――記述者の無い世界記録①―― 5
「あーん」
「あ~ん」
――
「…………ふぅ、やれやれ」
背後で幾度と無く繰り返される行為を聞いていた双間は、ゲームが一区切り付いたところで声を上げ立ち上がった。
その声は傍から聞けば呆れや空気を断ち切るような声色だ。そしてココアは思う、帰るのだろうか、と。
「双間さん、帰るの?」
「いんやコイツ酒無くなったから冷蔵庫に取りに行くだけ。ほら」
恭介の言う通り、双間は冷蔵庫へ行き酒を取ると――テーブルに付いて酒を開け始めた。
「双間の取り扱いについての留意点ね。コイツの『やれやれ』は全然やれやれじゃ無い、マジでやれやれって思ってたら何も言わず行動するから。例:この前誘われた大学合同呑み会のメンツゴミ過ぎてコイツしれーっと帰りやがった」
「当然だろう。あんな、自分が『面白い、イケている』と勘違いしている奴等のシケた集まりなど時間の無駄でしかない」
「因みにそのトキの周りの真似ね。『瓶一気とか俺マジやべーっしょw』『うぇーい、一年生クンっしょ? もうお酒は慣れたかなw?』『酒の場だからって俺のこと怒らせんなよw? 昔喧嘩で三人ボコしたことあっからw あ、ビビんなくていいからねw?』」
「似ていて腹が立つ殺すぞ」
「ウチのバカ大に比べてお相手さん達の大学偏差値高いはずだったんだけどなぁ……。
あとねあとねココア。コイツがコタツ来たのって、オレと酒呑みながらお話したくなっちゃったからだよ。けど、ココアがご飯を美味しく食べ終わるまでずっと待ってたの。タイミングがちょっとズレたのは単純にゲームの区切りが悪かったから。双間は寂しがりでゲーム大好きっ子なの」
ココアは恭介の言葉を聞いて思う、意外だと。寡黙で口数が少ないから会話を好まない人種だと思っていた、そして漂う雰囲気から一人を好む人なのだと思っていた。ただ、そうやって“意外”と思えるということは、ココアは双間へ興味を向けている証拠でもあった。
「……あっ。……待っててくれて、ありがとうございます」
「俺が買ってきてやった飯を不味く食う必要がなかっただけだ」
「っては言うけど、コイツが人に情けかけるなんて早々あることじゃないから。双間ってね孤独が嫌いなのよさ、だから孤独は人にはちょっぴり優しさを向けるの。
けど、人間の孤独って結構難しいんだよ? 人って自分は孤独って思っても、何処かしらには薄っすらとでも関係の線が延びてるわけ。その線を完全に失うなんて、意図的にやっても中々出来ることじゃない。さてここで問題です。
ココア、目を瞑って」
「……?」
「誰か一人、パッて頭に思い浮かべて」
「お兄さんだ、お兄さん頭の中に居た」
「だったらそれは心の中にも居るよ。ココアはきっと、一人であったことすら自覚できてないと思う。でも、前と今ならどっちの方が『嬉しい、楽しい』?」
「……今」
「この問いにはっきり答えられるようになるまで待っていたのが、双間の優しさです」
ココアは本当に、一人であったことを自覚していなかった。喜びや楽しさを知らないということは哀が生まれないということ、彼女はこれまでの人生に虚しさも悲しみも寂しさも感じては居ない。今でも過去を振り返って見る目は、呆然で漠然とした視線だ。
孤独を知らないまま、彼女は人を知ることができた。このことを単純に不幸と断じるか幸福と表すかなどできはしないが、それでも今の彼女が胸に感じる暖かさは間違い無く幸福だ。
それに気付かせてくれたのは恭介のおかげ、それを気付くまで待っててくれたのは双間のおかげ。語るのは恭介が、語らずは双間が。未だココアは二人が同類の性格をしているとは思えないけれど、二人がどちらも自分に優しくしてくれる人だと言う事は心で感じた。
そんな二人へココアは顔を動かしながら交互に見て、恭介と双間は話しの区切りを表すかのようにタバコを咥え始める。
「あ、火点けたい」
「ノーノー、オレぁタバコの火は自分で点けるって決めてるの。ソーマにでもやってあげて」
「近づいてみろ殺すぞ。ところで」
「殺すぞをところで流すのは情緒おかしいだろ」
ソーマはフードの闇から視線をキッチンへ向ける。キッチンの側にある、ティッシュだけが詰まってるゴミ袋を。
「油でもこぼしたのか」
「いんや? んまぁアレっすよあれ」
「私が○ナニーで使ったティッシュだよ」
「……ふぅ」
ソーエンはマフラーの奥から煙を吐き出し、フードの奥から鋭い目をココアへ向けてから、恭介に視線を向ける。
「女を拾って次の日には変態プレイか。生き人形の癖に性欲だけは一人前だな」
「え、なに? オレがさせたと思ってんの……? ちげーんだよ! この子性欲バカ強いっぽいし何か全身ドスケベ人間なんだよ! オレが大学行ってる間にお前からオススメされて買ってたギャクエロコメのマンガ使ってたの! オレなんもしてないの!」
