――記述者の無い世界記録①―― 1
とある家庭に、一人の女の子が産まれた。
その家庭は悲惨な状況で、ギャンブル狂いの父親と母親が借金を積み重ね、金を借りている先も公的とは程遠い金融機関、所謂闇金を頼るものだった。
女の子が産まれたときは両親も夫婦の結晶と可愛がった。が、すぐに飽きて放置するようになる。家にはゴミが溢れ、そのゴミが溢れる家に親はたまにしか帰ってこず、少女はたまに与えられる小額のお金と家のゴミ、外のゴミを漁って食いつなぐ毎日を過ごしていた。幼稚園、保育園、そんなもの親には行かせるほどの関心すら子供には向けていない。ただ、法律上死なれては困るから死なないだけの最低限を与えて放置をしていた。
少女が過ごすボロアパートには借金の取立てが来る。扉をけたたましく叩く音、怒鳴り声、それ等が響き渡る部屋には電気も、ガスも、水道も、何も通っていない。何も無い、ゴミだけはある部屋でただひっそりと、音が無くなるのを待っていた。音も、その状況も、少女にとってはもはや当たり前の事だった。世間の当たり前を知らない少女は、狭い知見の中でそれが当たり前と思っていた。
だが、ある時から親が帰ってこなくなった。微かなお金さえ途絶え、用水路で水を飲んでは部屋へ戻り息を潜めて膝を抱える少女は、そんな生き方しか知らないから生に執着などなかった。そもそも、生の喜びも、死の恐怖も、知ることすらできないまま一室で過ごして呆然と日々を過ごしていた。
やせ細り、立つ事さえままならない彼女は、別に生への希望など微塵も抱いていない。目が覚めて、次の日生きていたら生きるだけの生活を送っていた。少女は、このままでは明日目覚めないという状況になっても何とも思わず眠ろうとしていた。
そんな中、アパートのドアが蹴破られて一人の男が立ち入ってくる。
スーツにサングラス、厳つい体格に粗暴な立ち振る舞いをするその男は、部屋の異臭に顔を顰めながらも少女へ視線を向けていた。
「居た居た。死ぬ寸前じゃねぇか……」
男から向けられた言葉に、少女は反応を返すことは無い。違う、反応すら返せないほどに衰弱をしていた。
「……嬢ちゃん。キミのお父さんとお母さんね、どこかに消えちゃったの。それで、消えた場合に嬢ちゃんのことお金に換えて良いよってお約束してるんだよオジサン達さ」
男は子供には読めない書類を、それこそ無学な少女にこそ絶対に読めない、見せる意味も無い書類を片手に側へとしゃがみ込んで少女を見下ろした。
「死なれちゃうとオジサン困っちゃうからさ、とりあえず連れてくわ」
男は言葉を発すると、扉の外においてあったスーツケースを持って少女の下へと戻り、ペットボトルの水と栄養補給食と共に少女を中へ入れて何処かへと連れ去っていく。
少女にはどうでも良かった。スーツケースの狭い暗闇など、先の知らない何処かへ連れて行かれる恐怖など、心を揺らすほどの感情も持ち合わせていない。少女はただ、微弱に揺れる中で食料にあり付けた、と、水を飲み食べ物を食べるだけだった。
少女が連れて行かれた先は、少女が知らない場所だった。尤も、無知で見識の狭い少女が知っている場所などボロアパートの周辺だけで、何処に連れて行かれようとも何処だって知らない場所ではあるが。
だがその場所は、少なくとも世間にさえ知られていない場所であるからこそ、少女でなくとも知らない場所ではある。
汚れた体を強引に洗われ、薄手だが上品且つ露出の多い服を着せられた少女が立たされた先は――――端的に言えばキャバクラのような、広いホールと酒の香り、座席、日の当たらない店内を照明の灯りで照らす場所。そして少女の目に映るのは、自分と変わらない年齢の女の子や、自分よりは年上だが大人ではないではない女の子が、裸になって色んな男達と何かをしている光景だった。
「嬢ちゃん――えっと、心愛ちゃん、だっけ? 先輩達のことをよーく見てお勉強しなさい」
少女、心愛をこの場へと連れて来た男は、この光景を当たり前のようにして立ち、少女へ言葉を向ける。
「おべんきょう……ようちえん?」
「マジかよ……。……あぁ、そう、ここ幼稚園。ここで、ココアちゃんは男の人をいーっぱい喜ばせるお勉強をするんだよ。
丁度良かったね、今日はココアちゃんみたいな今にも死にそうで栄養失調の子《細くてちっちゃい子》が好きな人が居るから、さっそくお相手して貰おうか」
