10.ニコ、増えた。にこ
船の後方、船尾にある安全用の柵には、三人の子供が並んで座っている。ニコを挟むようにアルとギャラが、クラーケンに体を向けて座っている。ニコは二人よりも頭一個分背が高い。山や凸字のように、三人が柵に腰を掛けてクラーケンの事を見ている。
そしてイキョウはそんな三人の下で、柵に体を預けながら片膝を立てながら座り、タバコの煙を海風に流していた。
このような状況になる前、クラーケンはイキョウから『この二人に謝れ』と言葉を突きつけられ、胴体を何度も曲げながらぺこぺこと謝った。その甲斐あって、ギャラとアルは落ち着いた様子で柵に座ることが出来ている。
「ねーねー、イキョウはクラーケンとお話できるの?」
「出来ない出来ない、オレイカ語しらねーもん。適当にオレがやってって言ったら、イカがやってくれただけ。イカは頭良いらしいからな、こっちの言いたい事を察せられるんだろ」
和気藹々と話す四人を、船員達は遠くであぐねながら眼を向けていた。
「ってか何でアルとギャラはこんな海域に居るの? シャーユからめっちゃ遠くない?」
「ふふん!! それはね、アル!!」
「なの!! 海底神殿が壊れたのを機に旅を始めたの!! ソーエンとヤイナがアステルまで川を繋いでくれるまで体力をつけてびゅーんってイキョー達に会えるようにむしゃしゅぎょーしてたの!!」
「え……あれカフスに却下されたぞ。正しくはアステルの議会で×喰らったらしい。ソーエンアイツ……言うだけ言って事の顛末二人に教えてなかったのかよ……」
「はぃ……? 嘘でしょ……嘘でしょ!?」
「ソーエン嘘つきなの!! サイテーなの!!」
ギャラとアルの二人はぷんすこと怒りながら手や触手を上げて怒りを露にする。その姿を、ニコは首を左右に動かし見ると、同じく両手を上げて体を左右にユラユラと揺らし始めた。
「ニコも怒ってるくれるの? 三人でプンスコだよ、ソーエンに会ったら尻尾でペチペチしてやるんだから!! アルは触手で締め付けて!! ニコはぽこぽこ殴って!!」
「了解なの!!」
「りょうかい、なの」
「そう怒るなってぷんすこ三姉妹。飴やるから甘さに免じてあのバカを許し……あ、飴ねぇや」
「大陸一周したら強くなった尻尾でペチペチお仕置きする!!」
「むきむき触手でぎゅーぎゅーにしてやるの!! イキョー、ニコ、一緒に一周するの!! 一緒に強くなってソーエンに罰与えるの!!」
「ちょっち今立て込んでるから無理なのよ。二人でアステルに帰らなきゃなんねぇの」
「何か用事あるの?」
「ふふふ、ギャラ、考えるまでもないの。イキョーはまた転移事故で飛ばされたの。だから一生懸命帰ろうとしてるの」
「ありえるー!! イキョウってホントについてないねー!!」
二人で姦しいを体現するように、ギャラは笑ってアルは胸を張る。そんな二人をイキョウは、帽子の奥に隠れた眼で、視線は向けて居ないがしっかりと、見る。ちゃんと、二人を見ている。
「ニコは何でイキョウと一緒に居るの? サンカみたいに一緒に飛ばされた?」
「ニコ、イキョウと一緒に居たいから居る。にこ」
「なにその笑い方可愛いー!! 私もやる、にこ!!」
「私もやるの、にこ、なの」
「ニコ、増えた。にこ」
「仲良さそうで何より、本当になによりだよ」
二人が三人になり、本当に姦しくなった少女たちを背に、イキョウは立ち上がる。タバコをまた新しく咥えながら。
「どうしたのイキョウ、トイレ?」
「いんや。この船の奴等、さっき謝ったけどまだ許してくれてないようだから少しお話してくる。
おいクラーケン、またコイツ等に手だそうとしたら殺すかんな」
「弱いくせにそんな怖いこと言わないでイキョウ!! クラーケンさっき謝ってくれたもん、私達も許したもん!! ごめんなさいした後には仲良くするってオトナ達言ってた!!」
「クラーケンさんと仲良くするの、仲良くなる為にお話するの」
「ニコもお話、したい。にこ」
「にこーぉ!! ねーねー何話す? 私達の旅のお話? あ、その前にクラーケンに名前付けてあげようよ!! その方が仲良しになれそう!!」
「さんせーなの。でもお話もしたいの。お話ししながら名前決めるの」
「さんせー、なの?」
「なのはアルのなの!! ニコはにこなの!!」
「にこ」
「「にこー!!」」
姦しい会話。何も知らない二人が素直に向き合って話している言葉。それを聞きながら、イキョウは煙を吐いて歩みを進める。あぐねている者達が向ける、その視線を受けながら。
* * *
イキョウは船員達の前に立つ。帽子に目は隠れ、しかしタバコを咥える唇はマフラーを下げて露にしながら。
