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第39話 魔王サタンは何度でも蘇る(5)

「くそっ…………!」

 ウィーベル近辺の森。

 鬱蒼と生い茂る木々の中で息も絶え絶えになりながら、倒れこんでいる人影が一つあった。

 彼女は気絶していた。

 どれだけ眠っていたのか分からない。

 数時間だったのか。

 それとも既に一日経っているのか。

 それほどまでに消耗していた。

 ここまで傷を負うとは思わなかった。

「この私が……あんな人間如きに!!」

 生き残っていた。

 ボアはまだ消滅していない。

 しかし、肉体を象る魂が消えかかっている。

 大量の光の粒が肉体から拡散されたが、死んだわけではなかった。光に勇者達の眼が眩んだ一瞬をボアは見逃さずに、遁走したのだ。

「危なかった……だけど、ここまでくれば……」

 ウィーベルは、魔族が侵入する時には反応する結界が存在している。

 だが、逆は別だ。

 ウィーベルから、魔族が出ていくことに反応する結界はなかった。

 だから、力のほとんどを損失しているボアは逃げることができた。

 しかし、命は風前の灯火だ。

 誰かに寄生しなければ、存在を保つことができない。

 周りの草は枯れ、空気が淀む。

 周囲の魂を奪って、なんとか肉体の原型を保っている。

 せめて器がなくては話にならない。

 肉体無き者にとって、器は蓋のような役割を果たす。

 瓶に蓋がなければ水が溢れるのと同じだ。

 人間じゃなくてもいい。

 モンスターがいれば寄生するのだが、運が悪いことに周りにその反応がない。

 ただ緩やかに死のうとしている。

 だが、そんなことよりも打ちひしがれるのは、心に負った傷。

「魔王様、どうしてですか……」

 ボタボタボタッ!! と水あめみたいな涙があふれ出る。

 ボアは魔王様を心酔していた。

 だが、どういうわけか、ボアは魔王様に殺されかけた。

 あれは本気だった。

 ボアが生き残ったのは本当に奇跡だった。

 どうして、ずっと魔王様のために尽くしてきたボアが殺されかけなければならないのか。

 他にも疑問はある。

 勇者と魔王様はかなり親密だった。

 ちょっとやっと交流しただけであんな話し方をするだろうか。

 まるで長年の友のような親しさを感じた。

「そんなはずはないですよね……」

 一瞬、頭に過った考えを即否定する。

 魔王様は魔族の王。

 完璧なる存在。

 だからあるはずがないのだ。

 魔王様が、ずっと前から勇者と通じていたなどと。

 魔族達全てを裏切っていたのだと。

 もしもそうだとしたら、あの戦争は何だったのか。

 犠牲になっていった仲間達が散らした命に、塵芥の価値もないことになる。

 そんなはずはないのだ。

 何か深い事情があるのだ。

 愚者たるボアごときじゃ測れない。

 それこそが、魔王様という存在。

 雲の上の存在の月のような御方。

 だから、勇者の甘言にそそのかされているだけだ。

 そう考えると全ての辻褄に説明がつく。

 そうだ。

 騙されているなんて甘っちょろいものじゃない。

 操られているだけなのだ。

 魔王様がボアを襲いかかったのは、自分の意志ではない。

 ボアには分かる。

 人の肉体を乗っ取り、支配することに長けたボアだからこそ辿りつけた真実。

 そう。

 勇者は卑怯にも魔王様の心を操っているのだ。

 どんなパーソナルスキルを所有しているのかは、想像だにできない。

 だが、勇者のパーソナルスキルは無限の可能性がある。どんなスキルだって新しく錬成できてしまうスキルを持っている。生み出した新スキルで、魔王様を精神支配することもできるかもしれない。

