第30話 女教師アンネの放課後(2)
「な、なんで組体操とか行進だけで、戦争の火種が生まれそうになっているんですか!?」
「動きが異常だと。あれだけ統率のとれた動きをできるのは、少年兵を鍛え上げているに違いないと他国から噂されていますね」
「それだけで!?」
毎日数時間は動きを合わせるために学校の子ども達には練習をさせてはいるが、あれぐらい誰だってできるはずだ。
行進の時は、腕の振りや桃の上げ方が10cm程度の誤差があったら何度だってやり直しさせていた。けれど、そのぐらい常識の範囲内のはず。どうしてそれが少年兵の教育に繋がるのか。
俺の学校では数百人の生徒全員ができるまで永遠にさせられていた。
しかも運動会の練習の時は水筒が邪魔だだからと言って、水分をあまり摂らせてもらえなかった。長時間の炎天下の中でだ。なのでちょっと鉄臭い水道水だろうが、空き時間にガブガブ飲んでいた。
あれに比べたらそんなに言われるほどじゃないと思うんだが。
「確かに……。あれだけ熱心に指導されたら、子ども達が軍隊に入る準備をしていると思われてもしかたないかもしれない……」
「アシュラまで! そんなに!? 俺的には大したことしたつもりはないのに!!」
「ま、まあ。それだけ世界を救った王様がこれから何をするのか、世界が注目しているといってもいいですね」
「俺だけの力じゃないですけどね……。たまたま魔王と最後に戦ったのが俺だっただけなんですよ。他の英傑達だったらもっとスマートに戦いを終えていたかも知れませんし」
「それでも! それでも世界を救ったのはあなたですよ」
「先生……」
「あの極悪非道の魔王がいなくなって、人はみんな嬉しかったんです。だから、あなたはあなたの功績を否定しないでください。そんなに否定したら、あなたを応援している人や感謝している人だって否定することになりますよ。それに――」
「それに?」
「それに私だってあなたのことが好きですから」
「え?」
なんか微妙に会話が繋がっているような、繋がっていないような。
さらっと愛の告白をされような……。
ま、まさか、そういうことか!?
こんな俺にもモテ期というやつが来たのか?
そこまでアンネ先生と俺は親交がある訳ではない。だが、アシュラという架け橋があることもあって、何度か接してきた。相談する時に自分の弱みを見せた時もあった。そこで恋が芽生えたのか……。
俺は勇者であり国王で、尊敬されてもおかしくない。
こんな、こんな綺麗な先生に俺は惚れられているのか?
眼鏡をかけているせいか、知的に見えるクールビューティ―。
膝を合わせて終始手のひらを乗せている。
整った鼻と、メイクもしていないのに唇はぷっくりとしている。
強気でいるために手のひらを握っているが、時折不安げに瞳を揺らしているのがまた可愛い。
大人の女性の色香を身に纏っていながらも、ほんのちょっぴりの幼さが同居していて本当に……本当に……痛い! 痛い! 痛い!
「いったいんだけど! アシュラ! なんで! 三連続で肘鉄喰らわすの!?」
しかも骨と骨の間を、ガスガスガスッ!! と正確に突いてきたよね!?
無駄に当たったら痛いところを当ててきたあたり確信犯じゃないんですか、これは!?
「すいません、虫がいたもので」
「普通、手のひらで叩いたりするものじゃないの!? 何で肘鉄!?」
「大きな虫がいたんですよ!!」
何故か逆ギレされました。
俺に悪いところがあるみたいな言い方しなくても。
「それよりも、今日は家庭訪問で先生が来られたんですよね? だったら私のことについて話すべきじゃないんですか? 二人とも挨拶にしても長すぎですよ」
俺にも悪いところあったね。
肘鉄とは無関係だけど。
ごめんなさい。
いやー、それにしても、本当に良くできた子だ。
俺なんかよりもよっぽど大人だ。
「そうね。ごめんね、アシュラさん。普段、王様とお話しできないからできなくて年甲斐もなくはしゃいでしまったみたい。学校にお迎えに来た王様と話そうと思っても、どこかの誰かさんが邪魔をして話せないからー」
「へー、そんなお邪魔虫がいるんですねー。私も虫がいて大変なんですよー。私の邪魔をする虫なら潰してあげないとー」
「そうなのー。ウフフフ」
「そうなんですー。アハハハ」
ウフフ、アハハ、と二人して笑い合っているけれど、眼が全然笑っていないんですけど。
なんだ、これ。
何を言い合っているのかいまいちピンときていないけど、なんだかいたたまれない。
視線を中空に漂わせていると、コホン、とスイッチを切り替えるようにアンネ線先生は咳払いする。
「アシュラさんは、とても落ち着いていると思います。授業態度が良く、他の生徒とも交流しているみたいですね。むしろみんなの中心にいるような生徒です。王様が心配するようなことは一切ないと思います」
「中心……。アシュラがですか……」
旅の時はいつも端にいた。
隅っこにいて、常に俺から話しかけていた気がする。
輪の中に入れずに、話もあまり得意ではない。
だからといって人と接するのが嫌いなわけではない。
ただ、自信がなかった。
低い身分だった自分が、他人と対等に話せる資格がないと思い込んでいた。
普通に話すことが難しかった。
そんなアシュラがみんなの中心にいる?
