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オレをアリスと呼ばないで  作者: 淫ヴェルズ
第一章 勇者の行方
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第9話 元凶

 遠い記憶の残照。俺の記憶にない幸せのイメージ。


「・・すま・い・・でき・・らば・・・・こい・・私を・・してく・つ・く生き・・・・」


 誰かにこうやって頭を撫でられたような気がする。


 いったい、いつごろの記憶だったか。ごつごつした大きな手にこうしてよく撫でられたものだ。懐かしい匂いに包まれ暖かな気持ちに浸る。寝る前に絵本を読みながら親にせがんだものだ。


 ・・・・・・いや、これは夢だ。ふと我に返ると強烈な嫌悪感と喪失感に襲われる。


 試験管ベイビーの俺に親なんていない。人工的に作られた偽りの生命に親なんて必要ない。こんなものはただのまやかしだ。なぜこんな夢をみる。俺はあんなにも血による繋がりを嫌悪していたはずなのに、心の奥では羨ましく思っていたのか?


 手を繋ぎ道を歩く母親と子供の姿を夢想する。馬鹿な、そんなことがあってたまるかよ。消えろ消えちまえ。こんなにも否定しているのになぜ涙が溢れてくる。この涙の意味はいったい・・?どこからか流れてくるこの感情に俺は当てられているだと・・・そうだこれは彼女の心か・・・


 どこか懐かしい記憶に誘われるがままに意識は覚醒し視界が光に包まれる。


「・・・・・・・」


 気が付けばまた知らない場所。先ほどまで竜馬とかいう奇妙な生物にまたがって移動していたはずなのに、目が覚めてみれば辺り一面が怪しげな光で満たされたなにもない空間。白一色の銀世界から一転してからのコレである。俺はまだ夢を見ているのか?


 揺蕩う霧状の光に溢れた世界はなぜか悍ましく身を包む。何よりあの黒いヘドロみたいな肉塊はなんだろうか。流動していて気持ち悪い。


 夢だとしても最悪だ。この光、あの海をいやでも想起する。


 恋都は胸に感じるこの柔らかな感触と重みでフォトクリスが力なくもたれかかっていることに気が付く。すぐそばにはヴァーセイもおり二人とも傷だらけでかなり消耗しているようだ。

 いつから気を失ったのかわからないが俺が寝てる間にかなり事態が動いたみたいだ。向こうに無数の触手の生えた芋虫みたいな化け物が転がっているが・・2人の体中には鞭で打たれたような傷。まさか俺を守るために・・・?


「いや、それにしてもマジでキモイな。醜悪すぎる」


 こちらに無理やりその巨体を小さな穴にねじ込もうとしているが、いやどう考えても入るはずがないだろ。見た目もそうだが中身もひどいようだ。あれはいったいなんなんだ。


「・・勇者様!?意識が戻ったんですね・・・か、体の方はなんともないんですか?」


 フォトクリスが目を見開き驚いている。


「・・・?見ればわかるだろ。これで平気に見えるのか?」


「い、いやそうじゃなくてですね」


 なぜそんな驚いたような顔をする。大けがしてるんだから平気な訳ないだろ。痛みで今にも泣きそうだ。涙をこらえて歯を食いしばってんだよ!褒めろ。


 ・・・イライラを抑えるのも一苦労だ。


 フォトクリスは俺の顔をじっと見つめ何かを堪えようとするも、そのまま涙がこぼれだす。どうしてか彼女からはいつもの自信過剰で尊大な姿勢を感じない。


 緊張の糸が切れたのかいままで耐え忍び貯めてきたものがあふれだす。強固な心の壁は決壊した。プライドもなにもかも吐き捨てて泣きじゃくる。やはりこの感情に俺は感化している。


「わ、私、頑張ったんですよ。いっぱいいっぱい我慢して、いつくるかもわからない希望に縋って必死に!いままで寝る間も惜しんで勉強して、序列一位なんてどうでもいいような称号を手に入れてそれで満足してやろうと思ったけど、結局そんなんじゃあ、どこか空っぽな私の心を満たしてくれなくて・・・どうしても他の巫女や教官どもが自分とは違う生き物にしか見えなくてッ。勇者様が召喚されて初めて自分の事が特別な存在って思えて、でも、勇者様はボロボロでわ、私って実はそこら辺の凡人どもと大差ないんじゃと思うとゲロ吐きそうなぐらいきつくって、私は、私はそんじょそこらにいるカスどもと、違いますよね?私は特別ですよねッッ?」


