14.木箱とハムと路地裏と
帝国のとある路地裏。そこではとある二人の男が静かに立っていた。
片方の男、キシウは気付かれないように喉を鳴らしながらつばを飲み込む。
ホテルから帰る道の途中、路地裏から自分だけに聞こえるような声で足を止めさせられた。キシウはその意味を瞬時に理解したからだ、これは合図だと。
その考えは無慈悲にも当たってしまった。
誰にも違和感をもたれないよう、自然な歩みで路地裏へ入ると、そこには一人の男が冷たい目をしながら立って自分に鋭い目を向けていたからだった。何故か小脇に木箱を持ちながら。
「こほ……」
その男の正体は、口元をマフラーを隠してる青髪マッシュの男。帝国諜報部部長のマクグリスだった。何故か小脇に木箱を持ちながら。
「キシウ――」
上司に名を呼ばれた部下は、いつも通りの冷たい声色に身を硬くする。
キシウは忘れていたわけではない。自分の報告がまだ完了していなかったことを。
先送りにしていただけだ。だからその案件が今、回ってきてしまっただけ。
まだ自分の査問は終わってはいない。そのことをキシウは理解している。しかし、何故小脇に木箱を抱えているかは全く検討も付かなかった。
「先ほどは――」
マクグリスは圧を飛ばしながらゆっくりとキシウに歩み寄ってくる。
言葉を聞いてキシウは思った、続きが始まる、と。
「すまなかったな」
キシウは何故謝られたのかが分からず、理由を捜す為に必死に頭を回転させる。目の前の男、マクグリスは皮肉や冗談を言う男ではない事は知っている。
体が強張ってしまい、これから何が行われるのかがわからない。理解が出来ない。しかし考える事は辞めない。
「これは――」
考えを巡らせているキシウの目の前で、マクグリスは小脇に抱えた木箱を両手で持って目の前へと突き出す。
(中身はなんだ、支援物資は申請していない。偽装書類の受け渡しをする連絡は来ていないし、そもそもそういった物品を、マクグリス様から直々に渡されることは絶対に無い。
それ以前に自分は疑われている身だ。にも拘らずマクグリス様が直々に足を運んだとすれば考えられる可能性は一つ。拷問だ。だが……こんな町中の路地裏で?)
分からない。諜報員として、自分の実力を上回る能力を持っているマクグリスを見抜こうなど、土台無理な話だということは重々理解していた。だが、それでも何を考えているのかが、候補一つすら浮かばない。
だから、キシウは焦る。これから自分は何をされるてしまうのかと。
「――詫びの品だ。中にはハムが入っている、家族と食べろ」
「ああ、どうも。これはご丁寧に…………ん?」
言われたことに対して、キシウは反射的に丁寧な所作をしながら木箱を受け取る。が。
(何故にハム?)
現状が良く理解できなかった。
「優秀なお前の能力を無駄に消費するような酷な任務を渡してしまったな。こちらの推測ミスと情報不足によって人員配置を間違ったのは初めてだ、苦労をかけた。その侘びだ」
「あ、はい……。はい?」
「こほ……。黙れすまん受け取れ。この場には俺しか居ない。報告を続けろ」
キシウの理解が及ばないまま、マクグリスは淡々と先ほどの話を続けようとする。
状況が良く分からないままのキシウではあったが、マクグリスの報告を続けろという言葉を聞いて、一旦状況を捨てて一つの話題にだけ考えを絞る。
が、それも良く分からない。報告を続けろと言われたが、自分は何を報告すれば良いのか……というか、何故あれほどまでに疑いの目を向けてきていたマクグリスが尋問も査問もせず自分を放置し、あまつさえハムを渡して報告を続けろと言って来るのかがまったくと言っていいほど分からない。
「どうした、早くしろ」
(何故ハム……俺は一体――――――何を求められているんだ?)
