92.でっかいもの、やわらかいもの
「……」
――疑問を抱くオレを前に、コロロはベッドに腰掛て手を取って来た。
オレの手を、優しく両手で包み込むように触れてくる。
「こんなに弱弱しく……。どうして貴方はそこまで誰かの為に戦えるのでありますか」
「えぇ? コロロも同じじゃん。立派に騎士やってんだから」
「同じじゃないのでありますよ。私は騎士としての誇りを持って、民のためにこの命を差し出す覚悟はあります。しかし、イキョウ殿のように覚悟を持たずにただ命を消耗しようとは思わないのでありますよ。そのようなこと、普通の人ならば絶対に出来ないでのあります」
その言葉と共に、コロロはオレの手を優しく握ってくる。
その手は温かくて、優しい。握られてる手に心地よさを感じてしまう程だ。
「イキョウ殿、貴方を見る度に私は分からなくなるのでありますよ。何故軽薄で騒がしくて優しい貴方が、あのような冷たく虚ろな眼を、今のような死を写す目をしているのかが。貴方の本質は一体どちらにあるのでありますか?」
オレの本質。あったらいいな。
「コロロはどっちが本性だと嬉しい?」
「……あなたは……まったくもう……」
オレの問いを受けたコロロは困った風に笑いながら、それでいて嫌じゃない口調で答える。
「私はこっちのおちゃらけたイキョウ殿が良いであります。今の貴方と過ごす毎日は、とっても楽しいでありますから」
「じゃあこっちが本性だな。そう言って貰えてオレも嬉しいもん」
そう答えると、コロロは照れてるような、笑ってるような表情をオレに向けてくれる。そして――。
「…………イキョウ殿……その、隣に……」
――俯きながら、後は察してくれと言わんばかりの口調で尋ねてくる。
「おいで、そんで二人で幸せに寝よう」
オレが布団を捲ると、コロロがおずおずと潜り込んできた。そして二人で並んで横になる。
「その……そういうことはダメでありますよ? あくまで仲良く寝るだけでありますよ?」
「大丈夫大丈夫。…………本当に大丈夫だから……」
「イキョウ殿って、思ったよりも誠実な……おや? イキョウ殿の顔が物凄くしょんぼりしてるのであります……」
「ダメなんだ……オレのオレがアレになって……」
「何を言ってるのかは分からないでありますが……、えいっ」
オレが心の底から落ち込んでいると、コロロが頭を抱き寄せてきた。
力の入らないオレはその流れに従うしかなかった。
服越しだけどやわっこ……。
「ラリルレ殿から教えて貰ったのでありますよ。ハグというものは人を元気にさせると。どうありますか? 元気になれそうでありますか?」
「うーん。心はめっちゃ元気でてるわぁ」
身体はダメだわぁ。いやぁ、でもやわっこいわぁ。良い匂いがして、柔らかな間からミルクのような温かい香りがして、そこに顔を埋められて…………やわっこいわぁ!! 呼吸をすればするほどコロロの谷間の香りが脳に流れ込んでくる。
朝の鍛錬で分かってはいたけど、汗ばもうが何しようがコロロの体臭自体がめっちゃ良い香りなのに谷間はヤバイ、ものごっつ良い香り、癒されるぅ……。
「良かったのでありますよ」
頭の上から、そして体越しに直接コロロの優しい声が聞こえてくる。
……こいつ、オレの事を一生懸命に元気付けようとして、自分が今何してるのか気づいて無いのか?