 これはなんて返答すべきなのか。契約によりフォトクリスと何かが繋がっているとか聞いていたがこの感情がそうだったのだな。言葉にせずとも気持ちがダイレクトに通ずる。


 それは天才故の疎外感なのか。いままで誰にも褒められたことがないのだろう。いや自分より劣っている者になんと言われようと心に響かないのだろう。だから自分をひたすら肯定することで、序列一位というわかりやすい指標で自己陶酔し自己愛が肥大化していったのかもしれない。もうここまでくると優劣は関係ない。彼女の信じる物以外のものに価値はないのだ。

 それこそ聖殿での放火こそいい例で他人の命などお構いなし、そんな有象無象の存在と一緒にされれば彼女のアイデンティティは崩壊する。

 俺が寝ている間に幾度となく心が折れてもおかしくないほどの綱渡りをしてきたのだろう。光満ちるこの異常な空間を見ればわかる。想定を軽々と超えるような事態に何度もあって心に疑問が生じている。


『私は本当に特別なのか?』

 

 俺もあの世界じゃ変異体認定されてもおかしくない人間。処刑されれば使命を全うできず欠陥品として扱われるので気持ちはわからないでもない。俺たちは少し境遇が似ている。どちらも大人の事情で好き勝手振り回されそこに個人の意思など介在せず社会全体に尽くさせようとする犠牲の上で成り立つ世界の住人。

 使命を与えられ産まれながらにして十字架を背負わされた俺たちは大人のエゴから生まれた社会に捧げられた生け贄だ。


 俺はいい。最初からそういった目的で作られたのだから。疑問は感じても抵抗はない。だから俺は社会全体を新たな次元に引き上げるための”不死の薬”を作れた。

 寿命に限界がなくなれば俺みたいな異常な世代を産みだす必要がなくなると考えて。今でなく先の未来を守ることが俺の僅かながらの疑問に対する回答であったし、ささやかな苛立ちの出力方法だった。


 でも彼女は攫われてきただけの元はただの一般人。もっと違う人生があっただろうに今の性格は過酷な環境に適応するために作られた心の外装だ。本来であればもっと優しい人間性を持った人生を歩んでいたのかもしれない。必死に生きようとする彼女を否定することなど誰にもできやしない。現状を自力で脱却しようとする自由さは過激ではあるものの憧れてしまう。


 だから俺は肯定しよう。誰かを救うことを望まれて産まれてきた歪な存在でも誰かを助けることが出来ると試したくなった。ここは異世界だ。遠慮は必要ない。俺だって思うがままに振る舞える・・・はずだ。


「・・・安心しろ。君になんの落ち度もないよ。君は紛れもなく天才だ。君はよくやっているよ」


「勇者様ッ!!」


 大事な指標に肯定され彼女の目に闘志がみなぎる。


 たとえどんなに常識から外れた人間、それこそ彼女や俺の様な改造人間にも居場所はあるはずだ。救いは誰にもあってしかるべき。だからフォトクリスのような子供に涙は似合わない。指先で涙を拭い背中を押す。彼女の体に活力が戻ってくる。彼女はもう迷わないだろう。


 それと同時にこの世界に異変が起きる。空間の裂け目は一気に蜘蛛の巣のように広がり細かな傷が世界を刻み込む。世界が細分化され、空間がずれる。網目のように広がる切り取られた空間に万華鏡のように俺たちの姿を映しこむ。いよいよ黒い化け物の圧力に境界が砕け散ろうとしていた。


「いやちょっとー流石についていけねーわ。これどうなってるんッ!?」


「ダメッ!!このままじゃ崩壊するッ!勇者様!」


「おうあッッ!?クリスちゃん!」


「――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――」


 黒い影が吠え体を打ち付け、ついに境界線は崩壊した。衝撃が襲いギリギリまで均衡を保っていた蜘蛛の巣のように張り巡らされた裂け目が崩れ散る。同時に地面がなくなり、皆落ちていく。


 上も下もない膨大な神性の流れに押され世界を舞う。もはや私たちは流れに身を任せるしかなかった。


「グホッ」


「ぐッ、ヴァーセイッ!?」


 ヴァーセイが私をかばうように横から押しのけ何かに跳ね飛ばされる。空を高速で移動する巨体。その正体は醜く変異し終えた羽根の生えた蝶。全身が黒に染まりさらに肥大化した体はあちらこちらから臭い体液を工業排水の様に垂れ流す。羽根には赤黒い模様が蠢き形を変える。それは大きな目にも見えるし、人の横顔にも見えた。


