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 ――記述者の無い世界記録①―― 7

 徹夜した二人はそのまま大学へと向かい、ココアは部屋に一人残される。


 いつも通りの一日だ、いつも通りのことをしよう。


 そう思ってココアはドリルを解いたりパソコンを触ってみたりマンガを読んで見る――――が、今夜が楽しみで落ち着かない。二人はずっと、お勉強で忙しそうにしてた。でもそれも今日で終わる。


 何をしても手につかない、それでも何かしてないと落ち着かない、しかし何をしても落ち着かない。もどかしさを抱きながらも、時間が過ぎて空腹を感じていたココアだった、が、今夜の事を考えてお昼ご飯も我慢しようか悩んでしまう。


 どうしよう、なにしよう、早く二人が帰ってこないかな。


 ずっとそのことを考えて落ち着かない時間を過ごしていたココアだった――――が。


 アパートの外から聞こえてきた足音に耳が反応する。その足音は二人ではない、複数だ。一人暮らしようのアパートにしては多すぎる足音を、ココアはここに来て聞いたことが無い。また、恭介と双間の足音は無音か、ほとんどしない故この足音は絶対に二人のものではないと分かる。


 では何者達の足音なのか――を、考えるよりも前に音は部屋の前で止まり…………チャイムを鳴らすことなく、部屋のノブを乱暴に動かす音がリビングまで鳴り響いた。


 ココアは――ココアは――――体から力が抜け落ちたようにその場から動けなくなる、否、動かなくなる。怯えることもせず、隠れることもしないその姿は、慣れて染み付いた諦めを表しているかのように。


 硬質的な物質がぶつかり合う音がすると同時に、玄関の開いた音がした。床を靴で叩く音が沢山中に入ってきた。スーツを着た四人の男達が、リビングの扉を開けて入ってきた。


 もう、ココアは考えずとも彼らが何者か分かってる。分かってるから、こうなった。


「……」


「会いたかったよぉ、ココア。ダメじゃないか家出なんてしちゃあ、どっかで野垂れ死んじまってんじゃねぇかってみーんな心配してたんだぜ?」


 優しい――というよりは、ココアを舐めているようなネットリとした声を、男が掛けてきた。男達だって分かってる、ココアが商品としては一級品だが、人間としてはからっぽな奴だと。逆らうほどの意志を持っていないことを。


「ココアはこのまま連れてくとして、どうしやす? 強盗に見せかけやすか?」


「バカな事言ってんじゃねぇ、家の商品を大事に保管してくれてたんだぞ。

 たしかここ借りてんの大学生のガキだろ? 玄関の修理代含めて多めに色付けといてやれ。金積んどきゃ理解してくれるだろうよ、色々と」


 そう言ってスーツの男は、部下と思われる者に指示をだして三百万ほどの札束をテーブルへ投げさせる。


 乱雑に、大学生のガキと舐め腐っているように投げられた札束の音を聞いても、男達の会話を聞いても、何をされても何をしても、ココアはただ呆然と座り込んでいた。現れた男達を前に、彼女は“楽”を選んだ、全てを諦め生きてるから生きてるだけの呆然としていた自分を選んだ。


 彼女はただ連れて行かれる、人形のように。


 ――――


 ――


 テストも終わり、足早に帰った二人は……壊れた鍵と、もぬけの殻となった部屋を見て、両手に持った大量の買い物袋を床に置く。


「へぇ……」


 恭介から放たれる声に焦りや怒りなど見られない。否、もはや感情すら、含まれて居ない。


 ゾッとするほど無表情な顔、虚空の如き死んだ目がズルリと動いて何処かに向いている。


「そういうことするんだ…………殺すか」


「ああ」


 現状への混乱や、何が起こったかを話し合うことなく二人は家から出て行き、バイトの道具が保管してある貸しコンテナへと足を運んだ。


 * * *


 男達に連れられたココアは、自分が勤めていた何時ものビル――ではなく、高層ビルの最上階へと連れて行かれる。


 そのビルの最上階は式典やパーティの会場として用いられ、裏には控え室が用意されていた。ココアはそこでスタイリストやネイリストによって身支度を整えさせられた。


 彼女等もこの後に何が待っているか分かっている。ココアも、場に漂う空気で何となく感じている。でも、ココアにとってはもうどうでもよかった、また呆然と生きる方が楽だ、店で染み付いた客へ見せる偽りの自分で居れば良い、もう二度と逃げることなど出来ないだろうから余計な希望を捨てて楽しかった数日を忘れて何も考えずボーっと生きるだけ。


