21.イ……キョウ……どの……?
(当たらない)
息をすることすら忘れて槍を振るうキアルロッドは、この速さですら攻撃が当たらないことを、驚きはしなかった。
槍の軌道が真空になるほどの速さで繰り出す攻撃、その真空が赤熱するほどの連撃、縦横無尽に放つ雷の魔法、絶え間ない高速撃。その何一つがイキョウに当たることは無い。
対してイキョウも片腕で反撃をするが、キアルロッドはその速さで攻撃を避ける。
「あんた速いね。おかしいよ、人間やめてるよ」
「そんな奴の攻撃よけるお前の方が人間辞めてる、よ!!」
キアルロッドは、瞬時に展開した雷の槍をイキョウへと放つ。それと同時に、自らも槍を振るうが、やはり当たらない。人とは思えない反応速度で全て避けられる。
神速の攻防。――その間に、割り込める者が居た。
「力になれなくて済まないな、イキョウ」
キアルロッドとイキョウの攻防に割り込む存在。それは、灼熱の閃光。
激しい発汗を、その身に纏う熱で蒸発させながら現れたスターフは、迷いの無い飛びかかりの斬撃をイキョウへと繰り出す。
それすらもイキョウは見切ってスレスレでかわすが――。
「あつ」
――かわした直後に、装備が熱を帯びて内部の肌が焼け爛れた。
赤熱する刃は、もはや切るための代物ではなかった。放つ熱は当たらずとも焼き、触れた者を全て溶かす劫火の刃。
そしてその刃を振るう者は、全身を滾らせてキアルロッドの速度まで自分を引き上げている。こんな無理矢理に引き上げる力に、代償が無い訳が無い。
その事を、キアルロッドは見て察する。スターフの姿は明らかにおかしい。蒸気を上げ、赤い肌を晒すなど、常人の所業ではない。
「スターフ!! その力は――」
「細かい事は気にするな――持って三分だ、それまでに方を付けるぜ」
「……ああ!!」
スターフは決して凡人では無い。しかし、天才でもない。そんな者が天才に追いつくのならば、相応の力と代償が必要だ。この状態には制限時間がある、肉体の限界がある、魔力の限界がある。それでも、一時的にでも、キアルロッドと同等に並び立てるのは、弛まない努力故に成しえた研鑽の結晶だ。
雷撃と灼熱の閃光は並び立ち、その刃をもって人の域を超えた攻撃を目の前の男へ振るう。
「あんた、そのままだと死んじゃうよ」
「良いんだぜ、あんなに優しかったイキョウを殺そうとしてるんだ。おいらだって相応の覚悟を支払うさ」
「そっちのあんた、良いのかよ。意味の無い戦いでお仲間死ぬよ」
「そんな事を平然とほざけるお前は見たく無かったよ!!」
雷撃と灼熱の閃光は、増えたところでイキョウに当たりはしない。スターフの攻撃を一度見たイキョウに、二度は無い。
ただし、二人も必死で喰らい付く。イキョウから繰り出される反撃を、本当にギリギリのラインで必死にかわし、繰り出せる攻撃を全て繰り出す。
「片腕でこれだぜ。ホント、イキョウにはいつも驚かされてばかりだよ」
「んー……そうね。あんたも久しぶり、元気?」
「はっはー……悲しいぜ、イキョウがイキョウじゃないみたいだ。な、ザレイト」
「――せめて君の刃が、誰にも届かぬように。<クライエンの守護盾>」
キアルロッドとスターフは、攻撃をしながらイキョウをとある者の元へと誘導していた。
そのとある者とはザレイトだ。攻撃を回避しながら下がるイキョウの後方で、ザレイトは大盾を構えて力を発動する。スターフの言葉に応えるようにザレイトが発動させたスキルで、自身の前方扇範囲へ沿うように二列の魔力による大盾を精製する。
くの字状に展開された頑強な大盾は、イキョウの左右を塞ぎ、そして前方は雷と炎の二人が迫る。逃げる方向は制限され、しかし背後はザレイトが立ちふさがる。そして跳ぶ余裕など与えない、回避はされてもそれ以外をさせないくらいの連撃を二人は繰り出している。
