――記述者の無い世界記録①―― 2
ココアが逃げ出した夜、偶然どこぞのアホが夜の街を歩き回ってコンビニ巡りをしていた。
「聞いてくれよなぁソーマァ! 近所のコンビニ全滅だったんだけど! お気に入りの銘柄何処にも売ってないんだけど!」
アホはスマホを片手に大声を出しながら文句を吐いて、コンビニを巡る足取りは繁華街の外れにある人気が無い店まで向けられていた。
彼はお気に入りのタバコを探すためだけに一時間も歩き回って居る。時間帯は深夜を過ぎるか過ぎないか、辺りは暗く、住宅街が近いこともあって静けさが漂う町並の中――。
スマホを片手にコンビニへ入店しようとしたところで、男はふと店の前に居る少女をチラリと見る。
赤く染めた髪に白いメッシュが入った、薄手のドレスを着た少女。寒空の下で白い息を吐きながら、駐車場のタイヤ止めに座り込んで一切動かず、震えることも無く膝を抱えている。その膝の中には、漢字ドリルや計算ドリル――小学生が勉強する用の本が何冊も抱えられていた。
男――バンダナを着け、スカジャンを着た、一見ヤカラにも思える青年は、その少女をチラリと見ただけで、特に何の反応も返さないまま普通にコンビニへと入って行った。
その姿を、少女は横目で認識しながらも、そして少女もまた、特に何の反応もしないまま視線を戻した。
青年がコンビニから出てくる頃にはスマホをしまっており、片手にはタバコを、片手には缶コーヒーを携え、ホクホクとした表情ですぐにタバコを咥えて火を点ける。そして満足気に煙を吐いた後――少女は、あの無関心さならこのまま去るのかと思っていた。が、予想外にも近づいてきて、目の前にしゃがみ込んできた。
「小学生がこんな時間に出歩いちゃだめでしょ? 家出? 送ってあげるからお家教えて?」
「……十七、家なんて無い」
少女の無機質な声は、淡々と返事を返す。が、内心は男の事を伺っていた。ココアは数々の男性を見て居る、故に一目見れば男が自分へ欲望を向けてきているかどうかがすぐに分かる。だが、目の前のアホ面でアホな言動をする青年は、放った言葉に一切の邪な感情が無く的外れな心配を向けてきていた。
ココアは、同世代の男を知らない訳じゃない。店を利用する者達の中には、親の金を使って遊びに来ている者達で居る。そして若ければ若いほど、自分に忠実な欲望をギラギラと向けてきたものだ。しかし眼前にしゃがむアホはそれが無い、感じられない。一切、欲望が感じられず、だからか男へ向ける気持ち悪さも覚えることは無い。
「十七で小学生……? ぶっとんだ留年してるんだなぁ」
「小学生でもない、学校なんて知らない」
「ほぇ~。じゃあなんで教材持ってるの?」
青年はタバコを咥えながらのほほんとしゃがみ込んでおり、そして疑問と同時に、自然な形で缶コーヒーを少女へ渡した。受け取る気など無かったというのに、どうしてか反射的に受け取ってしまった少女の手には、かじかんだ肌に暖かさが痛いほど伝わってくる。
「あったかい……」
「暖かいって感じるってことは寒いってことなの。ほれ、これも羽織りな」
そう言って青年はスカジャンを少女の肩へと掛ける。
少女にとって、寒いことなど寒いだけだった。あのボロアパートで、体を温めるモノが禄に無い部屋で、寒い事は寒いと言うことだけというのが、当たり前の価値観だったから。
だけど違う、今は違う、この暖かさは違う。体が暖かいとか、寒いとかじゃない。別な何かが暖かい。それが少女には分からない。
「そんで、小学生じゃない十七歳のお前はここで何してんの? 教材抱えてさ」
「…………わかんない。わかんないから、買ってみた。でも分かんなかった」
「あぁわっかる~、分かんないこと分かんないと勉強してもわっかんねぇよなぁ~。……小学一年生用のドリルぞ?」
「……分かんなかった」
「んそぅ……。
で、家は何処?」
「無い」
「じゃあホテル住みのお嬢様的な感じ?」
「良く分かんない」
「んそぅ……。えぇー……このままだと凍え死ぬぞ……。
よっし」
青年は一瞬悩んだそぶりを見せながらも、すぐさま何かを判断したように立ち上がり、少女へと手を伸ばしてくる。
「とりあえず家来な」
その言葉と差し出された手は、普段の少女であれば冷え切った心で流していただろう。手を取る、取らないの判断すら生まれないのだ、自らに差し出された手の取り方すら、少女は分からないのだ。しかし、青年が向けた手は、取りやすいように、そして取り方を教えるように、優しく差し出されて向けられる。
ココアは手を伸ばすだけで良かったのだ、ただ伸ばして、指先が触れれば青年の手が彼女の手を包んでくれる。取り方が分からない彼女でも、取ろうとすれば後は彼が取ってくれた。
ココアを優しく立ち上がらせた青年は、手を引いて歩くことは無い。あくまで歩幅を合わせ、少しだけ前を歩き『こっちだよ』と優しく教えるように歩みを進めて先導してくれる。その歩みも、ただ家に連れて行くだけ。性的なことを期待もせず、裏で淫欲に塗れた企みもせず、本当にただ家に連れて行くだけ。店でも見かける、変に紳士ぶって気を惹こうとしてる気持ち悪い男達のようでもなく、ただ、本当に、家に連れて行くだけ。
