罹歪(2/3)
アステルと王国領土を繋ぐ道はいくつも存在する。その中の一つに、山を経由して繋げる道が存在する。
冒険者が荷馬車を護衛する際に一番警戒するのは、山道だ。木々のせいで見通しが悪く、また、高低差が在るため奇襲されやすい。加えて、人の手が入って居ない土地には何が潜んでいるか分からない。
森に潜む者は何も動物だけではない。ときには人も、所謂山賊と呼ばれる者も、潜んでいる時がある。
何が起こるか分からないその山では、今日も馬車が車輪を転がしていく――。
人が利用し、人を乗せ、人を運ぶ、乗合馬車。人を乗せた有蓋馬車が、王国からアステルへ向けて、木製の車輪を回しながら木々の間を進んでいく。
御者席には一人の御者と一人の護衛の冒険者が、中には男女合わせて十五人の乗車客と、二人の護衛冒険者が。山に入るまでは冒険者達も共に、皆和気藹々と言葉を交わしていたが、山入してからは違う。御者席に座る男の冒険者は前方の警戒を、残る男女二人の冒険者は、後方と周囲の警戒を行っていた。
――が。
「野郎共ォ!! 今だ!!」
森は冒険者のテリトリーではない。そして、森をテリトリーとする輩共にとっては、馬車を止めることなど容易かった。
不意に響いた野太い男の声と共に、木々の影から弓や剣、武器を構えた山賊が姿を現し、それと同時に馬の動きを制限させる為、前方後方にロープが張られる。山賊は瞬時に、人と馬の動きを同時に制限させた。
あまりにも鮮やかな手際は、護衛の冒険者が心の底から『クソッ』っと吐き出したいと思うほどだった。武器に手を掛けながらも、それを使う暇すらなく、構えれば容赦なく矢が飛んでくることは分かりきっていた為、山賊の行いに抵抗の意思を見せることすらできない。
乗客は何が起こったのかを察知したのだろう。顔を青ざめながら身を硬くしたりする者、お互いに体を抱き合う者、総じて恐怖を身に纏わせていた。
「ぼ、冒険者の旦那!!」
御者の焦る呼び声に、剣を背負った、まだ若い男の四等級冒険者は、真剣な面持ちのまま冷や汗を垂らし、周囲の山賊たちを確認する。目で確認できるのは、前方の五人。確認できないだけで、側面や後方、木々の陰にはまだまだ潜んでいることだろう。と、理解はしている。理解はしているが、そこからどうするかまではまだ思いつけては居なかった。
奇襲による不利、人数差による不利、それよりも、注意を向けなければいけない事があった。
「ヘヘヘッ、勝手に動くんじゃねぇぞ。そんときゃぶっ殺してやっからよぉ」
馬車の正面に立つ、山賊たちを纏め上げる男の存在が、この場において何よりの脅威だったからだ。
リーダー格の山賊は、毛皮を纏い、汚らしい口ひげを野暮ったく伸ばしているが、その体には至るところに傷跡があり、立ち姿や風格に隙など無く、一目で強者と思わせる迫力があった。
四等級冒険者達のレベルは二十後半。そして目の前の男は、推定でも四十は下らないとすぐに分かった。だからまずは武力ではなく、交渉にてこの場をどうにかしようと、冒険者は口を開く。
「おい、ここを通しては――」
「ああ? 何だってきこえねぇなぁ?」
「見てくださいよ親分、あのガキブルってますぜ」
山賊は、自らの優位性を分からせる為、煽っては大声を出して笑い声を上げる。その声を聞いた乗客たちは、より恐怖を覚え、馬車の中で縮こまった。
そしてまた、リーダー格は、取り巻きは上に立つ者のように、下を見下しながら煽り、大声を出して威嚇する。
「どーしちゃったのボクぅ? 怖くて震えちゃって、上手に声出せないのかなぁ? だったら俺が手本を見せてやるよ。死にたくなかったら全員降りろボケ!! さっさとしやがれ!!」