それが本当のことならば、嬉しい意外の感情が見当たらない。
「その、アシュラの、角のことは……」
「大丈夫ですよ。あの学校には他にも沢山の種族がいますから」
「そうですか……よかった……」
本当に良かった……。
心配だったんだ。
いじめ、とかな。
子どもは大人のように感情を押し殺すことができないから。
だから直接的な暴力に訴えたり、残酷な言葉を浴びせたりするかもしれないって。
そのせいでまたアシュラが傷ついたらどうしようと。
既に傷だらけなのに、これ以上傷ついたらアシュラが壊れてしまうと。
そんな不安があった。
学校へ行く後押しをしたは俺だ。
責任は俺にある。
アシュラだったらきっと辛いことがあっても隠してしまう。
そんな強さを持つ子だったから心配していたのだ。
だけど、アンネ先生がそう言ってくれるのならもう安心だ。
「成績もよく、スキルによる戦闘能力は学校で一位でしょう。だからこそ進路には困ってしまうかもしれませんね」
「どういうことですか?」
「どんな道にでも行けるということです。冒険者になるのもいいし、進学するのもいい。それにどこかの軍に所属することだってできます。どこに行くにしても私が推薦状を書きます。後はアシュラさんの意志です」
「すっごいな。良かったな、アシュラ!」
うおおー。
ここまでベタ褒めだと嬉しすぎる。
俺が学生の頃は、先生からぜんぜん褒めてもらえなかった。
だからこそ、アシュラが褒められるのを聴くとめちゃくちゃ嬉しい!
自分のことのように!
だが、当の本人は苦虫を嚙み潰したような顔をしている。
「…………」
「なんか嬉しくなさそうだな。行きたい所とか、やりたい事とかないのか?」
「別に、このままでいい……」
「え? それは――」
「それはもったいないですねえ」
アンネ先生は眼鏡を掛けなおす。
手のせいであまり見えなかったが、一瞬企むように笑んだような気がした。
「アシュラさんほとの実力があればどこに行っても成功するはずです。ここで燻るよりも、成功するために他国の学校に進学するのが一番かと私は思いますけどね」
「……このクソ教師……」
あれー。
なんだか俺の天使からボソッとありえない暴言が聴こえた気がするー。
そんなわけないのになー。
「アシュラ、俺のことを気にしているならやめてくれよ。お前はもうお前の人生を歩んでいいんだ」
「恩返しだからじゃない。……私はユウシの傍にいたいだけだから」
「アシュラ……」
そうか。
俺のことが枷になって自分のやりたいことをやれないのが一番辛い。
だけど、本当にそうじゃないんだな。
やりたいことをやりたいだけなんだな。
「あの、先生」
「はい、どうしましたか、王様?」
「アシュラの好きにしてやることはできないでしょうか?」
アシュラが、驚いたようにこっちに視線を固定する。
「俺はこいつの意見を尊重したいんです。自分の意志で道を決めて欲しい。今のアシュラにはそれができるから」
奴隷だった時には何も選べなかった。
奴隷から解放された当時だって、自分のやりたいことを見つけることができなかった。
ただひたすらに命令だけを欲していた。
自分の意志なんてなかった。
それが痛々しかった。
傷つくのを恐れて、ひたすら他人の顔色ばかり窺っていた。
ビクビクしながら生きていた。
そんなアシュラがここまで自分の意見をはっきり言えるようになるなんて。
涙が出そうになる。
「…………ユウシ」
泣きそうだから、アシュラがどんな顔をしているのか見られない。
だけどきっと、俺と同じような顔をしている気がした。