「あんたら突っ立ってないで仕事しなよ」
船員達へ言葉を放つイキョウ。その言葉に反応したのは、白髭を蓄えた男性、この船の船長だった。
皆、緊張の面持ちでイキョウを見ている。が、口を開こうとしてる船長の表情は、周囲よりもより一層緊張の面持ちをしている。今から交わす言葉で、この船の命運が決まるのだから。
「……当初の約束通り帝国の港までは送り届ける、積荷が欲しいなら好きにくれてやる、望むならこの船だって明け渡そう。必要ならばワシの命を弄べ。だから頼む、ワシの部下や商人達は見逃しちゃくれんか」
今船の者達が前にしてる者は世界最悪の凶悪犯にして言葉だけでクラーケンを御せる相手、その背後には天使が居る。相手が何を考えているのか、何が目的でこの船に乗っているのか分からない。最悪、殺戮を望んでいる可能性だってあった。故に船長は差し出せるものを全て差し出し、代わりに他の者達に魔の手を向けないでくれと頼む。
「別に何も要らない。何もしてこないならそれで良い」
対してイキョウは煙を吐きながら、興味の無さそうな声色でどうでもいいと言いたげに言葉を返した。
その感情の乗って居ない言葉で、こちらに興味が無いからこそ本当に何も刺激をしなければ何もしてこないということを船員達は理解させられる。
乗船している者達は皆、この男の正体を知るまでは穏やかで落ち着いた男だと思っていた。しかし、正体を知った今ではその姿は無関心故に心が揺れ動くことのない冷めた姿に思えてしまう。
全ての人に無関心なら、それは平等な存在と言えよう。そんな無関心な男の心を動かすものがいるならば、その者はこの男にとって特別な存在だと言えよう。
この船に居る者達は、男の無関心な声を受けて皆無言で頷く。無関心のままなら、その関心を引いてしまわないように注意を払い、決して自分達へ目を向けられないようにする。あの帽子の奥にある、誰も見たことが無い目を。
だが一人、ただ一人、その頷きを返さないものが居た。他の者と同じように怯えながらも、震えながらも、一人だけ腕を組み、イキョウを見つめるものが居た。
「何もしないだぁ? んなことお断りだよ」
その一人、その男は、たった一人この場で声を上げる。その者は見張り台に立っていた、体格の良い海の男。
「おま、何反抗してんだこのタコ!!」
「うっせぇんだよタコが!! おいあんちゃん、おめぇ世界ブッ壊す片棒担いでるらしいじゃねぇか」
「そうだよ。で?」
煽りとも思える発言に、イキョウは言葉だけを無機質に返す。無関心な者で、いつでもどうにでも出来る者へ一々向ける意識も刃も必要ないから。何を構えずともどうにでも出来るから。
「だってのに、んな奴のおかげでクラーケン見つけられて、おめぇのおかげでこの船は沈ますにすんで、おめぇのおかげで俺達も海の民の譲ちゃん達も助かったんだ。
……何かさせてくれよ、礼くらいさせてくれや」
その発言に食って掛かろうとしたのは誰でもない、この船の船長だった。
「クソ坊主、てめぇ……何言ってやがんだ」
「いつもってんじゃんかオジキ。港を出た船に乗る者達は皆家族のように扱えってよ。あんちゃんが居なけりゃ世界がどうこうなる前に俺達はおっちんでたんじゃねぇのか? この船を、家を、家族を救ってくれたのはあんちゃんだろ。だってのに礼の一つもしないんじゃぁ船乗りの名が廃るってもんよ」
「ちいせぇ頃は可愛かったのに随分生意気になったもんだな、てめぇが言ってる――」
「そういうのどうでも良いよ。お前等の人生のドラマとか興味ない。お前が何か良い事言ってるとかどうでもいい。本当に、どうでも良い」
興味の無い者達が興味の無い話をすることが、一番どうでも良い。今のイキョウは、本当にそうとしか思って居ない。どうでも良い話を聞かされるめんどくささも苛立ちも何も感じない。本当に、どうでも良かった。
「どうでもいいなら何しても良いよな。どら待ってろ、下に果物のシロップ漬けが有ったからな、取ってきてやる」
「あんのクソ坊主……」
「あのタコやろう……」
「あのハゲ……」
「誰がハゲだボケ!! 俺はスキンヘッドにしてるだけでぇ!!」
この船のムードメーカーは、きっと彼なのだろう。イキョウに負けない足取りは船の者達の心を弛緩させて、多少は空気を柔がせる。
彼の名はルツズボウ。ガタイの良い体をズンズンと進めて船内へと下る姿を、船員達は『世界の敵達相手に何してんだよタコ』と思いながら見ていた。
ルツズボウの姿を、周りの船員達を、イキョウが見る事は無い。ただタバコの吸殻を燃やし捨て、また新しいタバコを咥えながら、この場をただただ離れた。




