第73話 眠れるオートマタのレイゴウ(2)
野太い大声が響くことで何だ何だと周りの視線を集めたが、すぐに散った。よくある光景だし、何より厄介事に巻き込まれたくないからだ。逆らえばどんな理不尽な仕打ちを受けるか分からない貴族様が、自らの従者に杖を打ち付けている。
「貴様、何度言ったら分かるんだ!! 荷物をまともに運べないのか!! ガラクタがあっ!!」
横柄な態度と、身に着けている高価な装飾品だけですぐに貴族だと分かる。下顎の皮膚がだるんと二重顎になっていて、紳士服がはち切れそうな体型をしている。必要以上に食事をとれているだけで、一般庶民じゃないのは明白だ。
庶民から金を巻き上げてできた醜悪な身体をしている貴族が叱責しているのは、まるで逆の美麗な顔をしている従者。細長い四肢と美しい肌をしていて若く、メイド服を着こんでいる彼女は、上から下まで美しすぎるが故にあまりにも人間離れしている。
「オートマタか」
倒れ込んでいる彼女と同じ顔をしている人形が通りを歩いているから、精巧な造りをしている機械人形に間違いない。パッと見だと人間と変わらない。ちゃんと自分の意志も持っている。人間との違いは、自分を購入した人間に従順なぐらいだ。
機械人形を手にした人間を主と認め、そしてまともな抵抗などできない。だから、どれだけ理不尽な罵声や暴力を浴びても、ただ黙って受け止めるしかないのだ。
「うっ……」
衝撃に備えて目を瞑ったオートマタに、影が映り込む。
振り下ろされた杖を、手錠で止めたからだ。
「その人が何したか分からないけど、それぐらいにしといた方がいいだろ」
「何だあ、お前は」
値踏みするように頭の天辺から足元まで、舐めるような視線を寄越す。が、貴族ではなく、ただの平民。しかも、手錠を付けた罪人だと分かると態度が一変する。
「なんだ。この小汚いクズは。コソ泥か何かか? あん? おい! お前! ミストヤードの奴だよなあ。ちゃんと拘束しておけ!!」
「……申し訳ありません。アドラー様」
下賤な身分の人間とは話す言葉も見つからないらしく、ミストヤードのゼロを叱責する。先程まで偉そうにしていたゼロが嘘のように静かになっている。逆らってもいいことなど一つもないことを知っているのだ。
ゼロが名前を知っているということは、貴族の中でもさらに権力を持つ奴ってことだろうしな。
「動くな」
ジャラリと手枷に付いている鎖を、緩慢な動きで引っ張られる。
ゼロは俯いて下唇を嚙んだ。
「……ったく、貴様らミストヤードは貴族様のお陰で生かされているんだから、しっかりと我々のためだけに働けばいいんだよ」
何かを思いついたのか、貴族様は愉快そうに顔を歪める。
「そうだ、七号。お前がこいつを痛めつけてやれ」
「え?」
オートマタの声が震える。
「いいからやれ」
貴族から圧をかけられる。
逆らった時にどうなるか、従者であるオートマタが一番分かっているのだろう。カタカタと手が震えている。オートマタとて人間と同じく感情がある。購入者に逆らってはいけないとプログラムされている以外は、普通の人間と同じだ。
「……嫌、です……」
オートマタがマスターに逆らった? そんなこと、有り得ない。かつてここを訪れた時も同じものを目撃したが、あれは例外だったはず。故障してしまったオートマタと同じ型番の物は人間に危害を加える可能性があるとされ、全て廃棄されたはずだ。
「何だと?」
「この人は私を助けてくれました。その人を傷つけるなんて私にはできません」
「そうか……お前は私の所有物ということを忘れてしまったらしいな」
オートマタに杖を執拗に振り下ろす。
「ひっ」
何度も、何度も。
オートマタを傷つける。
痛覚も人間と同じく備え付けられているが、人間と違って心が壊れない。だから、いくらでも暴力を振るう奴がいる。
「嫌ッ、やめてッ!!」
「このまま屋敷に帰ったら、夜にまたお仕置きしてやろう」
「それだけはっ、それだけはやめてください……」
