20.――決裂だ
リミットまで残り二日半。世界、ニコ、どちらも共に時間は残されて居ないというのに、イキョウは何も答えを見つけられずにいる。
「あともう少しなんだけどな……何か、何かきっかけがあればなぁ……」
イキョウは空を、地を、何よりも早く駆ける。眠りについたニコを自らの影の中に入れ、一切の躊躇をする事無く走る。
前傾姿勢で空気の抵抗を減らし、マフラーと片腕を風に流しながら駆ける。
その走りに道などは関係なく、野を駆け山を駆け空を駆け、大よそ人が通らない地を駆けて一直線にアステルを目指す。途中、他国の捜索隊や騎士隊と出会ったがそれすら蹴散らして、ただ目指すべき場所を目指して走る。
あと少し、あともう少し走れば、アステルと王国を区切る川が見えてくるというところで――イキョウ達の前に広がる水平線には、騎士姿の者たちが隊列を組んでずらりと並んでいる姿が在った。
* * *
クライエン王国の端にある領土、この領土に流れる、アステルと王国を区切るようにして伸びている川。幅が広く、深さもあるこの川を渡るには掛けられている橋を渡るしかない。
特に、人通りがほとんどないこの場所に掛けられている橋はロープと木の板だけを用いられた簡易的に作られた橋だ。落とそうと思えば何時でも落とせる。
「――本当に現れるとはな」
大柄で両手に巨大な盾を持つ騎士、ザレイトは大勢の騎士達や川を背後にキアルロッドへと声を掛ける。
「人の道や獣道、どの道を通ったってここには通じない。どの関所やルート、手段を想定しても、ここだけは唯一穴だったんだ。だったらアイツは来るよ」
鎧を身につけ、蒼い槍を持った騎士、キアルロッドはザレイトの言葉に返す。
この場所を探すに当たって、キアルロッドは想定されるルートを全て洗い出し、唯一どの道とも繋がらないこの場所を暴きだした。イキョウの最終報告地点からこの土の平原を通る移動経路はたった一つだけ。ワイバーンや馬さえ通らない森や山、獰猛なモンスターの生息地すら全て無視して一直線にアステルを目指す者だけ。
「ダキュース様は大丈夫なのでありましょうか……あれから一切通信が来ないのであります……」
「大丈夫だZE、イキョウは優しい奴だからNA。心配する必要はないSA」
「さてさて、お話は止めにしようか。そろそろイキョウが例の地帯に足を踏み入れるからね」
四騎士は、そして背後の騎士達は、武器に手を掛けながらイキョウの駆ける姿を見る。
キアルロッドが言った例の地帯とは、様々な魔法のトラップが地面に仕掛けられたゾーン。常人ならば、一歩足を踏み入れただけで死に至ることだろう。
ただし、そのトラップをイキョウに踏ませることなど想定はしていない。
「大盾兵は構えろ!! 魔法を撃てる奴等は全力でぶちかませ!!」
キアルロッドはトラップをトラップとして扱わない。あのイキョウがそう易々とトラップに引っかかるとは思って居ないから。そして予想通り、イキョウは見えない罠を踏まず、跳んで回避をした。ここまでは想定の範囲内だった。
だからキアルロッド及び王国騎士は、トラップを誘爆させて強制的に起動させる手段を取った。
火の、水の、雷の、土の、風の魔法が広範囲に飛び、そして仕掛けられたトラップは属性の嵐を巻き起こして轟音と発光、粉塵、爆風、ありとあらゆるものを巻き起こして、トラップ地帯の一帯に災害のような破壊を齎す。
イキョウの実力を知らない者達は皆思った。『やった!!』『上手くいった!!』と。
心の中には勝利の確信にも似た思いと、世界が救われた期待が膨らみ、思わず浮き足立つ。
ただしその浮き足は、一瞬で挫かれた。