袋小路にイキョウを追い込み、回避の手を減らして追い詰める。それが、騎士達がイキョウへ勝つために見出した勝機だ。攻撃の手数と人数で勝り協力する騎士達はそこに勝機を見出した。
「おっと」
そして今、袋小路の果てまで追い詰めた。イキョウの背中がザレイトの大盾にぶつかる。
背後にスペースは無い。引きの回避は行えない。左右も盾に塞がれ、逃れる道は無い。
弾ける蒼い稲妻と、赤熱する赤い炎はこの一瞬に全てを賭けた。限界を超えたその先に手を伸ばそうとし、更なる力を振り絞ってイキョウへ一撃を食らわそうとする。
「これで――!!」
「終わりだぁぁああああああ!!」
稲妻の突きと、灼熱の熱さは、確かにイキョウの体を捉えようとしていた。
――――しかし、それさえも――――。
「<無頼切り>」
――静かな声と軽い横薙ぎの一振り。
たったそれだけで、赤黒い線が宙を無尽蔵に走る。線は縦横無尽に、盾に、槍に、剣に、鎧に、中空に――全てを切り伏せるが如く走る。
キアルは、ザレイトは、スターフは、一瞬、何が起きたのかが理解できなかった。気が付けば、いつの間にか武器が手から離れ、バラバラに破壊され、鎧は切られ、肉体の急所を外すように傷を付けられていた。そのことに気が付いたときにはもう、膝が地面に落ち、あとは倒れこむことしか出来ない状態へさせられていた。
「これでも――届かないのかよ――」
スターフは、掠れた眼でイキョウを見ると、そのまま倒れこむ。無理矢理に消耗した体にダメージを受け、意識を保つことなど出来なかった。
「お前……やっぱおかしいよ……」
キアルは地面に膝を付け、口から血を流しながらも、気合でギリギリに意識を保っている。しかしその瞳孔は開いていて、ただ気絶して居ないだけだった。
「あんたらも十分おかしいよ。人は人らしく精精人で居てくれ」
そう言ってイキョウは、意識を失っていないだけのキアルの胴体へ足を添え、軽く押すように蹴る。
今のキアルは、そんな軽い力ですら抵抗できず、保っていた意識を手放して背後へ倒れこんだ。
二人の騎士は意識を失った――しかし、大盾の騎士はまだ、立ち上がれる。
傷だらけの体を起こし、砕けた盾の持ち手を掴み、その巨体を奮って雄雄しく立ち上がる。
「ハァ……はあ……はぁ……」
割れたヘルムの内から現れた浅黒い肌の屈強な顔つきの戦士の顔は、浅い呼吸をしながら戦士の眼光でイキョウを見下ろす。
「あんたは恐ろしく頑丈だね。でも寝ときな、その体で無理したら明日に響くよ」
「はぁ……はぁ……。以前……君に王国を救ってもらった」
「あぁ……そういやそんなことした気もする」
「……あの日から、私達は死に物狂いで鍛えなおした……天使に負けて、君に負けて、君達に負けて……自らの未熟さを知った……ありがとう……。……君の周りに居る、小さな者達は皆、良い子だ。……君も良い者だった。……良い者で在り続けてくれて……ありがとう……。――――故に、ここで君を止めよう。あの優しかった君を、これ以上君が苛めてしまわないように」
ザレイトは、手の持った盾の破片を構える。その顔は、殺意の険しさではなく、悲哀の険しさが滲んでいた。見る影も無くなってしまった男が、目の前に居てしまうから。
今のザレイトに、イキョウを倒せる手段はない。それでも、その立ち姿は変わらない。どうやって止めるかという事を考えるよりも、何としてでも止めるという思いでここに立っている。
