04.慣れ、果て
村長夫婦と別れたウキヨとニコは、月明かりだけに照らされた暗い夜道を歩く。
「<生命感知>」
その歩みのまま、ウキヨはスキルを発動して村の周辺にモンスターがうろついて居ないかを確認した。
「残された魔法とスキルに<生命感知>があって助かるわぁ。これで仕事楽楽ちんちん」
「楽楽、ちんち――」
「ごめんニコ、今の無し。真似しないで」
「真似しない、分かった」
周辺のモンスターの確認を終えたウキヨは、死んだ目を穏やかに眼の前の夜闇へとむける。
「――――よ、ナトリ」
<生命感知>で探った際に目の前に人など居なかった、生物の反応すらなかった。だというのに、ウキヨのその声に合わせたかのように、闇の中から存在が出でてくる。
「久しいな、阿呆よ」
闇から現れた仮面とスーツの男は、影から出でる際に声をかけられることなど当たり前で、そんなこと分かりきっていたので特に何の反応も示さないまま言葉を返した。
ウキヨもウキヨで、目の前に現れた男と、まるでさっき振りに会ったかのように、平然と会話をし始めた。
「助かるよ、ソッチから出向いてくれて。こちとら魂ぶちぎったせいでUIどころかコール機能もイカれててさ。なな、聞いてよナトリ。この子ね、前にオレが話していた死神ちゃん。今はニコって名前なの。どう? オレにしてはネーミングセンス良くない?」
「名など変えたところで、そやつが天使であるという事実は変わらないのであるぞ」
「んもぉ……お言葉が辛辣」
「仮面、スーツ。おもしろおじさんルナトリック」
「よもや天使からそのような侮辱を受けようとはな」
「えっ……ごめん、ダメだった? オレが教えたんだよ、おもしろおじさんルナトリック」
「ふはははは!! 貴様からそう呼ばれるとは愉快愉快!!」
「反応、違う。どうして?」
「いい? ニコ。言葉っていうのは、何を言うかよりも誰が言うかの方が大事なんだよ」
「難しい、まだ分かれない」
「ふはははは――……
……
ふぅ……」
一頻り笑い終えたルナトリックは、場の空気を整えるように息を吐く。
「さて、阿呆よ。アルフローレンに残された時間は後一週間、世界の限界はもう近いのであるぞ。貴様はどうする、此度の歩みはどこまで進めるつもりか」
「難しい、まだ分かれない……。なんていわないさ。オレはオレなりに考えてる。世界も、この子も、両方救う方法を。そして思いついたんだ。ニコを人にすれば、この子が天使じゃなくなれば、倒した判定になるんじゃね? って。あ、コレ精神的な話じゃなくて肉体的な話ね」
「倒さねばならぬ天使を人に変え、変則的に試練を超える。その前例はあるのであるな。貪食王、ソーキス。
だが、あやつは全てを呑む性質を持っていた故に人と成ることができた。そこの視る天使はいかにして人に成らせるつもりだ」
「んまぁ……色々試してみたんだよ。最初はイキョウ球使って存在塗り替えられんじゃね? って思ったんだけど……実行する前にニコに断られた。今のニコは天使ではあるけど、非力なただの少女並な力しかない。そんな奴に混沌を入れたら壊れちまうよ、存在が持たないってさ。
じゃあって思って、今度はあっちのオレがニコに入り込むことでどうにかできないかなって思ったんだけど……コレもダメ。ニコの中はからっぽだった。空っぽなオレが入り込んだって、何もできる事は無かった。
だから色んな土地巡って、情報収集して、その過程でこっちの大陸渡って、でも行く先々全部ダメだった。
お願いが叶うお守り買ったり、浸かれば人が変わったように穏やかな人格者に成るって言われてる温泉に入ったり、占いしてもらったり、温泉卵一緒に食べたり、港ではちょっと良いホテルに泊まったり、船の上で潮風感じたり、二人で手を繋いであぜ道歩いたり、馬車の馬触らせてもらったり、お店で一緒のもの注文したり、二人でご飯作ったり、工作したり、一緒に寝たり……全部、ダメだった」
ふざけてるとしか思えない言葉を、ウキヨは並べる。しかし語る口に冗談などなく、そして真剣さもなく、ただ、嬉しそうな声色が空虚に乗っていた。
「……頑張ったな、阿呆よ」
真剣に言葉を聞いていたルナトリックは、語らず、その言葉だけを短く返す。
「そうでもないさ。この子が居てくれたから、色んな事が思いつけた。ずっと楽しかったよ」
「ニコも良い……好き、楽しかった。にこ」
言い直したニコの言葉に応えるように、ウキヨは右手をニコの頭に被せ、優しく撫でた。それをニコが拒む事はなく、手を受け入れては造った笑顔をウキヨに向ける。
その姿を、ルナトリックは静かに、懐かしむような眼で見ていた。
「……人の根源で在る魂を裂き、人を失い始め、記憶すら何を失ったかが分からず、もはや自らを失いつつある阿呆よ。それでも貴様は自らの運命に嘆くことはないのだろう」
「あたぼーよ。嘆き方なんて教えて貰ってねーからな」
「阿呆よ、天使が人と成る術を求めるか。例え何があろうとも」
「それもあたぼーよ。
お前なら何かしら知ってて、その手段を絶対に教えに来てくれるって信じてたから、オレは焦らずこの子に色んな事を自由にさせてあげられてた。ありがと、ナトリ」