 完全に変異し、もはや自我もない段階まできたというのにそんな体で一体何を成す。何をそこまで突き動かす。その精神力はいったいどこから湧いてくるんだ。





「――――――――――――――――――――――――――――――――――――」


 獣の叫びが怨嗟を振りまき響き渡る。その叫びが記憶の残滓を蘇らせる。ヴァーセイへの執着心はけっして消える事はない。消えゆく意識の中で必死に祈る。


 オレはダレダ。


 ココでなにヲ。


 そうだアのあく魔を倒すンだ。もう俺は死ぬ。


 意識が消えていく。だが、その前になんとしてでもこの罪人に裁きを下さねばならない。神様お願いします、どうかどうかこの俺に時間をください。


 どうか、どうか、どうカ、ドウカ、カ、カカカ――――――――――――




 その動きはあまりに速く巨体であるのにすぐに見失ってしまう。羽化した獣が飛んだ後にはキラキラと黒い光の軌跡残り香のように漂う。

 空中のヴァーセイを執拗に狙い高速移動からの巨体による体当たりを何度も繰り返す。


 ヴァーセイを嬲り殺しにするつもりか。あの連撃を受けてまだ生きているのも魔力特質【拡散】を利用した魔力防壁によって衝撃を散らしダメージを最小限にとどめているからなのだが、ヴァーセイの限界は近い。奴の魔力量はそう多くない。魔力が尽きた時、逃れられぬ死が襲い掛かるであろう。


 いまだに私にはあいつが何を考えているかさっぱりわからない。敵なのか味方なのかすらだ。でもあいつは私を守った。だが殺されかけもした。助けるべきか非常に悩むが時間がない。いや勇者様の前で見殺しはまずい。私を特別たらしめてくれる彼に嫌われたくない、だから助けよう。そのまま銃を取り出し援護しようとするが、腰に回した手が空を切る。あるべき場所にあるはずの物がない。まさかヴァーセイから一撃貰った時に落としたのか。何という皮肉な運命だ。


「グッ、ぐそおー」


 ボロボロのヴァーセイに音に等しい速さで差し迫る。空中に投げ出された時点でこの悪魔にとれる選択肢はない。どんなに衝撃を殺そうとあと数発で死ぬ。


 どれほどこの時を待ったか。


 ようやく、ようやく、ようやく!!


 さあ、死神が鎌首もたげて殺しに来たぞ。


 頼むからむごたらしく死んでおくれ。


 その小さな体を赤い果実のように潰してあげよう。


 化け物の精神が無数に分裂していく。自分が誰かもわからずもはや大事な妹の顔すら思い出せない。魂に刻まれた消える事のない傷跡が新たな自分にリレーのバトンのように繋いでいく。傷の意味も忘れて湧きだす衝動に体が突き動かされる。

 




「――――――――――――――――――――――――――――――――――――ぇ」


 誰にも知覚できない音の世界で風が凪いだ。ぐらりと化け物の狙いは僅かに外れ、ヴァーセイの脇を通り抜ける。気が付けばグルグルと落ちている。熱い。とうの昔に失った筈の感覚が蘇る。体を内側から食い破り噴き出す赤い炎。


 ああ、なぜ、あと少しだったのに。


 どうして邪魔をする。なぜ殺させてくれない。神よ、神よ、神よ。体はグズグズに溶けて人間だったころの体が現れる。それでも足先から輝く粒子となり消えていく。


 いやだ、誰か、助けてッ!こんなところで終わりたくない。死にたくないッ。誰か!誰かあ!


 もがき苦しむ俺の手を誰かが引っ張り上げる。思わず瞠目する。目の前にはあの憎しみの根源である怨敵の顔が。


 ヴァーセイが寄り添っていた。


 ・・・なぜそんな目で俺を見る。なぜお前が憐れむ。誰のせいでこうなったと思ってるんだ。いつのまにか柔らかな腕に抱き留められている。


「ごめんね」


 耳元で囁かれる言の葉。


 なぜだ、どうしてだ、どうして今更謝るんだ。もう何もかもが遅すぎる。過ぎ去りし時間はもう戻ってこない。


 体から噴き出す炎が全身を包み込む。


「ごめんね、最後にどうしても謝っておきたくて・・」


「――――」


 それでもなお火傷することもいとわず強く強く抱きしめ耳元に顔を寄せ俺にしか聞こえないような小さな声で話す。









「君の妹ちゃん死んじゃったよ」


「―――――――――――――」


「ふふふ、そんなになるまでがんばっちゃって・・・全部生きているかもわからない妹のためかな?相変わらず仲いいねぇ。・・・聖殿でもとっても仲睦まじい才気あふれる優秀な兄妹。友達も多くて誰からも慕れて、眩しいなあ、眩しくってついつい壊したくなってしまった僕は本当に悪い奴だよね。ほんと悪い子。あんなに見せつけられたら僕もあんな妹が欲しくなっちゃうよ。となると兄は邪魔だよね」


