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第34話 女教師アンネの放課後(6)

「さて、どっちを失う?」

 ボアは木の根を大げさに揺らして、分かりやすく脅してやる。

 自分の身が惜しければ、そこらに転がっている女を殺してやるぞ、と。

 どれだけ高潔なる正義感を持っていたとしても、自分の肉体の一部が欠損するとなると話は別になる。

 もしも断れば右眼を失うのだ。

 一生失明して、闇の世界を生きることになるかもしれない。

 そこまで親しくもない他人のために、自らを犠牲にできるのか。

 左眼を失う痛みを既に知っている。

 ただの脅しじゃなく、躊躇なく潰してしまう冷徹さを持っているのは既に行動で証明済みだ。

 だが、

「その人が助かるなら――眼球ぐらいくれてやるさ」

 グググ、と力を込めながら、勇者は木の根による拘束を解こうとしている。

 毒のせいで、最早『パーソナルスキル』どころか普通の『スキル』さえも使えないほどに衰弱しているというのに、まだ抗おうとしてくる。

 自己犠牲の精神だけじゃない。

 自分も助かろうしている。

 どちらか選ぶのではなく、全てを救おうとしている。

「やっぱり、そうくるよね……」

 勇者のことを知っているのなら、そうするであろうことは分かりきっていた。

 だが、実際に眼をしてみると、あまりにも滑稽なので鼻で笑ってしまった。

「ねえ、勇者。お前がどうして私に負けるか分かるかな?」

 ボアは勇者を助けるつもりなどなかった。

 勇者を殺さなければ、ボアの望みを叶えることができない。

 ボアの夢は『人類をこの世界から駆逐し、モンスターと魔族だけの素晴らしい世界を造る』ことだった。

 そして、それは叶うはずだったのだ。

 絶対的な力を持つ魔王様によって。

 だが、それは勇者によって阻まれた。

 脆弱な人間に完全無欠な魔王様が殺された時は、信じられなかった。最初は誤情報だという事を疑って、それが事実だと知った時は憤慨した。

 他にも強い英傑はいた。

 だが、よりにもよって今血反吐を吐いている脆弱な人間に殺されたなど、とても信じられなかった。人間らしい卑劣な手段を使って、魔王様を不意打ちしたに違いなかった。

 だからボアは毒を使おうが、人質を使おうが何の罪悪感も抱かなかった。

 勇者を殺しさえすれば、全てはチャラになる。

 旗印を失った人間達は必ず利権争いのための身内切りを行い、今保たれている国家間の均衡が崩壊する。そこで今息を潜めている魔族達が、再び人間達を支配する時代が来る。

 そのために、勇者の死は絶対条件だ。

 敢えて助かるかもしれない条件を出したのは、より深い絶望の底に勇者を堕とすためだ。

 魔王様を一時的にでも喪失してしまった我々魔族が負った深い傷に比べれば、相当に生温い行為。

 もっと死期を感じ取って泣き叫ぶ姿を堪能したかっただけだ。

 それは勇者だって分かっているはずだ。

 だが、それでも、一縷の望みをかけて懇願するべきだったのだ。

 命乞いをするか、それとも逃亡を図るか。

 どちらにしても自らの命だけを救うべきだったのだ。

「お前が負けるのは、お前が人間だからだよ」

 この世界で最も弱い存在。

 それが人間だ。

 か弱く、魔族に跪くべき矮小な世界の異物だ。

「耐性のある魔族だったら、お前は毒を喰らうことはなかった。それにお前は他人を見捨てることができない。それがお前ら人間の限界だ」

 勇者が今やっていることは、ただの自己満足だ。

 気持ちよくなりたいだけだ。

 人間らしくあろうとしたいだけだ。

 本当にたくさんの人間を助けたいならば、自分を一番に守らなければならない。

 人間として正しい行動のせいで、人間が大勢死ぬ。

 それが分かっていても、人間は人間を辞めることができない。

 人間を辞めなくては、勇者はボアに勝てない。

 魔王様のように冷酷な判断ができないようでは、国を治める王としても失格だ。

「お前が死ねば、各地に散らばった同胞たちが再び立ち上がるよ。そして、大勢の人間が死ぬ。たった一人の女を犠牲にすれば、たくさんの人が救える。一時の感情に縛られずに、切り捨てなきゃいけない。失う覚悟がないお前は王の器じゃないんだよ!!」

