王の威光
神暦七五三年十一月。
世はエルトリア王国第二十九代国王タルキウス・エルトリウスの治世である。タルキウスは即位からまだ僅か一年程度。にも関わらず、エルトリア市民からは「黄金王」と呼ばれ、歴代最高の王と評されている。
彼が黄金王と呼ばれている所以の一つが、エルトリア王国初代国王ロムルス王の名に因んだ名を持つ王都ローマの街並みにある。ローマの建物の外壁には本物の純金が大胆に惜しみなく使われており、その現実離れした都市設計は巨大な芸術品のようである。その美しさと壮麗さは他に類を見ない。この黄金都市を築いた王こそがタルキウスである。
ローマの街路には、至る所に街灯が設置されている。この街灯は全て魔力を動力に発光現象を起こす魔法陣が組み込まれた魔法道具であり、町中の純金に光が反射して、夜でも昼間のような明るさが実現している。ローマを初めて訪れた外国からの賓客や旅人は誰もが口を揃えて「ここは天界か?」と驚くのは今や決まり文句だ。
タルキウスは即位して早々、「ここは余の玉座を置く都とするには華麗さに欠ける」と言って、自らの魔法でローマの町の尽くを焼き払い、その上に今の黄金都市を築いたのだ。
事前に住民たちを避難させる等の必要な処置は取っていたものの、伝統あるローマの町を自分の手で焼き払うという荒業は誰もに暴君の出現を予感させた。
黄金王タルキウスの居館、黄金大宮殿。
その名の通り、宮殿のほとんどは黄金で作られている。宮殿の柱から壁、天井、床まで全て純金。誰もが入ることですら一度は躊躇する、この世のものとは思えない空間。もはや宮殿そのものが財宝である。
宮殿はフォルム・ロマヌムと呼ばれるエルトリアの政治・経済の中心地とされる地区の北側に建てられ、エルトリアの政財界の重鎮は常に黄金王の威光を感じることになる。
この宮殿の主であるタルキウスは今、宮殿内で最も格式が高く、荘厳かつ壮麗な造りをした“大鷲の間”という玉座の間にて、長年エルトリアと戦争状態にあった蛮族の族長の謁見を受けていた。
「偉大なる黄金王よ。我が部族は今後、黄金王に絶対の忠誠をお誓い致します」
玉座の前で跪き、大勢のエルトリア貴族が見守る中で黄金王に忠誠を誓う。
蛮族の族長は、髪も髭も無造作に伸び、部族の長というより野蛮人のボスと言った方がしっくり来る容貌だった。尤も、文明の発達が今だに乏しい北方地域の部族はどこもこんなものであるが。
本来ならば威厳を示すであろうその厳つい顔付きも、纏っている猛獣の毛皮も、この宮殿の荘厳さと壮麗さの前には霞んで見える。
その様をあざ笑うかのような不敵な笑みを浮かべて、タルキウスは玉座から立ち上がると、ゆっくりとした足取りで跪く蛮族の族長の下へと歩みを進める。
「良い。これまでの遺恨は水に流して、今後は余のためにその力を尽くせ」
「は、ははッ!」
近付いてくるタルキウスに、蛮族の長は強烈な恐怖心を感じずにはいられなかった。まるで巨大な蛇に身体中を巻き付かれようとしているかのような。
蛮族の族長の前でタルキウスは歩みを止め、彼の心中を察したのか軽く一笑する。
「そう脅えることはない。貴様も今日からは余の臣下なのだからな。面を上げ、貴様の顔を余に見せよ」
タルキウスは黒色のトゥニカに、その上から赤紫の生地に金色の縁飾りをしたトーガを着ている。両腕に純金で作られた腕輪を嵌め、頭には黄金製の月桂冠を被っていた。
そして右手には、王家に代々伝わる杖が握られている。長さはタルキウスの幼い身体と同じくらいで、先端には大きなダイヤモンドが取り付けられていた。
「は、はい」
そう言って蛮族の族長はゆっくりと恐る恐る顔を上げ、黄金王の顔を見る。
「え?」
彼の目の前にいるのは、十一歳と歴代最年少の国王。そのあまりの幼さに族長は自分の目を疑わずにはいられなかった。
噂には聞いていたが、いざこうして直視してみると、こんな子供も我が部族は屈服したと言うのか、と考えてしまう。
しかし、タルキウスの幼さに目を奪われている間もなく、彼の両目を見た瞬間すぐに現実に引き戻される。
なぜなら、彼の瞳はついさっきまで澄んだ黒い瞳だったというのに、突然黄金王の名の如く黄金色に輝き出したからだ。
黄金の瞳は『金神眼』と言って、エルトリウス王家の力の象徴とも言えるものであり、常人ではありえない程の強力な魔法を宿している。
通常、金神眼は片目にだけ開眼するものなのだが、タルキウスは両目に金神眼を宿しており、まだ子供だというのに王家史上最強の魔導師,エルトリア最強の兵器などと評される所以の一因にもなっている。
「ふん。分かっていると思うが、もし余を裏切ることがあれば貴様はおろか、貴様の治める大地は余の手によって尽くがかのトロイアの如く焦土と化すであろう。そのことを忘れるな」