 時間になって彼女は呼ばれた、呼ばれたから呼ばれた通りに男達の背を追う。――途中で、また見覚えのあるような男が立っていた。だが、ここでも互いに言葉を交わす事は無くすれ違う。


 連れられたココアが立たされたのは、カーテンが閉まっているステージだ。そこには一つの椅子が用意されている、勿論ココアが腰掛ける為のものであり豪奢な造りだ。その豪奢さは彼女を皆が迎え入れると同時に、ここがお前の居場所なんだよと突きつけているようでもある。


 ココアは男達から促されて腰を下ろすと同時に、話しかけられる。


「このカーテンの向こうに居る皆様方は、お前の帰りを首をながーーーーくして待ってくれた、大切なお客様達だよ」


「ココアのことを探す為に出資してくださった方も居る、権力を使って探してくれた方も居る。今日はそんな皆様へ、体で一杯のありがとうを返してやろうな」


「狂ってるぜ金持ち共ってのはよ。俺ァヤってるとこなんざ人に見られたくねぇよ気色悪ぃ。けどよ、カーテンの向こうに居る奴等ドモは自分がお前を一番気持ち良くさせてやれるんだ、自分こそココアの一番なんだ、って、皆に見せ付けたくてたまんねーらしい」


「愛されてるねぇ、ココア。これからもその体でバカな金持ち共から搾り取ってくれよ、金も精も。終わったら俺達の相手もちゃんとしろよ」


「……」


 ココアは返事を返さない。無言で首をコクリと動かすだけのその様は、人形の首が揺れただけのようにも思える。だがその姿こそが、今ステージに居るスーツの男達が良く知るココアの姿だった。


「じゃ、そろそろ始めっか」


 男の一人が言葉を放つと、他の三人は表情を引き締め厳つさをかもし出し、さながらボディーガードのようにココアの側で待機した。だが、人を守るというよりは商品や展示品を守るようであり、そして同時に監視員のようでもある。


 男がステージ脇へ合図を出すと、カーテンが独りでに開き始めて照明がココアを華やかに照らし出す。化粧や髪を整え、豊満な体を扇情的なドレスで飾った、照明の光りをも柔らかに吸い込む肌をしたココアのことを――会場横の大窓から写る夜景よりも美しく、どんな夜の女よりもエロい女を。


 その姿が表に出れば、見た者達は感嘆の声を漏らす。その声を聞いたココアはもはや何も考えず、ただ顔を上げて、そして何時もの媚びた、営業スマイルと雰囲気を醸しだそうとする。


 彼女が目にしている光景は、数多くの男達が、立食パーティのように会場に立ち、こちらへうっとりとした顔を向けてくる光景だ。皆、気持ち悪い男達、気持ち悪い視線を向けてくる男達、自分に男の欲望を向けて吐き出してくる、上辺だけで接してきてた奴等。


 もう、店で慣れているはずだった。こんな場所でも、みんなの前でも、犯されても、上辺だけ浮かべて頭をボーっとさせてればいいはずだった。


「ココア、さっそくキミから皆様へただいまの一言を――」


「――――おい、笑え」


「……」


 男の一人が、こっそりと声を出してココアへ言葉を向ける。


 だが、ココアは分からない。自分がいつも、どうやって気持ち悪い男相手に笑ってたかが分からない。顔の動かし方が分からない、リップサービスでどんな言葉を言っていたのかも頭に思い浮かばない。


 会場の男達は、呆然としているココアを見て、『緊張してるのかな』やら『僕に会えて感激してるよ、かわいいなぁ』やら『流石にみんなの前じゃ恥ずかしいのかw?』など、的外れなことを言っている。誰も、自分のことを分かってくれていない。皆、自分本位の言葉ばかりぶつけてくる。一人も、ココアのことを考えた言葉を向けてくれない。


 分からない、分からない、分からない。笑顔の浮かべ方も、ボーっとする方法も、気持ち悪い男達が何を言っているのかも、何も、全部、分からない。分からないが頭のなかでグルグルと周り、自分が何なのかすら分からなくなりそうになる。


 混乱する頭のなかで、考えてないというのに浮かんでくることがある。分からなくなればなるほど、今日まで過ごした数日の日々が、たった数日だけの日々が、何度も何度も思い出される。目の前にしていることが考えられなくて、振り返ってしまう日々の中には浮かぶ顔があって――そうだ、自分は、一人ぼっちになってしまったんだ。