何本も上がる大きな火柱は、その場だけを呑むような濁流は、雷雲と共に鳴り響く雷鳴は、降り注ぐ岩石は、吹き荒れる嵐は、巻き起こされたもの全ては、全て切り払われた。片腕に持たれた、たった一刀で、全て切り裂かれた。
切り開いた属性の中心には、一人の男が全てをものともせずに平然と立っていた。ダガーを握り、口にタバコを咥えて立っていた。
あれだけの攻撃を受けたのにも関わらず、何事も無かったように立っている男に、騎士達はどよめいた。
「あり……えない……だろ」
「アイツ……あんなに強かったのか……」
どよめく騎士達は、あの男のヘラヘラしていた面を思い出す。バカだとは思っていたが、世界を敵に回すような大バカだとは思っていなかった男の、バカ面を思い出そうとする。しかし思い出せなかった、今目の前に立っている男の衝撃で、思わず別人なのではないかと思ってしまう。
そんな男は、その場で大きく屈むと、人間とは思えない大きな跳躍をして、騎士団の前へと軽やかに降り立ってきた。その姿に、一般兵達は身が竦む。
しかし四騎士は違かった。こうなることが分かっていたかのように、跳んできたイキョウに臆することなく相対する。
「やあイキョウ、久しぶりだね。
少し見ない間に随分雰囲気変わっちゃってもー、左腕なんてどうしちゃったのさ」
「あぁ……そう。久しぶり、元気?」
「元気なわけないでしょ。お前のせいでどたばたしてもうヘトヘトだよ……そろそろ終りにしようよ。そこに居るんでしょ? アルフローレンが」
キアルロッドは、イキョウの影に眼を向け告げる。他の四騎士も感じていた。イキョウの影に、何かが潜んでいることを。
「イキョウにはあんまり死んで欲しくないんだよ。あんまりね、あくまであんまり。だからさ、アルフローレンを渡してよ。それで終わらせようよ」
「お断りするよ。どうせあんたもニコを殺す気なんだろ、なんでそんな奴に渡さなきゃなんないのさ」
「なんでの答えは殺すためだよ、世界を救うため。こう見えてもおじさんは真面目な騎士でさ、お国が滅ぶのは絶対に見過ごせないの。
騎士団長としてイキョウに言わせて貰うよ。家の国を滅ぼそうとしてる敵がいるなら、俺は容赦しない」
「血気盛んなのは良いけどさ、ニコは人に成るから世界は壊れないよ。矛を向ける必要は無いよ」
「……天使を人に……? そんな事が可能なの? それで世界は救われるのかい?」
キアルロッドは、一瞬、そう、一瞬だけ、儚い期待をしてしまった。
「人に成る手段は探してる最中、でもそれで世界が救われるはず」
「『探してる』……『はず』……。世界が崩壊の危機に晒されてるってのにそんな言い分で『そうなんだ、頑張って見つけてね、上手く行くと良いね』なんて言ってここを通すと思ってるのかい?」
だが結局、期待は淡く消え去ってしまった。
「なんだろね……前までのイキョウだったら、それでもやってくれるはずって思えたのに……今のイキョウに対してはそんなこと思えないよ」
キアルロッドは悟る。このお話し合いは何時まで続けても、平行線を辿るだろう。言葉を交わしたところで、お互いの意見が変わることは無いだろうと。
――決裂だ。
胸中を切り替え、平行線になる話し合いを断ち切ったキアルロッドは、その手に持った蒼い槍を目の前の男へ構える。そして騎士達もまた、その動きに呼応するように、武器を構えた。
「邪魔、邪魔、邪魔ばっか、大勢の邪魔ばっか。もう飽き飽きだ、うんざりだ」
対してイキョウは、ダガーを握っている手を垂らしたまま、構えようとはしない。
ただ、顔を上げて、帽子の奥にある目を、騎士達に見せ付ける。感情も無く見開かれた、ゾッとするほどの暗い瞳を、騎士達に向け、そして全てを見る。