 木の根を使って右目を潰す。

「ああああああああああ!!」

 ただ突き刺すのではなく抉るようにして傷つける。

 潰れた葡萄のように血が溢れだす。

「さて、ついでに腕も潰しておこうかな」

「くそ――」

 抵抗の意志を見せる勇者だが、毒をもらった時から全ては終わっている。

「おっ、と。女を盾にしているのに、スキルを使っていいのかな?」

「ぐっ――」

 女を狙っていないわけではないが、両目が欠損した勇者にはそれが分からない。

 分からない以上、何の抵抗もできない。

 束ねた木の根で、腕を押し潰す。

「ぐあああああああああああああっ!!」

 バキバキバキッ!! と何本もの骨が折れる音がする。

 これで、眼が見えず、足と腕が潰れた。

 手足の捥がれた虫けらを殺すのに、労力はいらない。

 変な方向に曲がっている四肢を観ると、笑いが込み上げてきそうだった。

「安心してよ、勇者。お前が死んだあと、あの女も殺してあげるから。その後はあの城にいる連中も、この国の奴も、子どもも老人も関係なく皆殺しにしてあげる。よかったね。これであの世に行っても寂しくないでしょ」

「お、お前……」

 憎き相手が、悔しがっている姿は一種のスパイスだ。

 虚勢を張っていても、何もできないことは先ほどからろくに抵抗ができないことからも織り込み済みだ。

 痺れるような快感に総身を震わす。

「はっ、ははははははははは!! やった! 私の勝ちだああああああああ!! 魔王様あああ、見ていてくれますか!? 魔王様は必ずやこの世に蘇る!! 知らなかったんだよねえ!? 勇者!! 絶望したかな!? 例え何度世界を救っても、貴様ら人類は再び支配されるんだよ!! ははははははは!!」

 両手を空に伸ばす。

 空が闇に染まっていき、浮かび上がる空の月に向かってだ。

 決して届かなくとも、闇を照らす希望の光を浴びていたい。

 どれだけ消えても再び蘇る闇の月は、まるで魔王様のようだから。


「ああ、知っていたよ」


 伸ばしていた手をぶらりと下す。

「…………なに?」

「あいつが死なないことぐらい、知っていたさ。――あいつと俺は一心同体だからな」

「どうしたのかな? 勇者。もしかして、あまりのショックに錯乱しているのかな? 魔王様とお前は敵同士のはずだよね」

「敵だからこそ、分かることだってあるさ。そもそも、お前こそあいつの何を知っているんだよ。お前は、魔王と話したことがあるのか?」

「……そんなこと、あるわけないよね。魔王様は偉大なお方なんだよ。たとえ魔王軍幹部の私であっても、気安く話せるような御方ではないんだ。魔王様は人類を滅ぼし、我々魔族を導く存在。我々闇に生きる者達にとっての希望であって、空高く闇深い御方なんだよ」

 魔族にとって魔王とは、神様のような存在。

 決して届かない。

 だが、それでいい。

 それでこそ、我らが王なのだと、ボアや他の魔族の誰もが思っているはずだ。

「……なんだ。やっぱり知らないんじゃないか。いや、お前ら魔族は知ろうともしなかったんじゃないのか。あいつは、人類なんか滅ぼしたくなかったんだ。誰よりも優しくて、誰よりも平和を願っていた。だけど、言えなかった。誰もあいつの涙に気がついてやれなかった。だから、いつも悲しい顔をしていたよ。あいつが魔族にとっての希望? だったら、あいつにとっての希望になんで誰もなれなかったんだ……。本当は戦いたくなかったのに、お前らを守るために戦っていたよ。あいつはずっと心の中で泣いていたんだ。お前らに悟らせないように、必死に辛いことを我慢しながら」