取り巻きの大声に、皆が体を震わす。そして抵抗の意思などは一切示すことも出来ずに馬車から降り、小さく震えながら馬車の後方に集められた。馬から遠ざけ、すぐに逃げられないようにするために。
冒険者三人は考える。自分達を取り巻く十数名の山賊を前に、どうすれば良いかを、打開策を考える。
「おいオメェ等、そこのガキ共から武器取り上げろ」
「「「へい!!」」」
しかし、親分と呼ばれる山賊の指示で、段々と抵抗する手段が奪われてしまう。パーティリーダーとメンバーである男二人からは剣が、メンバーの女性からは弓が、山賊の手によって奪われる。
パーティリーダーである若い男性はどうにか時間を稼ごうと、喉を震わせながらも、強者の雰囲気を漂わせる山賊へと言葉を発した。
「て、手馴れてるな。今までもこうやって馬車を襲ってきたのか?」
「テメェに話す意味あんのか?」
「ヘヘッ、良いじゃないすか親分。あっしらのこわーい所見せ付けてビビらしやしょうよ。この冒険者クンにお勉強あせてげるんすよ」
「……それはそれでおもしれぇな。お前、最初に女襲って良いぜ」
「やりぃ!!」
手下は舌なめずりをしながら品定めをし、回りの手下は『上手くやったな』と思い心の中で舌打ちをしながらその姿を見ていた。
「俺等は元々帝国で賊やってたんだがよぉ、あっちきな臭くなったんでこっち来たってわけよ。おめでとうガキ、テメェ等がこの国でのお初ってわけだ」
そう言いながら賊の親分は、冒険者の青年の肩に腕を回しながら、ねっとりと気さくに話しかける。筋骨隆々の腕を、優しく脅すように肩へ回す。
「おいガキ、今まで人殺したことあっか?」
「い、いや……」
「だったらよ、無理矢理襲った事は」
「ねぇ……けど」
「じゃあよぉ……金品巻き上げたことは」
「それも……ねぇ」
「ははぁー、さては可愛いおぼこちゃんの真面目君だな? へへへ……テメェみたいな奴を痛ぶって犯してぶっ殺すときが一番面白いんだぜ……分かるか?」
声が一変し、ドスと凄みを利かせた低い声は、青年がこれまで体験したことの無い、恐怖を覚える声だった。
そして瞬時に理解する。コイツ等は、裏の世界の住人なんだ、と。
凄みで押さえつけられた青年の膝は、笑っていた。親分格の男に叶わないと思って、なんで自分がこんな目にと思って、恐怖と後悔で全身が震え、尻が地面に落ちる。
「根性ねぇなぁ、冒険者ってのも。こんだけでビビッちまうんだもんなぁ」
呆れ気味に青年を見る盗賊、そして、不安げな顔をして青年を見る二人の仲間。
「リ……リーダー……」
「あ……あなたたち、こ、こんなことしてタダで……」
「あ? 何か文句あんのか?」
「ヒッ!!」
この場に居る冒険者は、もう、親分の圧に屈していた。護衛役の者達が尻込みしている姿を見て、乗客たちは絶望する。そして理解していた。『山賊達の言いなりになるしかない』と。
「おーおー、皆良い子ちゃんになっちまってからに。男は身包み全部置いてどっかいいけ、女は残れよ? 分かるよな? あと……ガキ、お前も残れ。可愛いからよぉ」
「ギャハハ!! 女も脱げ脱げ!! ストリップショーの始まりだ!!」
手下の言葉で、周りに下卑た笑いと『脱げ』というコールが響き始める。
乗客は震え、皆が泣き出す。女も男も、そして子供も。冒険者は自分達の情けなさに悔いて悔し涙を浮かべる。
そしてとある二人が、その場をシレーっと通り過ぎようとしていく。
「「「ぬーげ!! ぬーげ!!」」」
声が上がる中、絶望している者を尻目に、山道の脇をフラフラと歩いていく姿に、手下や乗客達は気付かない。親分も一瞬、見過ごしそうになった。
「……おい待てやてめぇ等」
「あ? なんすか? あ、おつかれさんでーす。今日もせいがでますねー」
「じゃあな」
