
彼が首を縦に振ると、すぐに視線をキケロに向ける。
「キケロ議員は、陛下ととても親しい間柄の御方。という事はもしかして、この申請自体があなたの提案なのでしょうか?」
「・・・如何にもその通りだが」
「なるほどなるほど。あなたは元老院を、子供が求めれば何でも出す玩具に貶めようとしておられるのか!!」
「そんな事はない! そう熱くなるな。冷静になりたまえ」
「これが落ち着いていられますか! 私は、老練な議員をとても尊敬しておりました。しかし、今日あなたには失望を禁じ得ません。あなたほどの御方がこの神聖な元老院をあんな子供に売り渡すとは」
「売り渡すのではない。王と元老院のより友好的な関係を模索しているだけだ」
「より友好的な関係とはつまり、我等があの小さい王の従順な奴隷になれという事ですかな!?先王の御世であれば、そのような蛮行は決して無かったでしょうに!」
結局、グラベルの熱狂的な雄弁もあって、キケロの必死の説得も虚しく、元老院は《レクス》の称号を贈る事を許可しなかった。
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元老院が閉会した後、キケロはタルキウスの下を訪れて、元老院での結果を報告した。
せっかくタルキウスが元老院に歩み寄りをしたというのに、それを公然と拒絶され、タルキウスの名誉は大きく損なわれたと言っていい。にも関わらず、タルキウスの反応は「そうか」と述べるのみだった。
「陛下、どうかもうしばらくお待ち下さい。必ず元老院を説得してみせますので」
「そう気にするな。今回は義理立てとしてお前の申し出を受けたまでだ。これで元老院に遠慮する必要も無くなった」
「は、はぁ」
今までも遠慮などしていなかっただろう、と内心で思うキケロ。