「……」


 呆然としているココアの目から、静かに涙が流れ落ちる。


「は、ははは。お集まりの皆様、どうやらココアはこのサプライズに感激を――」


「――さん、そー――ん」


「お、おお! ココアからも何か言いたい事が――」


 男はマイクをすぐにココアへ向ける。この女が、空っぽな奴が、今更何をすることも無いと思っていて。


 だが、ココアはマイクを向けられなくても叫びたかった。その叫びに意味はなくとも、ただ、あの二人の名前を叫びたい衝動だけが体を動かす。ここで叫ばなければ、この思いを捨ててしまえば、あの二人がくれたものを全て失ってしまうような気がして。


「恭介さん! 双間さん! 私、ココアだよ! わたし、ここあ、なんだよ!」


 スピーカーから出る音は割れ、会場の窓をビリビリと揺らしながら会場中、引いてはこの階層中に響き渡る。


 その行為に、スーツの男達は、会場の男達は、あっけに取られた。ココアが大声を出すことなど、ましてや泣いて叫ぶ姿など、今の一度も見たことが無かったために。


 しかし、この行為を不味いと思ったスーツの男は、一旦場を治めココアに何をしてでもいつも通り振舞わせようとした――が、それよりも早く、更なる混乱に見舞われる。


 ココアの声が会場を揺らした直後……大窓が割れる音と共に一人の男がこの会場へ姿を現した。


 ガラスに塗れた服を掃い、会場全ての視線を引き付けて立っている男。バンダナをし、スカジャンを着た、目を瞑っている、なよなよしい青年だ。そんな青年が、高層ビルの最上階にある窓をぶち破って突貫してくるなど、異常だ。だが、異常に異常が重なった状況ですぐに動ける者など、この場には居ない。見舞われた混乱と無意識の正常性バイアスでバカみたいに立ち尽くす男達の前で、青年はガラスを落としながらココアへと近づいていく。


 ふらふらと歩く姿は、ココアが良く知る知る、歩き方だ。纏っている軽薄そうな雰囲気は、いつもココアの側に居てくれた人だ。でも、ただの男の子がこんなところに現れるはずが無い、ましてやあんな危ない事をするとも思えない。 


 ココアは夢を見ているのではないかと思ってしまう。現実の自分はマワされて気絶していて、今見ているのは束の間の夢なのではないかと思ってしまう。


 ココアもまた、皆と同じように呆然としている中――青年は側まで、寄った、ところで。流石にスーツの男達が黙っていない、としか思えないというのに、何故か動かないまま青年を見逃し、そして彼はココアの側にしゃがみ込む。


「ココア」


 軽薄な声、は、ゾッとするほどの無表情と開かれた暗い目をした男から放たれた。頭に乗せられた手は死ぬほど冷たい。


 だが、それがどうした。空っぽで無機質な彼女にとって彼が無表情など些細なことだ、名前を呼んだら駆けつけてくれて、名前を呼んでくれて、なでなでしてくれて――もう、彼が、恭介が居てくれればそれだけで良かった。どんな恭介でも、ココアにとっては恭介で、それだけで混乱していた心もほっとしてしまう。


 頭をなでられ名を呼ばれた彼女は、それを皮切りとして子供のように泣きじゃくり始めて、恭介の体に抱きつき大量の涙を服へとしみこませる。


 それはまるで、囚われのお姫様が恋する王子様に助けられたことを喜んでいるようで――会場の男達からしたら面白くなかった。


 現状、このビルはそういう者達が集まりそういうことをする為に、警戒の体勢を敷いてある。権力と金は、ここで起きる事を外に知られないようにする為と、世間から自分達の安全を守るために使われていた。だがまさか、半分テロのような行為に見舞われるとは思っておらず、そして現れた男はたった一人でそして若い、何より立ち振る舞いがなよなよしていて弱そうだ。


 たった一人の、一般人っぽい青年が、この場所で変えられることなど何一つとしてないと思い、そして性欲とココアの事しか考えていない男達は声を上げて青年に言葉を向けようとする。


