第35話 魔王サタンは何度でも蘇る(1)
「女の子……? なんだ、お前。毒が回って頭がおかしくなったのかな」
ボアが怪訝な表情で聴き返す。
それも当然だ。
当人である私も実感がない。
私は副人格と言える存在。
主人格と交代することは、融合してから初めての体験で戸惑っている。
私は彼の中でずっと眠っていたが、心臓が停止したことがきっかけで叩き起こされたのだ。
私達は一心同体だ。
眠っている最中に起きたことは、靄がかかったようで全ては把握できていない。
ただ断片的な出来事は分かる。
そして、主人格の感情の揺らぎも伝播しているから、少なからず今の私の心に影響を及ぼしている。怒りのあまり頭が痛くなってすらいる。ただ、だからといって、話し合いの機会を潰して即座に交戦するのは好ましくない。
「……降参……してくれないか?」
「はあ?」
「できれば君とは戦いたくない。それに、君じゃ絶対に私には勝てないんだ。だからまともに口が利ける内に降参して欲しい」
「何言ってるのか分かっているのか? 勇者。お前には人質が――」
手を振って、気絶している先生に攻撃を仕掛けようとしたボア。
だが、手を振り切る前に、
その腕がこの世から消滅した。
「は? あ、ああああああああああっ!?」
腕が転がっている訳でもない。
スキルによって、片腕の八割以上を呑み込んだのだ。
死角から高速で不意打ちしただけあって、ボアは一瞬何があったのかも分からなかったようだ。
「お前が!? お前がやったのか!?」
「お願いだから、もう止めてくれないかな?」
「ふざ――けるなっ!! ぶっ殺してやる!!」
本心からの最後通告のつもりだったのだが、ボアは挑発と受け取ったようだ。
逆上して木の根を束める。
「お前が何者なのかは分からないけどさ……。死にたがり屋でバカなのは分かったよ!!」
心臓に向かってくる木の根の束は腕に直撃して、ボトリと落ちる。
今度は私の腕が無くなった。
「…………」
失われた腕はすぐに再生する。
腕の一本や、二本が失われても別に慌てるようなことじゃない。
「なんだ? 思っていたよりも反応が遅いな。最初のオーラの放出量はただの虚仮おどしだったのか」
「……確かに、早くなっているね」
勇者の内側から体感してはいたが、肌で感じた方がより正確だ。
生前よりも格段にスキルが向上している。
眼では完全に動きは捉えていたが、身体が追い付かなかった。
勇者ならば『縮地』を使って的を絞らせないようにしながら反撃するのが、主な戦闘スタイルだろう。だけど、私は『縮地』を使えない。使う必要もない。
私の影が命を宿したかのように蠢く。
影の先がボアに向かって伸びる。
その速度はボアが操る木よりも遥かに凌ぐ。
「――なっ――」
即座の判断でボアは木の根を盾にした。
木の盾を刃のように鋭くした影で切断し、ボア自身の身体まで届いた。
当たった頬から光の粒子がこぼれる。
魂だけの存在となっているボアの身体を保っているのはスキルの力。
存在を維持しているだけでも、魂を消費しているはずだ。
不死の存在であるボアだが、身体という器がない今、肉体を消滅させれば今度こそ完全に死ぬ。
「体の動きは遅いが……スキルの展開速度は勇者より――」
無数に枝分かれした影を、針のように伸ばす。
「くっ――」
波のように木の根を束ねるが、全て切り刻む。
影の猛攻を捌ききれないボアは舌打ちをして、宙へ浮く。
追いかける影だが、流石に空高くまで伸ばすことはできないと高を括ったようだ。
「――ひとまず空へ!! これなら――」
ボアの言葉が続かなかったのは、地面を見下ろしたら私がいなかったから。
焦って周りを見渡すが見つけることができない。ようやく後ろを振り返った時にはもう遅い。
「なっ――」
反応が遅れたのは当たり前だ。
私も空中にいたのだから。
だが『フライ』や『スカイムーヴ』などのスキルを使ったわけではない。
使ったのは翼だ。
背中には闇のように漆黒の翼が生えていた。
空に飛びあがっていれば、影も届く。
ハリネズミのような影で全身を突き刺す。
「あああああああああああ!!」
影の針を貫通させたまま、地面に叩き付ける。
「かっ……はっ……」
喀血するボアの前に、優雅に翼を動かして降り立つ。
全身から光の粒子が出始めている。
「……黒い翼……。毒も消えたように見える。お前、魔族か……?」
「………………」