男に手を握られて、少女は無気力に付いて行く。その足取りの先には恰幅が良く、身に着けている物だけは品の良さそうな男が待っていて――少女はそこで、何も分からないまま純潔を散らした。
少女にとって不運だったのか幸運だったのか、彼女が有する前後の穴は、天性の淫女とも呼べるほどに男から欲望を搾り取ることが出来るくらい具合が良く、交わった者達が来店する毎に指名されていた。
無知な少女は、閉ざされていたボロアパートの次に、この場所が居場所となっていた。異常な状況に疑問を覚えるほど彼女は世間を知らない。だが何より、ここは男に尽くせば美味しい食べ物や飲み物を貰えて、他者と話が出来るのだ。少女は初めて比較を知った、あの環境に比べれば、ここは恵まれていると知れた。初めて、恵まれているという言葉があって、その言葉の意味さえも、こんなところに身を置くことで勉強できた。
少女の人格形成は、ここから始まったと言っても過言ではない。ボロアパートでは『死んでいないだけ』だったという状態が、ようやく『生き始めた』状態に変わった。
しかし、色々なことを知る――といっても、そこまで様々なことを知ったわけではない。所詮は視野が狭く無学に等しい子供だ。精精他人を知って、美味しいものをしって、生きていることを知って――。だが、知ることは個性を持つことに繋がり、段々と彼女の中に自分の価値観というものが生まれる。
その産まれた価値観は、この店で行われていることにも向けられる。彼女は思う、『どうして男の人たちはすっごいたくさん動いてるんだろう』と。語彙の無い彼女がその思った言葉を明確に表現することはできないが、彼女の目に映る男達は皆、沢山動いていた。具体的に表すならば、気持ち良さに腰が止められず欲望をぶちまける為に少女へ必至に精を吐こうとしていたのだ。
中には過激な者も居る。首を絞める者、むしゃぶりつく者、髪を引き上げる者、道具のように乱雑に扱う者。少女はそれに晒されるたびに、痛みを、苦しみを、不快感を、知った。だが、それと同時に周りを真似した演技の反応や奉仕を返せば男達が喜ぶ事も学習した。そして学習をしたことを活かせば美味しいものが沢山貰えるし、店の人たちから褒められる。活かさない意味は無かった。
彼女は天性の、淫女だ。知識が無くとも本能でその術を知っている。
だが、そんな彼女でも分からないことがある。男達が、あそこまで必至に動く意味が、分からない。少女は、周囲の子達が声を出すことを真似て自分も声を出せば男達が喜ぶことは学習した。だが、少女自身は、男達の動きを受けてただ擦られているだけとしか感じていない。周囲の子達が声を出す意味も、男達が必死に動く意味も、少女には何も理解が出来なかった。
あるときから、少女は男達を気持ち悪いと思い始める。男の存在自体が気持ち悪いわけではない、欲望を曝け出し必死な姿をしている男が気持ち悪いと思い始めたのだ。態度に出すことは無いが、心の奥底ではそう思ってしまう。
では、女は? そう疑問を抱いた少女は、店が開くよりも前の時間に――店に出ている少女達が共同生活をする空間、寮のようなビルにて、隣の二段ベッドに寝ている子を見ながら、弄ってみる。…………初めて少女は知った、頭に響く甘い快楽を。
その日から少女は、男の相手をしながらも傍目でこっそりと別の少女を見て快楽を得る。その行為は彼女にとって、男女の交わりというよりは勝手に動くおもちゃが有って自分はそれを使って自慰をしているような感覚であった。男は全然気持ちよくない、気持ち悪い。しかし女の子は可愛くてエッチで、見ているだけでも気持ちが良い。だが、女の子を見てる気持ち良さが表に出るにつれ男達から『段々とココアちゃんの体も開発されてきたね』『こんな子供がメスの喜び知りやがって』『来るたび声えっちになってるじゃんw』と言われるのが心底気持ち悪い。元々ココアの演技で釣られた男達が、演技されていたことも気付かずにこの変化を自分の手柄や上手さと勘違いしていることが気色悪い。
それでも、抱いた不快感を表に出したとしても彼女になんの利益もないため、言葉回しや行為で男性の自尊心を満たさせて満足させていた。
