26.したい。知りたい。気持ち教えて
国巡りも落ち着いて、また変わらぬ日々をアステルで過ごす。
今日も特に何も無い何時も通りの日常だった。これで良いんだよこれで、やっぱりアステルが一番落ち着くよ。
晩飯を終え、ソーエンとの深夜の晩酌も終わり、部屋に戻るだけ。それであとは、部屋にヤイナとナナさんが居たら相手するだけ。
だけど、どうしてだろうな。誰かと約束してる訳でもない、誰かに呼ばれた訳でもない。
それでもオレは、何故かふと家から出て、導かれるように深夜の暗いアステルを歩き始めた。
誰も居ない、何も言葉が無い、静かで暗い夜。夜の町並みを、オレは石畳を踏みながら、目的も無くふらふらと歩いていた。
でも多分、この歩みに目的があったのだろう。
オレが赴いた先は……始まりの場所だった。
今や見慣れた、町の広場にある立派な噴水。ここはオレとソーエンが最初に落ちた場所、この世界の歩みを最初に踏み出した場所。
「なんだよ……感傷にでも浸りたくなっちまったのか……?」
目的の無い無意識な歩みの末、辿り着いた場所。終わりが近付いてるから、始まりの場所を見たかったのだろうか。
どうなんだろう。分からない。でも、折角来たんだ。タバコの一本でも吸ってから帰ろう。
そう思ってオレは、白い石材で作られた噴水の縁に腰掛けてタバコを取り出す。
暗い夜にタバコの火と白い煙を写して、ゆっくりと夜とタバコを感じる。
人の気配なんて全くない。たった一人で、タバコを吸う。この目を閉じて、静かに、ただゆっくりと――。
「――次、もうすぐ」
……一人なはずなのに、どこからか声が聞こえてきた。無機質で感情が乗ってなくて静かな声。
どこからだろう……ここからだろう。
オレは眼を開け、声のした方に視線を向ける。
オレの横。そこに、声の主は並んで座っていた。何時から居たのか、どうしてここに居るのか。色々思う事はあるけど、いつも神出鬼没みたいなもんだし、まずは。
「死神ちゃんじゃん。よっ」
挨拶から始めよう。
「よ。よ」
オレが片手を軽く上げて挨拶をすると、死神ちゃんは自分の手を見てから、オレと同じような動作をしてきた。
「どしちゃったの死神ちゃん。オレの死期が近いから先取りで迎えに来ちゃったの?」
「よ……。違う。キミとお話したかった。時間無い」
「この後ご予定が……?」
精巧な人形のような死神ちゃんは、時間が無いって言ってる割に口調はいつものペースで話しかけてくるなぁ。平坦で、少しゆっくりとした、聞き様によってはとても落ち着いた口調だ。
「私、キミ、どっちか居なくなる。お話、できなくなる。聞きたい、教えて。教えたい」
「いやまぁ……オレそろそろ死ぬ身なんで、そりゃオレ居なくなりますけど……。え? 死神ちゃんも教えたいことあるの? 聞き専かと思ってたわ」
「私。死神違う。二つある。魂の回廊、主。巡る魂を、見送る、還す者」
「それ実質死神じゃね……? ってかほぇー、お前ってそんなお仕事してたのか。ちっちゃいのに偉いなぁ」
「ずっと、長い」
「うんうん、長い時間働いてて偉い。いつもオレとソーエンの反則見逃しててくれてありがとな」
「魂は還る場所を知ってる。還らなければいけない、そう作られた。私はキミを隠した、でも居なくなったら隠せない」
「退勤後にバレたら上司に怒られちゃうの? 死神世界も上下関係あるのなぁ」
「世界のヒビ。崩壊か、誕生のヒビ。壊れようとしてる、でも生まれようともしてる。皆の体が散らばって、この世界は溢れてる。次は私、もう一つの使命をする」
「んー……よくわかんない。副業でもするの?」
「私は世界を観る者。全ての世界を眺める者。そして使途を見届け、生者を見定め、最後に立ちはだかる者。
――回廊の主ではない、視喪のアルフローレン」
しそう……? ってのはわかんないけど、アルフローレンて死神ちゃんの名前かぁ?
