18.虚ろな暗闇、曝された常人
「イキョウがいっぱい……イキョウが一人?」
「そうだよ、良い夢見れた?」
「見れた、楽しかった」
「それは良かった。……おい狐、アステルに飛ばせって言ったよな?」
「言ったのぅ」
「じゃあここ何処なの」
「空じゃな。さっきの森の真上じゃ」
「空から落ちる、これで四回目。楽しい」
三人は現在、遥か上空に居た。イキョウの上に乗るニコ、イキョウに顔面を掴れているダキュース。三人は、まとめて、上空に出現した。
「きゅふふふふふ!! 捨て身の道連れ作戦じゃ!! 言っておくがもうワッチに残された魔力では転移できんぞ、ワッチ諸共死ねアルフローレン!!」
「この高さは流石に衝撃吸収できないな。この狐クッションにするか」
「やめんか!! どうせお主は生き返るんじゃからいいじゃろがい!!」
「ニコ、もう隠せない。魂の回廊にイキョウが行ったら見つかる。何にも成れない空の器、邪魔、消しに来る」
「問題ないわ!! 初めからこやつを神にけしかけるつもりじゃったからの、というか本当はもう神殺しを成して世界救ってるはずじゃったんじゃ!!」
「私の主は死なない、滅びない、在り続ける。無理だよ」
「ワッチからも言ってやる!! お主が人に成ることこそ無理じゃ!!」
落ちながら言い合いをする二人。しかしイキョウはダキュースの喋りを無視して手に力を込める。
「お前色々魔法使えるよな。それでどうにかできないの?」
「いだだだだだだだだ!! 無理、痛い!! のじゃああああああああああああああ!!」
万力のような力で締め付けられたダキュースは、痛みで思わず変身を解除してしまった。
「……………………あれ? ダッキュじゃん。何してんのこんな所で」
「……………………は? お主、ウチのこと忘れたのではなかったのか?」
「ってか、オレが掴んでたあの……アレ……なんだっけ、オレ何掴んでたんだっけ?」
「こわぁ……ウチ、ちょびっとばかしゾッとしたのじゃけど……人とはここまで壊れるものなのか……」
「イキョウ、この子と知り合い?」
「知り合い知り合い。…………これまずくね? ダッキュも死んじゃうじゃん。オレも碌なスキルも魔法も使えねぇしなぁ……しゃーねぇーなぁ……また混沌使うかぁ……」
「させぬわ!! 対混沌封印術式<怨嗟縛り>!!」
「邪魔」
「ゲゼルギアにも効いた技を平然と破らないで欲しいんじゃが……」
「どんな使い方すりゃ良いんだ? えっと、んー……こんな感じで。混沌の沼」
イキョウは迫る地表、切り開かれた森の地面に黒緑の巨大な沼を作り出す。
「えっ……ウチあの中入りたくないんじゃけど……何かキモイ」
「……」
「……の? イキョウの手に力が……のじゃあああああああああ!! なんでこうなるのじゃああああああああああ!!」
生き人形になったイキョウ、、その上に乗るニコ、落下するダッキュは三人諸共混沌の中へと堕ちた。
そして地上では――。
「なんですかこの泥!! 気持ち悪い!!」
「――私の刀!!」
――混沌の泥にもがきながら、イキョウが忘れた二人もまた、泥に呑まれて行った。
* * *
暗い、暗い、どこか。何も無い場所。ずっと暗闇が続く場所。ここは冷たくて、静かで、何も無い。
自分さえ分からなくなる場所。自分は誰で、誰が自分で、自分はなんなのだろうか。意識が散って自分がバラバラに流れていく。自己を失って誰にも成れなくなりそうになる。
誰が何かすら分からなくなる。誰とは何を言ってるのか分からなくなる、『何』が分からなくなる。
存在がバラバラに散って、手が離れて足が離れて頭が離れて思考が離れて心が離れていく。
薄らいでいく、消えていく、失っていく。永遠のような一瞬のような時の流れで、散っていく。
またか、何度目だ、でもまだ、やる事があっただろう。だからまだ、散ってはいけないよ。
そろそろ眼を覚まさなくちゃ。
* * *
「――――」
イキョウの意識は再起動を果たし、その眼に辺りの景色が映り始める。
