12.どーも、お尋ね者二人組みです
船は海を進む。風に乗るでもなく、波に乗るでもなく、クラーケンに押されて。
交易船は予定では五日間の航海だったはずなのに、イレギュラーにイレギュラーが重なり、一日と半日を持って、帝国の港町が見える距離まで近付いていた。
「クララちゃんの触手ぷにょぷにょしてて寝るの気持ちよかったー」
「私の触手に負けないくらい良い触手なの。クララちゃんは触手美人なの」
「三人でぷにょぷにょした。にこ」
昨夜、三人で一緒にクラーケンの触手を寝床代わりにして就寝した三人は、また船尾の柵に座ってお話をしている。
「もーすぐお別れだよぉ……。ねね、ニコ、本当に大陸一周しないの? 付いてこない?」
「ニコ、イキョウと一緒が良い、一緒に、やりたい事、したい」
「ニコもこう言ってるの!! イキョーも来るの!!」
「ちょっち急ぎの用事あるもんで……。逆にギャラとアルは本当に大陸一周するの? またクラーケンに襲われたら危ないぞ?」
「アステルと水路が繋がんないって聞いたときはやめようとも思ったけど……ソーエンを尻尾でペチペチするって決めたからっ」
「むきむき触手でぎゅーぎゅーするの。絶対に揺らぐこと無い意思なの」
「ほぁーとっても良い理由。なあ、クラーケンお前。この二人護衛しろ。何があっても守れよ」
会話の中、イキョウに言葉を突きつけられたクラーケンは、身を硬くしながら触手で敬礼を返す。絶対に、逆らう意思がないような硬い敬礼を。
「クララちゃんも一緒してくれるの!?」
「よろしくなの!!」
身を硬くしていたクラーケンは、打って変って二人には優しく触手を差し出し握手のような行為をしていた。
「クララ、もうすぐお別れ。ギャラとアルも」
「もうすぐだけど今じゃないから握手しない!!」
「ぎりぎりまでお話しするの、港に着いたら握手するの」
「まだ、じゃない。もうすこし、お話する。にこ」
「「にこぉ」」
港に近付く舟の甲板。少女達の会話はまだまだ続く。イキョウは、ニコを抱えてここから飛べば早くに港へ着けるというのに、そんなことはせずにただ座って何もせずに居た。
しかし、他の者達は違う。船の乗り組み員は、同乗していた商人達は、皆船首に集まって港へと眼を向けていた。
「港混乱してるな……」
「ったりめーだろ。どこの船がクラーケンに押されて着港するってんだ。史上初だぞこんなこと」
船に乗る者達の目に映るのは、港の人々が慌てふためいている姿と、次々と騎士や衛兵が集ってくる姿だった。
「オジキ、昨日も言ったけどよ――」
「大丈夫だ、バレやしない。あの混乱に乗じてこっそり顔見知りの奴等使ってイキョウとアルフローレンの事を捜索隊の奴等に伝言して貰う。あんなガヤガヤしてんだ、こっそりやりゃぁ気付かれねぇだろ」
船長は企む。この船に乗っている悪なる者のことを、港で待ち受ける者達へ伝える為。
船長は、船員は、商人は、世界が存続する事を望んでいる。崩壊を告げた天使、それに加担している裏切り者、どちらも死に値する存在だと思っている。
「野郎共、なにかに理由つけてあの天使と裏切り者を港に留まらせておけ、十分に騎士サマや冒険者共を集めろ。あと、クラーケンから離して戦力を分断させやがれ。絶対に海の民は巻き込むな」
船長の言葉に、船に乗る者達は小さく頷いて同意する。――ルツズボウを除いて――。
進む船、その船上に蔓延る焦りと決心。事を上手く運ばなくては自らの命も危うい。バレやしないと思っていても、ついつい失敗してしまったときのリスクは考えてしまう。しかし、陸に上がれば船上以外の戦力が大勢居る。味方が大勢居る。
相手は片腕の男と少女のような姿をした力を一切感じない天使、たった二人に多勢に無勢を押し付ければ、勝てない道理など無いと思っている。
クラーケンだって海で遭遇すれば脅威だ。しかし、陸地や浅瀬に誘い込み人々の手によって討伐できた例は存在する。