 この口ぶり、まさ、かおま――え、―――――――。


「あ、だめだめだめ!ちゃんと最後まで聞いて死んでくれないと困っちゃうなぁ」


「君がいなくなった後一人で悲しみに明け暮れるライアちゃん。見ていてすごく安心したよ。彼女はようやく一人になったんだって、だいたいさあ、みんな一人ぼっちで寂しい思いをしてるのに家族がいるなんて不公平だよ。あの子もこれで本当の意味でみんなの仲間になれてやったね!と思ったらその後が問題発生だ。ほーんと兄弟そろって優秀で嫌になるよ。今まで謎の不審死で済ませてきたのに君の妹ちゃん僕が毒で同期を殺し回っている事に気づいてそれを告発しようとするんだから、ほんとにビビったよぉ。その場で襲い掛かったら返り討ちにされるしなにが自首しろだよ、気取っちゃって。僕が憎くないのかな?それともその程度の存在にしか思っていないのかなぁ?」


「教官達に告発する前に一人でのこのこ現れたあたり僕を見下してるってことじゃん。僕程度ならどうにでもなるって。すごく生意気だよね。まあ後で君に仕込んだ毒の解毒剤の事教えたらあっさりと形勢逆転。交換条件で僕のお願いを何でも聞いてくれるお人形さんの誕生だー。いやー楽しいよね人を支配するってさ。君に何度かライアちゃんといっしょに面会しに行っただろ?君の前では気丈に振る舞ってかわいいよね。あの裏で僕にナニをされてたか、お兄ちゃん想像だにしなかったでしょ。兄さん、兄さんって泣きながら・・ホント羨ましい絆だなあ。あんまりにも張り切り過ぎて妊娠させちゃったけど、こうなるともう妹って感じじゃないし。だから――――――――――殺しちゃった☆」


「――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――」


「お、まだちゃんと生きてるね。お兄ちゃんえらいぞー。あ、この場合叔父さんになるのか!」


 じゃあ移送される最終日にヴァーセイが俺に顔を見せて毒の事実を告げた時点でライアはもう・・


「でも君が例の施設に移送される際に毒の事教えたのは失敗だったねー。一度入れば二度と出てこれない古塔に送られたはずなのに、まさかそーんな姿にまでなって僕を殺しに来るとは思いもしなかった。でもざーんねん!あの子はすでに死んでま~す!!」


 な、なんでそんな残酷なことができるんだ。俺たちが何をしたっていうんだ。目から熱いものがこみ上げる。


「もうそんな顔しないでよー。僕を責めないでよぉ。僕にこんなことをさせたのは君たち兄妹じゃないかー。あー!!でも今の君は好きになれそうかな」


 唇に湿った柔らかな感触。淫靡な匂いが立ち籠る。ようやくキスをされたことに気づいた。口内を犯しつくす舌がいけない糸を引きながら引きはがされる。


「ああ~この感じぃやっぱりライアちゃんのお兄ちゃんなんだあ~。この兄妹最高だよおッ気持ちがいい」


「―――」


「神様、見てますか。あなたのおかげで僕は今日も元気に過ごしています。やっぱり神様ってすごい。そう思わない?ん、あれ?もう死んじゃったー?勝手に逝っちゃて~」


 死体にはもう用はないと言わんばかりにそのまま乱暴に死骸を突き飛ばす。


「アッハハハハハハハハハ!楽しいなあ楽しいなあ!クヒハハハハハハッ!!」


 長い髪を振り撒き全身で笑い綴る。渦の中心へと飲み込まれる最後までその声は途絶えることはなかった。


 この世は残酷だ。必ずしも祈る者が報われる訳ではない。悪意に満ちた邪悪な存在が辺り一面で蠢いている。なぜ、どうして?その問いに答える者は一向に現れない。最後の最後で思考はクリアになり記憶が完全に蘇る。


 ようやく気付いた、この世に神はいない。


 火の玉はだんだんと小さくなり渦の中心に向かうことなく燃え尽きた。




 あの化け物を看取ってくると魔力放出を器用に使いこなし滑空していったヴァーセイ。


 フォトクリスは逆恨みで殺しにかかってきた相手に随分と優しいんだなと思いつつ小さくなっていくその背中を眺め神性の流れから生み出された渦に飲み込まれ、ついにその姿を見失う。