「でますねでもじゃあなでもねぇよ……んだてめぇ等? 俺のこと舐めてんのか?」
「いやぁ……別に……舐めるどころかこの場に居る奴ら全員眼中にないし……」
「関係ないやつ等は関係のない所で好きにやってろ。俺達に関わるな」
「最近の若けぇやつってのは礼儀がなってねぇなぁ……おい、コイツ等もついでだ、捕らえとけ」
子分達は一瞬、何を言われているのかが理解できなかったが、ヌボーっと立っている二人を見て理解する。『弱そうなやつ等だ』と、そして、弱そうだから気にも留めなかったのだと考え、舐めた態度で二人に近付いていった。
乗客や冒険者達も、新しく人が現れたことで縋ろうとしたが、二人の姿を見て縋る事を止めた。寧ろ、一欠けらの希望も無く被害者が増えたとしか思えなかった。
「実力行使は止めてよね。トークしようよトーク、人って言葉交わすんだろ?」
そう言いながら、のらっとした一人がタバコを咥えると、もう一人も同じくタバコを吸い始めた。
「なんだこのバカ? 自分の置かれた状況理解出来てねぇんじゃねのかぁ?」
「いやちげぇぜ、そこの冒険者と同じでよ、時間稼ごうとしてんじゃね」
「あれ、ここに冒険者居んの?」
「助けてもらおうったって無駄だぜ。見てみろよアレ、ギャハハハハハ!!」
山賊の手下達は、バカそうな男が縋ろうとした冒険者を、震えながら悔し泣きをしてる者達を眼で指して笑う。ここには希望なんてねぇよ、とでも言いたげに。
「アレ見てどうしろって言うの? 知らない奴の涙なんてどーでもいいわぁ」
「良いからこっち来いよボケ共、言う事きかねぇと痛い目見るぜ?」
「どするよ。この道アステルに続いてるじゃん?」
「やれやれ……有益か無益か見極めるか」
「オレ達だけだと難しいんだよなぁ……」
「何ブツブツ話してんだ!! 良いから……なんだよ、随分素直だな。おバカな頭でもこれくらいは分かるってか」
山賊達が声を荒げ脅す中、件の二人は素直に従うように歩き、乗客や冒険者達の下へと歩き、そして座った。
「ねえねえ、そこの冒険者。なんでお前泣いてんの?」
「すまない……ッ、僕達が情け無いせいで……ッ!!」
「はぁ……?」
「くっちゃべってんじゃねぇぞ。ほら、早く脱げ。他に通る奴等が来ちまうだろ」
山賊たちは武器を突きつけ、そして脅す。
二人が加わろうと、乗客、御者、冒険者達の絶望が終わったわけではない。山賊達も、自分が優位な立場に居ると思い続けている。
子供の泣き声が、大人達のすすり泣く声が、森に響いてこだまする。その声が、二人の耳に入る事は無い。
救いの無い、ただ従うだけしかないこの場で、それでも先程山賊が放った言葉に、隙を見出すものが居た。自分達は情け無い冒険者で、しかしこの馬車の護衛のクエストを受けた責任を背負うものが居た。
冒険者パーティの一人、金髪を編んだ一人の女性が、自らの体を使って時間を稼ごうとする。
「わ……私が……最初に、脱ぐから……」
僅かでも時間を稼ぐ、稼いで、他の通行人や馬車、あわよくば騎士や冒険者が助けてくれる事を願って、一人立ち上がる。仲間二人はそれを止めようとし、しかし山賊たちの手によって地面に倒され押し付けられた。青年のほうは、親分の手で直々に。
その行為を見て乗客たちは、とくに女性達は、申し訳なさと同時に、ホッとした気持ちも抱く。自分達の番がまだ、回ってこないことに感謝をして。
「へへへ、良いねぇ、だーれも脱いでないのに、お前だけ脱ぐんだぜ? 恥ずかしいだろなぁ、この痴女がよ!!」
「ほら早くしろ、さっさとしろ、一人だけ裸になってみろやギャハハハハ!!」
「ッ……」
女性冒険者は、悔しさと恥ずかしさで顔を赤らめながらも、体を震わせながら革の装備に手を掛ける。それだけで山賊達の声は盛り上がった。抵抗を示しながらも屈する瞬間、これが何より山賊達の愉悦を引き出させる。