混沌の沼を張った地面には、もう混沌は無く、木片も無く、草木も生えては居なかった。森の中にぽっかりと更地が出来上がっている。そしてこの場には、ダッキュも、アヤセも、ロイエスも居ない。勿論、ニコだって居ない。
「ニコー、どこにいるのー? 出ておいでー」
「ニコ、ここ」
「?」
イキョウは声のするほうに視界を向ける。向けたのは地面へ、そこに落ちる自分の影へ。見れば、影の中からニコが手と顔をぷかんと出しながらイキョウを見上げていた。
「あれまなんじゃこれ。どうするニコ、そのままそこに居る?」
「キミと一緒に歩きたい、出る」
「そっか、じゃあ引き上げるね」
ニコが両手で万歳をし、イキョウは両脇を抱えてニコを影から引き上げた。
「なんだか人間離れしてきた気がするなぁ……ま、そりゃそうか、人を失ってってるんだからこういうこともあるよな」
「よなー」
「……ってあれ? オレってさっきまでダッキュと居た様な……何かして、何かしてて……気のせいか?」
「イキョウの影の中、まだ居るよ」
「そんなバカな、良いかいニコ、人の影はそんな収納スペースありはしないいや居るわこれ。何か影に居るわ、この感覚知ってるわ。教えてくれてありがとニコ」
「ニコ、偉い。にこ」
「ぺ、ぺっ。おぉ、案外できるもんなんだな」
影の中に何かの存在を三つ感じたイキョウは、その存在達を拒絶するように影から吐き出した。
吐き出された三人、ダッキュ、ロイエス、アヤセは、地面に倒れたり座っているが、呆然とした様子のまま動かない。眼は開いているが虚ろで、口は力なく開いているだけ。気絶というよりは、茫然自失しているような様子だった。
「皆ボーっとしてるな。……コイツ等二人誰だよ。……そういやダッキュって転移魔法使えたよな。ちょっくら起こすか」
妙案を思いついたと思っているイキョウは、座り込んで呆然としているダッキュへ視線を合わせるようにしゃがみこむと、頬をペチペチと叩いて起こそうとする。
「ダッキュ、ダッキュ、おーい。ダッキュー」
「……だ……。きゅ。……。だっきゅ……」
イキョウの呼びかけに対して、ダッキュの口は音を返す。何を言われているのか分からない様子で、しかしその何かを追うように口を動かして、段々と虚ろな目に光と意思が戻り始めた。
「だっきゅ……ダッキュ……ウチ、ダッキュ……ウチの、名前……」
段々、ゆっくりと、眼や口がしっかりとした意思を宿し始め、しっかり、確実に自分の存在を取り戻そうとする。
自分は誰で、自分は何で、今まで自分は何をしていたのかを、思い出し始める。
――故に。
「おぅ、ぅぇ……げぇぇぇぇえええええ」
自分の身に起きていた事を思い出して、ダッキュは胃液を吐き出した。永劫かも一瞬かも分からない凍える暗闇の中で、自分という存在が霧散していく様を思い出してしまって。
「ウチの手、足、顔――付いてる、ウチの心、ここにある……っ……うっ!!」
また、ダッキュは吐き出した。
「大丈夫か?」
イキョウはその背を優しく撫でようと手を伸ばす……が、その前に。
「ロイエス!! アヤセ!!」
周りを見ることすら忘れたダッキュは口から垂れた胃液を拭うと、同じくあの暗闇に取り込まれたであろう二人の部下を心配して、すぐさま駆け寄り肩をゆすった。何度も何度も名を呼んで、失った自分を取り戻させようと必死に声を掛ける。
何度も何度も名を呼ばれた二人は、失いそうになった自分を取り戻してその体に意思が宿る。しかし、自分を取り戻してしまったからこそ、あの暗闇を思い出してしまった。刻まれた恐怖で体が震え、顔は唇まで青ざめ、瞳孔は揺らいで、恐慌状態へと陥っていた。
強すぎる恐怖はダッキュの回復魔法も効かず、ただただその場で震えることしか出来ない。
「あちらさんお取り込み中みたいだし、もうちょっとだけ待とうか。その間カレーでも食べてよ」
「カレー、好き……少し眠い、寝るね」
「良いよ、おやすみ」