船上の者達は知っている、強敵のクラーケンでも人が力を合わせれば撃退できると言う事を。強敵と言えど個の力には限界があるという事を。どんなに強いと言われる者でも生があれば死もあるということを。
船上の者達は知らない。普通に生きていれば知る良しも無い。人の道理など通じない者がこの世に存在することなど。
誰も知らないだろう、見たことも無いだろう、聞いたことすらないだろう。常識的な生を謳歌する者達が、非常識な力を持つ者が居ることを理解など出来ないのだから。
海を走る船。その船上で緊張の面持ちをし、港へ眼を向ける者達。
「……なぁ、なんか……苦しくねぇか?」
一人の船員が、ポツリと言葉を発する。その言葉は、この空気に対する言葉ではなく、自らの喉に通る空気に違和感を覚えて。
「き、緊張してっからじゃねぇのか」
「いや、ってよりは……喉が絞められるような……」
一人がふと、自分の喉へ手を当てようとする――がそこで気付いた。自分の体が動かせないことに。
「はッ――? なんだこれ!?」
「痛てッ!! 何かが絞めつけてきやがる!!」
「はぁ? どうしたんでぇおめぇ等」
騒ぎ、しかし体を動かすことが出来ない船員達の中、ルツズボウだけが辺りを見渡して、ギチッと固まったまま動かない船員達に疑問の声を上げた。
その声に答えた者は、居た。
「無理に動かない方が良いよ。全身輪切りになるから」
答えた声。声は、皆の背後から。動けない者達ではその背後に立つ者の姿を見る事は叶わない。しかし分かる、何者が自分達の背後に立っているかは。
「あんちゃん……こりゃぁ一体……」
「邪魔されそうになったから邪魔してやっただけ」
その言葉と共に、イキョウは宙を指で弾く。――すると、弦を弾くような音と共に、船員の体を捕らえている何かの締め付けが強まった。
「あの子は着港までお話したいらしいんだ、港でお別れしたいらしい。だからね、それまでは大人しくしててよ」
その言葉に船員達は返事が出来ない。首を動かすことも出来なければ、呼吸をすることでさえ精一杯だった。
「あとさ、船長……だっけ? あんた。忠告聞かなかったでしょ」
「ァ……ガッ……!?」
イキョウが手を横に軽く凪ぐ。その行為がどう繋がったのか、同時に船長の口が開き、舌が唇の外へと突き出された。
「だから連体責任だよ。あんたが舌を動かしたら、それだけでこの場に居る全員終わり。綺麗にスパッと輪切りになるから」
「あんちゃん!! 止めてくれ!! 俺達が悪かった!! ち、違う、止められなかった俺が悪いんだ!! だからよ、俺がみんなの代わりに――」
「何のためにアンタを残したと思ってんだよ」
ルツズボウの言葉が言い終わる前に、イキョウは何処からとも無くナイフを取り出し、問答無用で男の足元へと投擲する。そのナイフは船で使われている、どこにでも有るナイフ。何故イキョウが持っているのか、ルツズボウには分からなかった。そして何故、足元に投げられたのかを。
「これ……は……?」
甲板に刺さるナイフを見て、船員達は青ざめる。今からコレで、ルツズボウに自分達を刺させる気なのでは無いかと。
ただし、ルツズボウだけはそんなことは思わず、ただ純粋に足元のナイフへ疑問の視線をむけていた。
「オレ達が降りたらそれでこの糸切ってくれて構わないから。ニコが、シロップ漬け美味しかっただってさ」
「きゅ、急になんでぇ……。ってか、糸ってなんでぇ、どこに有るってんだ」
イキョウの言葉は、何処かズレているように感じる。会話、というよりは、自分が言いたい事を言っているだけのようだった。
そして、ルツズボウの眼には糸なんて何処にも映ってない。船員達もみな同じ、誰の目にも何も映っていない。
「切り易い様に見せてあげるよ」
「――何やってんだあんちゃん!!」
囚われている船員達には背後で何が起こっているか分からない。ただ、急に飛沫のように液体が辺りに降った。始めは波の飛沫かと思ったそれは、よく見れば紅く、黒く、鉄の匂いを漂わせる液体、いわば血だった。何が起きたのかは分からない、しかし、あの男が自らの血を躊躇い無く辺りに撒いた事は、嫌でも理解してしまう。
