22.へー
「んー……これはどっちのオレで、今はどっちのオレで、オレはオレをどうしようとしたんだよ。このポンコツめ」
言葉を発したイキョウは、ほんの少し黙った後に、歩き出してコロロの横を通り過ぎようとする。
「イキョ――」
その姿を追って、振り向いたコロロが眼にしたのは――――部下である騎士達が全て地に伏してる光景だった。
「――え――っ」
「こっちには振れるのか……よく分かんねぇなぁ……。ま、いっか」
一人納得したイキョウは、また歩き出す。もうこの場でする事が無いと判断し、立ち去ろうとした。
「いったい……何が……」
「丁度良い的があったから試しただけ。じゃあな、武器壊したんだから大人しくしててくれよ」
かつて人であった彼は、もう人では無い所業をしている。
一瞬で他人を無関心に切り伏せ、義務的に殺さないようにし、しかし圧倒的な力を振りまこうとも見せつけようともしない。否、そんなことをする必要が無いほど歴然とした差があり、そしてやはりそんなことをする意味が無いほど自分達には無関心なのだろう。と、コロロは思う。
だが、それでも、まだ自分は意識がある、手がある、足がある。戦えなくなったわけでは無い。
立ち去ろうとしている男は、自分を敵とすら認識して居ない。それでも止めるため、コロロは立ち上がり、拳を握ってイキョウへ構えた。
「だああああああああああああああああああああああああああああああ!!」
刃は無い。でも武器はまだある。この心こそが、誰だって持っている人の武器だ。
その武器を滾らせ、コロロは駆けてイキョウへと向かっていく。
「大人しくしてろって言ったろ」
向かってくるコロロに向かって、イキョウは再度刃を振るおうとする――が。
「またかよ……脳も体もイカれやがったかこのポンコツが」
振るおうとした刃は止まり、自らを罵りながらコロロの拳を避ける。
「それが!! イキョウ殿で!! あります!! イキョウ殿!! だったので!! あります!!」
コロロは当たらない拳を何度も振って、大声で、叫び声で、心と喉が張り裂けそうな声で、イキョウへと訴えかける。
「それってどれよ」
「それが!! 分からないから!! イキョウ殿は!! もういない!!」
叫びながら、苦しそうな顔をしながら、泣きながら、コロロは何度も何度も拳を振るう。
「だから、それってなにさ。言ってくれよ」
「言葉じゃないのであります!! こんなこと、イキョウ殿なら分かってたのであります!!」
「そうですかい」
「!!」
コロロが泣きながら声を荒げて訴える中、イキョウは手を伸ばし、腕を掴む。
「……喉掴もうとしたのになんで? 勝手に動くなよオレの体さぁ……」
「ぁぐっ!!」
イキョウは思い通りにならない体に文句を言いながら、喉を掴めなかった為素早く背後に回りこんでコロロの体を片腕で締め上げた。
「とりあえず落ち着けよ。ハグにはリラックス効果があるんだってよ」
それは本心からか、はたまた冗談なのか。落ち着かせたいのか絞め落としたいのか。しかし――現実としては、コロロを締め付け、落とそうとしてくる。
それに抗おうとコロロはもがくが抵抗は出来ず、次第に鎧にヒビが走り、呼吸も苦しいものへと変わっていった。
この行いは、イキョウの本心であり冗談で、落ち着かせたくて落とそうとしている。そしてこの行いによって、あと少しでコロロは意識を失うだろう。
朦朧とする意識の中、この場には自分以外は誰も立って居ないことを理解し、でもせめて最後まで抗う意志を手放そうとはしないコロロ。
そのコロロの耳に、一人の声が聞こえてくる。
「遅くなりました」
その凛とした声は、言葉と同時に斬撃を放った。
白い稲妻を帯びたその斬撃は鋭い音と共にイキョウを貫こうとする。が、それをイキョウは跳んで回避した、コロロを態々開放してまで。
「――? あいつ盾にしようと思ったのになんで避けてんの?」
自分の行動に納得のいかないイキョウは、右の掌を見て開いたり閉じたりし、“動作確認”をする。
その男の前方では、荒い息をしているコロロが現れた者の名を呼んでいた。
「ニーア!!」
「ごめんなさいね。嘘の出立時間と場所を教えられて到着するのが遅れたわ」
この場に現れたのは、第二皇女の近衛メイドであり、王国四騎士と同等の力を持つ名誉騎士、ニーアだった。
ニーアは、辺りを見渡し惨状を確認すると、すぐに口を開く。
「戦ったってことは……キアル様でも説得はダメだったのね……」
そして遠方で倒れているキアルロッドの姿を見て、ニーアは悲しみと悔いる声を静かに出した。