 最後まで何を考えているのかわからないやつだった。


(それにしても・・・)


 隣で生気を失った勇者様の顔を覗き先ほどの光景を思い出す。


 もうだめかというあの時、横合いから伸びた腕には無くしたはずの私のリボルバー。劈く轟音と硝煙の匂い。絶対的な世界に身を置くあの化け物の動きを正確に捉えあの一瞬で5発の弾丸を一点に集中し強引にぶち抜いたのだ。しかも片手で。


 それからの体中での【着火】(イグニッション)。そうでなければあの硬い化け物がああも見事に弾けたりしない。

 こんな状態にも関わらず彼はやっぱり勇者様なのだ。おまけに私と同じ”火属性”だったなんて。銃が使えるという事はそういうことだ。やはり勇者様は私の元に来たのは運命だった。すごい!火属性の人間にしかわからない湧き出る孤独感。自分の存在だけこの雪に埋もれた世界で浮き彫りになるのだ。世界が拒絶する。ここには居場所はないと教え込んでくる。


 でも私はもう一人じゃない。臍の下が疼いてしょうがない。これも契約の影響であるとわかっているのに情念がいきり立ってしまう。


「なあ、これからどうなるんだ・・・俺たち死ぬ、のか」


「それは・・・」


 終わりが近づいていることを勇者様も感じとったんだろう。何も言わずこちらを片手で抱き寄せる。お互い何も言わずともわかりあっている。神性の渦の中心で何かが産まれようとしている。高濃度の神性の流れに押され高密度に凝縮された空間が新たに莫大なエネルギーを発生させている。しかも生み出された矢先に片っ端から変異している。あれはいったいなんなのか。いずれ均衡は崩れ、破裂するだろう。飲み込まれるのが先か、爆発に巻き込まれるのが先か。どうせ碌な結果にはなりはしない。


 ああ、クソ。視界がかすれてきた。どうやら変異するのが先か。


 ・・・変化と無縁な不死の権化である勇者様であれば無事でいられるのかもしれない。


 そう考えると自然と体から力が抜ける。先ほどまでの緊張が嘘みたいだ。


 ふ、ふふふ。それにしてもおかしな話だ。まさか自分のことよりも他人の心配をするなんて。これも契約の効力なのか・・ならこの気持ちもまやかしなのか。ああ忌々しい。もはや呪いだ。知りたくなかったこんな気持ち。


 巫女は勇者を召喚した場合、最終的には勇者と子を成す事を使命としている。召喚される勇者は召喚者の性別と正反対になるように設定されており、召喚者と相性のよい存在が呼ばれる。しかもお互いに好意的になってしまうおまけ付き。感情の共有もその一環だ。宿した神性で短くなった寿命も同情を誘うための演出の一部であり全て計算尽くである。高いポテンシャルを誇る巫女と異界からの来訪者であり異能持ちの勇者。うまくいけばそのどちらの特性も備えた子供が産まれてくるかもしれない。


 だがどうだ。あんなにいやだったはずなのに勇者様との間に子供を儲けることになんの抵抗も感じていないのだ。いやむしろこの人じゃなければ嫌だと思っているほどに体と心が受け入れている。だからこそ忌々しいのだ。この気持ちが本物かどうかも判断がつかないのだから。


 ・・・今はただただ彼の温もりを感じているだけで十分幸せであった。私を私たらしめてきた自尊心と誇りも彼の前では形無しか。女に産まれてきて良かったとも思えた。


 しかたがないか、彼は私の勇者様なんだもん。彼の前でなら女で在れる。弱さも何もかも晒せる。


「そうだ、名前・・・まだ聞いていませんでしたね」


「・・・・恋都だ。それが俺の――――――――」


 こいと、こいと。何度も何度も繰り返しつぶやく。決してこの名前を忘れないように脳内に刻み込む。


 上空から悪夢の塊といってもいい醜悪な存在が渦の中心部分に飛び込む。 


 そして・・・・


 全てが白く染まり意識が掻き消えた。


 ――――――――――――――――――――――――


 あれは世界の断末魔だったのか。逆流する風が頬を撫でる。法典は砕かれ今ここに新たなる理が紡がれた。もはや過去を懐かしむ余地もなし。光輝く祝福の中で祈る。


 ただ生きたいと。





「――――――――なんだこれは。宰相よ、我はいったい何を見ているのだ」


 城のバルコニーから聖王は宰相と共に空を仰ぐ。いや、我々だけではない。近衛隊隊長、大臣、そして教皇までもがこのおかしな現象の前に圧倒されている。


 先ほど起きた衝撃で慌てて外に出てみれば空には怪しい光を放つオーロラが瞬いている。


 ―――――いったい何が起きた?