マクグリスの前だから表情には出さない。しかし、出さないだけで、キシウは真面目な顔をしながらハムの入っている木箱を持って立ち尽くす。
「お前、まさか」
そんなキシウの姿を見たマクグリスは、何かに感づいたような様子で鋭い目を向けてきた。
キシウとしては、内緒にしていることが多すぎて何に感づかれたのかが分からない。が、やはり、自分が隠し事をしていることにマクグリスは気付いたのだろうと思う。
「ハムだけでは足りないというのか。こほ……仕方ない、それほどまでにお前の能力を侮辱するような任務を出した。金か、少しくらいなら色をつけられる」
キシウは知っている。目の前の男は冗談や皮肉を言う男ではないと。
「こほ……それとも抗議か。それは受けられん。アステルに関する情報を収集することが出来ない事はお前もよく理解しているだろう。殺すぞすまん」
キシウは知っている。目の前の男は冗談や皮肉を言う男ではないと。
「……こほ、おい、黙るな。俺が話せといったらお前は何も考えずさっさと話せ」
「あ、すみません。あの、マクグリス様……。つかぬ事をお伺いしますが、自分は何を求められているのでしょうか……?」
「む?」
「え?」
木箱を持ったままのキシウと、鋭い目を向けたマクグリスはお互いの顔を見合う。
マクグリスとしても、まさか信頼していない信頼している部下が、考えられないような言動を取ってきたため驚く。
これまでマクグリスは、キシウの洗練された無駄の無い、こちらが何を求めているのかが分かっているような優秀で洗練された報告しか聞いたことが無かった為、まさかこのような言動をされるとは思っても見なかった。キシウとは、それほどまでに優秀な諜報部員だった。
だが、それと同時に理解する。優秀なキシウがこうなってしまったわけを。
だから――例外的なバカが絡むとイレギュラーばかり発生して面倒だ、と。そう思いながら、昼間に見た緑の男を思い出す。
アレは例外中の例外、抜きん出たバカの類だ。そしてその例外的なやつらは例外無く行動が短絡的で、その行く末は破滅しかない。
人というのは過程や経験、生き様を経て、総じて己の行動に法則や筋が生まれる。これは絶対であり、どれだけ頭の悪い者でもそれは例外ではない。町の酒場で騒いでいる市民だろうが、そこいらに居る村人だろうが、犯罪組織の他愛ない下っ端ですら情報を精査すればその法則や筋を絶対に見つけることが出来る。
しかし、極々稀に居るのだ。生き様を知らず、その行動に筋が見出せない奴が。
だがそんな奴等は現実では放置していても構わない。絶対に長く生きる事はないからだ。ポッと名が上がってきて、知らぬうちにポッと消えていくだけの存在だからだ。
しかし情報においては放置する事は出来ない。情報とは、知り、手元に保持しておくことが何より重要なことになる。その為、諜報員は何よりも情報に重きを置く。
起こりうる事に力で対処するのは騎士の仕事であり、起こりうる事に頭で対処するのが諜報員の仕事なのだ。
だから、マクグリスは知らなければならない。例えクソみたいなバカの情報だろうと一遍の無駄も無く知って居なければならない。
その為にすぐさま行動を起こす。
「あの仲介役……イキョウ、だったな。あいつに関する全てのことを吐け、その情報が明日の交渉で重要になる」
マクグリスは、バカに当てられて情報を精査できなくなっているであろうキシウに向かって、一切の躊躇もせずにナイフを突きつける。
それは、刀身を黒く塗りつぶした、光が反射しない細工を施されている鋭いナイフだ。それを慣れた振る舞いで瞬時に懐から取り出し、キシウの首元へ突きつけた。そっと這わせるように、死の恐怖を突きつけて余計なことを考えさせないように。
重要なカードとは何枚持っていても手に余る事は無い。あればあるほど有利になれるから。それを、マクグリスは理解しているから。
「っ……」
ナイフを首元に這わせられたキシウは息を呑む。
(やっぱり、嘘を付いていることはバレてるよな。これ以上隠し通せるわけが無い。娘……妻よ……本当にすまない)
(これ程までにキシウが黙るとは、あの例外的なバカは相当な筋金入りか。筋が無い癖にな。死ねすまん)
二人の思惑が外れた位置で交差する。
片や一方は嘘が隠し通せる訳が無いと黙り、もう一方はその沈黙を情報の整理が未だ付かないのかと推察する。その思いがお互い視線を交わらせる。
二人はお互いが思っていることを知らない。しかし、だからキシウは諜報員としての覚悟を決めて口を開こうとする。が、そのとき。
「何してんだお前」
声が、一つ。この路地裏に響く。
その反応はマクグリスの背後からであり、当たり前のように聞こえてきて、しかし誰も予測が出来なかった。――そこに人が居るなど。もしくは、そこに人が居た、など。