ニーアは、キアルの思いを言われずとも知ってる。だから自分に嘘を教えた理由も、イキョウと戦わなくて済むなら本当は戦いたくなかったことも、知ってる。
「ニーあ……今のイキョウ殿は……もう……イキョウ殿では……」
「……どういうこと」
「何でこうなってしまったのかは分からないのであります……でも、イキョウはもう居ないのであります……まるで私達を忘れてしまったかのように、気付いてくれなくて……ずっとずっと、暗い目を向けて……別人のようになってしまったのであります……心が死んでいるのであります……」
「……。……。コロロ、少しで良いから私の話を聞いてもらえるかしら……」
ニーアが言った言葉、いつも凛としている彼女が放った弱弱しい口調に、コロロは驚く。
「な、なんでありましょう……か……?」
「あの人がね……言ってたの。『オレはそう遠くない未来で死ぬらしい。全部の天使を倒して神を殺すのがオレの役目で、オレがそうしないと世界が滅ぶ、そのときオレは死んじまうんだって』……って」
「それ……って……」
「あの人は私達が――世界中の人々が知る前よりもずっと前から、神の事を知っていて、世界がどんな運命に晒されているのかを知っていたわ。そして自分の行く末も……きっと、もしかしたら……あの姿は、覚悟の表れなのかもしれないわ。独りで死地へ向かう者の、覚悟の意思なのかもしれない」
「…………どうして死ぬって分かってて戦おうとするのでありますか……なんで世界を敵に回してまで最後の天使を救おうとしてるのでありますか……っ。私には分からないのであります、イキョウ殿は一人で何でも背負い込み過ぎであります……!!」
「それがあの人なりの生き方なのでしょうね。守りたいものを守って、死んでも守ろうとして、自分は度外視して……」
「――――っ」
ニーアの話を聞いたコロロは、涙を振り切って大きく息を吸う。そして――。
「イキョウ殿!!」
イキョウの名を呼んだ。
「はい、なんでしょう」
「いつもヘラヘラしてる裏で色んなものを抱えて、平気そうな顔して全部背負い込んで、自分の話しになるといっつも会話でのらりくらりと適当な返事して――どうして皆に頼らないのでありますか、私はそんなに頼りないのでありますか!!」
「はぁ……? オレにはソーエンが居るから」
それが、それは、本心からの。全ての。答えだ。
「それでも貴方はずっと孤独の眼をしているのであります!! 世界を救う英雄は独りじゃない、勇者様も一人じゃなかった!! 皆で力を合わせて、皆を惹きつけて、皆を引っ張る象徴となって、皆も思いに呼応して全力を預けて、一緒に戦って――それが英雄でありましょう!! たった一人で誰にも知られずに頑張るくらいなら言って欲しかったのであります……頼って欲しかったのであります!!」
「……」
コロロはイキョウを、勇者のような英雄の偉業を成す者として訴えかけていた。そしてその行いを、独りで背負い込まずに手助けさせて欲しかったと叫ぶ。ずっと寂しさを埋めてあげられなかった男が、色々なものを抱え込みすぎていて、悲しくなって、また泣いてしまって。
そんなコロロの言葉に、イキョウは小さく息を吐いてから答える。
英雄、イキョウはホンモノの英雄を知ってるから、コロロの言葉を絶対に否定しなければならないと思って。
「オレは英雄になんて成れやしないし、成ろうとも思わない」
「それでもイキョウ殿は世界を――」
「誰彼救う無償の正義なんて持ち合わせては居ない、皆が手を伸ばすような輝かしい光なんて持ってない。そしてそんなもの要らない。オレはな、オレの手から、守りたいものを取りこぼさないようにするだけで精一杯なんだよ。だから取りこぼさないために何だってする、栄誉や正義を侮辱だってしてやる。
そもそもさ、誰一人救われること無かった世界を無理矢理救おうとしてるんだ。皆がとか正義がとか英雄とか、そんな次元じゃないんだよ。誰にも出来ないから何者でもないオレがやるハメになったんだよ。そんなオレに勝手についてくるのがソーエンだ、それがあいつだ、大親友だ。付いてもこれないあんたがオレに何を出来る。お前だけじゃない、この世界、どーでもいい世界、呼び寄せられんかったら知らんこの世界、滅びを延長していた世界でのうのうと生きてきた奴等に今更何が出来るんだ」
「この――世界――?」
コロロはイキョウの言葉に違和感を抱く。それは、イキョウの運命を知っているニーアも同じだった。
「そうだよ。オレはな、別の世界からこの世界に呼び寄せられて、右も左も分からないままソーエンと一緒に投げ出されて、世界の命運を押し付けられて、元の世界から一緒だった仲間や、新しく出来た大切な者達を絶対に守りたくて、世界を守らなくちゃいけなくなって、一緒にいたくてでも死にたくて――生きたいのか死にたいのか、どっちなんだよ。折角人で在れたのに段々と壊れてきてるんだよ」