乗客達は、申し訳なさから眼を逸らし、なるべく見ないようにしていた。フードの男は、興味無さ気にあさっての方向を向いている。そしてバンダナの男はというと、タバコを咥えあぐらを掻きながら女性に眼を向けていた。
「おいおいおいおいおいにーちゃん、あんたもこっちの口かい? 一緒に遊ぶか?」
そんなバンダナの男に、調子に乗った手下が親しげに話しかける。
女性は女性で、ゆっくりと装備を外しながら、『助けようとしてるんだからこっち見ないで……ッ!!』と、恥ずかしさと悔しさと、身を投げ出さなければいけない情けなさに、涙を流していた。
「いやぁ、お断りするよ。オレ、今のところアイツ以外相手に出来ないし」
手下の問い、女性の視線。それらに感心を向けず、バンダナの男は言葉を返し、周りの言葉や光景に興味を向けずに立ち上がった。そして、女性の方へと近付いていく。腑抜けた顔で、しかし瞳がゆっくり静かになり始めながら。
「なんだなんだァ? 今更助けようってのか? それとも近くで見たいのかァ?」
「あーはいはい。じゃあ近くで見たいってことで」
(変態じゃない……!!)
山賊達は弱そうでフラフラした男が、何をしたって変わらないだろう、どうやったって助けられないだろう、と思い、男のフラフラとした情け無い歩みを見逃す。抵抗しようものなら、簡単に御して力関係を体にぶち込むだけだと考えているから。
そしてバンダナの男は、女性の前に立つ。女性の身長よりも、男の方が頭一個分高い。だから、顔と体を見下ろされるように、覗き込まれるように、男から見下ろされる。
タバコを咥えながら死んだ目で見下ろす男を、女性は涙を流しながら恥ずかしそうに見上げる。後一枚脱げば、上半身の肌は露になる。それを、こんな間近で見られたくなくて。
「なあ」
男は呼びかけと共に煙を吐き出し、タバコを指で挟んで右の手を下げる。左の手はポケットに入れられていた。
「コイツ等って無益?」
「……え?」
死んだ目の男から唐突に向けられた質問が、女性には理解できなかった。
「あんたが一番被害受けてるから、あんたが分かってそう。教えてよ、コイツ等って有益? 無益?」
「え……え?」
「有益無益じゃなくても良いよ。助かりたい? あんた普通そうだから、あんたが助かりたいって思うなら、アイツ等は悪い事をしてるから」
女性は思う。(助かりたくないわけ無いでしょ……助かりたいからこうしてるのよ……皆を助けたいからこうしてるのよ!!)と。
そして、心で叫んだ瞬間、涙が溢れた。本当は声を大にして泣き叫びたいのに、助けてって言いたいのに、この場では自分が助ける立場に居るから、誰にも縋れなくて、自分が泣き叫んだら皆を不安にさせてしまうと思って、この女性は冒険者であり、そして一人の女の子でもあった。
先程までは冒険者だった、その意思でこの場に立っていた。でも、心で叫んでしまったから――意思が揺らいで泣いてしまった。大粒の涙を零しながら、頬に涙を流し、口を開けて泣いてしまう。
「助けてよ!! 誰か助けてよ!! やだよ、もぅやだ!!」
その声を声を聞いた乗客達は皆、驚いて顔を向ける。先程まで誇り高き冒険者だった者がそこで泣いている光景を、目の前に死んだ目の男が立っている光景を。
そして男はバンダナを深く被って、目に影を落としている姿を。
「んだよ急に泣きやがってっせぇなぁ」
「俺は好きだぜこぅゆぅの、ギャンギャン泣いてるのみっと興奮するぜ」
「あんちゃんもう良いだろ、邪魔だぜ、しらける。どかねぇとぶっ殺すぞ」
手下の一人が、ずっと立って邪魔な男をどかそうと歩み寄る。そして、肩に手を掛けようとした瞬間――。
