第8話 神性
気が付けばフォトクリスはどこでもないどこかにいた。瞼すら貫く光の奔流が止んだと思えば周りには見渡す限りの果てしない地平線が広がっている。怪しく輝く緑の粒子が光を纏い漂っている。空から降り注ぐ黄金の光が透明な大地を照らす。
「うグッ」
急激な吐き気に口元を抑える。
(な、なんだこの神性の濃度は!!)
まるでこの場にいること自体が間違いだと言わんばかりの暴力的な気配に体が拒絶反応を起こす。ここは人間が居るべき場所ではない。まさか本当に未開領域【灰の海】にいるとでもいうのか。
だが・・・それにしては何もかもが違い過ぎた――――――――
召喚の儀では精神のみを飛ばし潜り込ませたがあの時私の中に焼き付いたヴィジョンは文字通り灰色に染まりし色褪せた世界であった。人間の精神だけで感じられる限界が灰色なだけで実際の肉眼を通して見る世界は違うだけなのか。認識の相違が如実に示されここがどこなのかわからなくする。
それにあの地平線の向こう側には薄い膜の様な何かが広がっているがそこから邪悪な気配を感じ取る。この感覚、間違いない。勇者様を召喚した際に感じた気配と一緒のものだ。だがあの時よりも気配は遠くに感じる。
・・・そうか勇者様はあの向こう側から現世にやってきたのか。儀式の際に精神を飛ばしたのはやはり膜の向こう側であっていると考えるべきだ。向こう側こそが私の知る灰色の世界かもしれない。じゃあここはどこなんだ。
むくりと背後で動く影。思考に没入しすぎたせいでフォトクリスは反応に遅れる。
「ガッ!?」
背後から物凄い力で弾き飛ばされ腕からミシリと嫌な音が鳴る。
「ま さか、なぜ生きているんだ!貴様は供物の役割もこなせないのかこの役立たずがッ!!」
「ハ、ハハハハハどうやら神は俺のことを見捨ててはいなかったようだなッッ」
馬鹿な、いの一番で消えたはずだろが、貴様はよ。
死んだはずの化け物がそこにはいた。全身が怪しく変色しさらに肥大化しているが肉体の一部も失わず私の目の前で屹立している。
クソ!今の一撃で右腕の骨が折れたか。これではまともに銃を使うことができない。地面に伏す私の髪の毛を触手が掴み上げる。そのまま小さな体は釣り上げられてしまう。ブチブチと髪の抜ける音が脳に直接響く。
「ガァ、が!」
「どうやらあのクズ野郎はし、死んじまったようだな!お、俺が殺すはずだった、だったのににいいいいい!しょうがなンいので、さっきから邪魔ばッかりしてくる君ヲ遊んで殺すすね!!」
「キモイ手で、私に触る、なッ」
ヌルりと触手が私の頬を殴りつける。鼻血が唇を沿って垂れる。本当にこれから私で遊ぶつもりか・・
ふ、ふふふ。儀式のせいで使える魔力もほんの僅か。このままじゃあ私は死ぬ。
左手で銃のグリップを握りしめる。弾はすでにリロードはしてあるが碌に銃弾が通らないこいつを相手に慣れない左手でどこまで戦えるのか。こいつにおもちゃにされるぐらいならいっそのこと・・・
「私じゃないでしょおおお!君ハ今からあいつの代わりになるんだからあ!僕って言わなきゃねえ!!ホラッ言えよ僕ってえ!!ホラホラホラァッ間違ったんだからあやまらないといけないんだぞおおおお」
「そうだよぉ僕にもちゃんと謝ってよね!すぐでいいよ!」
「「!?」」
化け物の横に佇むは死んだはずのヴァーセイ。どいつもこいつも、誰に許可とって生きてやがんだ!儀式は完璧だったはずなのに、こいつらはいったいどうやって生き延びたッ?