「お前――」


「良くある良くある、お前は誰だ、何なんだ、俺達を誰だと思ってるんだ」


 青年は男達に背を向けながら立ち上がり、タバコを咥えて目を閉じたまま振り向いた。


「もうね、何度も聞き飽きてんだよ。行き着く先は、『金ならある』『望みがあるなら言え』の命乞いだ。聞き飽きたから、それももう言わせない」


 タバコの煙を吐き出しながらゆっくりと話す彼の言葉は、窓から入る冬の冷気より冷たく、冷淡だ。


 だが、会場の者達はその聞き飽きたを言えるほど、青年に重みや圧のようなものを感じない。若い男だし、ゲームやマンガ、ドラマのことを思い描いて話してるのでは無いかとすら思う。そもそも自分達がもし、危機的状況になってもそんなありきたりな言葉吐くかとさえ思い、青年からバカにされてるのではないかと感じてしまう。 


 男達から向けられるのは、俺のココアの前でカッコつけて調子乗ってんじゃねぇぞ勘違い野郎、だった。


 何故男達がここまで悠長に、そして余裕で居られるかというと、まず第一に挙げられるのは早くココアを皆へ自分のものだと見せ付けてやりたいから。そして彼女が居ない間に溜めていた性欲を早くぶちまけたいから。加えて、弱そうな青年一人を前にしたところで、こちらは大勢居るし自分達の背後にはこの会場を守備する者達がビル中に待機している。


 男達から見る恭介は、安そうな服を着て自分達よりも下の階級であり荒事にこれっぽっちも慣れていなさそうな貧乏人だ。この会場には裏の繋がりや、そもそも裏の仕事をして居る者、殺し屋攫い屋などを利用している者達も居る、だが、彼等から見ても恭介からはそのような気配を微塵も感じない。窓をぶち破って現れたことすら霞んでしまうほど、弱っちい男にしか見えない。


 性欲とは本能だ、欲しい女が目の前に居てそれを奪われそうになれば更に闘争心という本能が芽生える。更に拍車をかけるように、ココアは二人と居ない最高の体を持ってる女だ。どれだけ金を積んでも彼女を失えば、二度と同じ存在には出会えないだろう。


 この場に居る荒事が得意な者、格闘経験がある者、そしてそうでは無い者も、自分達を舐め腐っている青年を相手に暴力を向けようとする。ついでに、どうせここで死人がでようとも後々揉み消すのだから、事故を装って他の男も、あの偶然空いた窓の穴から落としてやろうとも考えてしまう。


「まぁ、そう焦らないでよ。どうせあんた達が何を考えていて何をしようと何も変わらないし、オレも変える気なんてないから」


 余裕そうな態度を取っている青年が腹立たしい、内心は焦っている癖にココアの前でカッコつけたいから必死に焦りを隠しているようで腹立たしい。目を瞑っているのも、きっと怖いからだ。


 男達は動こうとする。――自分の体へ纏わり付く、微かな蜘蛛の糸のような感覚にも気付けずに。


「やだねぇ。チンコ向き出しにしてる男達って。ココア、あんなの見ちゃダメだよ」


 目を瞑ったままの恭介がココアを抱いて胸に顔を埋めさせたのもムカツク、それを自分のココアが受け入れているようにも見えてしまうのが苛々する。


「気合入れて血行促進のお薬飲んできた人達、バッキバキにしてるのは良いけど気合の代償は高く付くよ」


 男達は歩く、勇ましく――歩く――歩、く――歩け――無い。


 歩みを進める毎に、何かが体に纏わり付いてくる。頭に血が上っていて始めが気付かなかった感覚が、確かな実感となって体に纏わりついて、段々ともがく事も出来ないほどに体を締め付けてくる。


 だが、男達の視界には何も写らない。何が自分の体に纏わり付いているのかが理解できない。


 次々に混乱と困惑の声が上がるが、それは全て青年へと向けられ怒号になりそうになる――


「何しても変わらないんだから静かにしててよ」


 ――が。青年が手を宙へ振りぬくと、何処から悲鳴が上がった。辛うじて動かせる首を動かしてその声を辿れば、一人の、高校生くらいの男の耳が落ちて顔へ血が流れていた。何が起きたのかは分からないが、動けない状態で一方的に危害を加えられたことだけは分かる。


 何が起こったのかがわからない。分からないが、この状況は不味い。蜘蛛が見えない巣を張り獲物がまんまと掛かったようなこの状況は、ようやく男達へ危機感を持たせた。


 だが違うのだ、危機感を持とうと持ちまいと、こうなることに変わりがない時点で、彼らに救い等存在していないのだ。そんなこと、特にこの平和な国では最初から気付ける者など居ないだろう。


