91.拾ったもの、持ってるもの
何の問題も無く身体を拭き終え、いつもの装備に身を包んでからコロロのことを呼ぶ。
声を掛けるとコロロはすぐに部屋に入ってきた。
「よかったであります。今度はちゃんと服を着ているのでありますね」
「露出狂みたいな言い回しやめて?」
部屋に入ってきたコロロは、ベッドに座ってるオレに近づいて来て目の前に立つ。
「イキョウ殿。まずはこれを」
そう言ってコロロは手に握ったバンダナを差し出してきた。
「欲しいならあげるよ?」
「いえ、返すのであります」
何故だか確固たる意思を持った口調でコロロは言ってきた。
だから仕方無しにそのバンダナを受け取る。
まあ、そうだよなぁ。このバンダナはオレが一番似合うわけだしな。
「持ち主の下へと返すのは、正しい行いなのでありますよ。だからこちらも」
そう言って差し出してきたコロロの手には、オレのスローイングナイフが乗っていた。
「あれ? なんでコロロが持ってんの?」
ナイフを見たオレは思わず疑問を持ってしまって、目の前に立っているコロロの顔を見る。
このナイフを誰かに上げた事は一度も無い。っていうか、ナイフをプレゼントする趣味は無いから誰かに上げる機会なんて全くない。
それなのに、どうしてコロロがこのナイフを持ってんだ?
「以前、ユーステラテスと戦った際に、勝手ながら拾ってしまったのであります」
オレの疑問に対してコロロは口を開いて答え始める。
「ほえー。まあ、立って話すのもあれだし座りなよ」
「……失礼するであります」
オレの言葉を受けたコロロは、隣に腰掛けた。
その所作には恥じらいのようなものを感じた気がした。
「早く返さなければとは思ってたのであります」
座ったコロロの言葉からは、少しの罪悪感が感じられた。
「あの森で出会ってから今まで、何度も返す機会はあったのに……どうしても手放せなかったのでありますよ」
「そんな欲しいなら別にパクっても良かったのに。まだ在庫はあるぜ? 一本くらいなくなってもどうってこと無いわ」
「貰うわけにはいかないのであります。私のものにするわけには行かないのであります。これがイキョウ殿のナイフだから、私は持っていたいのでありますよ」
俯いたコロロは、表情が伺えないまま言葉を紡いだ。
「あのユーステラテスと戦ったときのイキョウ殿は、とっても強くて凄く強くて、でも寂しそうでありました。私は勇者に憧れたのに、あの姿の貴方に憧れる事はなかったのでありますよ。皆を救おうとして、強大な敵に立ち向かった貴方の姿に……」
なんだ……コロロの口調が重苦しいぞ。まるでシリアスな雰囲気じゃないか。
勘弁してくれ。今のオレは奥義の反動で弱々になっているからその雰囲気に引っ張られるぞ。
でも舐めんなよ。あの時は堕ちた上に反動があったからメンタル沈んでたけど、今のオレは堕ちてない。だったら流される事は無い。
「あのときの貴方は勇者などではなかったのであります。皆を救おうとして、自分を投げ出していたのであります。あの姿を見て、胸が痛くて、寂しくて……」
待て待て待て、何でコロロは泣きそうな声で話し始めてるんだ?
