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 ――記述者の無い世界記録②―― 3

「――あらら?」


 が、けたたましい音が鳴り響き、金属が砕け散る音が道場内に響き渡る。


 音が鳴るなど予想外、そして見ている光景も予想外。だが困惑、ではなく楽しそうな声色で、七は恭介を見ていた。砕けたダガーを捨て、すぐに新しいダガーを取り出し襲い掛かってくる、“斬撃を防いだ”恭介が。


「二度は無い」


 ゾッとするほど表情が抜け落ちた顔と冷たい声色、まるで別人のような彼は両手のダガーを躊躇無く七の命を奪う為に振る。


 しかし七は、後ろに引くのでもなければ防ぐのでもなく、小さい体を落として前に出ると、刀の柄頭で恭介の脇腹を突き、左側の肋骨下部二本を砕き割るほど重い一撃を与える。体を抜けるほどの衝撃は臓器の動きを狂わせるはず、砕けた骨の痛みで一瞬だけでもひるみが生まれるはず、だったのに……。恭介の動きは一切鈍ることなく、首の左右、骨が無い首の根元から体内へ刃を差し込もうとしてきた。


 七はこんな人間知らない、知らない、初めて――だったからこそ、笑い声を出しながら刀を引き抜き、殺してくるならこちらも殺すという、引かずの刀を振るい返す。


 恭介は左肩を下から上へ半分切られ、左手の狙いが逸れ空を切る。七は、首の右側根元からダガーを差し込まれ、抜かれたことにより血が湧き出てくる。


 負傷した七は、飛び退いて恭介から距離を取った。体勢を立て直すため? 違う。怪我の具合を確認するため? 違う。初めて受けた深い傷に驚いたため? 違う。


 この一瞬の攻防で七の息は荒くなっていた。そして荒い息を吐く七は、溢れる血が胴着にしみこみ、胸を伝ってお腹に流れる感覚を、この痛みを。流れる血を傷口を、片手で触れれば、その血の付いた手は、上気した熱い頬に熱い血をべっとりと付けて、この全ての感覚が熱いほど沸き立つ。


 ――その沸き立つ熱さを、熱い息を、痛みを、七はこう感じる“楽しい”と。生まれて初めて味わうほどの激しい楽しさ。楽しさが興奮を生み、楽しさがこの痛みさえ気持ち良くして、そして相手へつけた傷にも気持ち良さを感じ、今ここで殺されたいという思いと今ここであの男を殺したいという欲求に駆られる。


 躍る心が静まりを知らない。一度、笑い声が出る。二度、笑い声が漏れ出る、三度、踊る心は笑い声を止められない。


 止まらない笑いは体が止まり続けることを許さず、狂おしいほど沸き立つ心は振るう刀を躍動させた。


 奥義である抜刀術は、数回試してみてももう効かない。必ず、ナイフやダガーを犠牲に防がれる。では持ちうる剣術はというと、暗い瞳が必ず追って、当てることを許してくれない。


 知らない。今まで楽しさを求めて色んな奴と手合わせをしてきたが、こんなどこの流派でもない一貫性も無いチグハグで洗練された動きをして死ななければ瀕死の怪我を負うことさえ躊躇せず向かってくる輩など、今まで出会ったことが無い。


 彼は動くたびに血を垂れ流す。だが、その流れて床に落ちた血も、体表を滑る血も、利用して殺しに掛かってくる。僅かでも引けば的確にナイフを投擲し、動きを阻害するように見えない何かが体に纏わりつく。一瞬でも気を抜けば、そこから牙城が崩される。だがそれはお互い様で、互いに分かっているから気を抜く間など一瞬も存在しない斬り合いがひたすらに続いた。


 七は思う、この時間が永遠に続いて欲しい。この、ずっと振り続ける刀が止まらないで欲しい。と。


 斬り合い、跳び合い、けたまま強い金属音を出し合い、立会い、断ち合い、殺し合い。夜闇の相対はナナが見て来たどんなことよりも輝かしく目に映った。


 だが、この世に永遠などありはしない。そして戦いには、決着というモノが存在する。


 恭介が持つ強さは、様々なものを無理矢理繋ぎ合わせた歪な力だ。対して七の有する力は、確固たる一が存在する単純で磐石な力。その力がぶつかり合う先には、一つの結果があり、その結果は――夥しい傷を負い血を流す恭介が、道場の壁を背に凭れている姿と、興奮冷めやらない息を吐き多少の浅い切り傷を負った、惜しさと殺したさを切っ先に乗せて恭介の胸に添えている、七だった。


「もぅ……終わっちゃうの?」


「……」


 もっと戦いたい、でも、早くこの男を殺したい。だが、返事が無いならこれで終わりだ。終わるなら、死ぬかも分からない男がもし死んでしまうよりも前に、自分の手で殺す。殺したい。狂おしいほどに殺したい。


 七は、そっと、切っ先を恭介の胸に差し込む。流石に、心臓を刺されて死なない人間は居ない。


 惜しむ別れの思いも切っ先に乗せながら、楽しい時間に自らの手で終わりを齎そうとした――ところで、恭介の右腕が操り人形のように不気味に動き、刀身がびくともしないほどの力で握り込んできた。


「つか、まえた、ぞ」


 動かない、押しても引いても動かない。


 でも――彼が動いた! そのことが、驚きよりも喜びとなって七の顔に興奮の笑みを生む。


「戦い、じゃ、あんたに勝てない、分かった。けど、オレは、道場破りに来たわけじゃ、無いんだ、この刀さえ、回収できれば、良い、だけなんだ」


 じゃあ、この刀渡さない。渡さないからもっと抵抗して、もっと戦って。その思いが七の手に力を生み、意地でも放すものかと思ってしまう。


 だが、動き出した男は、あろうことか――掴んでいた刀を自らの胸に引き込み、そしてその反動で立ち上がり、刀を握っていた七の体は引き込まれてしまった。


 彼は七を抱きこむように全身で捕らえ、そして、歪な体勢で首を絞め始める。取れかかっている左手は女性を抱き締めるように締め、右手は肘をつっぱり体の間へ差し込んで正面から七の首を捉えていた。