――――――――いや、は、ははは。これは流石の私でも予想外だ。結局のところ勇者様一人だけで供物の役割の全てを賄っていたのか。それでこいつらは生き延びた。光に飲まれたのは供物となったのではなくこの世界に先に引き込まれただけだったのだ。
だが、勇者様はこの世界に来てアンティキア正教の洗礼を受けておらず信仰は持っていなかったはず。なぜ供物となりえたのか。まったくなぞの多い人だ。というか供物としての適性が高いと高いほうから生け贄にされるなんて仕様だったのか。こいつらが消えたように見えたのはこちらに引き込まれたからで生け贄は勇者様で十分過ぎたからヴァーセイも負け犬も不要と判断され弾かれたからこそこうして生き延びたんだ。
こいつら悪運が強すぎる!私が何したってんだよ!!人に迷惑かけるなよ!!
「てい☆」
ヴァーセイの魔術により生み出された水の玉が化け物・・・・ではなく私に炸裂する。
圧縮された暴力的な質量が襲い掛かる。あまりの威力に私を拘束していた触手ごと吹き飛ばす。辺り一面が大量の水に飲まれ流されていく。顔が熱い。顔中が血にまみれている。
「ヴァァァアゼイイイッッ!」
「ふははははは、あの時素直に僕の手を取っていればいいものを!ふふふ、いい眺めだよクリスちゃん!今まで黙っていたけど君のことを考えると胸が痛むんだよね。これまでずっと考えた末、ようやく理解した・・・そう、これは毒なんだと!つまり僕も被害者!芋虫君と僕は虐げられる側の人間だったんだ。だからこそわかる。芋虫君がどんなにみじめで汚らしい存在か。だからもう争いはやめよう!僕たちは仲間だッ!君は一人じゃない、だから君のつまらない復讐になんの意味も・・・ヘブッ!うげぇ、ちょま、うわあ゛助けてクリスちゃんんんッ!!」
「この!馬鹿野郎ッ!!お前まで捕まってどうすんだよ!死ね死ねッ!」
そのまま普通に触手で拘束されるまぬけ。こいつ何がしたかったんだよ。毒仕込んだ挙句人生滅茶苦茶にした張本人がそんなこと言っちゃいかんでしょ。こいつには人の心がないのか?やっぱりただの馬鹿なのでは?それともこれも擬態なのか。すべてわかった上であえてやっているようにもとれる。ダメだ、こいつの考えがどうしても読めない。
今の一撃で拘束を抜けることができたが同時にダメージで動けない。全身を水で激しく殴打され血が止まらない。
・・・というか吹き飛ばされた際、妙に地面が柔らかいなと思ったらこんなところにいたのか、勇者様。
私のお尻の下で意識を失っている。穴という穴からどす黒い血を流し続けている。高濃度の神性が影響しているのかもしれない。巫女故に神秘耐性のある私ですらこのざまなのだ。いくら不死者でもただでは済まないのか。
「な、なnんだddddddddd」
「おげぇ、きぼち悪いぃ」
この場にいるすべての者が神性の洗礼を受け続けておりまともに動けずにいた。特に著しい影響が観られるのが芋虫野郎である。全ての細胞がうねり少しずつ変異していく。翼の生えたおぞましいナニモノかへと羽化しようとしていた。
あそこまでいくともはや自我を保てない。巫女としてのカリキュラムを最後まで受けなかったことで神性に対して半端な耐性しか持っていなかったようだ。巫女のくせに通りで魔術の通りがよかったはずだ。
耐性を身に付けるには自身に高い神性を宿さなくてはいけない。幼い頃から神の神秘に触れ続けることで神性を体に定着させる。途中で発狂し精神が崩壊する者、肉体が変異する者が後を絶たなかった。このすさまじい荒業を10歳までこなしつづけ生き残った者のみが神性をその身に宿すことができるのだ。おかげさまで長生きできない体になってしまったが魔術や精神干渉、神性が付与された攻撃に対し非常に高い防御性能を持ち、こちらの攻撃自体にも聖句なしに神性が付与され非常に殺傷能力の高い一撃が可能となる。私の排他性や攻撃性も神性による変調だ。私は何一つ悪くない。
化け物の断末魔が弱弱しく響く。なにもしなくてもきっと死ぬ。こいつはこの世界に来た時点で詰んでいたのだ。結果的になんとか勝利したと言ってもいいが・・・次はきっと私たちの番だ。ああ、変異したくない。こんなどことも知れない場所で醜く死にたくない。
まだ何も成していない。何者にも成れていやしない。
震える腕で救いを求めるかのように勇者様に縋りつく。
ドンドンドン!