だが、瞬時に反応したマクグリスはその手を持っていたナイフを、振り向き様に迷い無く喉へと付き立てようとした。その刃は、迷いなくその声の主を殺す為に。
姿を確認はしていない。確認する暇も無い。この、二人以外存在していなかった路地裏で、何者かが急に現れることなど、マクグリスの感知能力を持ってすればありえないことだったからだ。
声の一瞬で分かる。この場に、自分以上の能力を持つ可能性がある者が前触れも無く現れた、諜報員としての活動を目撃された。それだけで殺すに値する。
先手を取られようが、不意に背後に立たれようが、マクグリスの瞬時の判断とその体捌きは決して後手になることはない。仕掛けられたと同時に殺す判断が出来るマクグリスとその高速のナイフ捌きを避けられる者は存在しない。
はずだった。
「あ、虫」
しかし、殺すはずだった対象は……マクグリスの鋭い突きを両手で挟みこみ、あっさりと押さえつけた。
「なっ……!?」
そのありえない光景に驚愕したマクグリスは、初めて相手の顔を確認すると――。そこには、昼間に見たふざけた格好をした男の顔があった。
「で、何してたのお前。まさかカツアゲしようとしてたんじゃないだろうな」
目の前の男。イキョウは手でナイフを挟んだままヌルリとした目をこの場に向ける。誰に向けるでもなく、この場に、その眼を向ける。
そしてそのままパッと手を放すと、マクグリスなんて興味が毛ほどにも無い様に、一瞥もくれずにノラリとキシウの方へ歩き出した。
そのイキョウの背を観ながら、マクグリスは困惑する。目が合ったと思っていたとき、視点が合っていなかった、そして相手の感情というものが一切読めなかったことに。
急に現れ、攻撃を防ぎ、それでいて感情が読めない。しかしその風体に脅威や威圧感を全く感じず、あまつさえ気配が常時薄い。
そしてマクグリスは気付く。この男、足音がしない。否、それどころか、行動の一切に音が乗って居ない。一目には騒がしそうな男だといった印象を受けるのに、その実、言葉以外の音には静けさしか乗って居ない。そのことに気付いたのは、気付けたのは、隠密能力に長けているマクグリスと……とある四人だけだった。
この男は、まるで数多の経験を積んで来た猛者のように思える、と、いうのに、歩き姿はフラフラとしていてなんとも情けない。
観れば観るほどに分からない。この男の本質が何もかも読めない。
「大丈夫だったかキシウ。お前も災難だなぁ」
イキョウは、マクグリスに対して無防備な背中を晒しながら、キシウの肩を励ますように両手でポンポンと叩いている。
あまりにも隙だらけの姿。マクグリスはそれを見て、何も分からない男を見定める為に動く。必要なら殺す為、脅威にならないなら不用意な行動は避けて見逃す為。
まずは殺気を込めた視線をイキョウだけに送る。
「このカツアゲボーイはオレが何とかしとくから、早くお家に帰りな」
「いや……えぇ……、そう言うわけには……」
(反応無しか)
次は、音を出さずにナイフを構えて殺す意思を示す。あれほどの所業が出来るものならば、反応するのが当然のこと。
キシウの視界にはその姿が写っているが、マクグリスの行いの意味を知っていてるからこそイキョウに気取られるような反応をする事は無い。
「いいからいいから。こっちも急ぎの用があるからちゃちゃっと終わらせるって」
「お前に帝国騎士様をどうこう出来るはずが無いだろう……」
(またも反応無し)
ならばと無音で近づいて、触れぬようそっと、ナイフを背中側から心臓に向けて差す。が。
(これも反応無し……なんだコイツ?)
あれほどの所業を見せたというにも関わらず、全くの反応を見せない。その姿に、マクグリスは怪訝な顔をする。
試す前から分かってはいたことだが、そこら辺の一般市民と喧嘩したらボコボコにされそうなほどの弱そうな雰囲気を纏っているこの男を一切脅威だと感じない。始めはそう言う風に偽装しているのだとも思ったが、何度見てもただ簡単に縊り殺せるなとしか思えない。
「は? 何? 騎士だってのにカツアゲしてたの? 給料どうなってんだよ」
「そもそもカツアゲ自体が勘違いだ……」
(……思い違いか。この俺がこんな雑魚を一瞬でも脅威と思ってしまうとはな、うぜぇ、死ね雑魚すまん)
見極めの結果、目の前の男が全く脅威ではないと判断したマクグリスは、ナイフを懐にしまって目の前の存在へ無関心な目を気付かれないように向ける。
「申し訳ない。そちらの男が怪しい木箱を持っていたので、少し調べさせてもらっただけだ」