イキョウはただ宙に張る糸に手首を掠めただけ。手首から溢れ出す血を辺りに撒いただけ。
血を帯びた糸は宙に紅く浮かび上がる。太陽の光に紅く照らされて線条に煌く液体は、だが決して綺麗なものとして眼に映らない。
「ほら、これで切り易くなった。じゃあな」
イキョウは一仕事終えたからこの場を去ろうとする。炎を一つ浮かべ、その熱に手首を押し付け雑な止血をしながら。
船員は怯えて恐怖する――。ルツズボウは何かをイキョウへと言っている――。しかし、その者達をイキョウは見て居ない。この場を無視してまた船尾へと戻っていく。
――イキョウは立ち去った。ルツズボウは、自らの周りを避けるように辺りに張られている糸が、牢獄のようにその身を阻んでその場から動く事が出来ない。船員は処刑前の拘束された罪人のように、動けない恐怖と動いたら死ぬ恐怖を同時に味わわせられる。
――そのまま船は港に近付いていく。混乱する港へ、静かな船が近付いて行く。
――船尾で姦しく話している三人はそんな事知らなかった。
「ほらニコ、もう行くよ」
「分かった。"またね”、ギャラ、アル、クララ」
手を振り、触手を振り、皆で『またね』をしてお別れをする。去ってゆく。段々とこの船から去る者が現れる。
――ニコは船員達にもまたねと言う。ルツズボウには、ありがとう、も言う。
――騒然としている港へ、イキョウはニコを抱えて飛びおりる。
港に居る者達はほっとした。クラーケンが沿岸へと離れていくから。
港に立ち尽くす者達はゾッとした。近くに来てようやく分かった、クラーケンに眼を取られていた眼が船上の者達をようやく見る。その光景は、誰一人として一切動かず、宙には赤い線が細く走っており、血がポタリポタリと滴っていた。
なんだこの光景は、おぞましい。絶句しながら、心でしか言葉をつぶやけなかった。
そしてそんな船上から降りてきた二人に視線が集まる。噂に聞く、黒いコートの男と、黒い少女二人へ。眼を引く登場をして港へ足を付けた二人へ。
「どーも、お尋ね者二人組みです。この船に乗ってる奴等全員脅してこの大陸に舞い戻ってきました。だからこの船の奴等は悪くないです、裏切りの片棒を担いでる訳ではありません」
平坦に喋るその言葉。身勝手に放たれる会話をしようとしない一方的な言葉。
港の者達は言われなくたって分かっている。世界の敵である二人とこんな光景を見せられて、そう思わないはずが無い。船の上の者達だって、脅されでもしなければ指名手配犯の二人を態々乗船させようなんて思わないだろう。至る所で噂されている二人を、一目で特徴と合致する二人を、疑いも調べもせずに乗せるはずが無いから。
ルツズボウは見下ろしていた。そんな二人を。そして、イキョウから振り返らずに言葉を言われる。
「もう切って良いよ。“感知”された、報告なんて勝手にやってな。またニコに会ったときはあのシロップ漬けご馳走してくれ」
「ルツズボウ、ありがとう、美味しかった。"またね”」
イキョウは振り返らず淡々と、抱えられたニコは肩越しに船上へと眼を向けて。
大勢の者達の目にはそんな二人が敵にしか見えて居ない。敵にしか見えて居ない二人をずっと見て恐れている。
しかし、一人は違った。その二人をどう見て良いのかが分からなかった。
そして全ての目は二人へと向いている。見逃すはずが無い、これほど堂々とこの場に立ってるのだから。瞬き一つせず見ている、ずっとジッと視線を注いでいる。
眼に映り続けているそれは――消えた。消えた、消えた。見ていたはずなのに消えた。何の前触れも無く、突然消えた。
混乱する港。堂々と立っているイキョウにはどうでもいい光景。その光景に眼を向けず、堂々と人並みの中を平然と歩いていく。
ルツズボウさえ二人の姿は見失った。しかし、頭にはまだあの二人が残っている。仲睦まじくマストに座り、船を救ってくれて、シロップ漬けを褒めてくれた二人の姿が脳裏に映る。
