8.因果
幾日が過ぎたのか。
昼夜の別の無い地獄では、時の過ぎるのも分からない。最も昼夜の別なく責立てられるだけのおとこには、時など意味の無いものなのかも知れなかった。
此処に縛りつけられ、舌を引き出されて置いて行かれてから、一時の休みもなく続く苦しみに、おとこは低く呻き声を上げる。
始めの内はひと刺し毎に悲鳴を上げて身を捩り、苦痛から逃れようと藻搔いた。しかし、縛り上げられた身体は僅かも動かず、噛み締める口枷は揺るぎもしない。張り付けられた舌に忽ちの内に集った大蜂を追う術もなく、ただ為す術も無く刺され続け、既におとこは苦痛に疲れてしまっていた。
地獄の責めの苦しみは、罪人に慣れる事を許さない。苦痛と恐怖は時とともに増すばかりだが、おとこにはそれを訴える相手さえ無い。仕方なく、おとこは恐怖と痛みに苛まれながら、灼けた鉄柱に力なく身を預けている。無数の蜂が舌を刺す度に、ただびくびくと身が震えた。
苦しみの中で、おとこは自嘲する。
───なぜ、こんな処にいるのか。
死んだ時の事は覚えている。
自業自得と言っていい自分の死に様には、満足している。して来た事を思えば、此処にいる事も不思議ではない。
それでも、此処は無い筈の場所だった───
鋭い痛みが身を貫き、おとこは枯れかけた喉を絞って悲鳴を上げる。舌に広がる痺れるような痛みは、もう引くことがない。
絶えず加えられる苦痛に荒い息を吐き、彼は目を上げて己が繋がれている地獄を見た。幼い頃に見た地獄絵そのままのその風景は、おとこが長い間嫌悪して来た記憶を呼び覚ます。
───師。
彼の師は、かつて彼に度々夜伽を命じた。
幼い彼はそれが嫌で仕方が無かった。
言う事をきかない彼を、師は地獄絵の前で犯した。言う事をきかぬ者は、灼けた鉄串に貫かれると脅しながら───
幼い日、救いの手は延べられず、仏は彼の呼ぶ声には応えなかった。師は何等現報を受ける事もなく、穏やかに年老いて、やがて穏やかに往生を遂げた。
その時に、彼は悟った。
報いなどは、無いのだと。
仏の救いも罪の報いも、そんなモノは皆方便で、この世界にはただ強い者と弱い者が在るだけだ。それならば、自分は強い者となる。
これまで自分が騙されて来たように、方便と知れた道を説き、けして応える事のない仏を使って、自分のしたい事をする。その為にこそ仏の道を学んでやるとそう決意して、その結果おとこは今此処にいる───
耳元を、羽音も高く恐しい大蜂が掠めて行く。
途切れる事のない苦痛に身を捩りながら、おとこは改めて己の居る場所を見る。
───仏を信ぜず、罪を犯し、お前自身が造った地獄だ。
そう言って、獄卒鬼等はおとこを嗤った。
ならばこの後に己を待つのは、この様に生易しい地獄では無い筈だ。師と同じ罪を犯した己の造る地獄は、まだまだ厳しく激しいものでなくてはならない。
───師はいずれに在るものか。
苦痛に歪む顔に皮肉げな笑みを薄く浮かべて、おとこは呟く。
罪が地獄を造るなら、師もまた何処か自身の造った地獄の中で、苦しみに囚われて居なくてはならない。
そうでなければ、自分が今此処に居るのは理不尽というものだ───
立ち上る熱気に揺らぐ灰色の空を見上げ、おとこは己の愚かさを嗤う。己の哀れさに、零れる涙が僅かに一粒、頬を伝った。