 暴徒の鎮圧後、城内では今回起きた聖殿炎上の件で緊急会議が行われていた。各派閥の関係者が呼ばれ原因と責任のありかを確かめていたのだがそこでは意見が紛糾し怒号が響き渡っていた。


「今回の件いったいどう説明するつもりですかな、ジェネルド教皇」


「いったいどの件でしょうか、心当たりが多すぎてわかりかねますね」


「聖殿の件に決まっているッ。あの炎、貴様ぁ火継守を秘匿していたなッ。あれがどれほどこの国に利益をもたらすかわからない訳ではあるまい?」


 しょっぱなからこれだ。ルファージ宰相は髭をいじりながら行く末を見守る。聖王と教皇。この二人が顔を合わせるといつもこうだ。どちらもこの聖王国に強い影響力を持つ教会派と聖王派のトップ。


 アンティキア正教教会の成り立ち自体とても古く王家の誕生よりも前から存在する由緒正しい宗教である。当時は王家など存在せず教会が国の治世を行っていた。王家の起源はもともと教会の権力闘争の渦中に割って入って来た古くから続く優秀な戦士を輩出してきた名門ヴェンディルド家であり、終末戦争時に召喚された勇者の血を取り入れ恐るべき力でのちの正教派教会に加担し敵対勢力を圧倒。かくして正教派が実権を握ることに成功する。その後、教会はその功績を認めヴェンディルド家による王家の設立を容認。いや、実際は無理やりに認めさせたが正しいか。当時はアンティキア天象教会という名であり正教派は昔はいくつもある小さな分派の中の一つに過ぎなかった。だが終末戦争の戦後処理による功績の奪い合いで派閥間で権力者によるで内紛が勃発。


 大勢力であったアンティキア天象教主流派閥も終末戦争により主要人物が軒並み死亡し弱体化。全てを牛耳っていた主流派の求心力と権力に陰りが見え始めたことで分派が内乱を起こし国の統治に大きな影響を与えた。

 国内は混乱し暗黒期を迎えていたが、ヴェンディルド家が兵士をまとめ介入する。非凡な才能を有す当時の当主ことアインオラム候が正教派と共謀し内乱を見事に収めてみせた。だが正教派もまた欺かれていた。ヴェンディルド家はそのまま今まで教会の領分であった政治を切り取ることに成功する。国民から多くの支持を得て世論を味方にしたヴェンディルド家を止められる者はいなかった。ヴェンディルド家の助力もあり勝利者となった正教派は他の分派を雪の大地に追放し(実質上の死刑)、宗教名をアンティキア正教へと名を改め新たに国教として定めさせそれに合わせセプストリア聖国は聖王国となった。


 教会側からすれば王家はおいしい部分だけを切り取っていった簒奪者であり、相容れない邪魔な存在である。禍根は未だに根付いている。

 それほどまでにこの国の歴史と宗教は古い。歴史が長い分、教会には秘密が多すぎる。長い歴史の中でいったいどれほどの実験を繰り返してきたことか。間違いなく万人が知りえないとてつもない何か抱えている。


「そのような謂われなき流言飛語、止めて頂きたい。原因はもうわかっております。配下の報告では召喚された勇者様が引き起こした現象だと」


「なに勇者が!?馬鹿を言うな!あの時勇者は全員城に・・・・最後の一人も移送中だと聞いていたぞ」


「襲撃メンバーに吐かせた情報によるとどうも移送前に福音派のメンバーに襲撃されてしまいそれに抵抗した勇者様の異能で聖殿ごと炎上、その結果がこの事件の顛末となります。驚きましたよ、まさか勇者様が火属性とはね」


「・・・ならば下手人と勇者の行方は」


「すでに遺体は見つかっておりますよ・・巫女の遺体と共にね。どちらも死因は剣による刺殺です」


 聖王はグラスを呷り、喉に水を通す。渇ついた口内が潤い思考をクールダウンさせる。


 ・・・口封じのために勇者を殺したか。それも火継守の存在をうやむやにするためだけに。火継守の取り扱いは国の運営を行う聖王側の管轄だ。よほど火継守をこちらに引き渡したくないか。