マクグリスは、表向きはあくまで帝国軍総長補佐としての身分で活動している。故に、普段はその身分に合った立ち振る舞いをして、自分が諜報部部長だと知られないように立ち回っていた。それは、外部にも内部に対してもだ。マクグリスの本当の地位を知る者は限られた者だけしか居ない。
だからこそ、この場ではキシウとの繋がりを悟られないよう、自らを一帝国兵と装って話を進める。
「な? そう言うことだからイキョウ」
キシウも、マクグリスの行動の意味を悟って、話を合わせるために言葉を選んでイキョウに言って聞かせた。
「マジかよ、帝国は随分物騒な声掛けするのな。オレも気をつけとこー」
(それで納得するな、あの場を見たのならもっと疑え。だからバカは嫌いなんだ、疑うことを知れ。疑ったなら殺すがなすまん)
今の言い訳で録に疑問も持たずに、質問することもせずに、ただ納得するイキョウを見て、マクグリスは心の中で悪態にも似た言葉を吐く。
「ところで、何でイキョウはここに来たんだ? ホテルで休んでいるはずだったろう」
「それがさぁ、飯食いたいのにカフスが帰ってこないから迎えに行く途中だったんだよ。そしたら偶然、下でお前が襲われてるのが見えてさ。飛び降りてきた」
「下? どういうことだ?」
不可解な言動ではあるが、その言葉を聞いてマクグリスはある納得をする。
この男の薄弱さに加えて、バカで突飛な行動をしたから、本能的に気配を察知することを拒んだのだろうと。
そしてナイフを止めたのは本当に偶然だ。止める寸前に『あ、虫』と言ってたので、偶然虫を潰す行為が白刃取りをする行為に帰結したのだろう。現に、マクグリスの目には、イキョウの手に潰れた羽虫が付着していたことを確認している。
だからやはりバカは嫌いだとマクグリスは再認識する。道理や情報が何の役にも立たない存在が、マクグリスは一番嫌いだ。
しかし嫌いだろうと、もうイキョウの気配を覚えたから、今後見逃す事はない。それは裏を返すと、無視をしようにもこの男の気配を無意識に感じ取ってしまうことになる。その事実にすら、マクグリスは心に腹立たしさを覚える。
普段ならば気にしなければ良いだけの話なのだが、何故かこの目の前の男に対しては、考えを巡らせるほどに無関心を貫けなくなっていた。
「一々町歩いて捜すより上から探すほうが早いじゃん? だから屋根の上走ってたんだけど……あっ」
イキョウは言葉を言った後、『マズった』という表情をしながらマクグリスの顔を見る。
「聞かなかったことには……」
そしてバツの悪そうな表情をしながら、ぬるりとした都合の悪そうな目をマクグリスに向ける。
(何だこの死んだ目、人生舐めきってるようで腹が立つ死ねすまん言い過ぎたいやこのバカなら言っても良い)
「スノーケア様の同行者だからな。今回だけは聞かなかったことにする」
マクグリスは不快な表情は一切表に出さずに、冷静な面持ちでイキョウの言葉に答える。
これ以上この男に関わりたくない。その一心で、今回の件はナアナアで終わらせようとしていた。
「サンキュ!! 次からは気をつけるわ」
「礼とかどうでもいい、早く行け。スノーケア様を迎えに行くんだろう」
「は? お前が紛らわしい尋問しなきゃこっちだってこんな所で足止め喰らってなかったんだけど?」
(見逃してやるんだからさっさとどっか行けよッ!!)
「まあまあイキョウ、ここは大丈夫だから」
「……へいへい。キシウがそう言うなら従うよ、じゃあな」
イキョウはキシウに窘められると、不服ながらも納得してやったという雰囲気を出しながらヒョイヒョイと壁を蹴って建物の上へと姿を消した。
その姿を見て、マクグリスは内心怒りそうになる。
(次からは気をつけると言っていたのに全く気を付けていないっ、死ね雑魚カスッ!!)
イキョウが去っていた空を睨みつけながらマクグリスは心の中で悪態をつく。イキョウの行いに一切の違和感を抱くことなく、冷静さを失ってしまって、そして今後絶対に関わりたくないと思う。
「あ、あの。マクグリス様」
その姿を見たキシウは、伺うように声を掛ける、が。
「こほ……はぁ。頭いてぇ。もうあのバカの件はお前に一任する。本当に大事な情報以外は俺に持ってくるな。絶対に持ってくるな。要らん情報持ってきたら殺すぞすまん、家族とハムでも食ってろ」
マクグリスの始めて聞く心底嫌そうな声で、そう答えられた。
(何か良く分からないが……俺の疑いはどこかに消えうせたのか? あのマクグリス様がどういった経緯を経てそんな判断を下したんだ……? 普段なら一度疑ったら、白黒付けるまでは絶対に疑いを解く事は無いはずなのに……)
「こほ……チッ、帰る」
心底めんどそうな声色と呆れ顔をしながら、マクグリスはスタスタと歩いてこの場を去る。
キシウは、そんなマクグリスの後ろ姿をただ見送ることしか出来なかった。
TIPS
虫>マクグリスの攻撃