下卑た視線の先はスカートだということで、貴族が夜、オートマタに何をやっているのか大体想像ができた。感情だけではなく、肉体の器官も人間そっくりに造られているし、それ以上に造られている箇所もある。
むしろ、夜のマッサージなどを前提として購入する貴族が大半だ。法的には違法だが、その行為を裁くのは無理に等しい。何故なら、逆らえないようにプログラミングされている被害者が、どう足掻いても訴えることができないからだ。
「なら、どうすればいいか分かるな?」
貴族の底冷えするような声に身震いすると、オートマタはより一層涙を流す。
大きく杖で背中を叩かれると、弾かれたように俺の方に向かってきた。
「あ、ああああああああああああああ!!」
オートマタに殴られた。
余計な手加減をしたらさらに叩かれる。だから全力で攻撃された俺は、吹き飛ばされた。普通の人間より腕力は勿論強い。スキルでガードできなかった俺は、口を切って血が流れた。
痛かった。
だけど、殴られた本人よりも、殴った張本人の方が痛そうな表情をしていた。
「ごめんなさい、ごめんなさいっ!!」
「ハハハハハハッ!! そうだっ! それでいいっ!!」
「……お前、クズだな」
高笑いしている貴族に、一瞬で肉薄する。
「……は?」
あまりの速度についていけなかった貴族の顔面をぶん殴る。
「ぎゃあっ!」
想定しなかったが、殴った拍子に手の鎖が鞭のようにしなって、貴族の頬を打ってしまった。
「ぎ、ぎ貴様あっ! こ、こんなことをしてどうなるか分かっているの――ぐあっ」
貴族は背後から忍び寄ったアンに首を絞められていた。
「貴様、な、何……者……?」
貴族は酸欠を起こして気絶した。
相手は貴族だ。
俺がやったことも大概だけど、首を絞めるって俺よりやっていること酷くないか?
「い、いいのか? そんなことして?」
「問題ない。何故なら貴君と違い、私は顔を見られていないからね」
「でも……」
チラリ、とゼロの方を一瞥する。
バッチリ目撃者いるけど。
「本気で静止しようとすればできていたはずだ。スキルを使えない今、動きが緩慢となった我々相手ならば、ミストヤードの長官補佐殿ならば邪魔など造作もないはず。それをしないということは、彼もまた共犯ということだね」
アンがそう言うと、ミストヤードの人間が騒ぎ出した。
「そんな……」
「ゼロ様が……?」
疑念を掻き消すように、空砲を空に向かって撃った。
「貴様ら、犯罪者達の言葉に惑われるな!! アドラー様の状態を確認し、医者が不必要ならば自宅までお送りしろ!!」
「は、はっ!!」
大勢のミストヤードが、ゼロの声に従って動き出した。どうやら、部下の操縦は以前出会った頃に比べて上手くなったようだ。
「ご主人様……」
七号と型式番号で呼ばれていたオートマタが、倒れた貴族の身体を心配するように手を握っている。オートマタには名前を付けて家族同然に扱う人間だっているというのに、無機質な呼び方をされ、さらには暴力まで振るわれているというのに心配なのか。
彼女を見ていると、酷いことをしてしまったと罪悪感さえ湧いてくる。
再び流している涙はきっと、貴族が傷ついた姿を見て悲しんでいるせいなのだろうから。
人助けをしたつもりになって、それがただの独り善がりの余計なお世話だったことぐらい、日本にいた時だってあったのだから。
「ゼロ。少し、丸くなったか?」
「なに?」
空気が変わった。
どうやら気づかない内に、虎の尾を踏んでしまったようだ。
「……貴様。その言葉、どういう意味だ。まるで以前私と会ったことがあるような口ぶりだな」
「ああ、悪い。俺は罪人だったな。もう軽口は叩かないように――」
「そんな言葉で誤魔化されるとでも思ったか。さっきの声色は自然そのものだった。お前は自然に私のことを評価した。違うか?」
強い力で服をつかまれると、引き寄せられる。
額と額を合わせて、飛沫が飛びそうなぐらい大きく口を開けて叫ぶ。
「私の名前をもう一度言ってみろ!!」




