第2話
「うっそだろお前……」
最初、異世界で新たな生を授けられた俺は、自分の姿を見て絶望した。
目も鼻も口もない、男のシンボルもない、のっぺりとしたキノコの姿。
凹凸のない丸太のような長い腕と、子供のような短い足が生えてる以外は、本当にただのでっかいキノコだ。
どうやって見てるのか、喋ってるのか、自分にも解らない。
が、見えるし、喋ってるし、自分の声が暗闇に響いているのも聞こえる。
とにかく人間の時と同じように行動する事は出来るみたいだ。
一方で、この体は不思議と腹もすかないし眠たくもならない。痛みを感じない上にちょっとくらいの傷ならすぐに治るので、かなり頑丈な種族っぽい。
筋トレっぽい動きを続けてみても疲れる事がなかったので、持久力も高いか、あるいはそもそも疲れないのかもしれない。
前世の俺は四六時中エロい事ばかり考えていたが、生まれたばかりだからなのか、動物ではないからなのか、性欲のようなものは今のところ感じていない。
これについては、俺の荒ぶるリビドーを向ける相手がいないというのも大きな要因ではありそうだが……。
喋れる個体というか、知能を持っていそうな奴は俺以外にはいない。
というか、人間っぽい体つきをしているのは俺だけだ。
他の奴らは枝分かれしたキノコの姿とか、石付きから生えてる触手で歩く奴とか、ちょっとしたホラーサバイバルゲームに出てくるエイリアンみたいな見た目の奴ばっかりで、意思疎通なんかもできなかった。
寂しくはあったが、自分のまわりに似たような姿の生物が沢山いるという状況はかなり安心できた。
とにかくこれならそうそう死ぬ事はなさそうだ!
……なんて喜んでいたのも、魔族に会うまでの話だった。
この世界に生まれ落ちて数日後、俺のいる場所に一体のゴブリンがやってきた。
俺は気づかなかったが、どうやら地下に掘られた洞窟というか、管理されている部屋の中にいたようだ。
うじゃうじゃと群れている俺たちを見たゴブリンは言った。
「うんうん、大分増えたな。
よし、お前ら外に出ろ!」
驚いたことに、周囲の魔物たちは突然現れたゴブリンの言葉に素直に従った。
何かの技や魔法を出していたようには見えないし、俺自身も何も感じなかったのだが、ゴブリンが声を張り上げ、腕を振るごとに、洞窟の中でバラバラに散っていたマタンゴ達が次々と出口から這い出していく。
まるで羊飼いに誘導される羊の群れのようだ。
下手に逆らうと悪目立ちするだろうし、きっとそれがこの世界では普通なのだろうと判断し、俺もゴブリンについていった。
我ながら、日和見主義にも程があるな。
結果、今のように労働を課せられているという訳だ。
「じきに高貴なる方々がこちらへいらっしゃる。
それまでにしっかり終わらせておくんだぞ!」
近くにいたゴブリンが作業指示を出して去っていく。
今日までの工事でおおよそガワは出来上がっているので、内壁に土を塗って隙間を埋めるのが今の俺の仕事である。
セメントのようなねっとりした土の入った瓶を担ぎ、ハケにたっぷりとつけて壁に塗りつけていくのだ。
訳もわからず従っていた俺は、誰かと言葉を交わす機会すらなく、多くのマタンゴ達と同じように割り振られた作業を黙々とこなしていた。
耳に入る言葉はゴブリンの指示くらいなものだ。
ぺちゃぺちゃと湿っぽい音が響く中で黙々と手を動かしながら、俺は自分の境遇について考える。
先に書いた通り、マタンゴはかなり頑丈な種族だ。
正直、身体的なスペックはゴブリンよりマタンゴのほうが上だと思う。
身長は同じぐらい、多分一.五メートル程度だと思うが、力の強さも体の頑丈さもマタンゴのほうが上っぽいし、しかも肉体的な疲労を感じない。
ゴブリン達の会話を盗み聞きしている限りでは、暗闇の湿った場所に放置しておけば勝手に増えるみたいだから、繁殖力もあるのだろう。
しかし、マタンゴはゴブリンに逆らうような素振りは絶対に見せない。
というか、逆らうだけの知能を持っていないように思える。
何かの拍子に死んだ奴は文字通り料理されてゴブリン達の食事として振る舞われている。
疲労を感じず、文句も言わず、メシは要らず、しかも勝手に増える、頑丈で従順で食用にもなる生物‥‥。
早い話が、この世界でのマタンゴは労役動物なのだ。
「いやいやいや。
おかしいってこんなの!」
はけを握りしめ、ひとりごちる。
俺も一応サブカルにのめり込んだ者のはしくれとして、ある程度はファンタジー作品にも触れている。
だから人間としての生を終え、転生するという不思議体験に対しても、それほど混乱する事もなく受け入れる事は出来た。
しかし、俺が見ていた作品の多くでは、同じような人間、つまり異世界人とか、亜人とか、そうでないならドラゴンみたいな強キャラが鉄板だ。