偶然、ソールコンバーションテールのボスにも同じ名前の奴が居たな。最新アップデートで実装されたボスで、白い花に人の上半身が乗っているような、体長五メートルくらいのボス。
でも死神ちゃんとは似ても似つかないから、偶然名前が同じなだけだろう。
ん……気のせいか? 心なしか、死神ちゃんの喋りが流暢になってるような……。無感情さは相変わらずだけど、少しスムーズに話してる気がする。
「観る者に感情は要らない、ただ視るだけ。それが回廊の主の私。そして、あと少しで、私は視喪のアルフローレンに成る。その前に、私はお話したかった」
「えっと……? どゆこと?」
「ガランドウル、マリルフォール、ユーステラテス、ギルガゴーレ、オルセプス、フォルカトル。主に作られた。使徒の体がこの世界で散った、打ち勝った。この世界は神に成る準備が出来始めてる。そして溢れて壊れようとしてる。最後は私、視喪のアルフローレンが審判する。視たもの全ての審判を。
喪亡するのは私か世界か。神に謁見を、神成る資格を見定める」
「あへぇ……。流石のオレでも分かるわぁ。最後の天使ってお前なのか?」
「そう」
「へー…………マジかぁ……・・・・・・」
まさかまさかの予想外だよそんなん。マジか……マジかぁ……。考えが上手く纏まらない。オレは、何を思ってるんだろう。
オレは新しいタバコを咥えながら、バンダナ越しに頭を掻く。
……マジかぁ……。
「キミを視るのは面白かった。楽しそうなキミを視たら、私も同じになれたと思った。言葉、面白い、分かれた気がした。感情が無いのに、感情を持ってた。私、惹かれた。ああなってみたいって思った。真似してみた、難しかった。キミを知りたい」
――)’$&天使なら-*+|~=殺せよ。
「<灰猟犬の牙爪>」
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「無駄だよ。こっちの私は写しの私。ここに居るけどここに居ない」
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「――、勝手に動くんじゃねぇよ……。そうだった、お前は戦いに来たんじゃいんだもんな。まだ、死神ちゃんで居てくれてるんだ。そっかぁ……お話……したいんだもんな」
「したい。知りたい。気持ち教えて」
「そう……だな」
死神ちゃんは、オレから攻撃されたってのに一切動じず、当初の目的を果たそうとしてくる。無機質な表情と、声で。
「……多分、オレってお前のこと殺しちゃうんだよ。どうしても勝っちゃうと思う。それでもいい?」
「良い。審判の結末は全部、私達の使命。抱き締めて」
「相変わらず急だな……。へいよ」
死神ちゃんにとって、オレ達が勝つ事は神に近付くことだから、それで良いんだろう。逆に、抗いきれずにオレ達が滅びるのも、それで良いんだろう。
天使は生きる為に存在してるんじゃない、神を作るために存在してるんだ。自らが滅ぼうが、それは使命の範疇であってそれほど重要じゃないらしい。
オレは、手を伸ばして来た死神ちゃんを、そっと持ち上げて膝に乗せる。そして、背後から片手で抱き締める。相変わらず……すぐに壊れそうな、儚い体なんだ……。
右手の指に挟んでるタバコよりも細いとさえ錯覚してしまいそうな、儚い体。って思ってしまうんだよ。
「抱き締められてる……」
死神ちゃんは、オレが体に回した腕に手を重ねて、そう言った。この感情が無い子は、オレの腕に何を感じているのだろうか。
「死神ちゃんさ……。もしオレがお前を殺しちゃったら、その時は許して欲しい」
「生者の抗いに謝罪は要らない。私達の審判に抗う、抗いに罪はないから」
「それでもだ。…………ちゃんと最期は、オレも殺すから」
「歪なキミ……生者を真似するキミ……冷たいキミ。その感情は何を真似てるの」
「…………分かんない。真似られてない。教えてもらえなかったから、何も分からない。でも、お前を殺すのは、オレを殺すのと同義なんだろうな。互いに空っぽなんだ。だからちゃんと、お前もオレも、殺すから」
「そう。それも感情? 気持ち、教えて」
「……これは違う……けど。お前、よく面白い面白いって言ってんだし……そうだなぁ、
うん。笑ってみようぜ。感情を知るなら、まずは形からだ」
「笑う、キミがよくしてるやつ。出来なかった。うけ、うけけ、けけけ」
抱いている死神ちゃんは顔を傾けて、オレを見上げながら言って来た。言って来ただけ、その言葉に感情や表情は何一つ乗ってない。