黄金の瞳から発せられる威圧感は、もう殺気にように鋭く、見る者全てに恐怖を植え付ける。
「は、はい!」
「では、もうよい。下がれ」
蛮族の王は逃げるように広間から去った。
これまで散々自分に抵抗してきた蛮族がああも弱腰な姿勢になるのを見て、タルキウスは内心で笑いが止まらなかった。そんな中、集まっている貴族の中から前に出てタルキウスの名を呼ぶ初老貴族が1人。
「陛下、一つお伺いしても宜しいでしょうか?」
「キケロか。何だ?」
やや痩せ気味で白髪も現れ出しているその男の名はマルクス・トルリウス・キケロ。貴族階級、つまり神々の末裔のみで構成される元老院とタルキウスの仲介役を務める老練な元老院議員である。
「なぜあの者をお許しになったのですか? あの者は先王の御世よりエルトリアに歯向かい、陛下の軍団にも多大な損害を与えてきた輩です。他の蛮族への見せしめのためにも陛下のご威光のためにも八つ裂きにしてやるべきと私は思うのですが」
祖父と孫ほどに歳が離れているというのにキケロはどこか控えめというか脅えたような言動だった。
「ふん。あのような雑魚の命など余は欲しくない。亡き父上があれに手こずったのは父上が弱かったからだ。違うか?」
「……仰る通りに御座います」
「だから父上も余に玉座を奪われるのだ」
タルキウスは実父である先王から王位をただ引き継いだのではない。実父の命を奪い、その王位を奪ったのだ。故に即位当初こそ抵抗する貴族も多々あったが、タルキウスの圧倒的な力も前に誰もが敗れ去り、今ではタルキウスによる国王親政体制が築かれている。本来、王の諮問機関であり、政策の決定や実行に絶大な影響力を有するはずの元老院もほぼ名ばかりの存在と成り果てているのもその一例である。
そんな情勢下、キケロは真っ先にタルキウスに恭順の意を示し、黄金王が国内の覇権を確立する事に尽力した。そうした経緯もあり、元老院を有名無実化しつつもキケロの言葉にはある程度耳を貸すし、専門的な事柄についてはタルキウスも経験豊富な彼に相談する事が多かった。
「此度は既に陛下の名で命じられた事ですから致し方ありませんが、今後は一言で宜しいですから元老院にも事前にご相談頂けますと幸いに御座います」
「……考えておこう。皆、今日は大義であった」
そう言い残し、タルキウスは金剛の間を後にする。
貴族達は「国王陛下万歳!」と叫び、タルキウスが広間から姿を消すまで頭を下げる。
そしてタルキウスが去った扉が閉まると、皆一斉に頭を上げて「ふぅ」とホッと息をつき、やがて騒めき出した。
「急なお召しと思えば、征服した蛮族を我等に見せびらかすだけとは」
「小さい王の子守も大変ですなあ」
「まったく黄金王の御世では、亡き先王トリウス王の御世と違って息が詰まる思いです」
現国王タルキウス王と先王トリウス王の治世は、貴族にとってはまったく真逆のものだった。
先王は神々の末裔至上主義を掲げ、神の血を持たない一般人の平民階級には重過ぎる税と長すぎる兵役を課して搾取を強め、一方、貴族階級には様々な特権を与えて贅沢な暮らしを約束していた。
逆にタルキウスの政策は簡単に言ってしまえば先王の政策の撤廃である。平民への搾取を解消し、貴族の特権を廃止したのだ。
当初はこの強引な政策変更に財政赤字を懸念する者が多かった。しかし、タルキウスはこの問題を抵抗した貴族の財産を尽く没収して国庫に納め、さらに王国内の神殿に対しても何十年何百年に渡って民衆からお布施という名目で集めてきた富を宝物庫から奪い取るという強引なやり方で難なく解消してしまった。
このやり方には批判も大きかったが、表立って逆らえる者がいるはずもなく、また重税から解放された平民の絶大な信頼を勝ち取った。
さらに貴族の間でも先王の政策に疑問を抱く者は僅かながら存在しており、タルキウスのこうした政策を好意的に受け止める者がいた事も確かである。
キケロもまたそうした議員の一人でもあった。
「そう言ってやるな。黄金王の治世となって、先王が始められた数々の戦争もどれも終息へと向かった事も事実。今のエルトリアの繁栄を築いたという陛下の功績は誰にも否定できまい」
「……」
キケロはタルキウス寄りの元老院議員という事もあって、他の貴族からは煙たがられそうなものだが、そうはなっていなかった。理由としてはキケロはタルキウスが元老院の権限縮小などの貴族が嫌がりそうな政策に否、と唱えられる唯一の人物だからだ。
キケロは単にタルキウスに従っているわけではなく、国王と元老院の間に立ってそのバランスを取ろうと奔走している男だという事は誰もが知っていた。
故にそんな彼がタルキウスを庇うような発言をすると周囲の者は皆、黙り込むしかなくなるのだ。