「……だんまりか。だけどね、あまり調子に乗らない方がいいよ。お前のその影を伸ばすスキル。攻守共にバランスがいいみたいだけどさー、空まで伸ばせなかったことは、影を伸ばせる距離に限りがあるんじゃないのかな。――なら、遠距離から物量で押せば攻略できるってことだよねぇ!」
狂ったような動きで、無数の木の根が襲い掛かってくる。
攻撃の鋭さは影の方が上だが、物量的には圧倒的にボアの方に軍配が上がっていた。
木の根だけでなく、空気も使って空気の防御壁を使い出した。
蓋の役目を果たす身体がないから、余計に魂を消費しているはずだが、自分が消滅する危機を悟ったのだろう。命を燃やす勢いで、スキルを展開していく。今度はこちらが圧されてきた。スキルにキレがない。久しぶりの戦闘で身体が本調子ではないのだ。
「…………っ!」
肩やひざの辺りを木の根が掠める。
ボアがどんどん近づいてくる。
「ははははは!! そら!! どうした!? 防御で精一杯かな!? まあ、でも、それも時間の問題かな?」
かすり傷が増えてきた。
しかも、どんどん受ける傷が大きくなっている。
このままじゃ防御すらできなくなる。
ボアの予想通り、影で形成されるスキルには制限がある。
自分の影以上の、大きさの影で攻撃できないという制限が。
夜になれば重なった影で大きく展開することができるという長所はあるが、ボアの展開力の方が上回っている。手数の多さでは勝てていない。手数の多さだけでは、だ。
「あなたの敗因を教えてあげようか」
「敗因!? 敗因は私のじゃなくて、お前の敗因のことだろ!!」
「敗因は肉体を捨てたことだよ」
「はあ? 語るに落ちたな。肉体を捨てたから、私はこうして強くなっているんだよ!!」
木の根の一本が影の弾幕を掻い潜って深く膝を抉る。
だが、私は倒れない。
「肉体を捨てたから忘れてしまったんだ。肉体があれば、スキルを使えることを」
「? なんだ、何を当たり前のことを言っているのかなぁ!!」
影に勢いがなくなっていく。
体力が無くなり、先ほどのように自在に展開できるわけではなくなった。
それを見て好機と判断したボアが、全ての木の根を集結させて一点に殺到させる。
「ここがお前の墓場だ!!」
それを見て、私は何もしない。
血だらけになりながらも、私はその身に纏うように這っている影に何の指令も出さない。
何故なら、既に終わっているから。
最初から種は蒔いていた。
感覚も記憶も、勇者と共有しているのだ。
相手が一筋縄では勝てない相手だと分かっていた。
だから、自分の肉体を蒔いていた。
敵の攻撃によって切り離されている自分の肉体は、まだ生きていた。すぐにでも発動できたが、場所が良くなかった。だから少しずつバレないように、私は動いていた。防戦一方だと思わせて、自分の腕が落ちている場所に、ボアが近づくのを待った。
切り離された腕の影から生み出された影によって、ボアは穴だらけになる。
「がっ――な、に!! まさっ――か。私が切り落とした腕からスキルを……!! ま、まさか、最初から、そ、そのためにわざと攻撃を受けていたのか……」
「肉体を捨てたからこそ、お前は忘れていた。肉体の一部が切り離されたとしても、それは消滅しない限りそれは、私の肉体なんだ。そこからスキルを発動することもできる。そのことを失念したことがあなたの敗因だよ」
「バカか、お前……。こんなこと、私じゃなくても……早々思いつくはずがない……じゃん……。ずっと再生能力を持っていた奴じゃなきゃ思いつかないような戦い方だよ……こんな、肉を切らせて骨を断つんじゃなくて、骨を断たせて骨を断つような戦法を思いつくなんて……一人しか……。――ま、まさか……」
ボアが何かに気が付いたかのように眼を見開いて、唇をブルブルと震わす。
「あの大戦でたくさんの犠牲が出た。だが、それはもう過ぎたことだ。憂いていてもしょうがない。私たちは未来を見据えるべきだ。だが、それでもあなたが過去にこだわり、再びたくさんの犠牲が出るような大戦の引き金を引くというのならば……。悲しいけど――お前の主である私こそが始末をつけるべきだ」
「そんなバカな、どうして、どうしてなんですか……どうしてあなたが……矮小な人間なんかと共に……」
影を集束させて圧縮する。
圧縮されたエネルギーを一気に解き放てば、溜めこめられた分破壊力が増す。
それこそが、私のスキルである『闇閃』だ。
解き放たれた影が、極太のエネルギー波となってボアを襲う。
影すら残さないように。
「魔王様アアアアアアアアアアアアアアッ!!」