 そうだったのか。

 あの高潔な魔王様が、人間如きの肉体に囚われているのはあまりにもおかしい。自由意志させあれば、器を八つ裂きにしているはずだ。

 よりにもよって人間の中で、最も魔族を殺戮してきた異常者の勇者を生かすはずがない。

 魔王様は不老不死だ。

 何度殺しても蘇る存在を完全消滅させることはできない。

 だから勇者は封印することを選んだのだ。

 自らの肉体という檻を使って、心すら支配している。

 赦せない。

 やはり人間は生かしてはおけない。

 どいつもこいつも皆殺しだ。

「魔王様……なんてお労しい……辛いでしょう……悔しいでしょう……」

 魔王様の胸中を考えると、ズキズキと胸が痛みだす。

 痛烈な言葉の数々でボアを罵った。

 あの時、ボアは魔王様のことを一瞬疑ってしまった。

 魔王様は弱い存在だと思ってしまった。

 でも、違ったのだ。

 魔王様はやはりボアの思っていた通りの御方だった。

 遥か高みにおられる御方なのだ。

 本心ではなかった。

 本物の魔王様はいつだって、ボアのやることを認めてくださっているのだ。

 魔王様のことだけを考えて生きているボアの献身を、魔王様が嫌悪されるはずがない。否定するはずがない。

 そんなの、ボアにとっての魔王様なんかじゃない。

 そう思ってしまったのは、勇者の狡猾なる罠。

 完全無欠の魔王様は未だに健在なのだ。

 そんな『ボアの魔王様』を捻じ曲げた塵芥が憎たらしくてしかたがない。

「殺してやる……」

 今、ここで勇者に挑むのはあまりにも無謀。

 勝ち目のない戦いをすることになる。

 だが、ウィーベルの連中ならどうだ?

 所詮は烏合の衆。

 ボアよりも強い奴がいるとは考えられない。

 実力のあるものは、城の中にいる。

 特殊な事情がない限り、城門前に戦力となる者達が勢揃いなんてしているわけがない。霧のせいでけぶるのは、朝だからか。こんな早朝から城門に城の連中がいるとしたら、相当運が悪い。いきなりそんな奴らと当たったら、今のボアではひとたまりもない。

 だが、どうせそこにいるのはとるにたらない雑魚ばかりだろう。

 雑魚達の魂を奪って力を取り戻して、逃げよう。

 勝てないにしても、心にトラウマを植え付けることはできる。

 気を付けるべきはウィーベルの雑魚集団ではなく、隣国の姫、マリーだ。

 奴が軍を保有しないのは、奴自身のパーソナルスキルに起因している。

 傍に仕えるのがセミラミス一人だけというのは、マリー自身が一騎当千だからに過ぎない。むしろ、セミラミスすらいらないのだ。

 勇者単体を相手取るよりも、余程厄介な相手と言える。

 奴にだけは見つかるわけにはいかない。

 万全の状態で戦えばボアだって引けを取らない自信はあるが、今はあまりにもこちらが不利な条件が揃っている。

 まず殺すなら、ウィーベルの連中だけだ。

 よろめきながらウィーベルへ歩こうとすると、ガサッと眼前の茂みから物音がする。

 戦う余力など残ってはいないが、ハッタリではあるが咄嗟に構えをとる。

 草をかきわけながら現れた奴を見て、驚きの声を上げる。

「なっ、なんで……」

 ありえないからだ。

 ウィーベルの連中だったらまだ分かる。

 モンスターでも。

 だが、そのどちらでもない。

「なんで、お前がっ……いや、あなたが!」

 そこにいたのは、魔族だった。

 しかも、ボアと同じく魔王軍で幹部を務める相手だった。

 ボアの窮地に魔族の誰かが駆けつけるにしても、まさかここまでの大物がいるとは思わなかった。

 ボアや魔王様とはまた違う意味で『不死身』ともいえるパーソナルスキルを持つ相手だ。

 ここにいることは驚くべきことだが、分からないのは出現したタイミングだ。

「あまりにも駆けつけるのが早過ぎる……よね?」

 勇者は気が付いているかどうかは不明だが、ウィーベルはあらゆる者達が眼を光らせている。

 人類の救世主たる勇者の安全を想って監視する者もいれば、寝首をかこうとする他の国の権力者達だっている。

 長年私腹を肥やして地位を確立してきた貴族からすれば、異世界から突然来訪してきた力だけの蛮族が王となってヒヤヒヤしているはずだ。だが、その監視の目が、逆に勇者を助けることになっている。

