53.愚かでしか在れない者の過去
そこから一週間。オレはあの人と両思いで居られた。あんな幸せな日々がずっと続くと思っていた。ずっとずっと、続いて欲しかった。
愚かな奴が望んだ願いなんてどれっぽちの塵よりも瑣末な思いなんだよ。
現実はそう上手く行かない。上手く行くわけが無い。何者でもないオレに、人並みの幸せなんて与えられるはずもない。なんてたってオレは、運が悪いだけで両親を殺されてる人間だ。そんな奴に運が味方してくれるはずないじゃん。何もないヤツの運命に運なんて絡むはずも無い。全ては必然なんだろう。
告白から一週間経った日の夜。その日はオレが〇〇の家で一緒にカレーを食べていた。雪も溶けて、天気の良い日の夜だったから、二人で毛布に包まりながら縁側で肩を並べて、月明かりに照らされている花を見ながらカレーを食べていた。
そんなときだったよ。あの人の家の前に数十台の車が停まったんだ。その車からはスーツに身を包んだ奴等がずらずら出てきて、どう見ても普通じゃない光景だったことを覚えている。
視界の端で〇〇の顔を伺うと、何かを悟ったような顔をしていた。オレにはその顔の意味が分からなかった。だって、○○のそんな顔知らない。
分からないままでも状況は動いていく。
毛布に包まったオレ達の前には、大勢のスーツを着たやつらが立っていた。
「〇〇。いや、深遠の魔術師の弟子、花風の魔術師とお呼びしたほうがいいかな?」
スーツに身を包んだ男は、したり顔を浮かべながらそう言ったんだ。訳の分からないことを言って、〇〇を訳の分からない言葉で呼んだんだ。
「かふーですかぁ? かふかふー」
対して〇〇は、のほほんとしながら両手をパクパクさせて微笑んでいた。その姿も、オレは見ていたかった。ずっとあの人を見ていたかった。オレの眼にはあの人だけを映して居たかった。
「惚けても無駄だ。貴様が知らぬはずも無いだろう、我々も無知な稚児ではないと知れ。
貴様の栽培した花、そしてそこから落とされる種は触媒としての価値が数十倍にも跳ね上がる。そんな事、ありえるはずが無いだろう。ありえないはずの事象を起こしてしまえるのは、深淵の魔術師の弟子だからか――はたまた特異点だからか」
「なあ〇〇。しょくばいってなに?」
「九州の方言で、食べることを食ばいって言うんだよぉ。だから、私の花の種はとっても美味しいんだってぇ」
「へー、あんたらハムスターかよ」
「……おいガキ、言葉には気を付けろよ」
その言葉で、今まで余裕をこいてしたり顔だった男の顔が変わった。知に酔って得意げに話してたところを煽られたからなのだろうか。でも知らない、どうでも良い。
「人の家に勝手に入ってきた奴に礼儀を問われてもなぁ……。まずはお邪魔しますくらい言おうよ」
「このッ……!! …………いや、こんなガキに構う時間はないか。おにいさんたちは優しいから今は見逃してやるよ。どうせ殺すんだからな、部外者のクソガキくん」
「構う時間無いって言ってる割に構ってるじゃん、口調も剥がれてるよ。煽り耐性ないの見え見えでダサいぞ、おっさん」
「あららぁ、キョーちゃん口喧嘩してるぅ。喧嘩はダメ、仲直りのごめんなさいしなさい」
「へい……。誠にごめんなさい。仲直りしようよ」
「……おい、テメェらおちょくってんじゃねぇぞ。次勝手に口開いたらすぐに殺すからな」
そう言って目の前の男はオレ達を脅すようにナイフを取り出してきた。
その動きに合わせるように、周りに控えていた奴等も懐からナイフと銃、そして短い杖のようなものを取り出すモノもいた。
流石にそんな露骨に脅されてはこっちも何も出来ないので、大人しく話をきくことにしたオレと〇〇――。
「花風の魔術師、我々と一緒に来い。こなければ今ここで殺す」
「……」
「答えたらどうだ。それとも怯えて口も開けないか?」
「……」
「おい!! 聞いてんだよガキ!!」
「口開いたら殺されちゃう~」
「勝手に口開くなって言ったのおっさんじゃん」
「…………ふぅ。クソガキ、テメェ勝手に口開いたな?」
「〇〇もだけど?」
「――殺す」
男は問答無用でオレへナイフを振り落とした。