「<灰猟犬の牙爪>」
「――ぇ?」
――体に鋭い痛みが走ると共に、体を動かせなくなっていた。その山賊には、服や肌越しに灰のような獣の爪と、首元には噛み付かれる様に牙だけが体にめり込み、少しでも動けば突き刺さらんとしている。
牙爪がめり込む痛みと、猛獣に噛み裂き殺される寸前の恐怖は、心と体を拘束し、震えながらも叫ぶことすら許しては居なかった。
乗客や冒険者達は、一瞬、理解できなかった。あの男が山賊に抵抗しうる力を持っているとは思っていなかったから。それは山賊達も同様だった。仲間の一人が顔を青ざめさせ浅い呼吸を繰り返しながらも体を微動だにしない、恐怖している姿を見るまで、あの男がそんな力を持っているとは思ってなかった。
「た、たすけ……」
手下は、いや、手下こそが、自分の置かれている状況を一番理解していた。何も出来ず、ただ周りに助けを請うことしか出来ないということを。動けば裂かれる、噛み殺される。そう理解してるのは、拘束された本人だけだった。
「さっきまでげらげら笑ってたよな。自分達が上って思って、さぞ気持ちよかったろ。でもな、お前等如き小悪党は誰の上でも無いんだ。普通のやつ等の方が普通は上、悪党なら悪党の上がいる。思いあがっちゃいけないよ」
拘束された手下へと、そして周りで恐れおののいている山賊達へと、バンダナの男はヌルリと振り返る。目に影を落とし、しかしその奥には死んだような眼を潜ませながら。
「なんだイキョウ、無益か」
「そう、ソーエン。コイツ等暫定無益。殺して良いよ」
「な、なんだよコイツ等……」
「君達は…一体……」
「おうおうガキんちょ、変な技持ってんじゃねぇか」
驚く者達。そして怖気づく山賊達、その中で動けるものが居た。自分の力に自信を持っている親分は、舐めた事をしたバンダナ野郎に向かって、威圧的な態度と凄みを利かせた顔を向けながらズンズンと近付いていく。
その姿に子分達は威勢を盛り返し、乗客達はまた震え上がる。
誰がどう見たって、素人の乗客たちから見たって、親分と手下達では格が違う。その事は、冒険者達の方が痛く理解していた。
「き……君には無理だ!! ぼ、ぼくがやるから、てを貸して――!!」
リーダーである青年は、立ち上がろうとし、しかしまた地面に膝を付く。バンダナの男へと近付いていく親分の威圧感に気圧され、まともに立ち上げる事が出来なかった。それは、もう一人の男性冒険者も同じだった。女性は泣きながら、男の体に抱きついて、もう泣くことしか出来ない。
「良いかクソガキ。俺はな、レベル四十二、クマ殺しのバザーって通り名で帝国じゃ恐れられてたんだぜ? 馬鹿そうなお前でも分かるよな、レ・ベ・ル。理解できるよな?」
「あっそ」
四十二。その数字を聞いて、一般の乗客は震え上がる。三等級冒険者、もしくは王国の中級騎士並の力。普通の者達なら、絶対に太刀打ちできない領域。
「思ったより低いね。そんなんで恐れられてたとか自分で言っちゃうのってどうなの。箔付けかな」
「はっはっは!! 威勢の良いガキだぜ。……殺すぞ」
煽りを受けて、また、一部真実を言われ、親分はイラ立ちながらサーベルを取り出し男の喉元へと刃を添えた。
「殺してくれよ。なあ」
「ああ良いぜ!! 要望通りゴフゥッ!!」
「ほら、無理だった」
言葉が言い終わる前に、即座に腹にナイフが投擲された、同時に親分の顔に手がめり込んだ。言葉を待たず、避ける隙も与えない裏拳で体制が崩れた直後、今度は蹴りが胴体に、ナイフを押し込むようにめり込み、森の中へと吹き飛ばされる。
その光景に、乗客と冒険者達は唖然とし、この男は何者なのかを考えらざるを得なかった。フニャフニャしてた男が、まさかあの親分格の山賊をこんなにもあっさりと倒すとは思っても居なかったから。あっさりと、事が過ぎていくから。