 しかし、危機感を抱いたとしても男達にはまだ手立てがある。このビルに居るのは自分達だけではない、大勢の手の内の者が居る。彼等彼女等は自分たちよりも荒事や護衛に長けている者達だ、このような事態にも対処が出来るであろう者達だ。故にその者達が自分達のコトを――と、思うと同時に、こんなことがあっても未だ現れない彼等に疑問を抱いて、辛うじて動く首で縋るように会場の入り口へ眼を向ける。


 その光景に、恭介はため息にも似た煙を吐き出して、ココアを抱き締めながら頭をなでていた。


 来ない、誰も来てない、だがすぐ来るだろう。慢心にも似た思いに応えるように……扉はすぐに開かれた。乱雑に、蹴破るように。


 その開かれた先には――黒いコートと紅いマフラーをした男が立っていて、なにやらキャリーケースを引いている。皆は思う、アレは何処の誰が雇った護衛だ、と。だが少なくとも、現れた性別不詳、辛うじて体格から男ではあるかもと思われる彼は、皆からそう思われるほどの風格をかもし出している。


「首尾は」


 静かで鋭い声は、誰にかけられたものだろうと、疑問を抱く、が。


「屋上と最上階は完了。この会場以外は全員殺してあるよ」


 問いに答えたのは、自分達側の誰でも無い者であり、まさかのあの青年だった。


「そっちは」


「それ以外を全員始末した」


「職員も?」


「当然だ。見てみぬ振りをしている時点で同罪だろう」


 二人が交わしている言葉は、何を言っているのかが分からない。だが、少なくとも分かることがある。現れたフードの男に、血は付着していない。だが、会場を悠々と歩いて自分達の間を抜ける足跡は、血でその足取りを床に残している。ならば、この男は一切の返り血を浴びることなく人を殺し、血が流れる床をブーツで踏んで歩いてきたこととなる。


 それでも、馬鹿な一人はすれ違い様にフードの男へ助けを求めた。ただ、もう、何でも良いから自分が助かりたい為に。


 その回答は、無言で脇腹を握られ、強引に肋骨を砕かれる結果に終わり――助けを求めた結果は、苦しみの呻き声となって皆の耳に届く。


 敵だ、確実にフードの男も敵だ。


「双間さ――」


「いい、今はこのバカにただ甘えていろ」


 合流した二人に心の温かさを感じ、ココアが双間へ顔を向けようとして強引に双間の手によって顔を恭介の胸に埋めさせられる。これからの惨状を見せないための双間の気遣い、ではない、本当にココアへ掛けた言葉が全てだった。


「こうやって長々と待っていてやったのも、わざわざあんた等に付き合ってやったのも、どうだって良いんだよ。別に今の今まであんた等が死のうが生きようがどっちだって良かったよ。どうせあんたら、全員死ぬことには変わりないんだし」


「だが、俺達のココアへ手を出し、泣かせたというのなら凄惨さをくれてやろう」


「まずは、死と遠い生活をしてるあんた達に、優しい死に方を見せてあげよっか」


 恭介は指を動かす。すると、段上に立っていたスーツの男達が、操り人形のように動いて割れた窓へと近づきだした。


 会場にいる者達は、ココアや恭介、そして双間に目を奪われて今まで気付けて居なかった。目にしている今でも気付けて居ない事はある、だが、窓へと近づくスーツの男達は皆、口を開こうと必死に顎の骨を動かし、しかし唇が開かず、呻き声や喚き声ならば出せるというのに、まるでそれも出せないように、まるで、外傷がないのに声帯を切られたように、声という音を発しようとしても発せられないようだった。


 そして、人の死を軽んじる、冒涜するかのように、操り人形となった男達は窓から身を投げて落ちて行く。命が消える様にしてはあっさりとしているが、あっさりしている分死の重みを感じない、実は何かの演出で本当は生きてましたと言われたほうが納得するほど、彼等の投身に死を感じられない。


「死に慈悲があるなら、最たる例は今のだ。尤も、落ちた瞬間だけがデモンストレーションであって、落ちた先じゃこんな高さでも死ぬに死ねず苦しんで死んで行くだろうよ。だって、まだ、糸繋げたままだもん」


「一々死を語ることすら面倒だが、平和に胡坐を掻いていたゴミどもへは向けられた切っ先を態々説明してやる。逃れられぬ恐怖の意味を知り、突きつけられた絶望を味わって死んで行け」