コロロの情緒が全くと言って良いほど分からない。ナイフを返す返さないの下りがどうしてこうなったんだ? 分からない。全く分からない。
「私はこの休暇で、朝の鍛錬がすっごく楽しかったのであります。イキョウ殿と一緒にする鍛錬が本当に楽しくて……。イキョウ殿も楽しいって言ってくれて私は嬉しかったのであります。でも、私は貴方の寂しさを……ッ!!」
「ちょっとごめんよ」
俯いたままではコロロの顔が分からない。
だからコロロの顎を優しく掴んで、オレの方へと向けさせる。
案の定、コロロの眼には薄っすらだが涙が溜まっていた。じきに泣いてしまう者の目だ。
だからその眼を見て涙の意味を探る。この涙が何を意味しているか、目と目を見つめ合って正体を確かめる。一時的に、瞬時に虚ろな目を使って、あっちのオレに任せて人の中に入り込む。
「なにやらぞわぞわと……イ、イキョウ…殿?」
「……なるほどなぁ」
コロロの涙を見て、目を見て、大体の事は理解できた。だからすぐにオレはあっちのオレをやめる。長く見せて良いものじゃないから。
涙は悲哀と愛情、そして救済だ。
コイツは、あのときのオレが見せてしまったモノを知ってしまったらしい。見ただけでは分からない、奥底にあるものすらも何となく感じ取ったらしい。
……なんで分かったんだ。あの眼を恐れるものは居ても、あの眼の意味を理解する者はそうそう居ない。ソーエンとヤイナ、そしてナナさんくらいだぞ。現実で相対して見抜いた奴なんて。
「その、イキョウ殿……、心を覗かれているようで…恥ずかしいのであります」
眼を見つめていたコロロは、顔を赤らめながらオレを見て来た。
「ああ、悪い悪い」
コロロを苛めているような気がして、オレは手を離す。
もっと深く探るか? でも、今じゃないな。オレのターンではない。コロロのターンだ。だからこの場の流れは一旦コロロに返そう。
「止めちゃってごめんな。言葉の続きを聞いても良い?」
「大丈夫でありますよ。イキョウ殿のおかげで少し落ちつたのであります。どうしても、あのときの貴方の姿を思い出すと……気持ちが一杯になってしまうのであります」
眼を伏せながら笑ったコロロは、また話を再開した。
「私は貴方の寂しさを埋めてあげたいのであります。初めてイキョウ殿を見たときは、覇気のない御仁だなと思っていたのであります。それでも貴方の周りの者達が信頼を向けていたので、何かを持っていると思っていたのであります。あのソーエン殿も、心優しきラリルレ殿も、不思議なロロ殿も、必死に頑張るシアスタ殿達も、皆貴方を心の底から信頼していたのであります」
コロロが語る中でオレは気になったことがある。ソーエンの説明で『あの』が使われてる点だ。でも、野暮な事は言わないでおこう。
「ですが、その考えは的外れだったのであります。貴方は何かを持っているのではなく、何かを失ってしまったのでありますね」
「どーなんだろなぁ。オレは元から何も持ってなかったのかもしれない」
「いいえ、そんなことはないのであります。何も持たぬものは、あの寂しい背中を見せる事はできないのでありますから」
「だったら、何も無かったのに与えられたものを失ったのかもしれない。かもしれない、の、かもしれない」
「……受け答えが軽いでありますね。私は真剣に……いえ、私だけが真剣に話しているのでしょう。今のイキョウ殿は軽薄でふにゃふにゃしているテキトーないつものイキョウ殿でありますものね」
コロロは微笑を浮かべながらオレを見てくる。何故だか嬉しそうに、優しそうに。
そしてそのまま口を開いた。
「でも、知っておいてほしいのであります。私はあの悲しい姿の貴方をもう見たくは無いのであります。寂しさを埋めてあげたい。――イキョウ殿と別れてからというもの、ずっとこの思いが私の中で膨らんでしまって、いっつも貴方の事を思ってしまうのでありますよ」
オレは薄っすらと嫌な予感がしてしまって、背筋が少しざわつく。
「……それって、恋とかじゃないよな?」
「私に恋心などは分からないのであります。私は騎士として、勇者に憧れた者として、悲しんでいる人を助けたい。だからイキョウ殿を、あの闇から救い出してあげたい。……その一心が私の確かな心でありますよ」
コロロははにかんでオレの顔を見て来た。良い笑顔だ。
愛や恋じゃなくて、ただ高潔な精神を持ってオレを救い出したいらしい。だったらオレはこれ以上何も言う事は無い。
コロロの言葉にすら、白黒はっきり答える必要も無い。
ただな――――。別にオレは誰かに救って欲しいわけじゃない。それに、一緒に闇にまみれながら歩みを進める奴が一人居る。だからわざわざ光に這い上がる意味も無い。光に救いを求めることすらオレには必要ない。
そしてオレはこの問答を終わらせる為に言葉を吐く。
「ソーエンが居るから大丈夫だわぁ」
それだけ言って、オレは座った姿勢のまま上半身を倒してベッドに横になった。
「お二人は本当に仲が良いのでありますね」
「大親友だからな」
オレがそう答えると、ベッドが少し軋む。
コロロが靴を脱いでベッドの上を移動したようだ。
何してんだ? そう思って眼を向けると。
「イキョウ殿、こちらへ」
コロロが枕元に座って、太ももをポンポンしながらオレの事を呼んできた。
「嘘…だろ…」
まさか。これって……。
「以前した約束のように、好きなだけ……とはいかないのでありますが、今夜は私の声を聞いていて欲しいのであります」
コロロは照れくさそうな笑みを浮かべながらオレを見てくる。
あのときの約束が……こうも早く訪れるとは……。
オレは感銘に浸りながら無言で靴を脱ぎ、ベッドの上を真剣に移動してコロロの太ももに頭を乗せる。
「おぉあおぉ……」
「その……硬くないでありますか?」
頭上にあるコロロの顔は……顔は? 胸が邪魔して良くみえねぇな。視界の八割が胸で埋まってやがる。
ヤイナは十割だったな。って事はセイメアは十三割くらい行くんじゃねぇか?