同じモンスターに転生するにしたって、まだスライムとかゴブリンとかの、将来性のある奴らのほうが明るい未来がある気がする。
それが、マタンゴだ。
ゲームでも序盤にしか出ないような雑魚中の雑魚だ。
俺自身、ゴブリンやオークなんかの設定を掘り下げている作品は見たことあっても、マタンゴの生態を考察している作品なんか見たことない。
人気だとか不人気だとか、そういうレベルですらない。
空気だ。
そして今のこの状況だ。
一応は社会人の端くれとして生きていた俺だが、来る日も来る日も同じことをやらされている現状は日本で暮らしていた時と何ら変わりない。
いや、24時間やすむことなく働かされ続けている現状はそれよりもずっと悪い。
「いくら何でもブラックすぎるだろ‥‥」
しかも、動物カテゴリから完全に外れた体というのが、日を追うごとに重荷になってきた。
腹が減らない、眠くならない、最初は良いかと思っていたけれど、メシを喰う喜びも寝床で眠る幸せも感じられないというのは意外とストレスだ。
これまでン十年続けていた行動をとっていないというだけで、これほど心理的に負担がかかるとは思いもしなかった。
その上、一日に二、三度ゴブリンに指示を出される以外に会話らしい会話のない環境で単調作業に従事している状況は、俺のメンタルを激しく消耗させた。
たしかに体は頑丈かもしれないが、俺の心は現代日本人のままだ。
早い話が、疲れてしまった。
「もう嫌だ‥‥何が異世界転生だ。
結局別の苦労があるだけじゃないか」
文句を言いつつも、指示された仕事を続けてしまうのは前世で身についた悲しいサガといった所か。
だが、もはや限界だ。
「逃げてやる‥‥!」
俺はここを抜け出て自由に暮らすんだ!
そう決意した。
決意しただけでまだ実行にはうつせていないんだけどな。
ゴブリン達は二人一組で見回りをしている。
マタンゴには知能が無いので、彼らでは対応出来ない設計部分の施工やトラブル対応はゴブリン達の仕事なのだ。
一人がそれに対応し、もう一人がマタンゴたちを見張るという形態をとっているので、意外と隙がない。
そもそも俺以外のマタンゴは従順だからトラブルらしいトラブルも無いしな。
窓から外を見れば、城門付近は沢山のゴブリンや見慣れない魔族もいたりして、人目が多い。
とてもその中をかいくぐって外へ出るというスニーキングミッションを成功させられるとは思えない。
しかも城の外の事は何も解らない。
なんせ生まれた時からこの城の中で仕事し続けているのだ。
どんな危険があるのか分かったもんじゃない。
逃げ出す事は何度も考えたけど、どうしてもリスクが大きすぎる気がして決意が鈍るんだよな。
どうしたものかと思いながら、木板で壁をあおいで乾かしていたその時。
「あのっ、見回りより先に報告を!」
「そんなものは歩きながらでも聞ける。
見ろ、そこの壁材もはがれているぞ」
話し声が聞こえたと思ったら、突然、ドアが大きな音を立てて開いた。
振り返った俺は唖然としてしまった。
綺麗なお姉さんがそこに立っていたからだ。
とはいえ、明らかに人間ではない。肌の色はやや赤みを帯びていて、ドアを押さえる手の甲には鱗のようなものが見える。頭には立派な角が四本、頭の後ろへ向けて生えているし、こちらを見つめてくるその瞳は
金色だ。
見ているだけで圧倒されるような威圧感があるのだが、煩悩にまみれた俺の意識は鮮やかな刺繍の施された衣服を押し上げる胸のシルエットに釘付けだった。
お姉さんは不機嫌そうに眉をひそめ、縦に割れた瞳孔をすぼめて言った。
「なぜここに歩菌類がいるのだ?
内装の工事は既に終わっているのではなかったのか」
「は、いえ、その‥‥」
続いて部屋に入ってきたのは俺に作業指示を出していたゴブリンだ。
っていうか、俺はスリップウォーカーという種族だったのか。
その呼び方は確かゾンビとかに使われてるんじゃなかったっけか?
ともかく、工事が終わっているはずの部屋に俺がいるのはお姉さん達にとってあまりよろしくない事のようだ。
「今しがた終わりました。
これにて失礼致します」
出来るだけ刺激しないように丁寧な物言いで頭を下げ、そそくさと部屋を出る。
まだちゃんと乾ききった訳じゃないけど、全部塗り終わってはいるから勘弁してほしい。
なんだか背中に視線が刺さっている気がするけど、そんなものにかまってなどいられない。
他の部屋もまだ終わっていないのだ。
さっさと仕事を済ませるべく、俺は隠れるようにして隣室へと入った。
偉い人が来てしまったのなら、警備とかも増えるんだろうか。
いよいよ逃げだすのが難しくなりそうだ。
これ以上不安要素が増える前にさっさとおさらばしてしまおう。
‥‥でも、あの綺麗なお姉さんを見ていられるなら、もうちょっとだけ働いてもいいかな。
書き溜め分を投下。