堅牢な防御力と重厚な腕力を誇るザレイトは、決してイキョウに勝つ事は出来ない。それでも騎士が立ち向かう姿は、相手がイキョウでなければ正義の奇跡や思わぬ展開が起こり、死闘の果てに勝利を掴み取ることができただろう。熱い戦いや、相互の思いを理解する会話なども起こったかもしれない。
ただ、相手はイキョウだ。
「んー……はい。どうぞお好きに。オレも好きにするから」
強い決意を持って立っているザレイトを侮辱するかのように、軽薄な言葉を返した。
そして、『好きにするから』と言った通り、イキョウは問答無用でザレイトの腹に蹴りを入れる。あんなにも優しく悲しい思いを向けて立ち向かってきた騎士に向かって、なんの感情も無くただ排除するその行動は、見ていた騎士達には非情に見え、同時に容赦のない力を見せ付けられた。
ザレイトは倒れる――あっけなく。本当にあっけなく。
巨体が地に倒れ、装備の重みと共に重たい音を上げたザレイトを、イキョウはもう見てない。
倒れた三人の騎士達には目もくれず、残る騎士達へ悠然と歩いてくる。邪魔されたからどかすため、そのためだけに。
段々と近づいて来るイキョウに、騎士達は恐れおののく。今目の前に居るのはあのヘラヘラした男ではない、絶対的強者の力を持つ男だったから。その姿が恐ろしすぎて、寧ろ感謝する者すらいた。『あれほど王国で酷い扱いをしたのに、あの男はずっと力ではなく言葉で返してくれていた』そう思うと、自分達が何で殺されてないか分からない、何時でも絶対的な力で御せるあの男が、何故わざわざ言葉で対抗してきたのかが本当に分からない。
おののく騎士達は、武器を構えない、構えられない。勝ち負けを捨てたわけではなく、戦うとか戦わないとかではなく、そもそも圧倒的力量差を前に戦いにすらならないと思って、絶望にも似た感情で武器を下げていた。
しかし、そんな中でもイキョウへと歩いていく者が居る。それは、この場に居る四騎士の中で、唯一の請っていたコロロだ。
イキョウとコロロ、二人の距離は段々と近づく。コロロは真剣な面持ちをしながら、イキョウは特別な反応もせずただ歩きながら。
そして両者の足は止まった。
「…………イキョウ殿」
コロロは真剣な眼差しでイキョウを見つめ、口を開く。
「なに? お仲間の心配? 大丈夫、安心しなよ。絶対に死なない怪我を負わせだけだから」
「……っ」
コロロは、この目の前に居る男が誰か分からなくなる。いっつも騒がしい男が静かで、いっつも愉快な男が詰まらなそうにしてて、いっつもヘラヘラ話しかけてくれる男が他人行儀に話しかけてくる。
コロロはキアルロッド達の戦いに参加できなかったのではない、参加をしなかったのだ。どうしても確かめたくて、せめて、自分が知ってるイキョウで居てくれているかを知りたくて。
「……イキョウ殿、私の声はまだ貴方に届いているのでありますか」
「届いてるでしょ」
あっさりと断言をされ、コロロは少しばかり心がゆれる。
「だって会話してるんだもん」
しかし、その揺れ動きは悲しさへと変わってしまった。
その言葉を受けたコロロは、空虚な笑みを浮かべ――そして目じりに涙を溜める。
「……私、イキョウ殿とした朝の鍛錬が楽しかったのであります」
「そうね、そんなこともあったんだろうね」
「…………イキョウ殿に沢山声を聞かせてあげられたあの夜が本当に楽しかったのであります」
「そう……」
「……………………私が何か言うと、二つ返事で何でもしてくれるイキョウ殿がちょっと可愛かったのであります」
「……へー……で?」
「――貴方はもう、そこには居ないのでありますね」
コロロは溜めた涙を流しながら、しかしその顔に悲しみは無かった。目の前に居る男は、切り伏せるだけの世界の敵。それ以上でもそれ以下でもない、明確なる敵だった。