いつしか彼女は店のトップとなって居たが、同時に彼女は周りとの交流も最低限すらしておらず、地位の尊敬よりも出る杭へ向けられる嫉妬によって苛めを受けるようになる。彼女は決して周囲に無関心なのではない、周囲との関わり方を知らないのだ。客は接しなければいけないから接するなかで関わり方を覚えた。だが、周囲と――それこそ、同世代同性とは、関わり方を知らない。しかし彼女にとって、苛められようとも別に不快感など持たなかった。男達から感じる気持ち悪さに比べれば、女の子達が何をしてこようとも可愛いから。
その思いを表に出せば何かが変わったのかもしれないが、彼女は表に出す手段を知らない。そしてこのままの日々が続くこともない。
少女は体が成長にするにつれて胸は大きく、腰つきが扇情的に、肉感はより女性的に、肌は触れるものへ吸い付くようになり始めた。それを把握している店側は、彼女をもっとグレードの高い店へと移転させる決定を下す。オープンで乱交じみた店ではなく――個室で完全予約制、内装もより高級感を醸し出し、付加価値を設けて金を更に儲ける高級店へ。
ココアにそれを断る権利もなく、そして断るほど明確な意思を持ってる訳も無く、運営側から言われるがままに店を移して彼女は新たな環境に身を置く。彼女は、本当に天性の淫女だった。個室故に他の女の子が見えずとも、学習した男の喜ばせ方を的確に実行して相手を満足させることができる。そして、彼女の体はどれだけ擦られようともしゃぶられようとも、決して劣化することは無い。寧ろ、男と交わるごとに美しさを増してより扇情的となっていく。正しく、彼女は、天性の淫女だったのだ。
男を悦ばせ続ける彼女は、ただの商品としてではなく段々と権力を持ち始め、雇用側も彼女の存在を失うわけには行かず機嫌を伺うようになる。だがそれはあくまで、彼女自身を大切に扱う訳ではなく、彼女の商品価値に意味がありこの場に留めているためご機嫌伺いをしているに過ぎない。
そんなこと、ココアも分かっていた。ココア自身も、自分が商品であると分かっていてここしか生きる道がないと知っていたから、持たされた権力で横暴に振舞うこともなく仕事だけをこなして生きてきた。
ずっと、ずっと、このまま生きて、歳をとり商品としての価値が無くなったら捨てられるのだろうと思っていた。
別に、ココアは生きたくて生きている訳ではない。生きる選択肢があったから今生きているだけだ。生きる選択肢を失ったら死を選ぶ。そこに覚悟や決心なんてものは無い。そうなるならそうなるだけ、としか思っていない。
彼女はお姫様だ、建てられている城の中で丁寧に扱われる彼女はそう表現するに値する価値がある。
彼女は鳥かごの中の鳥だ、檻の中でしか生きる術を知らず、檻から出たとて将来がある訳ではない。
彼女は戸籍が無い、学歴が無い、外で活かせるものなど何も持ち合わせていない。
城の中、籠の中、それが彼女の全てだ。ここに居れば衣食住は約束されている、それも上等なモノが。そして戸籍が無くとも運営との繋がりがある病院を無料で利用することが出来る。万が一体に何があってもここに居れば安全で、外に出れば全て失う。
それで良いと思っていた……否、そんな判断を明確な意思で下すこともなく、ぼんやりとした考えで“このまま”というもっとも楽な選択肢を選び続けていただけだった。
だが、彼女の心には、心の奥底には、明確な意思が存在していたのだ。それに気付いてはダメだと、彼女は無意識下で理解していて気付かぬフリをずっと続けていたのだ。――――ある日、何かが切れた。分からない、無学な彼女はソレを明確に言語化することは出来ないが、それでも自分の中で何かが切れたことは感じていた。
彼女は駆け出した。お客が渡してくれたチップを握り締めて、ビルの非常用階段を駆け下りる。後ろからは声、怒号が飛んできた気がした。でも聞こえない、一心に掛ける彼女は切れた何かに突き動かされるように、薄手のドレスを揺らして必死に駆け降りる。
最後、降り切る最後に、一人の男が階段下に立っていた。金属製の非常用階段、その最終段の裏に立つスーツの男は、ココアにとってどこか見覚えのある男だった。
その男はココアを見ても何も言わない。無言でタバコを吸い、彼女を引き止めることも、去り行く彼女に眼を向けることもせず、ただ二人はすれ違っただけだった。
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