「ま、待って欲しいのであります……イキョウ殿……」
「別の世界……?」
「信じたくなきゃ信じなければ良い。でもな、神は数多あった世界のほとんどを審判でぶち壊して来たんだよ、だからお前等は他の世界の事を知れないんだよ。――――なあ、お前等が生きてる世界のために犠牲になってやるんだぞ、それに親友も本当は死んで欲しくないのに付き合ってくれてんだぞ――――なんて言う英雄が居ると思うか? でもやるんだ、アーサーがあんなに苦しんでまで守ろうとしたんだ、ダッキュも本当に頑張ったんだ、カフスだって泣いたんだ、この世界には守りたい者達が居るんだ、ニコが笑いたいって言ったんだ。……どうでも良いやつらは本当にどうでも良い。死のうが生きようが、本当にどうでも良い。
…………なんて言う奴が英雄な訳が無いだろう。アーサーみたいな勇者であるはずが無いだろう。それでも勇者みたいって、アーサーみたいって言ってみろ、そんなこと言ったらアイツへの侮辱になるぞ。あんな立派な奴侮辱するなら殺す」
コロロは、そしてイキョウの死を知っていたニーアでさえも、怒涛の情報を整理できない。様々な言葉が頭に反芻する。
イキョウはこの世界が本来辿るであっただろう未来を口にした。崩壊が確実に待ち受ける世界だと言った。そしてそれに抗う手段として自分は居ると言った。
別世界が存在することなど常識的に考えればありえない。しかし、事情を知るイキョウから神の名を引き合いに出され、あまつさえ滅ぼされたと聞かされては、信じざるを得ない。そして、アルフローレンとの戦いで見た写し身達が、その信じる思いをより確信に至らせる。
アーサーの名は知っている。勇者物語に出てくる主人公の名だ。そしてイキョウはそのアーサーを知っているような口ぶりをした。勇者が実在していたかのように話した。
全て、全部、知らなかった。そんなこと、イキョウから一度も話された事は無かった。何一つとして、彼の口から聞いた事がなかった。
「な、なん……で……私達に、話してくれなかったのでありますか……」
「秘密主義にも程があるわ。いつもヘラヘラしてた貴方はその裏にどれだけ多くの秘密を抱えていたの」
コロロは動揺する。ニーアはイキョウが話してくれなかったことに少しの怒りを覚える。そのどちらの思いも、根源には『側に居る私達にどうして話さないの』という思いがあった。
「今話したでしょ」
「遅いのでありますよ……もっと早くに……」
「貴方の心が死んでしまう前に聞きたかった、あの目になってしまう前に言って欲しかったわ」
「ふーん。ってかさ、あんたらオレのこと知ってるの? もしかしてオレの知り合いか何か?」
「成る程。本当に私達にすら気付けなくなっているのね。顔を良く見せてあげれば気付くかしら」
「ニーア!!」
ニーアはエプロンの裏からダガーを二振り素早く取り出すと、自らをイキョウに気付かせようと接近し始める。
「イキョウ様、ニーアでございます。貴方を愛して愛して愛して止まない、貴方のニーアよ」
ニーアは思っている。今のイキョウは自分を失い、あのとき見せた孤独で虚ろな、人の心を持たないイキョウになってしまったのだと。今までのイキョウは消え、孤独で一人の心に誰も居ないイキョウが表に出てきたから、周りに居る人を、『誰』ではなく『人間』としか見て居ないのだろうと思っている。
だから『ニーア』という存在が居るということを自分から気付かせてあげれば気付いてくれると信じていた。気付いてくれれば、目の前にいる『人間』が『誰』かということを理解してくれると思っていた。
ニーアの推測は、部分的に合っている。それ故にこの旅路で知り合いに会った際に認識するのが遅れていた。しかし――それは相手を覚えていた場合の話しだ。
「あんた、誰?」
イキョウはニーアの攻撃をかわしながら、声を出す。
「傷つけてでも思い出させてあげるわ。何度でも何度でも名を言って、何度も何度も跡をつけて、しっかり思い出させてあげる。私はニーア、近衛メイドのニーア、五騎士のニーア、貴方の事を好きなニーア、大大大好きでたまらないニーアよ」
「――何の何。わかんねぇよ」
「バルコニーで貴方と喧嘩して、二人でお出かけすることになって、過去を話して、王国を救ってもらって、貴方に助けてもらって、お洗濯して、キアル様とも仲良くなれて、シャーユを一緒に訪れて、夜を共にして、沢山あとをつけたニーアよ」