凄い……オレの目を封じる方法を持つ者達が三人も現れたぞ。
それにしてもこの枕はッ。
「程よくハリがあって柔っこくて……極上の枕だぁ」
コロロの声に極上の枕。これは腕を組んで浸るしかない。
「また腕を組んで……このままではイキョウ殿の顔が見えないでありますね」
コロロが胸越しにオレの顔を覗き込もうとしてくるけど……これもう富士山越しに見る初日の出じゃねぇか。
初夢は一コロロ、ニコロロ、三コロロを見て縁起担いじゃうか?
「ぐぬぬぅ、イキョウ殿の顔が全然見えないのでありますよぉ」
コロロは身体を屈めてオレの顔を一生懸命見ようとしてくるけど、富士山が邪魔して見えないようだ。
「奇遇だな。オレもなーんも見えなくなったわ」
コロロの声に対して、オレはフガフガしながら答える。
富士山が顔に乗ってきて視界が完全に防がれたぞ。もう何も見せない。宵闇だぞ。
「ひぅ!! くすぐったいのであります!!」
喋ったせいで息が伝わったのか、コロロが上半身を跳ねるように起こした。そのおかげでオレの視界はクリアになる。これが夜明けか。
「お前って天然なの?」
「な、何がでありますか?」
コロロは自分の行いに気づいて無い様で、オレが言った言葉の意味が分からないようだった。
さすがは愚直に真っ直ぐなコロロだ。ここまでくると尊敬すら覚える。
だが、そんなことよりも。オレは物凄くヤバい事に気づいた。
「コロロの身体に密着しながら話されると、振動が直に伝わってきてめっちゃいい。気道より骨導のほうがコロロを直に感じられて物凄く良い」
「そんなに私を……きゅんきゅんであります…!!」
「あぁ~今のも直に聞きたいわぁ。お腹に耳付けても良い?」
「何故でありましょう、イキョウ殿にそう言われると断れないのでありますよぉ……」
「あ、でもダメだ。このままだとコロロがずっと座るはめになるじゃないか。お前も疲れたろ、横になって身体を休めたいよな」
「はぅう、細やかな気遣いまでぇ。きゅんきゅんでありますぅ」
「あぁ~、めっちゃ良い~。折衷案で、添い寝しようぜ」
コロロと話しながら寝ればお互いにウィンウィンじゃん。
「私もイキョウ殿の寝顔を見ながら寝たいので賛成であります、きっと、可愛いのでしょうね。では、失礼して」
オレ達二人はシングルベッドで密着しながら添い寝をしてお互いに顔を見つめあう。
よし、これでお互いに納得できる体勢になれたな。
「……おや?」
ふと、コロロが疑問の声を上げた。
まるで、正気に戻って何かに気づいたように。
「私はとんでもないことをしている気が……」
どうしてかコロロが不思議そうな声を上げ始めた瞬間……。
「おじゃまー」
誰かが、いや、ソーキスが部屋の扉をノックせずに開けて入ってきた。
そして歩みを進めてオレ達の方を見た。
オレも自然と顔を向けてソーキスの方を見た。
お互いに眼が合う。
「ふへー……また一歩手前じゃーん。ニーア横に寝せてテクニカル修羅場ー? 内緒にしとくからねー」
オレとコロロを見たソーキスは、デジャブを感じる言葉を吐いてこの場を去ろうとしてきやがった。
「おい待てや。今回に関しては内緒にしとくことなんて無いからな。前と違ってこの場は健全しかない」
「前にも増して不健全な気がするー」
「あぁ……やっぱり……同衾してるようにしか見えないのでありますぅ……。違うのでありますよぉ…私は……本当に違うのでありますよぉ」
オレの横では、コロロが顔を真っ赤にしながら布団を掴んでベッドの中にもぐりこみ始めていた。
なるほど。この状況を打開するにはこの手段を取るしかない。
「折衷案でソーキスもこっちに来い」
「よくよく考えれば先程のも全然折衷案じゃなかったのであります……」
「ここで寝るのはダメー。サンカがトイレに起きた時に付いてく必要あるから部屋に帰るー」
「そうなの? オレが同室のときはそんなことなかったぞ」
「おにいさんと一緒のときはー、音聞かれるの恥ずかしいから寝る前に済ませてたんだってー」
「へー……裸見られるよりもトイレの音聞かれる方が恥ずかしいわけ? 分っかんねぇなぁ。ってか、お前も付いて行ったら音聞くじゃん?」