「笑い声を上げるのは、笑うってモノの中でも一番難しいんだよ。喜や楽の感情が一番揺れ動いてるときにするもんだからな。だから始めは、少しニコッてすることから始めよう」
「にこ」
死神ちゃんはオレを見上げながら、また声だけでそう言ってきた。
「違う違う。ニコッは口と頬を軽く動かすんだよ」
オレは一旦咥えタバコをし、死神ちゃんから手を離すと、表情が動きそうに無い死神ちゃんの顔、その頬に両手の人差し指を添えてむにってしてやる。
それだけで、形だけでも微笑みができるんだ。
「すぐに動かすのは難しいだろ。だからさ、今は手を使って真似てみな。ほら」
今度は死神ちゃんの手を持って、自分でやらせてみる。
「にこ」
陶器のような、人形のような、精巧で無表情だった顔。でも、今度は違った。言葉に感情は乗ってないけど、それでも、顔が動くと心なしか笑ってるように感じる。
「そうそう」
「知れた。分かれた。面白い。にこ」
死神ちゃんは、形だけでも真似できたことが面白いらしくて、また指で微笑みを作って見せてきた。
「上手い上手い、オレより呑み込みが早い。……もっと早くに教えて上げられれば良かったな。何でこう、もっとちゃんと深く考えて人と向き合おうとしないんだろ、オレって。でも深く考えたらダメだから、仕方ないって奴なのかもな」
オレがもし、本気で物事を深くまで考えたら、辿り着く先は底のオレだ。そして底のオレは何も分からない、ただのバカだ。深くまで自分の内に潜ったら、きっとあっちのオレと今のオレが混ざり合う。だからいつも、表面のこの仮面でしか考えないんだよオレって。
「キミ、にこ」
自分のバカさ加減にバカな奴と思っていたら、今度は死神ちゃんがオレの頬を動かしてきた。
「キミ、楽しい?」
「……楽しいよ。お前と話せてすっごく楽しい」
「にこ」
死神ちゃんは……嬉しいのか? また指を使って微笑みのマネをして、オレを見て来た。
「キミと話せた。明日、夜が開けたら世界に布告する。神を天使を、私達の存在を。あのヒビから、世界に告げる。にこ」
「これまた唐突に……しかもそれは『にこ』じゃないかなぁ……。出来れば内緒にしてくれない? こっそりさ、オレとお前だけで戦おうよ」
「それはできない。視喪は全てを視る、世界に抗わせる、それが使命。私達天使の、最後が私」
「最後のボスであるお前は、総まとめ的な感じなんですかい……」
「キミだけが頑張った。次はキミ達が頑張る番。抗えなければそれまでの世界」
「どんな感じで審判するのかは知らんけど……あんまし殺さないでもらえると助かるかなぁ……」
「キミ達の抗い方による。でも、キミには教えて貰った。キミの言うこと、少し聞く」
「そう……? なら良かったよ」
「話せた、知れた。面白かった。私、戻る。もう、終わり」
唐突に現れた死神ちゃんは、今度は唐突に帰ろうとしてきた。
「もう良いのか? まだまだ教えられることあるぞ」
「キミを知れた。私も教えたかった、私の事教えられた。したいことできた」
そう言って死神ちゃんは、オレの膝から降りた。
「じゃあもう満足か?」
「まんぞく?」
ああ……この子は知らないんだ。心が満たされるってことを。だから『したいことが出来た』で終わり。自分で決めた目的を達成したから終わりっていう機械的な判断で、帰ろうとしたんだ。
満たされる。それを知るにはまだまだ時間が足りない。でも、知らないままの方が良いだろう。満足というものを知らないまま、殺してあげた方が悔いなく綺麗に散れるだろう。
「なんでもないよ。またな……いや、バイバイ。死神ちゃん」
だからオレは軽く手を振り見送る。
「ばいばい……? にこ?」
「うーん……。バイバイってのは、去る者を見送る言葉だよ。手を振って、相手に別れを告げるんだ」
「ばいばい……ばいばい、キミ」
今の説明で本当に理解したんだろうか。でも、死神ちゃんは、オレを真似て手を軽く振ってくる。
理解は出来て居ないかもしれない。でも真似はできるんだ。オレだって出来たんだから、死神ちゃんも出来る。
そうして、オレ達は二人で手を振り合い。……………………一度、瞬きをした。
――もう誰も居なくなっていた。元通りの、一人ぼっちの夜になっている。
ここに死神ちゃんが居たことが信じられないくらいに、何も残って居ない。匂いも、気配も、体温も、何もかも残って居ない。
噴水の水が流れる音を聞きながら、オレはタバコの吸殻を燃やす。ここでタバコを吸ったことすら、消しさるように。
さよなら、死神ちゃん。
オレは立ち上がり、頭の中で別れを告げながら、家への帰路に着いた。




