第56話 名前も知らない最弱(4)
押し寄せてくる土砂の津波。
そのまま叩きつけられただけでも重症を負いそうだが、一度でも捕まったら終わりだ。
津波にはスライムのスキルを伝導させている。
もしも、あれに飲み込まれたら、今は両腕で留まっているスライム化が全身にまで及ぶ。そうなったら完全に詰む。
襲い掛かってくる津波には、縮地で対応する。
避け続けながら接近するチャンスを窺うが、地面が揺れる。
「……地震っ!?」
まさか、地中を柔らかくして地震まで起こすなんて。
ここ最近戦った相手は、工夫なしでそのままパーソナルスキルの力を振るうだけの相手が多かった。
だけど、こいつは違う。
スキルの応用の幅が違う。
もしかしたら、今まで出会ってきた誰よりも……?
「ちっ――」
スカイムーブで空へ逃げる。
そう簡単に頭上高くまで、津波を伸ばせないはずだ。
それでも押し寄せてくる津波を避けていると、津波の影から鎧の女が現れた。
「こ、ここで――!?」
ここで、いきなり接近してきた。
陰に隠れてここまで近づいてきたせいで、察知するのが遅れてしまった。
足首をつま先で蹴られる。
それだけでつま先が逆方向を向く。
骨が肉を突き破って飛び出し、血が噴き出す。
「アアアアアアアアッッ!!」
片足を失ってしまった。
「まず――い――」
片翼を怪我してしまった鳥のように、墜落していく。
津波が押し寄せ、上には鎧の女が最後に残った片足を狙っている。
片足を封じられ、自由に動くことすらできない俺はもはや逃げられない。
だけど――――既に俺の攻撃は終わっている。
「――――があっ」
小さくくぐもってほとんど聞こえない声が漏れる。
鎧の隙間から血が噴き出る。
そして、二人とも受け身も取れずに地面に衝突した。
鎧の女に蹴られたとき、『浸透脚』を使って衝撃を内部に透した。
本来ならば鎧を通過して体の外部に衝撃を伝えるつもりだったが、それだと致命傷にはならない。
もう一度攻撃を当てる余裕などない。
長引けば長引くほどこちらが不利になる。
だから、一撃で決めるしかなかった。
内臓に直接衝撃を与えるしかなかった。
最も威力の出るゼロ距離での『浸透脚』だ。
人間相手に躊躇する使い方だったが、相手は幻想体。
もっと最初から狙っていけばよかった。
だが、できなかった。
胸が痛い。
全身の痛みよりも、心の痛みで倒れそうだ。
だが、相手も辛いのは同じようで、うめき声をあげる。
「うっ……」
今度はよく聞こえた。
ヘルムの下半分がひび割れて落ちる。
口元だけは見えた。
膝を地面につけて、微かにほほ笑んだ。
「 」
「…………え?」
声にならない声を上げる。
唇の動きだけだけど、こう喋った気がする。
ごめんね――――と。
サアアア、と砂のように鎧の女が掻き消えようとしている。
俺は手を伸ばすと、あちらも手を伸ばす。
指先が触れ合いそうになった瞬間、完全に消滅した。
鎧の女が消えたように、周りの景色も全て砂のように消えていく。
偽りの世界は消え、本当の世界に戻ってくる。
気が付けば、四方が土色で埃っぽいダンジョンにいた。
「へー、ずいぶんとお早い帰還だったね」
「ビブリア、お前っ!!」
襟を締め上げる。
相変わらず、ひらひらとした服を着ていて、体の起伏が分からない。黒を基調とした服で、スカートのようなズボンのような服を好んで着ているのも変わらない。
病的なまでに白い肌をしていて、顔の造形は整っている。
ただ歩いているだけならば、美形で誰もが見ほれるだろう。
男も女もどちらにも好まれる顔をしている。
だが、心の内はどす黒いもので満たされ、腐りきっていることを俺は知っている。
「何回目かな?」
「はあ?」
「君にこうやって首を絞められるのだよ」
「っ! 知るかっ!!」
怒りのあまり突き飛ばす。
こういうやつなのだ。
人の神経を逆なでするようなことを平気で口にする。
頭が回るから天然でやっているのではなく、こちらが激怒するのも計算づくなのだ。
手の平の上で転がされているような気がして、余計にイライラする。
「二回目だよ」
パンパン、と付いた土ぼこりを冷静に叩いていやがる。
本気で拳をぶち込んでやろうか?