「イキョウ殿の息が、ちょっとくすぐったいのであります。でも温かい」
コロロはマジで気づいて無いようだ。もっとぎゅっとしてくる。でも、幸せそうな声で話すから、それの気持ちに横槍を刺すのは悪いな。
何より、この状態だとコロロの声が肺越しに脂肪を伝ってダイレクトに聞こえてきてヤバイ。多幸感がマッハでヤバイ。
さい……こう……。
「イキョウ殿。ワガママを言ってしまい申し訳無いのですが、あのナイフは私が預かってても良いでありましょうか」
「別に良いけど……だったら最初から返そうとせず内緒にしとけば良かったんじゃない?」
オレはフガフガしながらコロロの問いに答える。
「ひゃうぅ。くすぐったいであります。内緒はダメであります。それでは盗んだのと変わりが無いでありますからね」
「そっかぁ。コロロは律儀だなぁ」
「ところで……どうしてニーアがこの部屋で寝ているのでありますか? ニーアもイキョウ殿を元気付けようとしに来たのでありましょうか」
「ああ、うん。そうそう」
「そうでありましたか。ニーアも同じ事を考えていたのでありますね」
えっ……コロロはニーアの事知らなかったのか。
でもニーアの性癖は人に話すようなことじゃないし、それはニーア自身も分かってて同室のコロロにすら話してなかったのかもな。
にしても、よく今の今までコロロはニーアのこと突っ込んでこなかったな。いや、これもコロロの清らかさってやつなのかも……なぁ。
「イキョウ殿」
「ん?」
「これで少しは、貴方の寂しさを埋められているでありますか」
「んー、もう最高。このまま一生をここで過ごしたいわぁ」
「大げさでありますよ」
コロロが小さく笑う。その振動が直接頭に伝わってくるからもー最っ高。
「イキョウ殿」
「なーに?」
「呼んだだけでありますよ」
やっばいわぁ。さっきからめっちゃ名前呼ばれまくっててやばいわぁ。
心音もダイレクトに伝わってきてマジヤバだわぁ。
「どうしてでありましょう。何故だか幸せが止まらないのでありますよ」
「んー、オレも幸せだからお互い様ってことでぇぇへっへ」
「なるほど、お互い様なのでありますね」
「ところでさぁ、コロロ」
「なんでありますか?」
「こんな状況で聞くのもアレなんだけど、ちょっと気になることがあってさ。どうしてオレの眼を見抜けたの? 前にオレを起こしにきたときに苦い顔をしたのと関係してる?」
オレはコロロに問いかける。
以前、王城に泊まっていたときに、コロロはオレを騎士団の訓練へ参加させるために叩き起こしに来た。その際にオレの戦闘戦略へ苦言を呈されたんだけど、同時に悲しそうな顔もされた。
あの時のコロロとオレは、関係性が最悪だったから深くまで聞くことが出来なかった。その後は、あの悲しそうな顔を見る事は無かったから得に言及する事は無かったけど、今ならどうにか教えてもらうことが出来るかもしれない。
「……関係……しているでありますね」
コロロは少し良い淀みながら、オレの問いに答える。
あのときは教えてもらえなかったけど、今なら答えてもらえるようだ。
「私がまだ小さい頃、王都の図書館で勇者様の物語を読んでいたときであります」
コロロがまだ子供の頃か。事の起こりの時期と状況からちゃんと教えてくれるのな。
どうやら、悲しい過去を丁寧に語ってくれるようだ。これは長い話になるかもな。
「具体的には二十四巻の第九章 -親しき友よ- を読んでいた時であります」
なるほど。読んでいた章と題まで教えてくれるとは、コロロは余程丁寧に語ってくれるようだ。
「読んだ事の無いイキョウ殿の為に説明するのでありますが、勇者様のお仲間には元暗殺者が居たのであります。名をザンエイと言い、その方はとある国の暗部に所属をしていたのでありますよ」
なるほどなるほど。随分と丁寧に説明してくれるな。本を読んでる時の情景描写を事細かに説明してくれてるのかな? ザンエイ……どこかで聞いたことあるような……ああ、でもコロロの声の多幸感で脳味噌とろけるから考えらんねぇわぁ。
「それで、ザンエイ殿には同じ国の騎士隊に幼い頃からの親友が所属したのであります」
なる……ほど? 段々コロロの語りが熱くなってきてる気がする……。
「とある依頼を受けたザンエイ殿は、偶然勇者様と戦うことになったのでありますがね、刃を交えながらも説得する勇者様の語りが……もう…カッコイイのであります!!」
「うーん……うーん? コロロ、夜だからちょっと大きな声は抑えようね。できれば囁いて」
「あっ、申し訳無いのであります。それでそれで」
大きな声から囁き声になったコロロは話を再開した。
「その言葉に心を揺れ動かされたザンエイ殿は、一瞬だけ刃を振るう手が止まり己が刃を振るう意味を考えてしまったのであります。その姿を見た勇者様は、ザンエイ殿の迷いを見抜いてこう言ったのであります。『今は無理だけど、いつか君自身とお話してみたいな』と。あ、ザンエイ殿は任務中においては感情を一切見せない冷酷な人の描写が続いていたのでありますが、だからこそ勇者様の言葉で揺れ動いたのが印象的で――――」
「ふむほむ……なるほど」
オレは一体何を聞かされているんだ?