だから、そこから血の攻防戦が始まるかに思えた。
でもそんな事は起きなかった。
「キョーちゃん!! 喧嘩はダメ!!」
〇〇はそう言うと同時に、オレの手を引いて身体に抱き寄せた。
幸いにもその行いのおかげか、男のナイフは空を切ってオレに掠りすらしなかった。
どうして止められたのか分からなかったけど、あの人がダメって言ったなら、それはダメなことだろうからオレは止まった。
そこからは〇〇がオレを抱き抱えながら、男と何かを話していた。男は苛立ちながら声を荒げて、〇〇はおっとりしながら微笑んで。
その会話の中で、〇〇は触媒とか体とか寿命とか、時間はほとんど残されていないとか、なんか良く分からないことを言っていた。
あのときに戻れたなら……いや、あの頃に戻ってもオレは〇〇の事情を聞こうとはしないだろう。聞いていたら、あの日々は過ごせていなかっただろうから。
オレはまたあの日々を過ごしたい。ずっと何も知らないままあの楽しかった日々を過ごして居たかった。知らなくて良かった。知らないままだったら、オレはずっと楽しい日々を過ごせていたから。誰がなんと言うと、オレのあの日々に戻れるだけで良い。それだけで良い。オレにはあの日々だけが大事で、それ以外、もしだとか、こうしたらとか、そんな下らない別の選択肢は要らない。
どうでも良かった。あの男が喚いた言葉とか、本当にどうでもよかった。オレは、ただ、あの人だけが居ればそれでよかった。オレの望んだ日々に、起も承も転も結も要らない、突飛も要らない、転回も要らない。あの人だけが要るから、あの人だけが居てくれればそれで良かった。他に興味なんて何も沸かなかった。
〇〇の言葉を聞いた男は逆上して殺そうとしてきたよ。でもオレは〇〇から喧嘩はダメって言われたから抵抗はしなかった。
オレが背中を刺されても、倒れたオレの横で〇〇が刺されても、オレは一切抵抗しなかった。だって、〇〇がダメって言った事はダメだから。
それが、異常なオレの中にある、一つの基準点だったんだ。オレの全てはあの人が作ってくれたから、あの人がダメって言って、無抵抗で殺されるなら、オレもそれを真似しなければならない。
別にオレはそれで良かった。クソジジイは死んだ妻を愛してたし、そんだけ愛されてんなら死んだ妻もクソジジイを愛していただろうから。だからオレ達が二人思い合ったまま死ねば、ずっと二人は愛し合っていられる。オレはそう思った。バカで異常なオレは、そんなことを考えちまうポンコツだったんだ。
男は去り際に、無駄足だったといっていた。そしてオレにツバを吐き捨てると、周りの奴等に指示して家や花壇に火を放った。もうオレ達のことは、殺したも同然という態度でオレ達に目を向けていなかった。
オレはな、周りの火には目もくれず、目の前で一緒に倒れている〇〇だけを見ていた。
さっきまで包まっていたはずの布団には血が滲み赤く塗り変わる中、オレ達二人はお互いのことだけを見詰め合っていた。
このまま二人一緒に、ずっと愛し合っていたい。きっと〇〇もそう思ってるはず。オレはそう思っていた。
でも、急に〇〇が言ったんだよ。
「ふふ、ふ。作戦、大成功、だよ」
「へー、そりゃスゲー。どんな作戦だったのよ」
顔に汗を滲ませ、痛みを堪えながら微笑む〇〇の言葉を聞いて、オレはすげーなって思った。だって、どうやら〇〇は作戦を考えてたらしいから。オレにはできないことをいつもしてくれるから。だからこのときもただ単純に、凄いとしか思って居なかった。死さえどうでもよくて、ただ、あの人と一緒に居るだけで、それで良くて。それだけで良かったから。
「ねー……キョーちゃん。私ってね、実は…魔術師…だったんだぁ」
「んなバカな。魔法使いなんている訳無いじゃん」
「魔法、じゃなくて、魔術。魔術師、だよ。そしてぇ……じゃじゃーん。実は私、ホントはとっくの昔に、死んでるはず、だったんだけど、ね、先生に寿命を延ばしてもらってね、ちょっぴりだけ、ほんのちょっぴりだけ、生きながらえることが、できてるのぉ。先生と初めて喧嘩したんだぁ……死ぬまで、キョーちゃんと居たい、って……言って、先生ぷんぷんだった……兄弟子ちゃんもおろおろだった……」