 遺体なんざいくらでも偽装できる、それに教会側が保有する火継守の正体は勇者を召喚した巫女と見て間違いないだろう。死にかけの勇者とは言え、いくらなんでも存在の隠蔽のためにだけに殺していいほど安い命じゃない。勇者の死亡も偽装されている可能性も考慮すべきか。それに死に体であるが勇者なんだぞ。本人もしくはパートナーである巫女から抵抗があったはず。


 今回の聖殿での出来事は巫女が勇者を守るために引き起こした結果だと考えるべきだ。それならいろいろと説明に納得がいく。勇者がたまたま火属性持ちだなんてそんな都合のいい話があるものか。勇者を死んだことにして出火の原因を擦り付けようとしているのかもしれないがそうはいかない。



「よく勇者の遺体を特定できたな。部下からの報告では聖殿から発見された遺体は600を超えるそうじゃないか。それも全てが焼死体らしいな」


「巫女には特別な処置を施しておりますので聖王国の都市付近に居さえすれば、どこにいるかすぐにわかりますよ。それで巫女の遺体が発見できたので、すぐ近くに勇者がいると思い探してみれば案の定いました。巫女には基本的に必ず勇者のそばにいるよう義務付けておりましたからね」


「――――ついでにもう一つ聞きたいんだがなぜあそこまで子供の死体が出てくるんだ。明らかに今回の事件以前からのものと思われる遺体もゴロゴロ湧いてくる!!あそこでいったい何をしていた?」


「ふむ、それは私も初耳ですね」


 机に拳を振り下ろし立ち上がる。ついでに椅子も転がす。


「ふざけるなッ!!統括者である貴様が知りえない訳がない!」


「私も全てを把握している訳ではありませんので。何分忙しい身でして基本的に責任者にある程度の裁量を与えて判断させておりますから。さてどうしましょうか。責任者に問い詰めようにも今回の福音派の暴走で行方不明になった者も多数おります。事情に詳しい者が他にいればよいのですが」


 責任者もすでに始末済みか。今回の件で聖殿内での内情を知る関係者のほとんどが死亡か行方不明。こうなると城内の勇者付きの巫女達に話を聞くしかないではないか。


「そちらも勝手に騎士を聖殿に踏み入らせるとは少し領分が過ぎるのでは?あの場所が教会にとってどれほど重要な場所かわかっておられないように見受けられますが?」


「人命救助のため仕方なく踏み入らせた。既定の手続きを踏まなかったことは謝罪する。だがその際にそちらの部下に配下が殺されていることを忘れないでいてもらおう・・・・・いいからさっさと下手人を引き渡せ」


「引き渡さないのはアンティキアの教えに則ったまでですよ。福音派とはいえ派閥は違えど親愛なる隣人でもあります。こちらの教会にも規則がありますのでちゃんとこちらのほうで処罰を下します。・・・とりあえず今回の件は聖殿等を管理する典礼庁の責任者を招集してまた日を改めるという事でどうでしょうか?どちらにせよこの場でどうこうできる内容ではないでしょう。まだまだ確認すべきことも多いのですから」


「いいわけあるか。そうやってまた時間を無駄にかけてうやむやにするつもりか!だいたい勇者の護衛もまともにできない上に福音派に付け入る隙を与えているようでは聖殿等の施設の管理能力に問題があると言わざるおえん!次の議会の場で体制の見直しのためにも第三者の観点から監査と調査を提言させてもらうぞ」


「そう言われましてもね。もともと不穏分子の監視はそちらの警邏の職務だったはず。聖殿に続く聖道の門の警備はそちらの領分ですよね。そちらが役割を果たさなかったからこそこんな大事になっているのですよ。そちらも職務怠慢と言えませんか?」


「ずっと前から不穏分子どもがことを起こす前に牢屋にでも入れておけとあれほど忠言しただろがッ!それを貴様は庇って――――――――」



 キィ――――――――――――ン


 その瞬間、今まで聞いたことのないノイズのような音が響き渡る。あらゆるものが震えエントランス側の窓ガラスが砕け散る。なんだこの音は。ふらつく頭を抑え立ち直る。広間一面に割れたガラスが散乱しおり宰相たちも頭を抑えふらついている。