コロロの悲しい過去を聞くつもりが何故か勇者物語を聞かせられてるぞ。でも良いなこれ。ひたすらにコロロの声が堪能できる。もうこのまま流れに身を任せてしまおう。
ありがとなアーサー。お前達の勇者物語が無かったらここまでコロロの声をひたすらに聞く事は叶わなかったかもしれない。
コロロの語りは進み、ザンエイが刃の振るう意味を捜す為に暗部を抜けて勇者一行に付いていこうとする場面まで語られた。
「その際に暗部を抜ける条件として提示されたのが親友との一騎打ちだったのであります」
「うんうん」
「ここから親友殿の過去編が始まるのでありますが――――」
親友編。簡単にまとめると、ザンエイと親友は騎士になりたくて幼い頃に同じ師に教えを請いていたらしい。その師は元騎士の老人だとか。
そんで、親友には騎士としての素質が合ったがザンエイには無く、それでザンエイはその師の知り合いの元暗部所属の老人を紹介して貰って自分の道を進むことにしたらしい。
二人は度々手合わせをして切磋琢磨してたとか。
それから時は流れて二人とも国に使えることになりましたとさ。
「ザンエイ殿は冷酷な仕事人、親友殿は口数の少ない武人のような描写が多く、セリフで多くは語らなかったのでありますが、この過去編を読むと印象がガラリと変わるのでありますよ。ザンエイ殿は師の教えによって冷酷に振舞ってるだけで素直な方であり、親友殿は穏やかで静かな平和を願っている一人の男だったのであります。お二人とも他の者との会話はほとんど無いのでありますが、互いが揃うととても楽しそうに会話するのでありますよ。その場面が好きで何度も読み返したのでありますね……」
凄いぞ。コロロの口が止まらない。ずっとオレを抱えたまま語り尽くしている。
時たま気持ちよくて眠りそうになるけど、コロロの声を堪能できるのは今しかないから気合で起きている。足を抓ったり舌を噛んだりして、意地でも眠らないように自分を叩き起こしてるからな。絶対にコロロが寝るまで寝ないからな。
ところで、何時本題に入るのだろうか。ずっと勇者物語を聞かせていただいてるけど、悲しい過去については一切語られない。
「過去編が終わって、ついに一騎打ちの話になるのでありますが……あ、ここからが-親しき友よ-の内容になるのであります」
わぁお。ここまではそれより以前の内容だったのか。
ってことは……この章の語りが終わってしまったらコロロの勇者物語談は終わってついに本題に入ってしまう。
もう……コロロの声を堪能する時間に終わりが近づいているのか……。
「ここまで、実はお互いがお互いの強さに尊敬と嫉妬をしている描写や、いつかは本当の意味で戦いたい――命の奪い合いをして己の強さを確かめたいという気持ちがあって、ついに迎えた決戦の日なので私は期待と不安が入り混じったままページを……あーっ、でも今語っただけ部分だけでこの熱さが伝わるかと言われると難しいところであります…ッ。やはり実際に読んでないと伝わり辛い部分が」
「大丈夫大丈夫。そういう語りすんの、オレの身内に似たような奴等居るから、お前の思いは分かるよ」
「そうでありましたか!! ではでは。ここからが本題なのでありますよ」
「おお、ここからかぁ……はぁ?」
「二人はこの決戦の日まで努力をしてきたのであります。なのに、他国の陰謀によって横槍が入ったのでありますよ!!具体的には試合当日、死に行く二人の為に王城にて振舞われた昼食に毒を盛られていたのであります!!その会食には王も参加していたのでありますが、敵国の狙いは王とその国きっての二大戦力を削ぐことでありました。普段のザンエイ殿ならば毒に気づいたでありましょう、ですがその日は一世一代の決戦の日。ザンエイ殿も頭はそのことで一杯だったのであります。敵はその隙をついて……ッ!! そのせいで熱い試合が読めるはずだった話が一転して推理パート突入でありますよ!? 偶然他国の陰謀を知った勇者様ご一行が現場に駆けつけたおかげで命が失われる事は無く、勇者殿の功績を称えられてザンエイ殿は試合を行うことなく王命にて勇者様の仲間入りを果たしたのであります。因みに、勇者様の物語は、一人の青年が勇者になるまでの事を書いた物語でありますので、この時点では勇者様は勇者様ではなく、魔王群討伐にて多大なる功績を上げている将来有望な好青年として書かれているのであります。
この話の流れも良かったのではありますが、それはそれこれはこれであります。私はザンエイ殿と親友殿の戦いが読みたかったのでありますよ!! あの二人が積み上げてきたものは、決して陰謀などという汚いもので汚してはいけない程の誠実さと美しさがあったのであります!! なのに……結局決闘は行われなかったという理不尽な結果に終わってしまったのであります……」
コロロはそれはもう悔しそうに、それで居て悔しくて泣きそうな程になって語っている。
「お二人は別れ際に、『次に会う時は』とだけ言って別れるのであります。ですが次ぎ会うシーンは魔王群討伐で勇者様や各国が連合を組んだときだったのでそんな命のやり取りをしている暇はなかったのでありますよ!! そして最終的にはそのお二人が約束を果たす場面は書かれずに物語は終わるのであります!! 私はぁ……読みたかったのであります……あのお二人が約束を果たす話を読みたかったのでありますよぁ」
囁き声で怒りと悲しみを叫んでいたコロロは、悲しそうな声を上げながらとても悔しそうにそう言った。最後なんて『よぁ』とか言っちゃってる。
コロロの胸から顔を上げると、コロロが目を閉じながら目じりに涙を溜め、悲しそうな顔をして居るのが見える。
「ぐぅ!?」
ヤバイ!! コロロのこんな顔見せられると堕ちる!! 全身が冷えて何もかもどうでもよくなるぅ!!