「オレはアイツをやるからお前は――」
「もう終わっている」
その会話を聞いて、乗客達は周りに眼を向ける。すると、辺りには関節が曲がらない方向に曲がっている手下や、関節自体が増えている手下達が転がっていた。そしてそれを行ったと思われる男は、コートのポケットに両手を突っ込みながら憮然とした態度でこの場に立っていた。
牙爪に捕らえられた手下だけは、捕らえられたまま何もされて居ない。何もされないまま、終わらぬ恐怖を体や喉に突きつけられていた。
「ごめんね、ちょっと離して」
「やだ!! 行かないで!! おいてかないで!!」
イキョウはその手下を更に放置して親分の下へと向かおうとするが、泣き喚く女性に抱きつかれる。
「別にアンタの為にやってるわけじゃないから離しな? アステルに続く道だからこうしてるだけ。そこの冒険者、コイツ引き取ってくれ。邪魔」
「え、あ、ああ……」
声を掛けられたリーダーではない男性冒険者は、バンダナの優しい口調とは裏腹に、冷たい言葉を言い放たれて困惑する――が、女性の事を好いていたため、慰めようとその身を引き取ろうとする。
「やめて、離して!! この人じゃなきゃやだ!!」
「……」
喚く女性冒険者、それを抑えながら落ち込む男性冒険者、その姿を背に、イキョウは森へと入ろうとする、が。その寸前に青年から声を掛けられる。
「ま、待ってくれ!! 君はあの男を追いかけてどうするんだ!!」
「あー……どうすんだろ。わかんねぇ」
「……は?」
そしてその言葉と共に森の中へと消えて行った。
答えにならない返答をされ、ならばと今度は、この場に残ったフードの男へと青年は問う。話しかけ辛そうな姿をしているが、それでも問う。
「き、君達に助けられた事は……感謝してる。……だが、コレは少しやりすぎで――」
その言葉を言い終わる前に、青年の足元に何かが打ち込まれ、そして爆ぜた。
青年の知らない武器のようなものと、その武器から放たれた爆弾のようなもの、それらは、寸でのところで自分を殺してないだけだと、思い知らされた。
「さっさと消え失せろ」
フードの男はそれだけ言うと、呻いてる、死んで居ないだけの奴等を蹴って一つの場所に集め始めた。その様は、人を人として見て居ないような雰囲気を漂わせている。
(――コイツ等……カタギじゃない……勇者様のような正義の味方でもない……)
この窮地を脱したのは確かに二人のおかげではあった。しかし、助けて貰ったはずなのに、二人を救世主や英雄のように見ることなど出来なかった。
乗客達もまた、同じような思いを抱く。この二人は、今回たまたまこちら側に立っていただけで、助けたいという思いを持って自分達を助けてくれた訳ではない事を。
山賊達が悪い事をしてるから懲らしめる、困っている人達がいるから助ける、そんな思いは何処にも無かった。普通であれば先程の出来事は、善悪の価値観によって解決がなされることだろう。しかし、二人は何処か違うように感じられた。何が違うのかまでは理解できないが、少なくとも自分達を助けようとして山賊を倒した訳ではない事は理解している。
その証拠に、フードの男は掻き集めた山賊達の上に座りタバコを吸いながら、こちらに一瞥もくれてない。この場に一切の興味の無くただそこに居るだけだった。
一応、助けられた事は事実な為、冒険者達や乗客、御者は、お礼を言いながらもそそくさと馬車に乗り込み、馬止めのロープを切ってこの場を去る。
「待って!! 私も残る!! 離してよ!!」
「……最悪だ……」
「もっと力をつけないと……!! 今日のぼくに負けない俺になるんだ……!!」