 更にこの強引な締め上げは、二人の体中に糸が纏わり付いて離れられず抵抗できない。ならばと未だ握って体に刺してある刀を動かそうとするが……まず、手の感覚で分かる。この刃が、命に届いてない事を、心臓を貫けていないことを。そして、刀は万力のような体で締め上げられ、糸も絡まり、僅かすら動かせないことを。


 七は苦しい、息が出来ない、このままでは負けてしまう、折角殺せそうだったのに、折角ここまで殺したいと思った相手の命がすぐ側にあるのに……だが、その思いは悔しさにならない。寧ろ、この初めて感じる息苦しさが、抵抗する手段が断たれたことが、何より、生まれて初めて負けそうになっているのも……これはこれで楽しいから、今感じている事全ても気持ちが良い。


 七のこの男に勝ちたいとこの男に負けたいは同価値であり、薄れ行く意識の中に感じるのは気持ちい楽しい負けさせてという思いだ。意識がぼやけるほどにその気持ちが頭を支配し、別にこのまま死んでも良いし、意識を失った後刀を持ってかれてもどうでもいい、とにかく負けたい、とにかくとにかく、どんな形でも良いから負けたい。無条件の敗北が欲しいのではない、出し切った果てに、認めた相手に負けさせて欲しいのだ。


 そして薄れる意識が敗北を悟り、恍惚の表情を浮かべながら、心が敗北したことを実感して一番気持ち良くなった瞬間に――――電源が切れたように恭介の体は活動を止めて、意識を手放す寸前のところで七の首を絞める手から、体を締める腕から、力が抜けて行く。締め付けていた糸は緩みが始まり、二人の体はゆっくりと床に落ちて、最後にはぺたんと女の子座りをする七へ、活動停止状態の恭介が力なく凭れ掛かってきた。


「……あら……? あらら……?」


 これには、七も本心から困惑する、予想外だった。まさか、負けを自覚した瞬間に、恭介の勝利が決定するはずだった。のに、状況だけ見れば意識を失った恭介の負けでもあり、だったら自分は勝者だけどさっき心から負けを認めたから――


「あらぁ……? あらぁ……」


 ――勝ったの? 負けたの? どっちでもあるけどどっちなの? と、思考をグルグルさせながら、恭介の頭を胸に抱いてぽんぽんしながら考える。


 一応、勝ったには勝っただろうけど、心の中で敗北を認めたのだから、七の中では負けたことになっている。でも戦いの結果は傍から見れば七の勝ちでもある。


 宙を見つめながら、恭介の頭をぽんぽんしながら、『んー』と考えていた七だった。が。


 背後から近づく足音が、七を呼んだ。


「手ごわかっただろう。俺の親友は」


 そういうと、双間は七から恭介を引き剥がし、刀を体から抜いた挙句恭介の体を投げ捨てた。


「ちょ!? ソーパイセンなんてことするんスか!? あ゛あ゛ーーーー! キョーパイセン死なないでぇ! 起きて、起きてぇ!」


「起きてるよ生きてるよ体動かねぇんだよ」


「どひゃああああああああ!?」


 背後で起こってる騒ぎはさておき、七は、双間が自分の側に落ちている鞘を拾い上げ、血がついた刀身を胴着の袴で無遠慮に拭いてから納刀する姿を見る。


「それ、あげる。私負けちゃったから」


「言われずとも持って行くつもりだ」


「どーしてあの子心臓刺したのに死なないの? どうやったら死ぬの? 殺せる?」


「あのバカはその気になれば臓器を動かせる。俺も教えてもらい習得はしているが、好んではやらん、気持ち悪くなる。

 アイツが死なないのは、死なないギリギリのラインを知っているからだ。そのラインへ触れるか触れないかまで攻めている為不死身に見えるが、死ぬぞアイツは。死なない奴が死のラインを見極める事はできない」


 双間からの回答を聞いた七は思う。やっぱり死ぬんだ、じゃあ殺そうとして殺せなかった自分はやっぱり敗者だ。改めてそう思うと、背筋にゾクゾクと走る感覚があって、その感覚にうっとりとした表情を七は浮かべた。


「……メスガキが」


 そんな七を双間はフードの奥から一瞥すると、ぼそっと言葉を呟いてそれ以上は何も言わず、恭介の下まで戻っていく。


「しょーまぁ……治療お願い、オレの糸使って縫合やって、全然雑で良いから……」


「傷跡だらけのお前の体に今更雑も丁寧も無いだろう。治療セットは……車の中か。代用品は……拷問用のダーツが丁度あるな」


「……え、お前先尖ってればなんでも良いって思ってんの? じゃあ雑で良くねぇよ丁寧にやれやコラ」


「あたしが取ってくるっス! ……でもでも夜の森怖いっス!」


「三人とも、もう遅いし家に泊まってって良いわよ。お裁縫の道具もあるからそれ使いなさいな」


「ありがてぇ……正直、旅館まで戻る元気なかったから嬉しいわ。お礼にあんたの傷綺麗に治すからそれ宿泊代ってことで」


 戦いの終幕を迎え、手放した刀に執着を見せることの無い七。あんな殺し合いの終幕後にしては軽やかに、彼女はしとやかだがうきうきで先を歩き、恭介は二人に抱えられながらこの家に一泊することとなった。

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