彼女は不思議だった。見ず知らずの自分を助けてくれようとする事よりも、無償の情けを掛けてくることよりも、この男が全然気持ち悪くないことが、何よりも不思議だった。
二人は夜闇をゆっくり歩き、だが言葉は少ないまま、夜の街を静かに歩く――。
――――
――
青年とココアが到着したのは、町中にある一般的なアパートだった。三階建て計十二部屋の建物、その二階へと上がり、青年が部屋の鍵を開けて少女を中へ通す。
玄関前の廊下横には風呂とトイレへ繋がる扉が、奥には十畳一間へ繋がる扉が有り、青年は電気を点けながら進んでいき手招きをするためココアもその背を追って奥へと進む。
十畳の部屋にはキッチンや、冷蔵庫、ベッドがあり、コタツには座椅子や座布団と近くにテレビが――そして、日焼けサロンにあるような機械があった。
少女はその機械に僅かだが視線を向けたあと、青年にコタツへ入るよう促される。そして青年はポットでお湯を沸かして温かい緑茶を二人分淹れ、ようやくコタツへ入りココアと体を向かい合わせた。
緑茶の香りに少しタバコの香りが混ざる部屋で、二人はようやくまともな言葉を交わし始める。
「そういや名前聞いてなかったわ。おたくはどちら様?」
「……心愛」
「しくったなぁ……家、緑茶と酒しかねぇんだわ。許してね。
オレはキョースケ、よろよろ~」
気軽な挨拶を返してきた青年、恭介は、タバコに火を点けて卓上の灰皿を自分の下へと寄せる。吐かれた煙は、回してあったキッチンの換気扇へ流れていくが匂いが消えるわけではない。しかし、ココアにとってタバコの煙など男達から嗅ぎ慣れたものだ、当たり前の匂いだ。苦言を呈することはない。
「さっき家もなければ泊まるところも無いみたいなこと言ってたけど、あそこで一夜明かすつもりだったん?」
「うん」
「明日はどうするつもりだったのさ」
「遠いとこ行って、どっかで寝る」
「遠いとこ? あそこのコンビニ駅遠いしバスも走ってないけどまさか徒歩でってワケじゃねぇよな?」
「乗り方わかんない」
「あっそう……お嬢様っすか? あとな、野宿は止めときな? 治安良い日本でも女の野宿はあぶねーって。せめてホテルかネカフェに泊まりなよ」
「分かんない。寝ていい建物じゃないところでどうやって寝るの」
「……んぉ……? お前、新品のドリル持ってるくらいだから買い物は出来るんだよな? 流石に今日初めてお外出ましたってわけじゃないよな?」
「お買い物は出来る、計算分からなくても適当にお札出せば買える。でも夜は部屋で寝る決まりになってるから、外での寝方分からない」
「なるほどなぁ……確かにホテルの予約とか一回経験しないと良く分からないのかもなあ…………寝る部屋あるんじゃねぇか!! じゃあ家あるじゃん!!!!」
「あそこは私の家じゃない」
「そぅ……んまぁ家出したってんならしたで別にどうでも良いケドさぁ……。因みにお前、今の所持金は?」
恭介から尋ねられたココアは、座っている横に重ねて置いていた教材の上、重ねて乗せてある本屋の紙袋を手に取ってコタツの上に置く。
紙袋は硬質なジャラジャラとした音を立ててコタツに置かれたが、恭介の『所持金はいくら』という質問に具体的な数の返答は無かったため、仕方なしに彼は紙袋を開けて中身を一瞥した。中身は数枚のお札と、五百~一円硬貨が交じり合って入っていた。
「独特なお財布をお持ちで……えーっと、二万七千二百五十一円……。お小遣いなら頼もしいけど流石に家出には心もとないなぁ……。外泊したらすぐ吹き飛ぶぞ」
「この部屋それで買える?」
「まず売る気ねぇから。まぁ……落ち着くまでは泊まってきな。帰りたくなったらいつでも帰って良いから。
けどまず、もうちょっとで風呂沸くから入れ、そんでベッド貸すからしっかり寝ろ。んで、明日起きて帰りたくなったら朝一ですぐ帰れ」
「うん」
少女は返事をする。言葉を受け入れた訳ではない、言われるがまま返事をした――訳でもない。自然と、口から返事が出た。
「ほんじゃまぁ、寝巻きは……スウェットかジャージしかねぇわ。オレのジャージ……無理やろなぁ。チャックぶっ壊れる」
恭介は腕を組みながらココアの胸部に視線を向ける。遠慮無しに、隠すことも無く堂々と見てくる。だがやはり、その視線から気持ち悪さを感じることは無い。ただ見られてるだけ、それ以外本当に他意が無いのは、やっぱり不思議だった。
「お乳に興味ないの?」
「何そのお乳呼びえっちぃな。スウェットのサイズ合うかな」
恭介はコタツから立ち上がって部屋のクローゼットへと向かう。
ココアは、自分が“お乳”と言う言葉を出せば男性はすぐに性的な興奮を見せるというのに、やはり恭介からは何も感じない。立ち上がった際に股間を見ても一切反応していなかった。
ソレをココアはやっぱり“不思議な人”と、呆然とした印象で彼へ視線を向けたのだった。
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