「僕に会いに来てくれたんだよね。ありがとう」
「後悔しているところだよ、こっちは。なんで、こんなことした!?」
「ああ、ごめんごめん。相手が君だとわかっていれば、スキルを発動することもなかっただろうに……。それで、どんな気分だった? 『最も大切だと思う人間』を自分の手で打倒した感想は?」
「そこじゃない!! お前、どうしてバウンス達にも『ホワイトアルバム』を使ったんだ!!」
一瞬、目の色が変わる。
「ふーん。やっぱり、そこで怒るんだ。まだ手も、足も、捻じれたままで……。立っているのでさえ辛いはずなのにね……」
ホワイトアルバムで受けた傷は、そのまま現実世界にもフィードバックされる。
手足はスライム化されてねじ切れそうなまま。
まだ骨が見えている。
それでも、今は自分の怪我を忘れているぐらいには激高している。
「答えろ!!」
「そんなことより、君の生の声を聴きたいんだけど……。まあ『ホワイトアルバム』で心の声は記録できているけど、どれだけ建前と本心に差異が生じるのか確かめたいしね……」
「お前!!」
「はいはい。冗談ですよ、冗談」
絶対冗談じゃないな、こいつ……。
「あの人たちはね、快楽殺人鬼なんだよ」
「……っ!」
「右も左も分からないような新人ばかりを面白半分で狙い、なぶり殺しにしていたんだ。それなのに、君は彼らに同情している。それはとてもご立派な精神なのかもしれないけど。君が彼を生かしたせいで、また犠牲者が増えるんじゃないのかな」
「お前がそういう風に仕向けたんじゃないのか!! あの人たちの心を操って!!」
「人聞きが悪いね。彼らは僕に出会う前から人を殺していたよ。それに、操るといっても、彼らの潜在意識を表面化し、肥大化させることしか僕はできないんだよ。つまり、あの破壊衝動は元々彼らのものなんだよ」
「だけど、お前があいつらを実験動物みたいに扱わなきゃ、死なないでいたかもしれないだろ!!」
「『冒険者は自己責任』なんだ。冒険するのも、何を為すかも。誓約書を書かなきゃ入れないダンジョンだってあるんだ。弱いから死んだ。それが真実――」
話の途中で殴りかかったのだが、難なく避けられる。
「――っ」
「本気で当てる気なかったよね? じゃなきゃ君の攻撃を、僕なんかがかわせるわけないから」
「だったら、本気でやってやろうか」
「へぇ? 僕のことが気に食わないからまた一戦するってことでいいのかな?」
「いいや。お前も分かっているだろ。俺たち英傑同士が争っている場合じゃないってことぐらい」
「それは残念」
何を言ってるんだか。
こっちが本気で戦ってこないのぐらい予想できたはずだっていうのに。
ホワイトアルバムの罠にかかったら人間は、記憶、深層意識全てを読み取られ、さらに人の心を読むことに長けているビブリアが使えば、リアルタイムで俺が何を考えているのかわかるはずだ。
さらに、次に俺がどんな行動をとるのかさえもお見通した。
さっきのホワイトアルバムで、俺たちが別れてからの記憶も、ホワイトアルバムの幻想空間での出来事も、すべて頭の中に入っている。
一方的に何でもこちらのことを知られているというのは、正直、気持ちのいいものではない。
「師匠!! いた!! どこ行ってたんですかあ!!」
泣きそうな、というか、完全に泣いているトロイトがこちらに駆けつけてくる。
手を振りながら、心底嬉しそうだ。
きっと、怖い思いをしたんだろうな。
なにせ、いきなり横から俺がいなくなったんだから。
新しい傷はなさそうだし、モンスターに襲われてはいないようだ。
だけど、彼女がここに来たってことは、ビブリアとあんまり深い話はできないってことだ。
ビブリアがこっちのことを知っていても、俺は聞きたいことが山ほどあるんだから。
「詳しい話はここを脱出してからだ。いいな」
「了解しましたよ、勇者様」