「くはは……貴様から感謝を向けられると、どうにも素直に嬉しくなってしまう。それでこそ阿呆だ……。……。
――貴様の望みを叶えたくばあの結晶竜を殺せ、そして代償魔法の贄としろ。視喪の天使が人に成る手段はそれしか無い、龍の魂を払い代償魔法を使え」
「バカ言うな天才、んなことオレだって考えれば思いつくさ。んなこと絶対にしたくないから、お前を頼ってんだよ。な? ナトリ」
「……我輩としてはそれが最善なのだ」
「カフスを殺して、この子が人に成って、それで出来上がる最善なんて何処にもないよ。犠牲になるのはオレだけで良い」
「…………貴様が思い描く幸せに、とことん貴様は入っておらぬな。……阿呆よ、貴様に言っても聞かぬだろう、貴様に教えても意味を成さないだろう。だが我輩は言ってやろう、貴様に教えてやろう。
そこの天使を……いや、天使という存在を人にする手段なぞ一つしかないのである。理を曲げ、法則すらも無視する代償魔法以外に天使が人と成りえる手段は世界の何処にも存在しないのだ。それでも以前の愉快で不真面目な阿呆と馬鹿が合わされば貴様等だけが起こせる人ならざる奇跡が周りへ訪れていただろう。しかし、もはや今の人を失いかけている阿呆には何も成せぬ、貴様が側に居ない馬鹿には起こせる奇跡ですら起こそうとはしない」
イキョウとソーエンは、イキョウとソーエンだからここまで来れたことを、ルナトリックは知っている。二人が禄に考えない直感的なバカ二人だったから、やることなす事全てが自分に返って来て、結果的に天使との戦い被害の被害を自分達二人だけで済ませると言う、奇跡にも似た荒業をここまで起こして来れた。
天使という超越した力を持つ者と戦闘をし、毎回被害が二名で済むなどありえないことだった。しかし、それは二人がいたから。二人がいたから対天使戦の被害は二人だけで済んでいる。遥か昔、アーサー達が戦ったときは、途方も無い死者数が出たと言うのに。
過去の凄惨な死者達をルナトリックは識っている。そして、今のイキョウの行く末も、願いも、識っている。
「……阿呆の行く末に照らす光などありはしない」
「こちとら蛾じゃないんだ、光になんて吸い寄せられねぇよ。元から暗い一人の道だったんだ、今更灯りなんて求めない。
ナトリでもダメ、だったらオレはどうすれば良いんだろな。オレなりに探すしかないよ、オレはあの人みたいになれやしないんだから。きっとあるさ、出来ないぞ」
崩れ行く瓦礫を見て、ルナトリックは小さなため息を付く。こうなることが分かっていて、それでも目の当たりにすると、あと少しが遠く感じて。
「……茨を踏む覚悟があるならば来い、アステルへ。棘に塗れ、痛みと引き換えにしてでも欲するものが在るならば来い。果ての未来に我輩が貴様の思いを叶えてやろう」
「そんな安い引き換えで良いなら、是非喜んで。必要なら死さえ払うさ」
「ふはははは!!」
ルナトリックは笑う。目の前の愚かで浅はかな男を、それでも笑いたくて笑う。
「努々忘れるな阿呆よ。我輩は、貴様等を心底気に入っておるのだぞ」
「分かってるよそんなこと。たとえ記憶失ったって忘れねーよ」
「――故に信じろ、我輩を。もう、貴様は頑張るな、ただ人として生きろ」
「頑張るよ……最期まで。そんでな、信じるさナトリ。本当にありがとう。オレもオレなりにこの子を人にする方法探してみるよ、出来ることならこの子はオレの手で人にしてあげたい」
大切な人おかげで人に成れた――嘗ての人でなしは――そして今や人でなしに還りつつある男は――目すら隠す帽子の奥から、確かな意思をルナトリックへ向けた。
この会話を最後に、伝えたい事を伝え終わったルナトリックは姿を闇に溶け込ませようとする。もう無理だと悟って、自分が何を言おうと目の前の阿呆の歩みは変わらない事を識って。自らの願いがあと少しで叶うと理解した故。
ルナトリックの体は影に入る。夜の闇がルナトリックと同化する。薄らいでいくルナトリックと元の夜に戻ろうとする闇。
「あぁ、加えて。今や世界中で天使討伐を掲げた全国連合の捜索隊が貴様とアルフローレンを探している。帝国が密かに開発した短距離中継魔力式水晶で連携は取れておる故に、アステルまで至るのは至難であろうぞ。ふはははは!!」
「おう待てやクソ仮面。なんでそれ最初に言ってくれないの?」
「ふはははははは!!」
「ふははははじゃねーんだけど。信じろって言葉が薄っぺらく感じちゃうんですけど」
ウキヨの言葉も虚しく、ルナトリックは愉快に笑いながらその身を夜の闇に沈めて行った。
一人が消え去り、残されるは二人と静かな月夜の空気だけ。
「……なぁ、ナトリ。お前を信じてるから、ちゃんと最後はオレが裏切ってやるよ」
その月夜の空気に溶け込む呟きを、聞いている者等何処にも居なかった。
「ふは、ふはは、ふはは」
「あの笑い方は真似して欲しくないなぁ」
「うけ、うけけ、うけけ」
「そっちは全然真似しても良いけど、ニコにはニコに似合う笑い方があるよ」
「にこ」
「そそ、それが今のニコの笑顔の中で、いっちばん素敵な笑い方だ」
「にこ? ウキヨ、にこ」
「可愛い可愛い」
「ニコ、可愛い。にこー」
死んだ目の男と、口角を指で上げる少女は、静かになった夜を歩いていく。




