17.出立
まだ閉まったままの板戸の隙間から、朝の光が漏れている。もう間も無く、板戸が開かれ牢役人等が来るはずだった。
朝の気配のする薄闇の中に座って、彼は静かに目を閉じる。目を閉じれば、今でもやはり手にかけた師の死に往く顔が浮かぶ。取り返しのつかない過ちの瞬間の感触が、生々しく思い出されもする。
此れ迄の様々の事が、次々と脳裏に浮かび、彼は切なげな笑みを浮かべた。
己の罪の重さが、今はよく分かる。
覚悟した死は、それでもやはり恐ろしかった。
空気の動く僅かな気配を感じ、彼は目を開ける。
牢舎の入口に人声がした。板戸の錠が開かれて、牢役人と数人の下人が入って来るのを、彼は静かに待った───
許されて牢舎の中で最期の身繕いをし、定められた墨染の僧衣を着ける。懐深くには、まだ目立った傷もない数珠が、大事に仕舞われた。刑死人の印の本縄がその身に掛けられ、彼は、今度こそもう二度と戻る事のない小さな牢獄を出た。
朝の風が涼しげに吹く。
外に出ると、牢庭には既に引廻しの用意が出来ていた。捨て札に紙幟、物々しい捕物具を手にした非人等が、筵がけの裸馬を囲んでいる。その中に、二本の長槍があるのを見て、彼は小さく身を震わせた。
見慣れた役人の男が、引き出された彼に近づく。その顔に、いつもと同じ穏やかな表情が浮かんでいるのを見て、彼は少しだけ安堵した。
「───眠れたか。」
そう問う男に、彼は苦笑し首を振った。
「それ程に、肝が太くはないようです。でも、御師様にお暇乞いが出来ましたので、気持ちは楽になりました。」
そう答えると、男はそうかと頷いた。
「───昨夜の内に、お前の師への呼出状を届けさせた。引廻しが終わらぬ内に、沙汰が下されるだろう───」
───それで、良かったのか。と、そう言って、男は彼を見る。
彼はゆっくりと頷いた。
「───ただじっと思い煩う時を過ごされるよりも、いっそその方が良かったと思います。」
そう言うと、男は静かに頷いた。
「───行くか。」
呟くように男が問う。
頷きかけて、彼は男を見上げた。
「ひとつだけ、お願い致したいことが御座います。」
男の目が彼を見る。
「以前お渡しいただきました書物を、処分しては頂けないでしょうか。御師様にお返しする事も考えましたが、私を思い出されてはお辛いかも知れません。ですから───」
───そうか、と男が頷く。
「どうすれば良い。」
問われて、彼は少し俯いて言った。
「刑死する罪人の持ち物です。どうとでも御処分下さい。けれど、もしも───」
と、そう言って、彼は顔を上げる。
「もしも───もらって下さる方があれば、このような罪人の物だった事を隠さずお伝え下さい。それでも構わないという方にお使い頂ければ、嬉しく思います。」
死にゆく身が我儘かとも思ったが、男は分かったと頷いた。
「そのような者があれば渡そう。それまでは、預かって置く。」
彼は、頷いて微笑んだ。
そして、深く頭を下げる。
「ありがとうございます───最後まで、ご面倒をお掛け致します。」
そう言うと、男は笑みを浮かべて頷いた。
「それでは、お願い致します───」
彼は少しだけ微笑んだまま、男を見上げる。
男が頷いた。
非人等に預けられ、彼は馬上に押し上げられる。初めて乗った馬の背は、暖かく湿っていて、生きているものの匂いがした。
列が整い、出発が告げられる。
本縄を掛けられた身を裸馬の背に預けて、彼は刑場までの最後の引廻しにかけられた。