「陛下!ご無事でしょうか!?」


 護衛の近衛兵が駆け寄ってくる。


 そうだ。それからだ。外の異常を知りエントランスへと移動したのは・・・




 もうすでに夜であるのにとにかく明るい。怪しげなオーロラが放つ光が無造作に漂う。いったい何が起きている。


「ジェネルド教皇、これはいったい」


「わかりません・・ただあのオーロラは神性そのものと見て間違いないでしょう」


「神性!?馬鹿をいうなあれが全てそうだというのか!?」


「・・・・」


 可視化できるほどの高密度の神性なんて聞いたことがない。まるで突然物語の中から飛び出てきたようなそんな場違い感を覚える。まさしく異質な光景と言えよう。


「あれほどの上空です、太陽もありますし主の施した領域への加護もあります。影響はない・・と言えればよかったのですが流石にこの神災に対してどこまで対応できるか不明でしょうな」


「これが・・・・神災・・」


 神が気まぐれに起こすとされる災害。神災が起きると高密度の神性が発生しその場所は人が住むことのできない死の土地と化す。そのどれもが霧に包まれる。


 記録によれば帝国との国境線上で40年前に起きており、今もなおその場所は封印指定領域に指定されており中がどうなっているのか誰にもわからない。



「これは人為的に起こせる現象ではありません。奇跡と同等のものです。こんなことができるのはまさしく神様ぐらいでしょう。これから何が起こるのかまったく予測が付きません・・」


「・・・わかった、各機関に連絡し市民たちに避難を促しておこう。それと奇跡【威光】の使用許可をこの場でいただきたい」


「・・・本来なら既定申請を通して頂きますがこのような状況です。私の権限を持って許可を出しましょう」


「感謝はする!宰相よ、混乱している市民を沈静化させ、すぐにでも地下区画に避難させろ」


「仰せのままに。それから国内の各主要都市に連絡員を飛ばさせ異常がないか探らせましょう」


 すれ違いざまに宰相が小声でこちらに語り掛ける。


「(それとレジスタンスと貴族どもに不穏な動きがないか調べさせます)」


「(わかっていると思うが、くれぐれも教会派に悟られぬよう・・)」


 宰相が小走りでエントランスを抜けて行く。それと入れ違いで伝令が入ってくる。


「失礼いたします!城門前の広場で終末派と名乗る集団が集団自殺を決行し市民たちに混乱が広がっておりますッ!!広場が真っ赤っかです!」


「こちらですぐに【威光】の準備を執り行う。それまで抑えろ。教皇殿、今日はこれで失礼する」


「ええ、それではまた後日」


 福音派の残党狩りもまだだというのに次から次へと問題が湧いてくる。


 この現状が外部に知られれば、反抗勢力に付け入る隙を与えることになる。何かが起こってからでは遅いのだ。教会の連中はどうも現状を甘くみるきらいがあるので頼りにならない。楽観的でそのくせ秘密主義。脇が甘いように見えて情報がこちらに流れてくる事がない。向こうに送った工作員のすべて行方不明になっているのだ。

 だからこそわからない。今回の聖殿の件は毛色が違った。なりふり構わず情報を抹消するとはよほどのことである。そうなるとある疑惑が湧いてくる。聖殿炎上、行方不明の勇者と巫女、そして謎のオーロラ。極秘裏の情報だが王都の外で謎の爆発が確認されている。調査のために兵士を派遣させるつもりがもうすでに教会の騎士が出発したとのこと。余りにも行動が早すぎる。数刻前に王都から外に出る死体を運ぶ教会の兵士が確認されている。埋葬関連は教会の職務。警備の人間は死体の埋葬を都市外で行っているため問題ないと判断し通したそうだが内乱時に普通は通すだろうか。やはり教会もこちらに工作員を送っていたか。都市外へ抜けて行ったのは巫女と考えるのが妥当。ワザと人の目がない外へと逃がし王都の外に逃げた巫女を捕まえるつもりか。巫女が火継守だからこそ出来る芸当だ。全て繋がっていく。あのオーロラもきっと・・・・・


「聖王様!」


 バタバタと親衛隊隊士が寄ってくる。あの顔に青色を基調にした服装・・・


「フラス隊士、姫直近護衛の貴様がなぜここにいる?」


「ハア、ハア、た、大変です!ひ、姫様が、目を覚まされました・・・」


「――――――――――――なんだと」



 事態はグルグルと思いがけない方向へと進んでいく。個人の意思などまるで介在しないがごとく大きな流れに飲まれてゆく。誰もが願った。この刹那とも言える瞬間が永遠なれと。奇跡を携え運命の歯車は動き出す。それがいったいどちらに向かうかなど誰も知る由はなかった。


 ああ、黄金の午後は二度と訪れることはない。全ては過去の遺物と化した。風化していく記憶の中で色あせることのない不死者はいつ祈る。


 その命を賭して何を成す。ああ、ああ、我が名を称え縋る時が楽しみだ。



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