 二人の言葉は止まると――――会場の男達の目に映ったのは、恭介がようやく目を開き、ゾッとするほどの暗い瞳を皆に向けながら口を開いて舌を垂らした光景だ。


 その瞳だけでも、ゾッとする者は居る。だが、恭介の暗い瞳で、開いた口から、垂らした舌には、羽の生えた昆虫が這っていて、虫を平然と、今まで口内に納めていたことに、更なる恐怖と気持ち悪さを覚える。周りが彼をただの青年と思うことは、彼がただの青年であると証明する理由にはならない。始めからただの青年ではない彼は、誰もそのことに気付けないほど、逸脱した異常さを持っているだけだった。


「コイツは、モンスズメバチって言って――まぁ、説明しなくても分かるでしょ。重い羽音を振りまいて、敵と思った奴等を毒で殺す虫だよね。良かったね、オレ達が用意した子達は皆メスだよ。あんた等メスに群がろうとしてたんだから、メスに群がられても嬉しいでしょ?」


 バンダナの青年は、舌から飛んだ蜂を周囲に纏わせながら、言葉の最後で指に停まらせた。


「そのキャリーケースには、モンスズメバチのメスがいっぱい入ってるよ。でも良かったね、ここは外気が入ってきて寒いから時間が経てば死んじゃうよ、オレ達もそんな非道な人間じゃないから、一人分の血清も用意してあるよ」


 語る青年は、ココアを抱いたまま、フードの者と共に会場を歩いて出入り口へと向かっていく。


「動けないまま、重い羽音に迫られて、女の子達から刺されりゃそりゃ死ぬよ。でも、死に物狂いでキャリーケースにたどり着けば、生きられるよ」


「無様にもがけゴミ共が」


 恭介は側で飛び続ける一匹の蜂へバイバイをし、乾いた拍手をする。双間は、懐から抜いた銃を手にキャリーケースの端を掠めて穴を開け、中に充満する蜂を解放して――彼等は扉を閉めた。


 そこからは、蜘蛛の巣に捉えられた男達が必死にもがいて絡まる何かから逃れようとする光景のなかで、次々刺されて体に毒が回り苦しさと熱さと痛みに悲鳴を上げる。迫る羽音は生理的嫌悪を掻き立たせ、悲鳴を上げれば蜂が口の中へ入り、悲鳴を上げずとも服の中や耳、鼻に、蜂が入って体を犯してくる。


 阿鼻叫喚の地獄絵図は、それでも生存するために死に物狂いで、服や肉が裂けても見えない何か――糸から逃れて、ある者は会場の出入り口を目指す。しかし、必死に動かしても扉はびくともせず、逃げ道が無いことを突きつけられ抱いた希望は絶望に変わる。背後の事実を認識した者、そしてはなから血清を目指した者達は、互いに蹴落とし合いながら毒の回る体を動かしてキャリーケースに向かってみれば――中にあったのは、『何でオレ達の言葉信じてるの?』という、煽り文句が書かれた紙一枚だけだった。


 パーティ会場であったはずの場は、前に進めど後ろに引けど、何も変わることのない現実だけがあり、せめて存在するのは叫び声と無数の羽音だけだった。それでも、まだ、幸運で生き残れると思う者もいる。その思いも様々だ、自分は人とは違う、神様が救いを齎してくれる、国へ多額の金を収めた、多くの政治家の手助けをした、俺は高校で何しても許されるし部活で活躍したし女にモテてる、ワシはこの歳まで学会の発展に尽くした功績がある、俺は幸運に味方されて成り上がることが出来たのだからここでも幸運が味方してくれる。


 死んで居ない者達は、自分達が誇れるような物事を、大小様々であっても、希望的観測に私欲と自己顕示が混ざる自尊心を込めて、自分だけは大丈夫と思う。


 ――……。


 ――エレベーターを降り、血みどろのエントランスを歩く、ココアを抱き締め続ける恭介と、死体を意に介さず踏みつける双間は。


 タバコに火を点けて、互いにポケットから何かのスイッチを取り出す。


「リストアップした中でここに居なかった奴等どうする」


「変わらん、殺す」


 二人は現状を終わったことかのように言葉を交わして歩く。


 そんな二人のやり取りに、ココアは疑問なんて持たなかった。ずっと、恭介が抱き締めてくれることが好き。もう、それだけあれば、あの気持ち悪い男達がどうなっていたって、生きてたって、死んでだった、どっちだって良い。