「んへー、聞くどころか一緒に入ってるよー。ボク手握ったまま目瞑ってるー、これがデリカシー的なー?」
「二人ともデリカシーが……はうぅ……」
「少し吸ったらすぐ帰るー」
そう言ってソーキスはてちてちとベッドに近づいて来た。
そしてそのままベッドに乗ってきたから、オレは仰向けの姿勢になる。その後にベッドにもぐりこんだソーキスがオレの上に寝そべってきて、後は腕を差し出せば終わり。
ソーキスは腕をアマガミしてオレの魔力を吸ってくる。
「さっきの戦いで結構消耗したのか?」
「別にー? シアスタやサンカに上げた魔力の量なんてほんのちょびっと位だしー、あむあむ、うまうまー、うまうま大事ー」
「そう……」
魔力タンクのソーキスの言葉にそう答えるしかない。
ソーキスの件は置いておいて、オレはコロロの声を聞きたい。だからコロロと話がしたい。
「なあコロロ……コロロ?」
「恥ずかしいのであります……どうして…。私はただイキョウ殿を……」
コロロが混乱してらっしゃる。
そんなコロロを、心の中で『かわいー』って思いながらただひたすらに愛でる。それこそ、時間を忘れるくらいに。
そうしていると――。
「補給かんりょー、とりあえず満足ー、じゃーねー」
――オレの魔力を少しだけ吸ったソーキスは、ベッドから降りててちてちとこの部屋を去っていった。
……あいつ、マジで口直しし終わった途端去っていきやがった。マイペースにも程があるだろ。オレの周りにはマイペースなやつらが多くて困るわ。
さて。
「さあコロロ、オレに声を聞かせてくれ」
「どうしてこれ程までにイキョウ殿はマイペースなのでしょうか……。私もこれで!!」
コロロはベッドを飛び出して部屋を去ろうとした。まるでソーキスの行動を追う様になぁ!! させるかよぉ!!
オレはベッドから離れようとしたコロロの手を掴んでその行動を阻止しようとする。しかし悲しいかな。今のオレはステータスダウン中なので、掴んだコロロの手から、スルリとオレの手が離れてしまった。
掴んだはずの手があっさりと離れてしまう無力感がオレを襲う。くそがぁ!! このタイミングでコロロを引き止められなくて何が叛徒だ!! 叛徒全然関係ないけど!!
クソザコステータスに倍率掛けてもほとんど意味は無い。でもここでやるしかねぇ!! 全力でコロロを引き止める!!
「こうなったら意地でも…ッ!! <叛逆の――」
「イキョウ殿……?」
ベッドの上で飛び起きたオレが奥義を使おうとしたところで、コロロは足を止めてこちらを見ていた。
不可解そうな眼でこちらを見て来ている。どうしたんだろうか。
「今、イキョウ殿は私の手を掴んだのでありますよね?」
「掴んだよ?」
「そう……でありますか」
コロロはオレの言葉を受けて尚、手を掴まれた事に確信が持てない様でいる。
「あっ、なるほど……。困惑させてごめんね。オレね、ちょっと諸説あって弱くなっちゃってるの。気にしないで」
コロロは、あまりにも弱い力で手を握られたことが予想外だったようで、動揺してしまって足を止めたようだ。
「そんな…自分の身を危険に晒すような力を使ってまで」
コロロは迷っているように、視線を逸らすと、握られたはずの手を見てから決心したような表情をしてベッドに近づいてきた。
……え? どんな心変わりがあったの?
オレが若干の困惑をしていると、コロロはベッドの前に立って。
「あの時もでありますか?」
と尋ねてきた。コロロの言うあの時って、ユーステラテス戦のことか?
「そうだけど……?」
「そんな力を使ってまで、貴方は二度も私達を助けてくれたのでありますね」
そういうとコロロはオレの顔を見つめてくる。
上半身起こしているオレと、ベッド脇に立っているコロロ。お互いがお互いを見詰め合っている。が、コロロが何を思ってオレを見てきているのかが全くと言って良いほど分からない。また探る? やだよ、日常であっちのオレを出したくないよ。
だから、普通に、普通の人間なりに、この状況の空気を読もうと思考をしていると――。