「……あんちゃんよぉ、おめぇ人に優しいって言っときながらなんでぇ。シロップ漬けのお礼に俺の仲間生かしてくれるとかぁおめぇだって優しいじゃねぇかよ」
イキョウは何時だって船員達を殺せた、それでも殺さなかった。イキョウは脅してこの船に乗ったわけでは無いのに、去り際に港の者達へ強調するように自分を悪者にした。どちらも、シロップ漬けのお礼としては大きすぎるお返しだ。
「っしゃーねぇなぁ……また譲ちゃんにシロップ漬け食わせてやるよ。何が譲ちゃんに会ったときは、な。そんときはおめぇも一緒に食わせてやるってんだ。だからよぉ、幸運を祈るぜ、イキョウ、ニコ」
見方は千の眼が有れば千の姿が在る。
ルツズボウは船で出会った二人のことしか知らない。船で一緒に時を過ごした二人しか知らない。厳つくも優しいその目には、あの二人が悪い者たちには見えなかった。
世界を壊す為に二人は動いている訳では無い。しかし、イキョウがしている事はアルフローレンが生きている事は、結果的に世界を壊すことに繋がる。
大衆はどれだけあの二人を知ろうと、世界の為にと謡うだろう。たった二人の願いの為に、世界を危機に晒すことを良しとしないだろう。願いを乗せた、二人対世界の天秤がどちらに傾けたいと問われたならば、大衆は自分達へ傾けたいのだから。
大衆はアルフローレンを、態々手段を講じて生かそうとする理由など無い。唐突に世界の命運を言い放った天使の事を、世界を賭けてまで生かす理由など何処にもなかった。
そんな大衆を動かせるほどの言葉などありはしない。当然、言葉以外の手段もありはしない。当然、ルツズボウだって何も思いつきやしない。
「キンス。てめぇならもっと上手いやり方を知ってんかねぇ……」
ルツズボウは昔に別れた弟の名を呟きながら、手に持ったナイフの刃を見る。
「俺にはニコが死ぬ手段しか世界を救う方法を思いつかねぇから、せめて幸運を祈るしかねぇのよ。……いやぁ、誰だって思いつかねぇんだろうな。優しいとかでどうこうなる領分じゃねぇんだろ、ニコの側に居るあんちゃんですら答えをしらねぇんだから」
混乱と困惑の喧騒が鳴り止まない港に、小さな呟きは掻き消されてしまう。
せめて二人に幸運を。そう願いながら、ルツズボウは手に持ったナイフで紅い糸を、船員達が傷つかないように気を使いながら優しく丁寧に切り始めた。
* * *
「ルツズボウのシロップ漬け、美味しかった」
「はぁ……? 何がなんだって? 人の名前? モノの名前?」
「ギャラ、アル、クララ、皆で食べた楽しいが美味しい。覚えた」
「ああ、そういやお前等三人で何か食ってたな。三人共楽しそうにしてたからちゃんと視てたよ」
「ニコ、ギャラ、アル、クララ。四人。四人で、ルツズボウが作ったシロップ漬け食べた」
「うん……そう、だった……そうそう。ニコ、楽しかった?」
「楽しかった。にこ」
「そっか。なら良かった」
しっかりはっきりと楽しかったと言ったニコの言葉と笑顔へ、イキョウは『良かった』と返す。見えていたはずの光景にはニコとギャラとアルしか映っていなくて、ニコが発した言葉が十全に理解できなくて。もう、他の事は忘却の彼方へ消え去って。壊れていて、彼が、イキョウが、壊れ続けていて。
でも、理解できなくても、それでも嬉しかった。自分との関わり以外でもニコがはっきりと『楽しい』って答えてくれたから。
あの人しか居なかった自分と違って、ニコには沢山の人が居れると思うと、本当にイキョウは嬉しかった。自分よりもニコは、もっともっと人間らしくなれることが、本当に嬉しかった。
人間らしさを学んでいる天使と、人を失いかけている自分なら、きっと自分の方が人では無いのだろう。そう思ってしまうほど、寧ろそうであって欲しいと思ってしまうほど、本当にイキョウは嬉しくて、ニコの頭を優しく撫でた。
「……眼がしぱしぱ……眠い……」
「あら、あんなたっぷり寝たのにね。良いよ、抱っこしててあげるからゆっくりおやすみ」