「――」


 そんなココアの耳に、二人以外の足音が聞こえる。誰だろう、ふとそう思って動く頭は、恭介や双間に止められることも無く自然と音へと向かう。


 その視線の先には、エントランスの柱から少しだけ体を出す男が居た。タバコを咥えた、スーツ姿の男が。


「……終わったのか」


「じゃなきゃここに居ない。情報提供ありがとよ、あんたのおかげでリストアップの手間が省けた」


「どちらにしろ結果は変わらんがな」


「……礼だ」


 ココアには、三人が交わす言葉の意味が分からない。たが、スーツの男はシュガーボックスを手馴れた手つきで軽く振り、恭介と双間は二本のタバコを足りうる対価として受け取っていたことは分かる。


「……バンダナもフードも、本当の顔はそっちか。信用した以上だったな」


「だったら何」


「……いや。接触されたときは驚いたが、信じた甲斐があったってだけだ。お前等が全部潰し終わって、俺も残された子達の手配が終わったら、けじめを付ける」


「自己満足をしたいのならば勝手にやってろ」


 三人が言葉を交わす中で、そして言葉を交わし終わっても、静かに煙を燻らせる。


 ココアが見覚えのある男は、お店から逃げたときも、先程すれ違ったときも、言葉を交わす事は無かった。そして今も、互いに立ち止まって近くに居ても、言葉を交わすことは無い。男からも、意識も視線も言葉も向けられることは無い。


 だが、だが、最後に、くゆるタバコが灰を尽きる前に、男は去る背を向けながら、たった、一言だけを、呟いた。


「…………幼稚園って、嘘を付いて済まなかった」


 それはまるで贖罪のように、過去の行いなど洗い流せることは無いと分かっているように、たった一言の嘘がずっと心残りであったかのように、心愛がそんな嘘をとっくに分かっていてることを知っていても、その言葉だけはずっと、伝えたかったかのように。


 それ以上は何も語らず、去る男の背中に掛ける言葉をココアは知らない。名前も知らない、あの男を呼ぶための何をも知らない。それでも思い出す、あの人は――あの人、は――。


「――っ! ご飯とお水、ありがとうございました! 私、死ななかった! 生きてます! あのお店連れてってもらえて、生きました! あの日、私が逃げ出したとき、見逃してくれたおかげで、ドリルもいっぱいお勉強しました! 楽しいこと、沢山知りました! 心が美味しいって思うご飯も知りました! いっぱい、たくさん、もっと、もっと! 色んな事、ほんとーに、色んな事、知りました!」


 ココアにとって、彼はそこまで思い入れのある人物ではない。今の今まで、言葉を向けられるまで、見たことがある程度の認識の人物だったから。しかし、それでも、彼が居なければココアは死んでいて、彼が見逃してくれなければココアは恭介と双間の二人に出会えてなかった。


 だが、彼は心愛へ名前を知られることを、自分が知られることを望んでいない。ただ通り過ぎ行く者であることを望んでいる。語らずとも感じるその背は、心愛にこれ以上何かを言う事はなかった。


「……任せるなんて言う資格も無い。だが……頼んだぞ」


「あー……あいよ」


「そうか」


 男が心から発した言葉に、無関心とも思える声を返す二人。男はエントランスの入り口ではなく、表から出られないように柱の裏に消え、ココアが彼の姿を見送る頃には恭介と双間もこのビルを出て行くように堂々と出入り口へ向かう。


 依然彼等の手には何かのスイッチが握られていて――それでも押されず、ビルから離れた地点まで移動してから、ココアも促されるようにして三人はビルへと体を向ける。


「ココア」


 どんなときでも、まず最初に自分へ声を掛けるのは恭介だ。恭介だった。だが、この時は、双間から声を掛けられた。二人を知っているココアだからこそ、そのことに驚いて双間を見る。


 その傍で、恭介はタバコの煙をくゆらせながらビルに目を向けて、そして双間に目を向けて、ココアにも眼を向けて――と言い表すしかないほどに、瞳ではあらわせない視線をしていた。


「このバカは、お前を本当に大切だと思っている。コイツは語りが多くとも殺す対象に死の意味を与えることすらない奴だ。最期の言葉はおろか、無様な断末魔すら求めない、死が死であるならそれで良しとする、傀儡くぐつだ」