どうでも良かった。
「良く分かんないけど、死に瀕して耄碌し始めたか。どうでも良いよ、一緒に生きて、一緒に死ねるなら寿命なんて関係ないから」
生きるとか、死ぬとか、どうでも良かった。あの人と一緒なら、生きても死んでもどっちでも良かった。
「ホントはね、キョーちゃんだけにはね、いつか…話そうとおもってたの。でも、先延ばしに…してたら、話すタイミング無くしちゃった。話したら、私から離れてくんじゃ、ないかって思うと、怖くて話せなく、なっちゃった。
離れてかなくてもね、私が、すぐに死んじゃうって、キョーちゃんが、知ったら、悲しんじゃうかなって、思うとね、言えなかった。私、悲しいの、嫌いだから」
泣きそうな顔を、精一杯笑顔で覆って、あの人は話してくれた。
「じゃあ聞かなくて良かったよ。お前が今のままで居てくれた事が、オレは何よりも嬉しいから。話してお前が引け目を感じるくらいなら、話さないでいてくれた方が断然良い」
悲しい事が嫌いなあの人が悲しむくらいなら、最期までオレと一緒に笑い合ってて欲しかった。
「私ね、ずっとキョーちゃんと、一緒にいたかったんだ。楽しかったから、一緒にお花眺めるの、とっても楽しかった。好きな人と好きなものを見れて、とーっても楽しかった。春も、夏も、秋も、冬も、とっても楽しかった。ダメなのに、告白されて……嬉しくなっちゃった」
「オレもだよ。お前が居てくれたから、オレは楽しかった。もう、お前以外は何も要らないよ」
あの人が教えてくれた楽しいが、オレは本当に好きだった。二人で笑う事が、本当に楽しかった。
「死ぬはずだったのに……生きてる歪な私、は、生きてるのに心が、空っぽな、歪な、君に、何か教えられたかな。もっと教えたかったな。ずっと一緒に居たかったな……」
「沢山教えて貰ったよ。もう十分だよ」
本当に、十分だった。オレが生きてきた意味は、全てあの人の為なんだって思ってた。
「ごめんね、私のワガママでキョーちゃんのこと縛っちゃった。何も残さないはずだったのに、キョーちゃんの中に私を残しちゃった」
「オレが残しておきたいからお前を心においてるんだ。逆にオレのワガママでもあるのかもしれない」
空なオレの中に、唯一居たのがあの人だった。大切な人だったから、ずっとずっと心に居て欲しかった。
「ふふふー……キョーちゃんは、やっぱりいっつも、おもしろいなぁ。
ねぇ……キョーちゃん、約束、して?」
「お互いの死に際に約束しても意味無いだろ」
「約束、して」
あの人は強く、弱弱しくも強く言って来た。
「……まあ良いよ。オレも段々体冷えてきたし、最後くらいはお前の約束聞いてやるよ。最期が来るまでお前の思い出を増やしたいから」
「ありがとぉ。でもねえ、キョーちゃん。私の事は忘れて、自由になって。今のキミは皆から愛される、とっても面白くて、とっても優しい、人だから」
「優しいねぇ……。それはお前の真似してたからで、別にオレ自体が優しいわけじゃない」
オレには優しいが分からない。優しいあの人の真似をしてオレが優しいと評されても、それはオレが真に優しい訳では無かった。
「それでも、優しいんだよ。だから、ね? 自由になって。私を忘れて。私に縛られないで。ごめんね、ごめんね……」
謝る姿が、泣きそうで、悲しそうで、あの人がそんなになってしまうってのは、もう、時間が無いから。
「……まあ良いよ、約束してやる。ただしオレが生き残ったらの話だけどなァ!!」
「ふふふ、屁理屈で、でも断らないやさしーキョーちゃん。大丈夫だよ」
「割と大丈夫じゃないんすけど。背中から血がドクドク出ててそろそろ死にそうなんですけど」
死にそうなのに死すらどうでもいいって思えるオレは、本当におかしくて、痛みとか流血も、本当にどうでも良くて。あの人だけを見ていたくて。でも、あの人と一緒に死ぬから安心すら覚えていた。あの人と一緒なら、オレはそれで良かった。
「ねえキョーちゃん。私、悲しい顔、嫌いなんだ。泣いてる顔、して欲しくないんだぁ。私の夢ってね、皆をね、お花で笑顔にすることだったの。でもね、キョーちゃんなら、お花がなくても、皆を笑顔に出来るの。誰も泣かなくて、キョーちゃんの周りの人達が、誰も悲しまないの。笑顔溢れる毎日を、キミは謳歌するの」
