第3話
「全ての工事は終了した。ご苦労だったな」
数日後の夜、マタンゴ達は城門前の広間に集められ、そこから何処かへと移動しはじめた。
結局、俺は逃げ出す事は出来なかった。
あのお姉さんが来て以来、見るからに戦闘要員っぽい奴らがぐっと増え、それを世話する奴らもめちゃくちゃ増えたのだ。
人の目が多すぎて隠れられる気がしない。
せめてもの救いは、彼らがいてもギスギスした空気を感じなかった事かな。
マタンゴ達の数は、工事を始めた頃に比べると半分くらいになっていた。
寿命が切れる条件というものが今ひとつ解らないが、観察している限り、マタンゴはあまり長生きではないようだ。
おそらくは俺が生まれた場所のように、マタンゴ達が増えやすい牧場的な場所に誘導されるのだろう。
俺もすぐ死ぬのだろうかと憂鬱になりながら、先を歩くマタンゴ達についていく。
結局、あのお姉さんと会ったのは一度きりだった。
背も高いし顔も綺麗系だし、声もセクシーだしで、かなりハイスペックだったなあ。
俺の観察眼によれば90には届かないものの、高い戦闘力を持っていたようだし、あんなお姉さんにならアゴで使われるのも有りかもしれない。
まあ、実際にはゴブリンにアゴで使われているんだけどな。
今はそれよりも自分の身の振りのほうが大切だ。
先のない命だというのなら尚更、またしんどい労働を課せられる前にさっさと行方をくらませる事にしよう。
幸い、城門の外は暗い紫色の霧、というか瘴気が濃くでている。
マタンゴもばらばらな動きで先導するゴブリンにゆっくりとついていっているだけだ。
瘴気にまぎれて逃げる分にはなんとかなるかも知れない。
暗い洞窟と工事現場を行き来するだけの生活なんてゴメンだ。
ああ、いっそ旅に出るのも良いかもしれない。この世界の事、まだ何も知らないしな。
そう思っていたのだが、門をくぐる前に一匹のゴブリンが俺の肩に手をおいて引き止めてきた。
「お前は、残れ」
俺はほぼ反射的に理解した。
これは恐らく、残業の指示だ。
前世で幾度と無く経験した辛い思い出が、俺の脳天からつま先まで冷たいものを走らせた。
そしてこういう時に身の安全を守る方法はひとつ。
『従順な態度を取る』だ。
他の奴らがどうかは知らないが、俺はそうして世渡りしてきたのだ。
俺は意気消沈してヘナヘナに萎びた体を引きずりながらゴブリンの背中を追いかけた。
団体を離れ、勝手口っぽい所から石がむき出しの通路や階段を通って城の奥へと入っていく。
工事の流れでおおよそ全体の作りは把握しているけど、どうやら使用人なんかが通る道を歩いているみたいだ。
すれ違うのは炊事担当らしきゴブリンやコボルトが殆どだけど、鎧を着た大きな人影もそれなりに多かった。
尻尾が生えていたり腕が四本あったりするので、間違いなく人間ではない。
しかも見るからに強そうなガタイをしている。
この体はゴブリンよりは強いと思うけど、あんな奴らとやりあうハメにはなりたくないな。
様変わりした城内をキョロキョロしながら歩き続け、しばらくして着いたのは、城の中程に作った部屋だった。
今は両開きの扉の上に名札がつけてあり、何かの文字が書かれている。
部屋の前には黒い鎧の大男が何人も立っていた。
なんだか只ならぬ雰囲気だ。
「執務室では許可があるまで動くなよ」
ゴブリンが肩越しに指示を出してきた。
どうやら名札には執務室と書いてあるらしい。
以前、高貴なる方々がどうとか言っていたから、ここにいるのはいわゆる高官レベルの人材なのだろう。
物々しい護衛がいるのも納得だ。
その執務室に控えめなノックをして、ゴブリンは俺を中へと導いた。
「きたか」
はたしてそこにいたのは先日のお姉さんだった。
中世ヨーロッパ感ハンパない城にはあまり相応しくない、電気スタンドっぽい照明が机の上に乗っている。
多分魔法の道具なのだろう、その灯りを頼りに、前かがみになって書類と格闘していた。
前に見た時は豪奢な布を羽織っていたりしてとてもハデだったが、今はきれいな縫製で襟口の広い貫頭衣を身につけている。
そう、襟口の広い貫頭衣だ。
大きく開いた襟元からは肌色の丘が見え、中で揺れるそれは机の上にどっしりと腰を下ろしている。
二つの惑星の衝突により生み出された深い闇はまるでブラックホールのように俺の視線を吸い寄せた。
「‥‥邪な意思を感じるが、気のせいだろうか」
感づいたらしいお姉さんが首元を隠すようにして手をかぶせ、姿勢を正す。
闇の束縛より開放された俺もまた、佇まいを直して言葉を待つ。
が、今度は背筋を伸ばしたことでお姉さんの膨らみが強調されている事に気づいた。
うむ、前回は着ている服が多くて正確なサイズが目算出来なかったが、どうやら88くらいの戦闘力はありそうだ。
直立不動の姿勢を維持したまま、机の向こう側でふるんと揺れる豊穣の証を心のメモリーに保存していく。
「まあ、いい。
ご苦労だった、お前は下がっていいぞ」
俺が卑しい作業に従事している間に、お姉さんはゴブリンを労って退室させた。
言われたゴブリンの方も、うやうやしく頭を下げて扉の外へと出ていく。
それなりに信頼関係はあるみたいだなあ、と横目で観察していたが、お姉さんは扉が閉まってから急に冷ややかな視線を俺に向け始めた。
やっちまったな、ほぼ初対面の女性の胸を凝視するとか完全にマナー違反じゃないか。
そう思い、心を落ち着かせて‥‥その違和感に気づいた。
軽蔑とか忌避とか、そういう冷たさではない。
人間だった時にさんざん浴びせられた、見下すような侮蔑の視線でもない。
これはそう、明らかな敵意だ。
事ここに至って、ようやく俺はお姉さんが発している不穏な空気に気がついた。
「さて、今の自分が置かれている状況は理解しているか?」
やおら立ち上がり、こちらへ近づいてくるお姉さん。
その右手には真っ黒で肉厚で幅広なヤバイ剣が握られていた。
視線は更に鋭くなっていて、必ず殺すという強い意思がヒリヒリするほど伝わってくる。
「っ!!」
一も二もなく、踵を返して扉を目指す。
いや、目指そうとしたつもりだった。
気づいた時には、俺の首元‥‥本来なら首がある場所に、ピタッと刃が添えられていた。
まるで湯気のようにじんわりとにじみ出ている黒いモヤが、俺の体を撫でるようにしてゆらゆらと揺れている。
「この至近距離で龍族から逃げられると思わない事だ。
もっとも、逃げたとしても外は既に網を張ってあるがな」
一歩も動けなかった。
何が『そこそこ強いスペックの体』だ。
ゴブリンよりは強そうだからといって自分のフィジカルな性能をそれなりに高く見積もっていたが、現状、目の前の相手がどのくらいの力を持っているのか推し量る事すら出来ない。
綺麗な唇から漏れ出る声は飽くまでも冷淡で、一切の感情が込められていなくて、それが逆に怖い。
その怖い声が、続けて言った。
「さあ、全て吐いてもらうぞ」
人間だったら多分チビってた。
書き溜めは以上です。