涙を流しながらも、真剣な顔つきをするコロロは、イキョウへと相対する騎士だった。イキョウ相手に盾は要らない。
「私はイキョウ殿との鍛錬をしてから、日々彼の姿を思い描いて剣を振っていたのであります。その結晶を、本当はイキョウ殿に見て貰いたかったのであります」
盾を落としたコロロは、蛇腹剣を一本、手にもつ。二本ではなく一本だけを。
「良かったじゃん。見せられるよ」
「イキョウ殿は今もイキョウ殿なのでありましょう。しかし貴方は彼ではない、私の知ってる彼は、もうここには居ないのであります。
……優しかった彼を失ってしまった、今のイキョウ殿もお辛いのでありましょう。今ここで、引導を渡すのであります」
コロロは蛇腹剣を握って、相対する男へと覚悟を宣言をした。しかしそれでも、イキョウの態度は変わらない。ただダガーをもって、つっ立っているだけだ。
「不器用な私には二振りの剣を自在に操るなど無理でありました。だからこの一本と己が身を、鍛え上げたのであります。――<残光>」
コロロが繰り出すは、<閃光>よりも速く鋭い一撃。身を動かし、剣を振り、蛇腹剣が開放されて、相手に届くまで、それが全て同時に起こる刹那の斬撃だった。
しかしそれを、イキョウは容易くかわす。
「またスピードで押し切ろうとしてるの? 三番煎じだよ」
「言ったでありましょう。私はイキョウ殿を思い描いて剣を振っていたのであります」
<残光>は、また振るわれる。今度はイキョウの回避した先に、次は更に回避した先に、次々は回避の先の先に。
コロロは刹那の斬撃をイキョウへは振って居ない。一瞬の先にあるイキョウを狙って振っている。今のイキョウに当てる一撃では無い、先のイキョウに当てる一撃を、コロロは放っていた。
「あんた、オレの動き知ってるんだ」
「沢山見ていたのであります!! 一緒に鍛錬していたのであります!! 複雑に混ざったイキョウ殿独特の動きを思い出して、彼を思い描いて、ずっとずっと剣を振っていたのであります!!」
「そうなんだ。じゃあもう無理だよ」
コロロの剣は、きっと、もしかしたら、前までのイキョウなら当たっていたかもしれない。このコロロの攻撃は、前までのイキョウだったら当てられていたかもしれない。人であろうとしていたイキョウは、それ故に自らの力を十全に使っていなかったから。
けれど、今のイキョウに当たる事は決してない。ヒトデナシの、この男には。
――人の目では見ることすら不可能な速度の剣。それをイキョウはダガーで縦に裂いてコロロとの距離を一瞬にして詰める。
常人ならば防ぐことさえ出来ぬ攻撃。それをイキョウは正確に捉え、そして容易く切り裂いた、蛇腹の刃をひとつ残らず。
その所業は、圧倒的強者や絶技とは言えない、もはや理不尽の域に達していた。
あっけに取られる間もなく距離を詰められたコロロの眼には、暗い目の男の顔が映る。避けることも、防ぐことも、反撃することも、言葉も交わすことも出来ない。
その顔を写したコロロは、何を思っているのか。そんな事をイキョウは考えない。ただ手に持った刃を目の前の存在へと躊躇なく振る――
「……何だこれ」
――えなかった。ダガーを持った手は、振るおうとした腕は固まったように動かせず、宙で攻撃が止まっていた。
言葉を呟くイキョウの前で、コロロは尻餅を付いてしまう。呆けた顔で、自身の喉や胸、体を触れて、そしてようやく切られて居ないことを自覚する。確実に切られると思っていた体には、傷が一つも無い。自分の反応速度を超える攻撃をされたわけではなく、イキョウは本当に攻撃を止めただけだと理解したのは、その確認を経てからだった。
「イ……キョウ……どの……?」