 人間による監視の目が多すぎて、魔族が不用意にウィーベルに近づくことができなかったのだ。人間を乗っ取れるボアだからこそ、侵入できただけだなのだ。

 だから、多少なりとも距離のある場所に彼女はいたはずだ。

 どうして、今こんなにも早く駆けつけることができる?

「いや、そうか……そういうことだったのか。――裏切者だね。裏切者が漏らしたんだ!! 今度の戦いを!!」

 魔王様は国外にまで届くオーラを発したが、それを察知してからここに来るまでには距離の関係もあるだろうが数十日はかかるだろう。

 ボアが事件を起こしてから、彼女がここに来るまで早過ぎるのだ。

 ボアが死に絶えているという絶対の自信を持って、彼女はここまで来た。それは国の外にいる人間からは決して得られない情報を握っているということだ。

 それは何故か? 

 詳細な情報を国の内側にいる人間から教えてもらったのだ。

 裏切者。

 内通者がいるのだ。

 城の中に、勇者を裏切って、情報を流した奴がいる。魔族ではウィーベルの国境を超えることはできない。だとしたら、裏切りものは人間しかいない。

 そして、魔族に襲われたなんて重大なことを、有象無象の部下に口を滑らせるほどあの勇者も愚かではないだろう。

 絞られた裏切者の候補は、勇者の側近か仲間になる。

 信頼できる五人の内の一人だ。

 つまり――。

 マリー。

 セミラミス。

 サリヴァン。

 マサムネ。

 アシュラ。

 この五人の中に裏切り者がいるということだ。

「…………」

 コクン、と裏切者がいることを、同士である幹部が首肯してくれる。

 愉快だ。

 自分が信じきっている誰かに、憎きあいつが背中を刺されたのだから。

「どこまで情報を掴んでいる? 私が勇者にやられてたのは知っているのか?」

「知っています」

「良かった……。あなたさえいれば百人力だ。ただ、死にそうなんだ。少し手を貸してくれないか?」

 そこまで知っているとは、頼もしい限りだ。

 ということはつまり、他の情報も知っているかもしれない。

 城の構造上の欠陥や、主戦力となる連中の致命的な弱点など。

 勇者の親しい人間のスパイとなれば、戦闘に有利な情報が手に入っているはずだ。

 魔族の幹部の中でも最も慈悲深いと噂される人に見つかってよかった。

 やはり、ついている。

 ラッキーだ。

 そう安堵した瞬間、すぐ横に転がっていた岩が八つ裂きになる。

「ああ、すいません。手が滑ってしまいましたね」

「手が、滑った……?」

 パーソナルスキルによる攻撃が頬をかすめた。

 もしもあと数センチずれていたら、自分の首はどうなっていた?

 消耗しきっているボアは抵抗らしい抵抗ができなかったはずだ。

 実際、反応できなかった。

 手が滑ったといったが、それは照準がズレたということじゃないのか。

 それは、ボアを殺すつもりだったんじゃないのか。

「……まさか」

 ここにいるのは、役立たずを処分するため?

「弱い人は魔王軍に必要ないですから。でも、安心してください。すぐに楽にしてあげますよ」

 慈悲深いと噂されるのは、苦しまないように一思いに殺すから?

 その考えが頭に過った瞬間、全身が震えた。

 逃げようにも、最早後ずさりするぐらいしか力が残っていない。

「嫌だ。まだ、私は消えたくないっ!!」

 最後の力を振り絞って『パーソナルスキル』を発動させる。

 周りの草木を操って抵抗しようとするが、そのことごとくが真っ二つになる。

「ああああああああああっ!!」

 断末魔と共に、ボアの光は残滓もなく消滅した。


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