「いっぱい可愛い女の子居てえっちだった」
「…………何巻まで読んだ」
――初めて、双間からの意識が向けられたことを、ココアは感じる。急な出来事で、何故向けられているかは分からない。だが、質問には答える。
「良くわかんないけどいっぱい見た。絵だけ見てた。絵なのに女の子がちゃんと女の子だった」
「アレは女性作者なだけあって細かい描写の中にもしっかりとキャラが女性として描かれている。気に入ったキャラは居るか」
「えっと……? あんまりしゃべらない、セミロングでいつも本読んでる女の子」
「ササラちゃんだっけ? あんまし出てないサブキャラじゃん、渋いとこ気に入るねぇ」
「あの子絶対えっち、いっぱい居た女の子のなかで一番えっちなこと好き。家で絶対にたくさん○ナニーしてる」
「――――ほぅ?」
「お前何に対してのほぅなのそれ何で立ち上がってあぁ行っちゃった……」
恭介が声を掛けたのも束の間、双間は会話を捨てて立ち上がりリビングから、そして恭介の家からも出て行ってしまう。
「……怒らせちゃった……?」
「いやぁ……あれは多分、琴線に触れちゃった」
「……?」
ココアには恭介の言っていることが良く分からない。双間が帰った理由も分からない。でも、部屋ではまた二人きりになったし、恭介はお酒を呑みながら機械で文字を書くことを再開したから、ココアは彼の体へ寄りかかりながらその作業を眺めていた。
――――
双間が部屋を立ち去り小一時間が経過したところで。
「やれやれ」
ココアが帰ったと思った男は、大荷物を携えて戻ってきた――大きめのキャリーケース、大容量のリュック、左手には電気屋の袋を手にして。
「双間さんだ」
「お帰り」
「やれやれだ」
双間はやれやれと言いながらも大荷物をコタツの側に置いて、電気屋の袋の中身を取り出し始める。
「お前何買って来て……えぇ……」
彼が取り出したのは、新品のノートパソコンだった。それも、目的用途をストレス無く楽しめる程度にはスペックが高く、お値段もそれなりなパソコン。双間はそれを箱から取り出しコードを繋げてセットアップ作業に入る。
「お兄さんのと似てるやつだ。双間さんもお勉強するの?」
「する訳が無いだろう」
「ココア。コイツもオレと同じで綱渡りタイプ」
双間はココアの視線も他所にパソコンの設定を終えると、今度はキャリーケースの中から――色んな女の子が描かれた華やかな箱を取り出し、その中にあるディスクをパソコンへとインストールし始めた。
「女の子だ……! かわいい……!」
ココアの目に映るのは、色とりどりで、時には年齢制限も存在するような女の子の数々。この時、初めてココアは感情を感じられるような声を出し、目を輝かせながら自らの意志で駆け寄って双間の側にしゃがみ込んだ。まるで、玩具売り場で目を輝かせる子供のように。
「とんでもねーもんで目ぇ輝かせたな……。ココア、興味があるなら双間に言ってみな」
「……双間さん双間さん……! この、この子達、まんがみたいに見れる?」
「媒体が違うが、見る事が出来るのは一緒だ。
お前の慧眼に免じてゲームを貸してやる、パソコンは餞別だ。暇なときにやれ」
「なに、もしかしてココアがさっき言ってたこと当たってるの? そんな描写あったっけ?」
「公式設定資料集の初版にこっそりと書かれ後に修正で消された設定だマンガだけで見抜くのは不可能に近いというのに、まったく、やれやれだ、ふぅやれやれ」
「早口が過ぎる。もうお前やれやれ言うの辞めちまえよ」
「ゲームのやり方までは教えるが、パソコン自体の使い方はお前が教えろ。そこまでしてやる義理はない」
「ここまでやっておいてそこやらないのお前の義理の線引き分かんねーよ」
「とりあえず俺はインストール作業で徹夜する。お前は代わりに他のレポートも作れ」
「んまぁ、ココアの為にしてくれてるから良いですケド……」
「ココア」
ゲームのパッケージを持ち上げながら目を輝かせて見つめていたココアは、インストール作業をしながらパソコンの設定を弄る双間に呼ばれて顔を向ける。――向けた後に気が付いた、『名前、覚えてたんだ』と。
「そっちのリュックにはマンガが入っている。好きに読め」
「……うん……!」
――――その後、双間はゲームインストールを淡々と行い、恭介はレポート作成を続行し、ココアは恭介に寄りかかりながらマンガを読み普通に股へ手を伸ばして恭介に怒られた、双間からも汚せば殺すと言われた。そうして三人は一夜をコタツで明かし、寝落ちしたココアは早朝から双間に叩き起こされてゲームに必要な最低限の操作方法を叩き込まれた。