ニーアはイキョウとの出来事を話す。名を言って、思い出を話して、つけた跡を思い出させようとして、これほど話せば自分が誰かを分かってくれると思って。大切な思いを言葉に乗せて、目の前の男に早く気付いて欲しくて。
ニーアは凛とした目の奥に、期待するような感情を宿してイキョウを見る。早く、名前を呼んで欲しくて。あの声で、自分の名を言って欲しくて。
「……」
それでもイキョウは名を呼ばない。
「…………あのさ」
けどきっと、気付いてくれると思っていた。だって、自分がこれほどまでに思っているのだから。絶対に忘れない大切な思い出と思いを乗せて、これほどまでに語っているのだから。
「どこの誰とかもうどうでもいいから邪魔だけはしないでくれない?」
「どう……でも……?」
その言葉。感情を向けている相手から嫌われるよりも、拒絶されるよりも、もっともっと辛い言葉。必死に求めているからこそ、無関心の言葉は何よりも残酷で、自分がどうでもいい存在と言われることが何にも変えがたい辛さになる。
何より、どんな事をしても結局は側に置いてくれる優しいイキョウから向けられた、何があろうとも絶対に言わない無感情な言葉。何があろうと決して飛び出ることのない言葉を、ニーアは突きつけられた。
そのショックで攻撃の手は止まり、顔は青ざめる。本当に本当に本当に本当に、優しいイキョウが絶対に言わない言葉を言われて。そして、そんなことを平然と言う、目の前に立っている男が別人のように見えてしまって――。まるで、自分との思い出を忘れてしまったかのようで。
人だったらありえないだろう。ここまで関わった人間のことを忘れてしまうことなど。ここまで関わった人間に、本心から無関心になることなど。
「思い出して……。私、ニーアよ……。貴方が血を流してまで救ってくれて、ボロボロになっても立ち上がってくれて、いつも側に居させてくれて、お洗濯させてくれて、私の我侭をいつも聞いてくれて……」
「へー」
ニーアが泣きそうな顔をしながら語った言葉に対して、イキョウが放った言葉はそれだけだった。
その言葉と同時に、イキョウはニーアへと蹴りを放つ。その蹴りは、目の前の邪魔する奴が邪魔だから蹴飛ばすだけの蹴り。殺意も敵意も、何も乗って居ない。
イキョウの足に弾かれたニーアの表情は――……。
そのニーアを、コロロは駆けて受け止める。その受け止められた腕に抱かれたニーアは、泣いていた。珍しく顔を歪めて、泣いていた。
「ニーア!? 大丈夫でありますか!!」
「泣くくらいなら最初から邪魔すんなよ」
コロロはニーアに気を取られていた。だから、いつの間にか側に立っていたイキョウに反応が出来なかった。
「……またか。なんなんだよ」
またイキョウの腕は――ニーアを出血させ気絶を目論んだ刃を止めさせる。
「わ、たしっ、にーあ、思い出してよ、嫌いなら嫌いって言って、どうでもよくしないで……!!」
「ニーア……ッ」
泣くニーアを抱えたコロロ。彼女は、薄々感づいていた、心のどこかで感づいていた。ありえないと思いながらも、心のどこかでは思ってしまうことがあった。だって、イキョウは自分の声にすら無関心だったから。
「……イキョウ殿。もしかして……私達の事を忘れてしまったのでありますか……」
人の心を失ったとか、覚悟の表れとか、誰だか気付いて居ないとかではない。
「忘れたかどうか知らない。というか、あんたらなんて知らない」
何故そうなってしまったのか、コロロには理解できない。普通、あれほどまでに濃密な日々を過ごして、綺麗サッパリ忘れることなどありえないだろう。記憶を、思い出を、これほどまでに忘れることなど、人はできやしないだろう。
ただ、イキョウの口ぶりを聞いて本当のことだと理解する。それほどまでに、無関心な口調だったから。
「あはは……はは……。私の知ってるイキョウ殿が居なくなってしまったと思っていたら、イキョウ殿の中にも私達は居なくなってしまったのでありますか……」
「そんなわけない!! 私は絶対に忘れないって言った!! 貴方も忘れるはずない!!」
「……あ、もしかしてそういうことか。じゃあオレが本当に忘れてるんだなこれ」
イキョウは、一人納得したような声を出す。
「そういうことって……どういうことでありますか……?」
「最近ね、魂ぶち切ったから関係薄い奴等軒並み忘れてるからそっちで忘れてるか、オレとどこぞのバカって死んだ後復活する代償で記憶沢山失ってるからこっちで忘れてるか……とにかくどっちかの原因で忘れたっぽいわ」
平然と軽く語った言葉、その言葉に、コロロとニーアは何を言われているか分からないような顔を上げる。だって、どちらもまた、ありえないことだったから。




