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実熟れ時  作者: 皇 凪沙
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⒋罪報


 熱い風が吹いて、おとこは顔を上げる。

 気がつけば、黒鉄(くろがね)の鎖に縛られ、熱く灼けた岩間に立っていた。

 切立つ岩が炎を噴き、岩間に続く道には炎を(まと)った岩角が、刃の様に突き出している。

 幼い頃に師に見せられた地獄絵そのままの光景を前に、おとこは悔しげに唇を噛む。

 地獄など、有りはしない。おとこはそう思って生きてきた。世には神も仏も無い。浄土も無い。ならば、地獄とてない筈だった。

「なぜ───。」

 呟くおとこを獄卒鬼等が(わら)う。

「お前が罪を犯したからだ。」

 青の獄卒鬼が云う。

「お前が信念に従って地獄は無いと言ったなら、此の地獄は無い。仏を退け、罪を犯して、お前自身が此の地獄を造ったのだ。」

 赤の獄卒鬼が云った。

「自身の造った地獄であれば、今更何を驚くか。さあ、行け!」

 そう云って、青の獄卒鬼が鉄棒(かなぼう)でおとこの背を突く。返す言葉も為す術もなく、おとこは岩間へと足を踏み出した。

 地を踏む足が熱さに爛れ、爛れた足を鋭い岩角が裂く。立ち上る熱気が、喘ぐおとこの喉を灼き、肺を焦がした。

 苦しみに喘ぐおとこの背を、獄卒鬼の鉄棒が容赦なく突く。

「───辛いか。」

 そう問われて、おとこは苦しむ己を嘲笑する。

 地獄など無い。そう言って(はばか)らなかったのは、仏もまた無いと確信したからだ。

 仏など無い。

 もしも仏が在るのなら、苦しむ己を救わぬ筈がない。

 縋る声に応えぬ筈はない───

 仏は無いと諦めたその時に、おとこの内から地獄も消えた。

 その筈だった───

「辛いなら、仏に縋ってみるがいい。形ばかりも僧ならば、経、念仏のひとつも唱えて、仏に縋ってみせよ。」 

 青の獄卒鬼が、おとこを嘲る。

「在らぬ仏には、縋ることも出来まい。」

 赤の獄卒鬼が嗤う。

 鬼に嗤われる迄もなく、仏が応えることはない。

 おとこはそれをよく知っている───

 悔しさに、ぽつりとひとつ涙が零れた。

 熱い地面に溢れた涙は、忽ちに蒸気となって消えた。


 地獄の中を引き立てられ、おとこはやがて小さな窪地に辿り着いた。

 切り取られた様なその場所は、吹き出す熱気が澱み渦巻き、全てが熱く灼けていた。

 窪地を見下ろし思わず尻込みするおとこを見て、獄卒鬼等は蔑むように言った。

「罪を犯す者には、報いがあるのだ。人の世にある間は隠せても、閻魔王の御前に至ればすべては明白となる。」

「愚かな真似をしたものだ、己の愚かしさの報いを受けるがいい。」

 口々にそう言うと獄卒鬼等はおとこを引き据え、僧衣を剥いで黒鉄の柱に縛り付ける。灼きたてられた柱に素肌が触れ、じゅう───と音を立てた。

 膝立ちのまま、手足を鉄柱の後ろで括られ、首元から膝元まで鉄鎖にぎりぎりと締め上げられて、おとこは身悶える事さえ出来ずに叫ぶ。膚を焼かれる痛みと苦しさに、早くも許しを乞うおとこを、獄卒鬼等が嗤った。

「苦しみは、これからだ。」

 おとこの口に鉄の口枷が嵌められる。

 枷から延びる鎖で、おとこの頭は鉄柱に留め付けられた。

「覚悟はよいか。」

 身動きも言葉も封じられ、呻くおとこを見下ろして、青の獄卒鬼が嘲るように問う。その手には黒鉄の金挟みが握られている。

「心配するな。舌を抜くわけではない。」

 恐怖に怯え、身を固くするおとこに獄卒鬼が云う。

「抜けばそれで終いだからな——」

 そう云いながら、獄卒鬼は枷に開かされた口へ金挟みを差入れ、おとこの舌を引き出した。引き攣れる様な痛みが走る。ぶつぶつと筋の切れる音がした。挟み出された舌は千切れることなく伸び、獄卒鬼等の手でさらに左右に大きく引き伸ばされる。

 苦痛に身を捩るおとこを横目に赤青の獄卒鬼の手が金槌を取り、引き伸ばされた舌先に太い鉄釘が打ち込まれた。鋭い痛みにおとこは叫ぶ。構わず釘は次々に打ち込まれ、おとこの舌は太鼓の皮でも張るように地面に引き張られていった。

「さて、このようなものであろう。」

 百本程も鉄釘を打ち込んで、青の獄卒鬼が云う。引き張られた舌は畳一枚分程にも広げられ、ぴくりとも動かせないほどに打ち付けられていた。

「閻魔王様のお許しがあるまで、そこでそうしているがいい。」

 そう、獄卒鬼がいい終わらぬ内に、ぶんと低い音がした。

 赤の獄卒鬼がおとこに憫む様な目を向ける。

───ぶつり。

 舌に今までとは比べものにならない痛みを感じ、おとこは悲鳴を上げて身をもがかせた。

 見れば、五、六寸ばかりもある大きな蜂が、毒針を突き立てている。刺された所から、忽ち舌を焼かれる様な痛みが広がった。

「───その蜂は、最猛勝(さいもうしょう)という。無間地獄にいると云う五百億の虫の中でも、最も獰猛で毒が強い。此処は無間地獄の内では無いが、この虫が巣くっておる為、お前の様な者を懲らしめるのに使われるのだ。」

 獄卒鬼等が辺りを見回す。

「すぐにも無数に集まって来よう。己の愚かさを恨むがいい。」

 既に幾匹かの大蜂がおとこの舌に(たか)りはじめ、鋭い毒針を突き立てている。次第に強くなっていく痛みに、おとこの口から声にならない叫びが上がる。

「数匹でも泣き叫ぶ程に辛かろう。痛みに耐えかね、己の舌を噛み切ったり、引き千切ったりする者が絶えぬ故、此処に置かれる者は厳しく縛られるのだ。」

 集まる蜂の数が増えてゆき、辺りに不気味な羽音が響き渡る。

 恐怖に震えるおとこに、獄卒鬼等が背を向けた。

「いずれお呼び出しがあろう───」

「それまで、己の行いを十分に思い返して置くがいい。」

 そう口々に云って、獄卒鬼等は去って行く。

 待ってくれと叫ぶ声は言葉にならず、後には残されたおとこの悲鳴と最猛勝の羽音の唸りが、熱く澱んだ空気を裂いて響いていた。


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