「頼むコロロ泣くなぁ!!」
「ひぐぅ……我慢するであります、今日はイキョウ殿を元気付けるのが目的。私が泣くわけには行かないのであります…っ」
コロロは目をギュッとして泣かないよう我慢した。
どんだけ勇者物語大好きなんだよ……。泣くところ分かんないよ、ガチのファンじゃん。
「うぐっ、以上が私の事情であります」
「なるほどなぁ。なるほどなぁ? コロロが苦い顔をした理由は分かったけど、オレの目が写してるものを理解した理由全然分からないぞ?」
「勇者様の物語を読んで高潔な精神を学んだのであります。であれば、おのずと破滅の意思も理解できるのであります」
泣くことをやめたコロロはちゃんと理由を説明してくれるけど……。うーん、理解できないけど納得できたから良いや。
ようはこいつは入れ込んでしまう程の勇者ガチファンでガチオタだから、正反対のオレのことを理解してしまえるということか。
嘘だろ? たったそれだけのことで……? 理由が安くない?
――――いや、全然安くない。どこぞのバカなんて価値観の中心部分に非現実を用いているんだ。ここでコロロの考えを否定してしまったらあのバカとヤイナがオレを殺しに来る。この世界のオタクを、異世界から来訪したオタク達が全力でフォローしに来ることだろう。
だったらコロロの理由は安くない。否定したら人一人の命が失われるほどの立派で重い理由だ。
「コロロは本当に勇者物語が大好きなんだな」
「それはもう、筆舌に尽くし難い程であります。もし勇者殿が実在していたならば一目見て……いえ、少しだけ言葉を交わして……いえ、お話して……もういっそのこと手合わせして――?」
「段々要求が高くなってない?」
「勇者様のことを考えたら体を動かしたくなってきたであります」
「唐突だなぁ。夜が明けるまでは大人しくしてようぜ。疲れた身体は休ませないと壊れちゃうぞ」
「平気でありますよ。騎士たる者、一日二日は寝ずに戦えるよう訓練を積んでいるのであります」
「体力お化けだなぁ」
「それに――」
その言葉と共に、コロロは唐突にオレを離して上半身をオレに向けながら身体を起こした。
オレの目にはびっくりする光景が飛び込んで来る。
「もうそろそろ鍛錬の時間でありますから」
コロロが起こした身体の隙間から、窓が見える。
その窓に映ってる空は、何故だろう、まるで朝日が昇り始めてるかのような白みを含んでいるように思える。
その光景がオレには信じられない。
「まるで――――夜明けみたいじゃないか。オレの体感時間ではコロロに包まれてからまだ五分位しか経ってないはず……」
「それはお世辞でありますか?」
コロロは嬉しさを含んだ微笑みながらオレを見下ろしてくる。けど――。
「最高のお前にお世辞なんて必要ない。オレは事実だけを述べてるんだ……」
未だに経過した時間が信じられなくて、驚いた表情をしながらコロロのことを見つめた。
「大分長い事話し込んでいたのでありますから、夜が明けるのも当然であります」
「ああ……」
現状が信じられなくて、オレは言葉半分に生返事を返す。
コロロの言う通りなら、オレは長い時間幸せを堪能したってのか? その長い堪能でさえ体感では五分程でしかないってのか? 長い時間=体感五分じゃまだまだ足りないぞ。
だったらオレがコロロという存在を堪能しきるのにはあとどれくらいの時間が掛かるってんだ? 永遠という時間が必要なんじゃないか?
「本当は私もこのままイキョウ殿と一緒に眠りたかったのでありますが、マール殿やシーカ殿との約束もあることですし、朝の鍛錬に向かうのであります」
「ああ……」
「イキョウ殿、おやすみなさいであります」
「ああ……」
「では私は……おや? 付いて来るのでありますか?」
「ああ……」
「力が弱まっているというのに鍛錬に付き合ってくれるのでありますか。……イキョウ殿はお優しい人でありますね」
「ああ……優しくない……」
「ふふっ。では今日もよろしくお願いするのであります。くれぐれも、無理だけはしないで欲しいのであります」
「ああ……よろしくであります」
「嬉しいでありますよ、ありがとうございますであります」
「ああであります……」