どこからともなく足音が響き黒い影が走る。私はハッと振り返るがそこには何もいない。幻覚に幻聴、私もいよいよか。ふと見てみればヴァーセイも不思議そうな顔で周りを見渡している。
・・・幻覚ではない?じゃあ今のはなんだ?
感覚を研ぎ澄まし五感をフルに活用する。視線だ、視線を感じる。
チリチリと首筋の毛が逆立つ。先ほどからずっとねっとりとした何者かの視線。虫けらを観察するようなひどく冷めた興味。この感覚は勇者を召喚した時に感じたものと全く一緒であり先ほどから目の端でチカチカと黒い何かが瞬く。
(どこだ、いったい・・?)
見れば地平線の先で黒い何かが蠢いている。この場にそぐわぬ真っ黒な何かに目が奪われる。だんだんと大きくなっていく黒の影。いや違う大きくなっているのではない、こちらに近づいているんだ。鮮明になっていくその姿に激しい拒絶感を覚える。勇者様の服にしがみ付き恐怖を少しでも和らげる。
ドンドンドンドンドンッ!!
だんだんと早くなっていく足音。
そのままこちらにむかってくる影は見えない透明な壁に激突。地面に落ちた熟れた果物のように壁一面に黒い影が弾け、べっとりと張り付く。フシュウーフシューと息遣いの様なものが聞こえる。続いてガラスを引っ掻くような音。
まさかこんなものが存在するとは。いったいどこに潜んでいた。あんなのがいるなんて聞いてない。生物であればこんな地獄の様な世界で生きていけるはずがない。
・・・・そこで私はある可能性に気が付く。奴は壁の向こう側の存在。そして勇者様も向こう側からやってきた。あの影は・・・さっきの儀式で私が召喚してしまった新たな勇者じゃないのか?
莫大なエネルギーで行使された奇跡。儀式自体は確かに成功しているのだ。あれほどの規模のものならなにが呼ばれてもおかしくない。だが、あれは本当に勇者なのか、勇者とは私にとって希望の象徴なのにあれは明らかに人の枠を超えている。
貴様の様な手に余るような存在はお呼びじゃない!どちらにせよ私という導き手がこちらに手引きしなければ壁を超えては来れない。
それとも・・あの時の視線の主なのか・・?
どちらにせよ、まともな存在では無いのは確かだ。
だが、この時フォトクリスは甘く見ていた。不死者が生み出すエネルギーによって起きてしまった慮外の奇跡を。
ピシッ
「・・マジかよ」
見えないはずの透明な壁に亀裂が入る。割れたガラスの破片のようにキラキラと落ちていく。次元を繋ぎ合わせる境界線に綻びが産まれた。空間って割れるんだ・・・そんな間の抜けた感想を思い浮かべている間にも虚空に生まれた裂け目から黒い影の真の姿がついにあらわになろうとしていた。とても言葉で表現できないグロテスクな化け物の正体。
フォトクリスはその姿を直視しただけで目からどす黒い血が溢れ頭が割れるような頭痛に襲われる。黄金の光に満ちた空間は向こう側から流れ込む怪しげな瘴気に世界が満たされていく。視界が歪む。めまい等ではない。空間が捻じれているんだ。
一種のフィルターとしての役割を担っていた境界線は破片をまき散らし裂け目を広げていく。無理やり穴に体を押し付け強引に這い出でようとしている。
もはやどうしろと言うのだ。私は勇者様の体に力なくもたれかかり、いきさつをただ眺めるしかない。余りの埒外な出来事に笑いすら出てくる。私はただ聖王国から脱出して自由に生きたかっただけなのに・・・どうしてこんな超常の存在に出くわさなきゃいけない!?
今もなお空間に亀裂を広げるあの存在はいったい何者なんだ。あまりにも異質。これが勇者なものかよ。あのヴァーセイや死にかけの芋虫野郎ですら凍り付いている。あまりにも絶対的な存在の前では何をしようと無駄なのだと、改めて私という存在の矮小さを嫌というほど教え込ませてくる。
「うお、なんだあのクソキモイ生物はッ!!」
だが、そんな絶望のただ中で一人、蠢く者がいた。希望はまだ潰えていない。