「私だってそれが一番だと思っています。ですが――それで本当にいいのですか? アシュラさん。あなたが今選ぼうとしている道は、きっとどんな道よりも困難な茨の道なんです。世界を救った勇者の隣にいるってことは、それなりの危険が伴う可能性が孕んでいます。味方が多いということは、敵も多いということです。あなたは、傷つくことが分かっているのに、危険な道へ進むのですか? それぐらい幼くともあなたほど賢い子なら分かるはずです」
そうか。
先生は本気でアシュラのことを心配しているのだ。
確かに、俺の周りにいるだけで、何かしらの事件に巻き込まれるかもしれない。
もしかしたら世界で一番危険な場所かもしれない。
でも、それは俺が何度も問いただしたこと。
何度忠告してもアシュラは、それだけは曲げなかった。
いつだってアシュラは後ろをついてきたのだ。
「それでも――やっぱり、私はユウシの傍にいたい。今のユウシの言葉を聴いてよりそう思いました」
ああ。
ほんとうに。
ほんとうに大人になったな。
一気に大人になりすぎてちょっぴりさびしいくらいだ。
「そうですか……。そこまで意志が固いのなら私から言うことはありません。いいんですか? 王様」
「はい。アシュラの意志を俺は尊重したいから、俺はアシュラの言うとおりにしてあげたいです」
「――分かりました。二人がそういうなら、先生としてはもう何も言えません。だけど、協力はさせてくださいね。私も精一杯フォローします。王様の傍にいるのなら、政治の勉強を中心的にやった方がいいですね。私も資料を集めてアシュラさんに渡します」
「政治か……」
戦闘能力や頭脳などは、アンネ先生も申し分ないと思っているから政治の話をしたのだろうが、俺だって分からないんだよなあ。
家庭教師としてサリヴァンをつけてあげようかな。
「他に何か質問はありますか?」
「いえ。アシュラが学校でちゃんとやっていることを知れたので、俺としては大満足です」
正直、ちょっと面倒かなって思ったけど、家庭訪問もいい経験だったな。
普段は訊けないようなアシュラの気持ちも知れたしな。
「そうですか。それじゃあ、家庭訪問はこれで終わりになります。お疲れ様でした」
「はい。お疲れ様でした」
「……お疲れ様……でした?」
大人の挨拶についていけない、アシュラちゃんめちゃ可愛い。
「なんですか?」
「いや、なんでもないよ」
「そうですか。何か変なこと考えているような気がしたんですけどね」
す、鋭い。
目を逸らしても睨んできてくる。
うーん、やっぱり付き合いが長いと分かるもんだな。
「うーん。終わったー。王様、これで家庭訪問は終わりなんです。しかも、明日は学校が休みなんですよ。つまり、私は今日夜遅くまで遊んでいてもいいってことです!」
アンネがいきなり砕けた態度になったのは、先生モードが終わったからだろうか。
「はあ。そうなんですか」
だからどうしたんだろう。
遊ぶ場所でも紹介して欲しいのかな?
やっぱり無難に屋台とかかな?
夜になればお酒も出るし。
「先生、もうお帰りください」
「痛ッ。ちょっと痛いって、アシュラさん」
ドンドン、とお相撲さんのゆおにアシュラが平手でアンネ先生のことを押す。
チラッと俺に助けを求めるように、アンネ先生が見てくる。
やれやれ。
ここは俺が助けてやろうか。
「こら、アシュラ。先生に手荒な真似はやったらだめだろ」
コツン、と頭を叩く真似をしてアシュラを叱る。
「こっちは親切心でやっているのに……。何があっても知らないから」
ボソボソと呟くと、アシュラは奥に引っ込んでいく。
まるで拗ねているようにも思えるけど、言い過ぎたかな?
でも、最後のアシュラの一言は一体……。
「うーん。どうやら諦めたというより、呆れたみたいですね」
「え? どういうことですか? 先生」
「いいえ、なんでもないです」
アンネ先生はかぶりを振ると、
「それより、王様。暇なので放課後デートしましょう」