「お前も似たような奴じゃん」


 恭介は視線を向けることなく見て、ビルに視線を向けている。


「俺が似たような奴だからこそココアに言っていて、俺は決して傀儡ではないからこそ言っているんだ。そしてお前がココアの為に無理をして口を動かしていることも分かってる」


「――さすが親友」


「ココア。お前は今、人間の仮面を剥いだバカが側にいる。虚構の人間を前にしている。それでも、お前の為を思って動いていた傀儡に何を見る」


 タバコを吸って、片手にスイッチを持つ二人の間で、ココアは問いを向けられる。微かに思うことがある、普段騒がしい恭介の口数が少なくなると双間が沢山喋るんだな、と。だが、そう思ったとしても。


「難しいことは分からない、けど……お兄さんはお兄さん……きょーすけ、さん……だし、双間さんも、双間さん、だよ?」


 二人が、自分のことを大切にしてくれてることは確かな事実だ。ココアにとってはそれが一番大切なことで、それがあれば他には何も要らない。


「こんな事言われて、どうすれば良いんだっけ。ソーマ、頼む――――痛ァい!」


 ココアの目の前で、双間は恭介の頭をぶん殴った。どんな恭介であっても、分かっているように振舞う様は、だからこそ静かな恭介を騒がしい恭介へと戻せたのだろう。


「ん~~~~っ! ココアー!」


 そして、騒がしい恭介はココアをぎゅーぎゅーに抱き締めてくる。先程までの静かな恭介から、急に変わった恭介へ不思議さを向けることなどない。ココアは、恭介が恭介だから抱き締められるのが大好きで、どんな彼だって彼であればそれだけで良い。


 寧ろ、ぎゅーぎゅーに抱き締められることが、他の何を差し置いてでも、ココアには幸福で、埋まった顔が心から沸き立つ幸せににやにやによによとしてしまう。


 もう、気持ち悪い男達に晒された視線とかどうでもいい、あんな男達の前に座らせられてたとかどうでもいい、泣いたこととかどうでもいい、もはやあの男達がどうなったかすらどうでもいい、興味関心が一切沸かない。この、恭介からぎゅーぎゅーに抱き締めて貰えることに比べれば、この世のどんなこともどうでもいい。


「ふぅ、やれやれ。

 そろそろゴミ共も毒の苦しみ晒され、良い頃合だろう、ココアに執着して居た者共が、もはやココアから関心すら向けられることなく死ぬ。幕引きには十分だ」


「ここで糸を使って、『ココアはオレのモンだ』って言えれば良いんだけど、まぁこんなオレですから、んなことは言えない。ってなわけで」


「モノにしたい女からは眼も向けられず、哀れさすら自覚できないまま死んで行く様こそ最も哀れであり、死したゴミ共がこの後の報道される虚偽の汚名こそ口のない死人への最もな侮辱だ」


「『上流階級による秘密の、高級なお排泄物を上と下の口で食べる会 IN 男達だけの乱交パーティ! ――中に、まさかのガス事故によってビルが倒壊!?』 その花道はオレ達が敷いてやったから、地上波進出できなくても一生ネットと人の噂の中でバカにされてけ」


 ココアを抱き締める恭介は、そしてコートのポケットに片手を入れて佇む双間は、二人でビルへ背を向けてスイッチを押す。それと同時に離れたビルには夜の闇を塗り替える閃光と赤い光が走り、轟音を上げて崩れ始める音と振動、それ等に付随する風が起こって暴風は彼等のジャケットやコートを背から揺らした。


 後に残るのは、ビルの敷地へ綺麗に崩れ落ちた瓦礫の山と、夜の街に響くサイレンの音――そして、ワザとらしいバルーンによって浮かんでいる垂れ幕に書いてある、下品なパーティ名と参加者を列挙した文字。それが無くとも、二人はめぼしい場所へ事前の情報散布をしており、更には野次馬達によってネットへ写真が晒し上げられていく。


 だが二人は、その証拠も足跡も残すことなく、ハイタッチをして大笑いをしながら自分達の帰り道を歩いて行った。大笑いは勿論、友である恭介と双間の、ココアに酷い事しやがった奴等がバカなおれ達以上にバカなことに見舞われてるぜ、という、無感情な先程とは打って変わっての歳相応の笑い声を響かせながら。だから二人は、異常な者達として一緒なのだ。


 ――――


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