90.イsぇイにhayaだかをぉ……
ナトリはオレを宿屋の前まで送り届けると、そのままカフェへと帰っていった。
その姿を見送ってから宿屋に入り、自室へと戻ったところ。……ニーアが居た。
いつもの如く、肩だしの白一色の薄いワンピース姿のニーアがベッドで横になっていた。
ただし、ニーアは起きては居ない。
元は二人用の部屋であり、ツインベッドが備え付けられているこの部屋で、ニーアは二つのベッドの内オレのベッドで寝ていた。安らかな顔で、静かな寝息を立てながら。
多分、オレが帰ってくるまで待っていたんだろう。でも、オレの帰りが遅くて、そして海岸線の戦いで体力を消耗して疲れて寝てしまったんだろう。
別にわざわざ寝ているニーアを起こす必要は無いし、オレも疲れたから空いてる方のベッドで寝るか。
幸い、身体を拭くようのお湯とタオルはおばちゃんから貰えた。
なんでこんな深夜なのに貰えたかというと――。宿屋へ入ると、蝋燭の明かりが照らすだけの薄暗い空間でおばちゃんがカウンターに座っていた。なんでもオレがまだ帰って来てなかったから心配してたんだとか。
そんで厚かましく体拭き用のお湯とタオルをお願いしたらすぐに用意してくれて、今に至る。
「おばちゃん……本当にありがとう……」
オレのオレがアレになったと相談したときからずっと優しくしてくれるおばちゃんに、最大の感謝を送りながらオレは服を脱いで身体を拭く準備をする。
上着や外套、ズボンを脱いでオレが寝るベッドに放っている――と。
不意に扉がノックされた。
「はいよー」
だからオレは反射的に返事をする。
「失礼します、イキョウ殿……イキョウ殿!?」
扉を開いて部屋に入ってきたのはコロロだった。
しかし、そのコロロは部屋に入ると同時に驚いた顔をしてから手でその顔を覆って視界を完全に防いでいた。
「どしたのコロロ」
「どうしたもこうしたも!! ……ないでありますよ…!!」
言葉始めは大声で返答したけど、後半は抑えた小さな声で返答したコロロ。
夜だから周囲に迷惑を掻けないように気にしたのか、寝ているニーアを起こさないように気を使ったのか。とにかく思いやりが感じられる声色だった。
「ノックの返事が返ってきたから入ったのに、全然良くないではありませんか……!!」
コロロは小さな声で、それでも必死に訴えかけてくる。
「だってなぁ……。見られて恥ずかしいもんじゃないし」
オレの体は鉛のように重くなっている。それでも、筋肉が衰えたわけじゃないから人に見せられる体付きってことには変わりは無い。
それに、今は緑のトランクスとバンダナをしてるから恥ずかしくない。局部を晒してるわけじゃないから見られても問題ないし、バンダナをしてるからオレのかっこよさが失われたわけじゃない。
「イsぇイにhayaだかをぉ……」
自慢のバンダナと肉体の美しさを目の前に、コロロは訳の分からない言葉を吐きながら蹲ってしまった。
一体どうしたって言うんだ……顔も耳も真っ赤じゃないか……。
この反応は恥ずかしいってことか……? このオレの美に感極まってしまったって言うのか?
仕方ない。
「コロロ」
オレは蹲っているコロロの頭に、初期装備のバンダナを被せてあげる。
これで……お前も同じだよ。そんな気持ちを込めて。
「ひぃ!! 頭になにかが!!」
「眩い煌きを放つコロロに少しのアクセントを…な」
「訳がわから――」
オレの言葉を受けたコロロは真っ赤な顔を上げると。
「隠して欲しいのであります!!」
そう言い放ってまた顔を隠してしまった。
「って言われてもなぁ……。今から体拭こうとしてたからなぁ」
「でしたら拭き終わってから返事して欲しかったのでありますよ!! どうしてその姿でノックに返事したのでありますか!!」
「見られて恥ずかしい姿をしてないから」
「見せられて恥ずかしいことを分かっていて欲しかったのでありますよ!!」
コロロは蹲りながら顔を隠して、小さな声で必死に訴えかけてくる。
「んなこと言われてもなぁ。お互い大人なんだからこれくらい……。待てよ?」
オレは嫌な予感がして言葉を止める。
そういや、似たような事案をこの前体験したような気がする。具体的には王城の浴場付近で。
この世界にはそういったコンテンツが無いからそういった耐性は獲得できない。それに、真面目なコロロが現実でそういった経験をしているとも思えない。
美人で余裕のある大人な受付さんなら露知らず、この堅物コロロが男性経験をしているとは思えない。
「これが……デリカシーか」
オレは様々なことを踏まえて言葉を紡ぐのをやめた。
偉いぞオレ。誰かに指摘される前に良くその事に気づけたな。
オレは蹲ってるコロロの前で、腕を組み仁王立ちをしながらオレ自身を賞賛していると。コロロは頭に乗っているバンダナを使って顔全体を覆い隠していた。
そうだ!! デリカシー守れたことをコロロにも褒めてもらおう。あの声で褒めてもらいたい。
「コロロ、聞いてくれ。オレはデリカシーが獲得できたようだ」
オレの言葉を聞いたコロロは、ホッとした様子で顔を上げた後また速攻で顔を隠した。
「イキョウ殿は凄いでありますね……言葉と現状が何一つ一致して無いのでありますよ。あなたの返事を真に受けて部屋に入った私にも非があるのであります。一旦外に出てるので、体が拭き終わったら呼んで欲しいのであります」
「別にそこに居ても良いよ? すぐに拭くからさ」
「デリカシー!!」
「へい……」
わざわざコロロを外に追い出すなんてことしたくなくて気を使ったら、大声で思いっきり指摘されてしまった。
ソーエン、オレさ。段々デリカシーって言葉がゲシュタルト崩壊起こしてきたよ。
コロロは大声を出すと同時にバンダナで顔を隠したまま部屋を出て行ってしまった。
こうなりゃしゃーない。コロロの要望通り、身体を拭き終わったら声を掛けるとしよう。部屋の前で待機してるっぽいしな。一声かけりゃ済むだろう。
「んん、騒がしいわね」
コロロの声でニーアが起きそうになるが――
「起こしてごめんな。おやすみの<スリープ>だ」
「むにゃぁ……」
――<スリープ>を使って強制的に寝かせる。
お前も疲れてんだから今日ばかりはちゃんと寝とけ。
にしても、コロロはニーアと違って疲れがそんなに見えなかったな。この体力の違いは騎士とメイドっていう役職の違いから来てるんだろうか。それと、コロロの用事ってなんなんだろなぁ。
そんなことを考えながらオレは身体を拭き始めた。