「へいへい。お前がそういうの嫌いだからこちとら死に際までおちゃらけてるんだろうが、お前が悲しまないようにしてるんだろうが。折角約束したんだからその夢もオレに寄越せ。みんなの笑顔は無理だけど、オレの周りで泣いてる奴がいたら涙を止めてやるよ。出来る範囲でやってやるよ。ただしオレが生き残ったらの話だけどな!! やれたらやりまーす!!」
「ねぇ……キョーちゃん……。これ…………花の種…………」
「あの冬に咲かせてた花の奴じゃん」
あの人と一緒に育てた、オレが好きなあの人が好きな花の種。
「キョーちゃん………………生きて…………ここから逃げて。私のせいで、ごめんね………生きたかったよ、もっとキョーちゃんと一緒に居たかったよ。…………好き、だったよ」
「一方的には話しやがるなコイツ……。ん……? だった、え? もしかしてオレ、フられたの? 忘れて欲しかったのに告白受けるってギャグじゃん。冗談じゃん」
「冗談に……して、欲しいな……忘れてね……ばい……ばい」
「ん? 何か背中が……。おい、〇〇? おーい」
オレはあのとき何をされたんだろうか。急に背中の痛みがなくなったかと思うと、体が思うように動かせるようになっていた。
でも今なら何となく分かる。〇〇は、最期までオレを生かそうとしていたんだろう。燃え盛る炎の向こうに、あのスーツの奴等が消えるまで必死に耐えて、オレを逃がそうとしてくれていたんだ。
これが〇〇の作戦だったんだ。急にけしかけてきた奴等相手に、余命幾ばくもない自分の命を囮にして、最期までオレを逃がそうとしてくれたんだ。バカなオレにはコレしか分からない。たとえ、あの人がどんなに思いを馳せて巡らせていても、結局オレにはコレくらいしか分からない。オレに色んなことを教えてくれたあの人の全てを、オレが分かるはずが無い。
体に自由が戻ったオレは、横で寝ている〇〇の体を軽くゆすった。でも、その体に命の重みが感じられない。もう〇〇の存在が、命の気配が感じられない。温かかったあの人が、冷たくなってしまった。
そして、アイツは最後に泣いてしまったんだろう。閉じられた瞼から、薄っすらと涙が零れ落ちていた。
確実に、疑いようの余地もなく〇〇は死んだ。オレはまるで心にぽっかりと穴が開いたように感じた、元から何も無いってのにさ。でも涙は出ない。だって、哀を、泣き方を教えてもらえなかったから。折角あの人が埋めてくれた心に、穴が開いて虚しいと感じても、泣くことが出来なかった。
――あの人が、オレに、『生きて』って言った。あの人が居ない世界でも、生きてって言った。もっと言ってた、沢山、最後に、オレに色んな事を言ってくれた。
死にたくて、会いたくて、生きなきゃいけなくて、楽しい日々を謳歌しなきゃならなくて、教えて貰った上辺に約束を、何もないオレにも約束を残してくれた。
そのときですら、オレに哀は無かった。でも、もしあの時、もしも、もしもだけど、オレが涙を流せる人間だったら、自分の感情がある人間だったら――――。
だったら、なんてないよ、泣けやしないよ、喚けもしないよ、慟哭なんてできさえしないよ。だってそれが、本当のオレであり、上辺のオレでさえ分かってんだろ。そうだよ、だから結局オレはどこまで行っても人の真似事しか出来ないんだよ、分かってるよ。
何も無かった男は、折角生きる意味が出来たってのにそれを失って、生きなきゃならない理由が出来てしまったってだけのバカな話さ。
轟々と燃え盛る火の中、オレは思ったんだ。まずは、○○の涙を止めないと、って。泣いてたから、オレの目の前で○○は泣いたから。
「約束……果たさないとな。でも、〇〇の涙ってどうやったら止められるんだろうな。お前を泣かせたやつ全部消せばお前は泣き止んでくれるのかな」
オレはそう口走りながら、さっきの車のナンバーと奴等の顔全てを頭に思い浮かべた。おかしくなった眼で、あいつ等の事は全て覚えていたから。逃す訳が無いだろう、地の果てまでも追ってオレに何があろうとも消してやる――。