 魔王様のことをベラベラと適当なことを語る勇者に、ボアは激しい怒りを感じた。

「魔王様は崇高なる存在なんだよ!! お前如きが、魔王様のことを騙るな!!」

「崇高なる存在、ね……」

 勇者の言い方が気に喰わなかった。

 まるで、自分こそが魔王の唯一の理解者であることを自負しているかのようだった。

 そして、そのことを微塵も疑っていない顔つきも業腹だった。

「日本にいた時にさ、俺が好きな声優が結婚したんだよ。予兆はあったんだ。恋愛なんてしたことありません。彼氏なんていたことありませんとか言いながら、遊園地に行った時の写真に男の手が写りこんでいてさ……。ファンに突っ込まれたら弟と行きました、とかふざけた嘘をついても、俺はそれでも信じていた。お金をつぎ込んだよ。別に結婚したかったわけじゃない。ただ応援したかった」

「なんだ? 何の話だ? ニホン? セイユウ?」

「だけど、裏切られた。付き合ったことのないはずの声優はいきなり結婚宣言。それでファンから叩かれたら、逆ギレされたよ。うるさいキモオタってね。自分はずっと嘘をついていたくせに。水着の写真集を出したり握手会をやったりして、本来の声優の仕事からかけ離れたことをやって人気をとっていたくせに、そんな目で見ないでくださいって言っていたよ。支離滅裂だろ。そんなのただの詐欺だろ。俺が貢いできた金返せよって思ったよ」

「……なんだって?」

「だけど、その子も人間だったんだ。俺にとっては神様みたいな存在だったけど、その子だって嘘をつく。自分の幸せのために生きたいはずだ。そのためには大勢の人間を騙すしかなかった。そのことに日本にいる時はきがついてやれなかった。そんなのただの偶像崇拝だ。俺は、結局本物の彼女じゃなくて、自分の中にいる想像上の彼女が好きだったんだ。自分の思い通りになる彼女が好きだったんだ」

「…………さっきから、何が言いたいんだよ、お前は」

「馬鹿みたいだろ? だけど、お前も俺と同じじゃないのか? お前はお前の中の魔王だけを崇拝しているだけだ。お前は、本当に魔王のことを観てやっていたのか!! 本当のあいつはただの女の子だったんだよ!! 魔王である前に一人のサタンっていう名前の女の子だったんだ!! 幸せになるべきどこにでもいるただの女の子だったんだ!! そういられなくなったのは、お前らのせいだ!! お前があいつの何を語れるんだよ!! ……俺は知っているよ。あいつが誰よりも優しいってことを!!」

 勇者の方が魔王様のことを知っている?

 表面上のことだけじゃなく、中身を理解している。

 そんなことありえない。

 魔王様はボア達だけの魔王様だ。

 自分達の知らないことを知っているはずがない。

 魔王様が魔族よりも下等な人間に心を開くはずがない。

 もしもそうならば、魔王様はボアにとっての魔王様ではなくなるのだから。

「うるさい!!」

 無数の木の根を勇者に殺到させる。

 肉体をチーズのように穴だらけにする。

 穴からは血が噴き出した。

 貫通させた木の根の一本は確実に心臓を貫いた。

 勇者は力なくぶら下がっている。

 眼の光は失われ、呼吸は止まった。

 死んだのだ。

「ちっ。じっくり恐怖を味あわせて殺してやるつもりだったのにねえ。あの女の悲鳴を聴かせながら、絶望のまま殺して我々魔族の復讐をしてやるつもりだったのに。……まあ、これでいいかな。これで魔王様もお喜びになられるんだよ。そうに決まっているだ。私のやっていることは正しいんだ。そうですよね、魔王様?」