――――このイキョウは、初めて人に視線を向けた。
「お前等全員邪魔」
その言葉と共に、騎士達の体におぞましい気持ち悪さがズルリと這った。暗く先の見えない穴に落ちるようなおぞましさと、虫の細い足が体表を走り、ナメクジが纏わりついてズルズルと這うような気持ち悪い感覚、それを何十倍にも増したようなもはや言語化できない視線。何かとしか言い表せない者が奥底の闇から見つめてくる視線は、根源の恐怖を純粋に突きつけてくる。
騎士達は一人、また一人と、気絶し地面へと倒れていく。
並の胆力では、あの眼を耐える事が出来なかった。おぞましく、気持ち悪い視線は、人が向けて良い物ではなく、人が向けられてはいけない類の魑魅魍魎だった。
ただし……その眼に耐える者達も居た。それはあのゲゼルギアの恐怖を受けた者達と、王国騎士団長のキアルロッドだ。
大勢の仲間達が倒れる中、ゲゼルギアの恐怖を受けた者達は肩で息をし、青ざめた顔をしながらも武器を握って立っている。あのバレーノでさえも、青ざめている。いくらあの眼を件の事件で見たからって、いくら不定形のモンスターと戦えたからって、人でなしの目には狂っていれど勝てやしない。しかし、キアルロッドは違った、兵の顔で、しかとイキョウに眼光を突きつけ、揺るがぬこと無く立っている。
「――――イキョウ、随分と人間離れしちゃってるじゃない」
「最近人を失い始めてるからね。ほら、お仲間が倒れてるよ、オレなんてほっといて救護でもしてれば良いじゃん」
キアルロッドは、イキョウのその口ぶりで、手に力を込めた。
「さよならイキョウ。
エンチャント<雷光>」
言葉はもう意味を成さない。故にキアルロッドは蒼い槍に電撃を纏わせ、そして体中に雷を纏う。
キアルロッドは本気だ。本気でイキョウを殺す。その気迫と姿は、騎士達にも伝播し、恐怖して震えるよりも戦う事を選ばせた。
鋭い音を立てる雷は――――雷鳴を轟かせてイキョウへと迫った。
もはや人の目には映らぬ速度の攻撃。落雷の如く繰り出される刺突は、それでもイキョウにかわされる。
そんなこと、キアルロッドは分かりきっていた。たった一撃で終わるような存在を目の前にしているとは思っていなかった。故に更にギアを上げる。
かわすイキョウを追う雷は流線となり、果ては閃光となって、人の目では捉えられぬ領域に突入していた。
常人の目には線にも、点にも、瞬間にさえ、映らない。認識さえできぬ、かろうじて音と光で感じられる、人外の闘いへ到達していた。
ただし、そして、また、覚悟を決めた他の四騎士達も動き出す。
「ここからは真面目な時間だ。死ぬ気で行くぜ――エンチャント<灼光>」
スターフは両の手に持つ剣が赤熱し、融解することさえ許さない灼熱を刃に込める。更に、内に火を宿し、燃ゆる火の熱で神経すらも滾らせた。キアルを追って<雷光>の真似をしたのではない。キアルと並び立つ為に、その力を己が物としたのだ。
「――彼は愉快な者だった。せめて最期は安らかに」
ザレイトは双腕に力を込め、両の大盾を強固に構える。堅牢と思える大盾は更に堅牢となり、ザレイトの纏う鎧や肉体さえもスキルや魔法によって強固さを増す。国を守るがその身は、国の盾と在ろうとして。
「……」
そしてコロロは、辛い顔をしながらも剣を握った。その手に持つ、剣と盾を、苦しそうに握った。自分はイキョウに何も出来なかった。そう、悔いながら、握った。
背後の騎士達は、ゲゼルギアの恐怖に耐えた者達は、武器を構える。折角、いつかはお礼してやっても良いぞって言った相手に向かって、それでも構え無ければならなかった。
その者達の前では、雷鳴の轟きが鳴り響いていた。