女性は馬車から身を乗り出しながらワガママを言い、男性はそれを抑えながら落ち込み、青年は自らの不甲斐なさに活を入れながら、そうして馬車はこの場を離れていく。
この場には英雄など居なく、悪を成敗する正義も居なく、それ故に助けてくれた二人を賞賛する気にもなれず、ただ逃げたくてこの場を去る。
ふと去り際に、仮面を付けたスーツの男が、何処からとも無く現れたような気もしたが、それを事実と確かめる間もなく、馬車は走り去って行った。乗客たちは山賊に襲われた恐怖など忘れ、助けてくれたあの二人から逃げるように、この場から逃げるように、思い出したくなくて逃げ去った。
――――。
時間は過ぎ。
夜も更けたアステルにて、とある宿屋の、とある食堂では、真っ白な少女がモジモジしながら、向かいに座るピンクと緑のグラデーションが掛かった髪の少女に、何かを打ち明けようとしていた。
「…………ご、ごめんなさい、お夕飯の、前に……ラリルレさんの……お皿、割ったの……私です……」
「そっかぁ……。良いんだよぉ、シアスタちゃん。ちゃんと謝れて偉いよ、打ち明けるなんて凄い!!」
「……あ゛あ゛ーーーー!! ラリルレさんごめんなさぃ!! これ、かわりに、なるか、わかりません、いそいで、買って、きたんです!!」
「んふふ~、ありがとぉシアスタちゃん。シアスタちゃんが選んでくれたお皿だもん、大事にするね。……おいで?」
「あ゛あ゛ーーーー!!」
シアスタは、ラリルレに隠し事が出来ず、罪を打ち明けて泣きながら贖罪をした。そんなシアスタを、ラリルレは受け入れ、ぎゅっと抱き締め偉い偉いとあやす。ロロも、それを真似てシアスタの頭を触手で撫でていた。
静かな食堂にて上がった泣き声は、二人の手によって次第に静かになっていき、大泣きから啜り泣きに、啜り泣きから涙声に、そして小さく涙を零しながらも、落ち着いた様子へと変化して行った。
ラリルレに抱き締められながら、ロロに撫でられながら、その優しさと温かさを感じて痛く反省するシアスタ。そんな三人が居る食堂へ、帰宅を告げるベルが聞こえてきた。
「ただただー」
「帰った」
「お帰りなさい、キョーちゃん、ソーちゃん」
「おかえりなさぃ……」
ベルを鳴らした二人はその足で食堂へ向かうと、用意されていた晩御飯を持ってテーブルへと座る。
「今日は遅かったね。何かあったの?」
「いんや特に? 選んだクエストが悪かっただけ」
「ああ。それより、シアスタに何かあったのか。嫌な事でもあったのか、それとも誰かに何かされたのか、言え、俺達がなんでもしてやる」
「違います……。お夕飯の前に……ラリルレさんのお皿割っちゃって……」
「んふふ~、でもねでもね、シアスタちゃんわざとじゃないし、わざとじゃないのに謝ってくれたし、代わりのお皿プレゼントしてくれたんだぁ」
「悪い事したのは……私なので……」
「もーシアスタちゃん健気かわゆい!! 偉い!! ぎゅー!!」
「ぽかぽかぁ……」
「いいなぁ……オレも何か悪い事か偉いことしてラリルレにぎゅーしてもらおうかなぁ……」
「一理あるな。明日は爆破か町のゴミ拾いでもするか」
「お二人とも極端ですよぽかぽかぁ……」
「キョーちゃんもソーちゃんもすっごく偉いよ!! こんな遅くまでお仕事してきたんだもん!!」
「はぁ……好き」
「ふぅ……尊い」
「ロロさん……もうなでなで大丈夫ですよ」
「そうか……もう良いモノなのか? 分からぬ」
「じゃあ……もちょっとだけお願いします……」
「分かった」
こうして、帰宅した二人はいつものように日常を過ごすのだった。何事も無かったかのように、昼間の出来事などどうでも良いかのように、アステルでの日常をただ過ごす。