 魔王様は答えてくれない。

 当たり前だ。

 ここにいないのだから。

 復活してくれないのだから。

 もしもここにいてくれたのなら、きっとお喜びになられる。

 ボアのことを褒めてくれる。

 それを確信していたはずなのに、揺らいでしまった。

 たかが人間だと侮っていた奴の言葉に惑わされてしまったことがボアにとっては屈辱だった。

「くそっ!!」

 全ての魔族の悲願が達成できたというのに、釈然としない。

 すると、微かにうめき声が聴こえてきた。

 そこらに放置した女からだった。

 そういえばボアは忘れていた。

 宿主のことを。

 もう隠れる必要もない。

 勇者を殺し、そしてかつての英傑はこの国にはいない。

 まともな戦力などいないだろう。

 なら、やることは一つだ。

「――さっさと殺してあげようか」

 そしてボアは思いついた。

 転がっている女を使ってストレス解消してやろうと。

 本当はもっといたぶって殺すつもりだった勇者の代わりだ。

 爪や皮、髪の毛を剥いでから指を一本一本斬っていくのがいいだろうか。肉体を少しずつ失われていく恐怖心は相当のものだろう。

 もしくは、精神的なものを折るのはどうだろうか。

 ボアの『パーソナルスキル』を使えば、対象者の意識を喪失させることができる。裸に剥いて浮浪者がいそうな場所に放置するのはどうだろうか。そしてタイミングよく意識を戻すことによって心をバラバラにするのはどうだろうか。

 とても気分のいい悲鳴を上げてくれるんじゃないだろうか。

 そんな、楽しい楽しい企てをボアが思案していると――


 ドッ!! とオーラが背後で噴き上がる。


 先日、城の方で察知した跳ね上がるオーラは、常に勇者や城内にいる人間の動向を探っていたボアだからこそ気がつけた。

 きっともっと遠くの城下町にいたのなら、気がつかなかっただろう。

 だが、この量は違う。

 例え気を張っていなくとも、国外にボアがいたとしても気がついただろう。

 まさに桁違いのオーラ量だ。

 強者ならば外国の遠く離れたどこかであろうとも、誰もが気がついてしまうだろう化け物じみたオーラ量に震える。

 オーラの奔流が湧きあがっているのは、死んだはずの勇者からだった。

「な、んだ? 確かに心臓は止まっていたはず。仮に蘇生したとしても、毒は全身を周り動くことさえできないはずなのに。なのに、この禍々しいオーラは!!」

 死ぬことで強くなるパーソナルスキルは存在する。

 だが、それは魔族が故に持ちうる特性。

 人間がそんな特異なパーソナルスキルを持っているはずがない。

 勇者はフラフラとしながら、立ち上がった。立ち上がることができた。

「そんなバカな……。自己再生能力なんて!? そんなことが……!?」

 濃密なオーラに包まれた傷がとんでもない速度で回復している。

 折れた骨は再生し、曲がった手足も元通りになっている。

 なにより、失明したはずの両目を開いた時にボアは驚いた。

「なんなんだ……。その瞳の色は!!」

 勇者の瞳の色は、この世界じゃ珍しい黒色だった。

 だが今は違う色。

 月のように輝く金色の瞳をしている。

「しかも、なに、これ、スキルレベルが変動している!? そんなことがっ……!!」

 一般的にスキルレベルは敵を倒したり、鍛錬を積んだりすることによって変動する。

 だから、今この時、何もしていない勇者のスキルレベルが変動するわけがない。

 それなのに、変動している。

 しかも、上昇だけではない下降もしている。

 凄まじい速度でスキルレベルは変わっていき、最終的な数値は――


 武術スキルレベル0

 魔術スキルレベル100

 錬金術スキルレベル0


 総合スキルレベル100


 という数値になった。

 スキルレベルはいかなる手段を使っても、この短時間で劇的に変動するはずがない。

 ボアはそんな事例聴いたことがない。

 容姿やスキルレベルの改竄をするスキルは存在するが、ボアほどの実力者相手に欺くことなどできるはずがない。

 つまり、今まで観てきた事象は全て本物ということだ。

「…………誰なんだよ、お前は!?」

 勇者であることはありえない。

 まるで別人だ。

 そいつはフッと笑って少しだけ躊躇うと、口を開いた。

「どこにでもいるただの女の子だよ」

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